第7話 マリア

 宿舎に帰ってきた新田はシャワーを浴びていた。

 腕、脇、足だけにかかわらず、普段洗わないようなところも丹念に洗っていく。一時間もトラッシュマウンテンにいなかったのに、体には異臭がこびりついていたのだ。シャワーを浴びている新田の体がどんどん冷えていく。日本と違って、この国のシャワーは冷水なのだ。初めて浴びたときこそ驚いたものの、温暖な気候であるこの地ではこの方がいいのかもしれない。

 それにしても、マリアと名のった少女の話は不思議だった。朝を迎えるたびに仲間たちが次々に消えていったというのだ。しかも、その仲間たちは夜にきこえてくる子守唄、ピノピナに心を奪われていたのだというのだが、マリアの耳にはきこえなかったのだという。マリアだけではない、トラッシュマウンテンの周りに住んでいる人たちにもに確認したが、彼らもピノピナなどきこえていなかったとこたえた。……トラッシュマウンテンの子供たちにだけきこえたのだろうか。だとしたら、どうしてマリアにだけはきこえなかったのか……。消えた子供たちと猫目の男、なにか関係があるのだろうか……。

 シャワーからでた新田が食堂に行くと、マリアが食事にがっついていた。

 そばには、それを見守るように鼓動たちの姿もある。

 体にこびりついた異臭をおとすため、むりやりシャワーを浴びせさせられたマリアは大きめのシャツと短パンを履いていた。小柄な派遣兵士から拝借したのだろう。それでも、マリアの体には大きすぎるようだった。ここには子供用の服なんてないのだから、むりもない。

 食べ終えたマリアが満足げにため息をついた。

「なぁ」深澤がたずねる。「ほかになにか思いだしたことはないか?」

「……ほかに?」

「その、猫の目を持った男の話とか……」

 マリアが首を傾げる。「猫の目?」

 山下が歩み寄る。「ぼ、ぼぐたち、猫目の男を探しているんだ。な、なにか知らないかな?」

 マリアの表情が曇った。マリアは僕たちが仲間の居場所を探してくれると信じてこれまでの話をしてくれたんだ。

「大丈夫だよ」新田がマリアをなぐさめる。「君の仲間も探しだすから」

「おい!」鼓動が怒鳴る。「安請け合いするな。俺たちの任務は猫目の男を捕まえることだ。行方不明になった子供たちなんて関係ないだろう」

「そんな!」

 マリアが怒鳴った。「あんたが猫の目をした男から仲間を助けてくれるっていったんじゃないか!」

 その通りだ。鼓動はそういってマリアから話をききだしたのだ。

「お前、いくら払える?」

「え?」マリアが戸惑う。

「人にお願いするには金が必要なんだよ。お前に人に頼めるだけの金はあるのか?」

 いまにも泣きそうなマリアは首を横にふった。

「じゃあ、ダメだ」

 ひどい男だ。新田が怒鳴ろうとしたとき、マリアが口を開いた。

「……これあげる」マリアはポケットのなかからビー玉をとりだした。

「なんだそれは?」鼓動がたずねる。

「水のなかにいれるとキラキラ光って、キレイなの……」

 鼓動は呆れたようにため息をついた。

 沈黙をやぶろうと深澤が声をかける。「……最近、なにか変わったこととかはなかったか?」

 考え込んでいたマリアははっとした。「……猫の鳴き声が聞こえてた」

「猫の鳴き声?」鼓動が鼻で笑う。「そんなの珍しくもなんともないだろ」

 マリアが首をふる。「普通の猫とは違うの。大人の男性が叫んでいるように、苦しむような声がトラッシュマウンテンに響き渡るように……」

 ……まさか、本当に猫目の男が存在するのか? 新田がそう思ったとき、背後のドアが開いた。

 振り返ると、そこにはアセスとラチが立っていた。

「な、なんだ君たちは?」深澤が詰め寄る。「一般人が勝手に敷地内に入っていいと思ってるのか」

 佐藤が深澤をなだめる。

「これをお礼にと思ってな」アセスはラチとともに持ってきた大量の酒瓶を佐藤に渡した。

「それでなんじゃが……」いいにくそうにアセスが鼓動に告げる。「いくらぐらい礼は払えばいいんかいの?」

「礼?」深澤の視線が鋭くなる。「鼓動、お前いったいなにをやったんだ? まさか、現地人から金を巻きあげようとしているんじゃないだろうな?」

「もう充分だよ」

「へ?」鼓動の言葉にアセスが首を傾げる。

「これだけもらえれば充分さ」鼓動が酒瓶を手にとる。「これだけありゃ、しばらくは酒に困らんだろう」

 絶句したアセスが鼓動を見つめている。いくら払えばいいか、悩みながらここまできたのだろう。

「本当にこれだけでいいのか?」

「あぁ」

 鼓動の言葉をきいたアセスの瞳に涙がたまる。「……ありがとう」

「よかったですね」新田がアセスに話しかける。おそらく、鼓動は深澤がいたから露骨に謝礼を要求できなかったのだろう。そうでもなきゃ、アセスからも金を巻きあげていたはずだ。

「……ありがとうございました」礼をいったラチが声をあげる。「あら? マリアちゃん? どうしたの、こんなところで。レイ君は一緒じゃないの?」

 黙り込んだままマリアは俯いてしまった。

「……なにか、……あったの?」ラチがたずねる。

「じつは」新田が説明する。「子供たちがいなくなっちゃったんだ」

「え?」ラチが驚く。

「流れてきたピノピナに誘われるように、子供たちが消えていったらしくて……」

「……そう」ラチが肩をおとす。

 アセスが言葉をもらす。「……たしかに、あのピノピナは不気味だったものな」

 室内の空気が凍った。

「じいさん、きこえてたのか?」鼓動が詰め寄る。

「あ、ああ」アセスが動揺する。「夜になると、毎晩、流れていたやつだろ? わしもここ数日、気になってたんだ」

 新田が確認する。「ピノピナはトラッシュマウンテンの子供たちにしかきこえてなかったんですよ?」

「おとうさん!」ラチが戒める。「嘘はダメよ! みんな、困ってるんだから!」

「本当じゃって!」

「年とってから耳が悪くなったじゃない!」

「なにをいっているんだ! わしにはこれがあるんだ!」そういうと、アセスは自分の耳をラチに見せつけた。

 そこには、補聴器がつけられていた。

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