第5話 そして男の娘へと……

 置かれていたポットからコーヒーを入れて一服し、丁度十分経った頃。

 僕も応接室を出ると、無人の待合室を経て「第一診察室」の看板が掲げられた部屋に入る。

 中には丸椅子が二脚と机があり、その傍らにカーテンで閉められた一画がある。診察ベッドだろう。


「触診の準備が出来たら入って来て下さい~ 必要な物は机にありますから~」


 カーテンの奥から、佐保さんの声がした。

 机を見ると、折りたたまれた白衣とマスク、ラテックス製の手袋がある。

 僕はスーツの上から白衣を着てマスクをかけ、手袋をはめた。


「失礼します」


 カーテンを開けると、中のベッドに佐保さんが全裸で横たわっていた。

 筋骨隆々とした体つきで、むだ毛の類は一切無い。処理してあるのか、陰毛も生えていない様だ。


「女には見えないでしょ~? これが私の体です~ 隅々まで~ よぉ~く診て下さいね~」

「では、いきます」


 僕は佐保さんの体を診始めた。

 乳房の発達が全く見られない。乳頭も、男性のそれだ。骨盤も狭く、一般的な女性とは異なっている。

 つまり、体つきが男性その物と思われた。


「どうでしょ~?」

「う~ん…… 男性の体に極めて近い様ですね……」

「まだ診ていないところがありますよ~ お互い医師なんですから~ 遠慮はいりません~」

「では、失礼して」


 僕は佐保さんに、両膝を曲げて脚を開く様に指示すると、顔を近づけて股間を観察した。

 やた黒ずんだ女性器がはっきり見える。

 陰核がやや肥大している…… 本来膣前庭にあるべき尿道口がない。

 陰核を再度診ると、先端に尿道口がある。いわゆるマイクロペニスか。

 膣口は通常の女性と代わらない様だ。

 体つきを観察した時点では性転換手術による元男性とも疑ったが、女性器は人工の物ではない。

 恐らく、仮性半陰陽だ。

 陰毛の生えていない下腹部を触診してみると、左右に一つずつ、丸い膨らみがあるのが解る。

 これは停留睾丸といって、本来は体の外部にあるべき睾丸が、体内に留まっているのである。また、子宮も存在しない様だ。


「解りましたか~?」

「仮性半陰陽ですね。アンドロゲン不応症と思われます」

「正解です~ 医学的には~ 私は~ 男なんですよ~」


 アンドロゲン不応症とは、男性ホルモンに体がうまく反応しない遺伝子疾患で、本来は男性となるべき肉体が、女性の特徴をもって発育してしまうのが症状である。

 症状の現れ方は様々で、体つきも含めて極めて女性に近い場合もあれば、性器形状以外が完全に男性という場合もある。

 佐保さんの場合は後者で、性器形状以外はほぼ男性という体と思われる。

 陰毛が発毛しないのも、アンドロゲン不応症に特徴的な症状の一つである。

 大抵は、第二次成長期になっても初潮がみられない事で産婦人科を受診して発覚するが、佐保さんの様に男性化がみられる場合はそれが発覚のきっかけととう場合もある。


「中学生の頃から~ 体が男の子みたいになって来て~ ただでさえ白人で目立つ物ですから~ みんなに”キモイ外人のオトコオンナ”って言われてたんですよ~」

「生殖腺を温存している様ですが、摘出は考えなかったのですか?」


 アンドロゲン不応症の患者は医学的には男性の為、体内にある生殖腺は卵巣ではなく睾丸だ。

 しかし、放置すると癌化するリスクがあると言われており、早期に摘出する事もある。


「成長期の生殖腺摘出には~ お父様は医師として賛成しかねるという方針でした~ 摘出したら一生ホルモン投与が続きますし~ 定期に経過観察すればいいと言って~ 幸い~ 性器は女性としての性交渉に~ 問題ないという事でしたので~」

