episode5

歪な雰囲気が漂う。それを身体中で感じ取った緋菜は、それに視線をずらす。


「アァアァ……オス、トワルト、ツカウ、ヤツ、イタ」

「!!」


緋菜の視界に入ってきたのは、黒い影のような物体。いや、物体と言えるのかさえわからない。

炎のように天辺がメラメラと立ち上っており、目がないように見え、口が大きく目立つ……

この世界では、絶対居ないような生物だ。


「オ、ストワルト……オレラ、コロサレル。ナ、ラ」


緋菜の脳裏に嫌な予感が走った。

あまりにも不可解な事ではあるが、一つ分かる事。


「コロシテ、ヤル!」


ここから逃げないと、殺される事だ。

奴は緋菜を敵と認識した途端、歪な形をした口元からどす黒い体液が放出される。緋菜は咄嗟の所で避ける。

その飛び散った体液は蒸気を出しながら、地面に掛かり、シュワシュワと音を発していた。


「ひっ……!」


(やばいやばいやばい。これは本気でやばいって!)


まるで酸のように、地面の一部が白くなり熔けていた。それを目の当たりにした緋菜は身体中に喝を入れ、気持ちを奮い立たせる。両足で必死に地面を蹴り、その場から逃れようと駆け出す。震える身体中を必死に抑えながら、泣きそうな吐きそうな感覚をグッとこらえながら。


「マ、テ……オス、トワルト」


その黒い奴は、逃げる緋菜に追い付くため、ビュンと宙を飛ぶ。


「はぁはぁ……(オストワルト? あれ、どっかでその名前……)」



――そうだ。


――あの夢だ。


緋菜は今朝と昼間に見た夢を思い出していた。夢の中の二人は確かに「オストワルト」を口にしていた。


(“失われた魔術(ロスト・マギカ)”の……オストワルト)

「……【色即是能(オストワルト)】?」


その言葉を口にした途端、緋菜の身体の芯と目頭が熱くなっていくのを緋菜は感じた。


「……っあぁぁぁあああぁああ!」


瞳の内側から来る焦げるような熱さに耐えきれず、叫び苦しみながら、足を止め必死に目を抑える。


「ヤット、トマッタ。オス、トワルト、シネ」


立ち止まり、もがき苦しんでいる緋菜目掛け体液を勢い良く吐き出す。

すると苦しんでいた緋菜は瞳から手を離す。気付くとその表情は、無表情に近いくらい冷静の色に変わっていた。


「“来たれ、深緑の盾(サジード)”」


そう小さく呟いた緋菜は、手を高々に振る。すると、緋菜の周囲にあった木々に茂る葉の緑色だけが手のひらに吸い込まれていくように集まっていく。緑色を失った葉は、夢の中で見た、「輪郭だけを残した」葉になっている。所謂色を失い、白くなっているのだ。

手中に集めた緑色を両手で掲げると、それが緋菜を守る盾と一瞬にして変化した。その盾のようになった緑色は、体液を飲み込むように消滅させる。


「ヤハリ、オス、トワルト、カ」


カタコトで紡ぐ言葉に焦りの色が伺えた。

その言葉に反応するかのように、緋菜は閉じていた瞳を開く。

だが、いつものような灰色の瞳ではなかった。燃えるような明るい朱色に、黒い瞳孔の形が……まるで竜を象ったような形と為していた。


(な、なにこれ? 頭の中に言葉が勝手に思い浮かぶよ……)


人差し指を高々に掲げ、緋菜は黒い影を睨むように見つめる。


「あんた! 覚悟しなさいっ! “来たれ、灼熱の赤(バラッス)”!」


そして掲げていた人差し指は、近くに設置されたポストを指差す。すると今度はポストの赤い「色」だけを引き抜くように、緋菜は指を軽やかに動かす。すると魂のように「色」だけがポストから離れ、緋菜の手中でボール玉のように丸くなった。

ホワホワと浮かび上がっており、暖かい空気を醸し出していた。


「……っいっけぇぇ!」


そう黒い影を睨みすて、手中に浮遊する「色」を指で空をなぞるように滑らすと、なぞった先から燃え盛る灼熱の炎と化して、黒い影へと伸びていく。

そして黒い影を縛りあげるように炎と化した「色」は形を変幻自在に変え、紐状になり、炎を迸らせる。


「ウ、ギャアァァッ!」


影、ではなく、やはり物体のようだ。何かが焼けるパチパチという音が耳につく。腐ったような臭いを発しながら、影は地面に這いつくばるように、溶けていくかのように、必死に悶える。


「オロレ……オ……ス、トワルトォォォォ…!」


気づくと影は既に息絶えたのか、言葉も発さなくなり地面にドロドロと身体中が溶けていく。


「はぁ…はぁ……」


一気に緊張の糸が切れたのか、緋菜が一回瞬きをすると朱色だった瞳は元の灰色に戻り、竜の形をした瞳孔も丸い形に戻っていた。

その瞬間、「色」を引き抜いた葉やポストに色が戻っていった。


そして緋菜の足に入ってた力が一瞬にして抜け、そのまま地面に膝から落ちる。意識が虚ろのようだ。


「はぁ……」


意識がフッと途絶え、そのまま上半身が地面へと一直線に倒れ込みそうになった。その時。

緋菜の華奢な肩をガシッと掴み、抱き締めるように、身体を庇った人物が一人。


「……とうとう動き出したみたいだね。歯車が噛み合い、緋菜の中の針が音をたてて、ね」


先ほどの不思議な少年であった。偶然そこに居たのか、それとも……?


慈しむように、いとおしそうに、緋菜を見つめる柔らかい若葉色した瞳。

すると……少年は何かの視線に気付き、その視線の元を辿るように、目付きを鋭くする。だが、すぐに口元を緩ませて、


「力が目覚めたのは緋菜の意思でもある……僕のせいではないよ」


誰にともなく、それを口にした。

気を失った緋菜の膝と腰元に手を添えて担ぎ上げ、桜の樹に寄り掛からせるように座らせる。そして緋菜の髪を手に取り、そっと口づけをした。


「僕の可愛い緋菜」


突如歪な笑顔をして、緋菜の細い首筋を指でなぞる。


「君があの運命を受け入れ、心がぐちゃぐちゃになってしまうかもしれない……そう思うだけで僕は」


未だチクチクとした視線を背中に受け、それでも平然に緋菜の首筋に触れ、そして


「待ちきれない……心が踊るよ」


首を絞めるように、手のひらを広げるが、一瞬躊躇い、ゆっくりと丘に向け歩き出した。


「君も願っていた事でしょ? ……アヤール姫」


丘へ歩いていった少年はそのまま空へと溶けいるように消えてしまった。

少年がいなくなったのを確認し、物陰から出てきたのは……ふわふわな髪を翻した少女、あやめであった。


「……あの人が来たという事は、本当に」


何かを言い掛けたが緋菜の容態が気になり、桜の樹に寄りかかったままの緋菜に駆け寄る。

首筋の脈を確かめ額を優しく触れる。脈も平常、熱もない。ただ気を失っている事を確信したあやめは安堵のため息を溢す。


「さて、どうしようかしら」


あやめは辺りをキョロキョロと見回す。

ちょっと小高いこの丘に、人は一人もいない。

おもむろにあやめは通学用カバンから携帯を取り出し、電話をかけ始めた。


「……あ、群青くん? 緋菜ちゃんが……」


どうやら隆也に掛けたようだ。既に家路に着いていた隆也は、電話を切った数分後に、普段着で丘まで走ってきてくれた――

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