第11話 ガラナ

 これでやっと出航できる。

 船の船長、フェテは真っ暗な海を眺めていた。

 数週間に及ぶ滞在は退屈きわまりないものだった。紛争地帯というだけあって、金さえだせば酒と女にありつけたが、現地の女には触手が伸びなかった。小太りの中年男性、フェテが口ひげを手で伸ばしながら歩く。

 一ヶ月ほど前、スーツ姿の女がフェテの船に乗り込んできた。

 驚きながらも、フェテは突然の訪問者に小銃を突きつけたが、女は焦るそぶりすら見せなかった。

 銃を向けることすらも想定していたかのように、女はフェテに笑みをこぼした。

「ちょっと協力してもらえませんか」

 でていけ。そう怒鳴りつけるフェテを尻目に女はジャケットの内ポケットに手を入れた。

 フェテは身構えた。ここはアメリカだ。なにもいわずに内ポケットに手を入れた女を撃っても正当防衛になるだろう。しかし、フェテは女を撃つ気にはなれなかった。不敵な笑みをこぼした女が銃をとりだすとは思えなかったのだ。

 女がとりだしたのは銃ではなく、札束だった。パッと見でもフェテの年収を越えているのは容易に推測できた。

 仕事を引き受けるか受けないかはフェテ次第。話をきいていただけるだけで、このお金は差しあ げます。

 驚きながらもフェテはクロスと名乗った女の話をきくことにした。

 ある国から貨物を運ぶのを手伝ってほしい。話はそれだけだった。

 いままでと違うのは、貨物が子供だということだけだ。

 子供をさらうのか。

 心配しなくていいわ。眉をしかめたフェテにクロスが説明した。子供たちは住む場所も身寄りもないストリートチルドレン。いなくなっても誰も困らないし、むしろ、生きている方が辛いような毎日を送っている。そこから逃げだす手助けをするの。

 ずいぶん勝手な理屈だと思った。  

 しかし、フェテにとっては降ってわいたような幸運だった。ギャンブルで身を崩していたフェテは来月までに借金を返さないと、この船を巻きあげられることになっていたのだ。命よりも大事な船を渡すわけにはいかない。フェテは二つ返事でクロスの依頼を引き受けた。断る理由なんてありゃしない。いままでも似たような貨物を運んだことは何度もある。もっとも、クロスはフェテが金に困っていることもすべてお見通しのようだった。

 フェテが倉庫の前を通る。昨日までとは違い、騒音がきこえてくることはなかった。

 やっと静かになった。過剰に食料を与える必要はないが、全く与えないわけにもいかない。子供たちに死なれては、せっかくの苦労がムダになってしまう。初めこそ、食料の加減がわからず、二、三人死なせてしまったが、さすがに逃げるのをあきらめたらしい。

 倉庫のなかにはさらってきた子供たちが押し詰められていた。

 クロスの依頼を引き受けた翌日から、知らない男たちが船に集まってきた。

 なかには自分がなにをしているのかさえ、わからないものもいるようだった。けれど、フェテはそのことを確認することすらできなかった。集まってきた人間の素性や過去を確認することはクロスに禁じられていたのだ。やむなく、フェテたちの会話は仕事に関するだけの、当たり障りのないものへとなっていった。

 警報とともに、室内を赤く照らしていたランプが消えた。

 ピノピナが流れ終わったのだ。

 もちろん、フェテの耳にはきこえないため、このランプで流れているかどうかを確認するのだ。ある年齢層にしか聞こえない音があるとクロスからきいたとき、フェテはひどく感心した。モスキート音があるなんて知らなかったからだ。たしかに、自分から子供たちの居場所へ向かうよりも、子供たちに船の近くまできてもらった方が地元の人間に見つかるリスクは少なくなる。子供がさらわれているという噂はすぐに広まってしまうが、この方法なら船の近くで捕まえるときに気をつければいいだけだ。

「離して!」

 目の前から暴れる少女を抱きかかえた男がやってきた。

 どうやら、この少女が最後の商品らしい。

 すれ違った男が倉庫のドアを開けた瞬間、なかから数名の少年たちが逃げだそうと飛びでてきた。

 毛並みを逆立てた男が少年たちを威嚇する。

 男の風貌に驚き泣き叫んだ少年たちは、自分から倉庫のなかへと戻っていった。

 少女を投げ込んだ男は尻尾でドアを閉めた。

「ガラナ!」

 ガラナと呼ばれた男は縦に細く伸びた瞳孔でフェテを見つめた。

「これで最後か?」

 ニャーォ。小さく鳴いたガラナが首を傾げる。

 フェテはため息をついた。ガラナは言葉がわからないのだ。あいかわらず気味が悪い。クロスからきいた話によると、ガラナは人間と猫の遺伝子を組み合わせてできた生き物なのだという。そんな話、信じられなかったが、自分が見ているものを疑うわけにはいかなかった。これは都市伝説でもなんでもない。目の前の人間の話をしているのだ。……もっとも、ガラナを人間と呼んでいいものなのかはわからないが……。

 数名の傭兵たちが船に近づいてきた子供たちを捕らえていたが、そのなかでもガラナの役割は大きかった。

 驚くような身のこなしで、足音もたてずに子供たちを捕らえていった。さすが猫人間だ。フェテは素直に感心した。

 クロスに喉を鳴らしているガラナを見たときは、このふたりはどんな間柄なのかと下卑た想像をしてしまった。猫とはいえ男である。男としての役割はどうしているのか。口にこそださないものの、男だったら、誰でも想像するだろう。

 フェテはガラナの股間に視線をおとしたが、そこは毛に覆われており、どうなっているのかはわからなかった。

 俺はなにをしているんだ。そう自虐的に笑ったフェテはガラナが訝しげな表情で見ていることに気づいた。自分の股間を見ていた男を不思議に思ったのだろう。これでは、俺にそっちの趣味があるみたいではないか。

 フェテは逃げるようにその場を去った。船の警護にこの国で雇う予定だった傭兵が二人ほど現れなかったが、ランプが消えたということは、もう出発していいということだ。こんな国、もう二度とくることもないだろう。早く、アメリカに帰ってビールが呑みたい。そう思ったフェテは操縦室へと向かった。

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