「ご自身は女性として生きる事を選択されたのですね?」

「だって~ 女として育っていたのに~ 男になれって言われても嫌じゃないですか~」


 アンドロゲン不応症に限らず、外性器形状と染色体の性別が一致しない仮性半陰陽は、その多くが性器形状による性別を選択する。

 外性器形状に合わせた性自認で教育されている為、医学上の性に合わせるとなると、本人の生活習慣を新たな性として改めなくてはならないからだ。


「それに~ 手術でちんちんをおっきくしても~ 赤ちゃんを作れる様にはならないんですよ~」


 人間の睾丸が精子を造成するには、体外の陰嚢に収納され、体温から数度低い環境でなければならない。陰嚢が伸び縮みするのは、精子を造成する為に温度を調整しているのだ。

 体内に収まったままの停留睾丸は造成機能が失われており、仮に人工的に陰嚢を形成して体外に出しても、生殖機能が回復する事は無い。

 アンドロゲン不応症患者が女性として生きるか、男性として生きるかは本人次第である。医師の診断を添えて家庭裁判所に申し立てれば戸籍の訂正は容易だ。

 しかしいずれを選ぶにせよ、子孫を残す事は出来ない体なのである。


「お髭や臑毛が生えてきたり~ 女の子を好きになったり~ みんなに気持ち悪がられるし~ 中学校の途中で不登校になっちゃって~ 家にこもってたから~ ブクブク太っちゃったんです~ 高校は通信で~ 資格取ったんですよ~」


 佐保さんは、辛かったであろう体験を、次々と話して来る。

 きっと、誰かに聞いて欲しかったのだろう。


「医大は大丈夫でしたか?」

「はい~ お父様の母校でしたし~ みんな医学生なだけあって~ 私が仮性半陰陽だって話したら~ 納得してくれました~」

「その頃ですか? 僕の本を読んで頂いたのは」

「はい~ 医大は勉強漬けでしたけど~ 人並みにパートナーなんて見つからない物ですから~ エッチな同人誌を読むのが唯一の楽しみで~ 悶々としながら~ お部屋でしてました~」


 僕は、肥満体で滑稽な顔の造作だった頃の佐保さんが、自室にこもって僕の同人誌を読みながら自慰をする姿を想像し、何とも複雑な気分に囚われた。

 同人誌に限らず、官能作家であれば、自作がいわゆるオナペットとして使われている事はよく解っているのだが……

 まあ、悩みを紛らわす支えになっていたのであれば、少なくとも人の役にはたっていたのだろうと納得する事にした。


「でも、佐保先生は偉いですよ」

「そうですかあ~?」

「周囲の目が怖いのに、医大に行くというのはかなりの勇気が必要だったと思います。それに、肥満を治す為にボディビルを始めたのでしょう? 美容手術だって、見たところかなり大きく顔を変えていますから、簡単に決断出来る事ではない筈です」


 実際、そう思う。佐保さんは特異体質を抱えて偏見に苦しみながらも、道を探って生きてきたのだから。


「僻地医療や災害救援に役立つ為に、ドクターヘリの運行まで引き受けるなんて、なかなか出来る事ではないですよ」

「あれはお父様の趣味で~」

「きっかけはどうあれ、世間の役にたっているじゃないですか」

「炉利先生~!」


 佐保さんは、裸のまま僕を抱きしめて来た。

 鍛えられた腕力が、貧弱で小柄な僕の体を容赦なく締め上げる。


「ちょ、苦し……」


 目の前が徐々に暗くなり、僕は意識を失った。


*  *  *


 目を覚ますと、僕は診察ベッドに寝かされていた。

 鷹巣医師と佐保さんが、心配そうに覗き込んでいる。


「どうかね、炉利君? 気分は?」

「ごめんなさい~ あまりに嬉しくて~」

「それで、どうかな? 佐保をお願い出来るかね?」

「色々と考えましたが…… 佐保さんと一緒になろうと思います」

「本当ですかぁ~!」


 僕の答えに、佐保さんの顔が一気に華やいだ。

 最初は確かに驚いたし、間延びした口調に天然ボケなところがあるが、彼女とならやっていけそうな気がする。

 ノミの夫婦として嘲笑する人もいるだろうが、低身長の僕が伴侶を迎えるなら、避けられない事でもあるのだ。


「いいのかね? 念を押す様だが、佐保には生殖能力がない」

「僕の父はその事を?」

「無論、事前に知らせてある。君次第だ」

「佐保さんは養女でしたね?」

「うむ。ルーマニアから迎えたのだ。東欧崩壊の混乱でな、当時はそういった子供が多かったのだよ」


 東欧崩壊。ソ連中心の共産圏が破綻するという、世界の地図が塗り代わった四半世紀前の大事件だ。共産政権による独裁からの解放にわきたつ一方で、政治的混乱から、子供を含め、多くの弱者が困窮に陥ったという。

