第10話 遭遇

 新田が顔を引く。

 対峙していた猫男が右手を突きだしてきたのだ。

 どうやら、猫男の爪は長く伸びているらしく、それで新田の顔を引っかこうとしているらしい。

 まさに猫だ。

「きゃっ!」

 転んだマリアの腕を引く。

「大丈夫かっ?」

「う、うん」マリアがうなずく。

 猫男がマリアを捕まえようと腕を伸ばす。

 新田がそれを阻止しようと、懐中電灯で殴る。

 しかし、猫男がかろやかに懐中電灯を尻尾で払う。

 明かりの消えた懐中電灯はどこかへ転がっていってしまった。 

 猫男が新田の背後に周る。

 早い。新田が猫男に向き直ろうとする。しかし、その瞬間、新田は猫男に背中を引っ掻かれてしまった。

 思わず新田の口から悲鳴が飛びでる。

 膝から崩れた新田が顔をあげると、泣きそうな顔でマリアが見つめていた。

「……離れていて」

 新田の指示に従ったマリアが、戸惑いながらも積み重ねられたドラム缶の陰に隠れる。

 これで少しは戦いやすくなる。

 ふらふらと立ち上がった新田が身構える。  

 猫男が飛び跳ねながら、にじり寄ってくる。その姿は完全に猫そのものだった。人間と同じぐらいの背丈があるのに、そのスピードはいささかも衰えていなかった。

 幸い、迷彩服の下には量産品の安物の防具を着ていたため、大事には至らなかったが、まともに引っ掻かれたら、皮膚だけでなく、肉まで持っていかれるだろう。

 猫男の爪を目で追っていた新田は顎に衝撃を受けた。

 膝蹴りをかまされたのだ。

 手にばかり注目していたので、全く予測できなかった。

 新田が尻餅をつく。

 新田を押さえつけた猫男が、新田の首筋に爪を当てた。 

 ……これで、終わりか。

 猫男の爪が首筋を掻き切る。そう新田が覚悟したとき、突然、猫男の体が吹き飛んだ。

 なにがおこったのだ? 驚いた新田の視界に鼓動が姿を現した。

「大丈夫か?」

 振り返ると、そこには鼓動の姿があった。

 騒音に気づいて、戻ってきたのだ。

「これが猫男か」鼓動が身構える。「まさか、本当にいるとはな」

 脇腹を蹴られた猫男が、フラフラと立ち上がる。暗闇にも関わらず、二つの瞳孔が光り輝いている。

 おそらく、猫男はこの暗闇でも手にとるように新田たちの動きがわかるのであろう。なにせ、夜行性の猫の瞳を持っているのだから。

 ……懐中電灯。少しでも鼓動の助けになるよう、あたりを照らしてあげたい。新田は猫男に飛ばされた懐中電灯を手探りで探した。

 暗闇に浮かんでいた瞳孔が開いた。

 その瞬間、猫男が鼓動に向かって、回し蹴りをはなつ。

 風を切る音がした。

 早い。目を凝らしながらも、新田は猫男のスピードに再度、驚愕した。

 しかし、猫男の蹴りが鼓動に当たることはなかった。

 猫男のスピードに人間が適うわけがない。そう思っていた新田が気づく。鼓動は猫男より早く動いたのではない。スピードでは確実に負けていた。ただ、猫男の動きを読んでいたのだ。

 この暗闇にも関わらず、鼓動は猫男の動きをしっかりと読んでいた。どんな生き物も蹴りを相手に放つときは、自然と反対側に体重を移動する。拳を突くときは、ほんの少し先に肩が動く。爪で引っ掻こうとするときは、まず肘があがる。

 鼓動はそうした動きをよく理解しているのだ。

 猫男が焦る。普段なら自分の攻撃が避けられることなんてないのだから当然だ。

 どうして鼓動が自分の動きを読めているのかわからない猫男にとっては、まるで心を読まれているかのような衝撃だろう。

 猫男が戸惑っている隙をついて、鼓動がベルトを抜いた。

 鼓動たちCOREは武器を持つことを禁じられている派遣兵士。いざというときには、身の回りにあるものを武器にするしかないのだ。

 鞭のようにベルトをならしながら鼓動が猫男に詰め寄る。

 落ちていた懐中電灯を見つけた新田が猫男を照らした。

 猫男はあきらかに怯えていた。

 きっと、人間などとるに足らない生き物だと思っていた猫男にとって、初めての屈辱だったに違いない。

 勝てる。そう新田が思ったとき、猫男がベルトを尻尾でつかみとった。

 鼓動がベルトを引っ張る。

 しかし、負けじと猫男もベルトを離さなかった。

 当然だが、人間には尻尾がない。

 鼓動は猫男の尻尾の動きまでは読めなかったのだ。

 ベルトを引っぱり合ったまま二人は微動だにしない。

 いまだったら、僕でも猫男を仕留められる。

 猫男を懐中電灯で殴りつけようと新田が駆けだした。

 そのとき、猫男の姿が無数の懐中電灯で照られた。

 佐藤と深澤が戻ってきたのだ。

 その瞬間、猫男はベルトを離した。

 鼓動が尻餅をつく。

 猫男が鼓動の頭上を飛び越える。

 猫男は退却したのだ。自分ひとりでは、これだけの人数を相手にするのは不利だとふんだのだろう。

「大丈夫か」佐藤が新田の手当にあたる。

「背中を引っ掻かれてしまって」

「肉には届いていない。心配するな」

 よかった……。なんとか殺されることはなかった。

「おい」深澤がたずねる。「マリアはどうした」

「あぁ」新田が笑みをこぼす。「そこに隠れてますよ」

 新田が積み重ねられたドラム缶に向かって声をかける。「マリア!」

 しかし、反応はなかった。

 嫌な予感がする。

 新田が駆けだした。

 たしかにマリアはドラム缶の陰に隠れていたはずだ。

「マリア!」新田は叫びながらドラム缶の陰を見回したが、そこにマリアの姿はなかった。

「……マリア」新田の口から声がもれた。

 そのとき、ドタドタと足音が聞こえた。山下が駆けてきたのだ。どうやら、猫男に恐れをなした山下は隠れてようすを伺っていたらしい。

「大変だよ!」息を切らしながら山下が告げる。「マリアちゃん、猫男に連れて行かれちゃったよ!」

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