第9話:「戦争中だぞ、林彪!」

 周恩来が蒋中正に提出した作戦計画の中には、軍校内の精鋭部隊を出動させるという条件が含まれていた。

林彪というのが、つまりは蒋中正がその条件に対して示した答えというわけだ。

林彪は背は高くはないものの、精緻な顔立ちをしており、一見街中で見かける今時の女性と大差なかった。肩までの長さの赤い髪をポニーテールに結い、顔立ちとは相いれない太い眉毛を持ち、目付きは鋭く、高慢そうな笑みを覗かせる。体付きに突出した所はないものの、白色の軍服を着込み、左腰にライフルを提げ、短い馬鞭を携えた姿は、人を容易に近づけさせない覇気を感じさせた。

 この頼りない外見とは裏腹に覇気を滲ませた女性こそが、軍校最強の部隊とされる「林彪独立団」の指揮官なのだった。

 「林彪独立団」の最大の特徴は部隊員の上下を問わず、潔いまでに女性のみで構成されている点にあり、いわば現代版のアマゾネスといったところだ。林彪による厳しい訓練を通過した彼女たちは、昨年の軍校内の演習で全ての男性兵士らを圧倒してしまった。このこともあり、部隊は「独立団」の名称以外にも、蒋中正から別の称号を与えられることとなっていた。

白色悪魔。

林彪はこの称号をいたく気に入り、独立団の隊員たちの制服を白一色でまとめてしまった。苦い思いをさせられてしまった男性兵士たちは、この白い制服を見るや避けるようになっている始末だ。

 これ以外にも、林彪独立団は全ての隊員が、林彪自身も含めて共産主義小組の構成員だった。言い換えると、独立団は共産主義小組の構成員の部隊だということであり、軍校そのものを制覇することがもう一つの重要な目的となっているのだ。

 周恩来は蒋中正がそのような部隊運営を許したことについて、驚くと共に嬉しくもあったわけだが、まさか林彪の個性が彼の想像していたものと、これほど隔たりがあるとは想像もしていなかった。

(まあ言ってみれば、初めて会った時からその片鱗は見えていたんだよなぁ……)

 周恩来は林彪独立団の検閲時に発生した惨劇を思い出すと、他に仕方なく溜息を吐くばかりだった。毛沢東もあの時は縛られて地べたに転がされている林彪をおののきながら見ていたものだ。

 「啊啊……お姉さまにそんな目で見られるなんて辛い。だけど何か言葉にできない快感も……あっ、この感覚は! 私の中で何かが目覚めそう!」

唯一、二人を安心させられる点といえば、林彪は一回拒否された後で何ら抵抗をしなかったことぐらいだろう。神妙に毛沢東の白目を堪能(?)しているようだった。

 毛沢東は周恩来を引き寄せていった……「おい、ほんとにこいつ大丈夫なのか? この調子じゃいつまで経っても作戦の詳細な打ち合わせとか無理そうなんだけど」

「そうだな……一つ良いこと思い付いた」

「へえ?」

「お前の話だけは聞くだろ? お前自身が落ち着くように手なずけてみたらどうだ?」

 「なに適当なこと言ってるんだよ!」

「だけど、どのみち他に良い方法はないんだから、やってみたらどうだ」

「うう……」

毛沢東は視線に込めた嫌悪感を更に三割ほど増加させたが、林彪に余計な快感を与えただけだった。

 「き……気持ち悪い……」毛沢東は思わず眉を顰め頭を伏せた。「だけど……分かった。なんとか手なずけてみるよ」

「おおっ」

周恩来は毛沢東が肥溜めに足を踏み入れるかのように林彪に近づいて行く様子を、敬服の念で見守った。林彪は毛沢東が近づいて来るのに気付くと、興奮したように立ち上がったが、毛沢東は彼女との間に距離を置いていた。「おい、ちょっと話があるんだけど」

「お姉さま、何事でしょうか! 私にできることならなんでも!」

「気持ち悪いなお前」

 (短刀直入すぎるだろ!)

傍で様子を見守っていた周恩来は、内心で思わずそう叫んでしまった。

しかし毛沢東の直接的な物言いは、劇的な効果を生み出したようだった。

「なんですって!!」

林彪は眩暈を起こした様子だった。

 「はっきり言うとな、私にはそっち方面の趣味はないんだ。お前がそんな態度をとっても私には気持ち悪いだけだから」

「お、お姉さま……」

毛沢東のその一言で、林彪は人間界から地獄へと突き落とされてしまったのだった。

 「し、しかし……お前だって同志の一員なわけだし……も、もし私に対して無礼な態度をとったりしなければの話だけど……それなら、私たちは同志として正常な付き合いも、或いは可能なんじゃないかと……」

「お願いします! 本気でお願いします! お姉さまと付き合うためなら、なんだってしますから!」

 林彪はまるで閻魔大王に「天国に行きたいか」と問われたような感じで激しく体を震わせながら猛烈に首肯した。

「ほんとか……ほんとに二度と暴れたりしないんだな」

毛沢東はそんなことを言いながら、縄を解いてやった。自由を獲得した林彪は、二度と常軌を逸した行動にはでなかった。

 「お姉さまの彼女として、私は一体どうすれば…例えば花を送るというのはどうでしょうか…」

「おい! 私の話聞いてないだろ!」

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