 もっとも悲惨だったのは、人口増政策で堕胎を完全に禁止していたルーマニアと、内戦状態となったユーゴスラビアである。

 特に前者は、養育能力がない親による棄児と、政権崩壊による児童施設の運営困難による浮浪児の発生という悲劇で知られる。

 佐保さんがその一人だったとは……


「なら僕達も、同じ様な境遇の子を迎えればと思います」

「そうですね~ 自分がして頂いた事は~ お返ししないと~」


 僕達の答えに、鷹巣医師は満足そうに頷いた。

 血縁によるだけが家族ではないだろうと、つくづく思う。


「それでですね~ 今一つお願いがあるんですよ~」

「何です?」

「私の理想の旦那様になる様に~ カスタマイズしたいんです~」

「もしかして、美容整形ですか?」

「はい~ こんな感じで~」


 佐保さんは、手にしたタブレットを僕に示した。

 そこには、ウエディングドレスを来た大柄な女性が、もう一人の、やはりウエディングドレスを来た小柄な女性を抱えている精細なグラフィックが映されている。

 大柄な女性の方は佐保さんだ。

 小柄な方は…… 僕の同人誌の女装ショタ主人公をリアルにした様な感じだ。

 つまり、僕の同人誌の主人公カップルをそのまま再現したいのか。


「私~ ビアンよりのバイですから~ 炉利先生にも~ 男の娘になって欲しいんですよ~」

「君は元々、女顔だからな。髭や臑毛の永久脱毛の他は、いわゆるプチ整形程度で済むだろう」

「まあ、その程度で済むのでしたら……」

「後~ ちんちんもおっきくして欲しいんですよ~」

「え?」

「私は大柄ですから~ 失礼ですけど~ 炉利先生のちんちんだと~ サイズが合わないと思うんですよね~」


 大切な事だが、言いにくい事をはっきりと言う人だ。やはり彼女は天然ボケである。

 身内はともかく、患者相手にやらかしたら、えらい事になりかねない。


「うむ。夫婦生活の円満は、性生活の充実からだ。どれ、手術後の見本を見せておこう」


 鷹巣医師はズボンのファスナーを下ろすと、キングサイズのいきり立った陰茎が飛び出て来た。


「見たまえ、元は貧弱な皮かむりだったが、医学の力によってこの様な立派な逸物に!」

「お父様、おっきい~!」

「解りましたから! 手術でも何でも受けますから! 早くしまって下さい!」


 胸を張って自慢する鷹巣医師と、父親の奇矯な振る舞いを無邪気にたたえる佐保さん。

 僕は早くも、決断を早まったのではないかと後悔し始めた……

 だが結局の処、僕はその日の内に美容手術で女顔に修正すると共に、ペニスの拡大術を受けた。顔はともかくとして、ペニスのサイズについては、確かに男子として密かなコンプレックスだったという事もある。

 手術は繊細な物で、後から見せてもらったオペ中の録画を見ると、佐保さんの腕の良さが良く解った。

 ”職業柄ペニスを見慣れている”と言っていたから、同様の手術の経験がかなり豊富なのだろう。


「早く使いたいでしょうけど~ お式を挙げるまでは~ 我慢して下さいね~ 浮気しちゃ駄目ですよ~」


 経過を診察する為に僕のペニスを診察する佐保さんの顔は、とてもさわやかだ。

 僕はまだこの時、自分達がこの結婚をきっかけとして、国のトンデモ政策に関わる事になるとは夢にも思っていなかったのである……


(了)

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マッスル令嬢と男の娘による、疑似おねショタバカップル トファナ水 @ivory

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