愛と青春の「旅だち」
誰も事務所に入ってくることはなく、ただ時間だけが刻々と過ぎて行くのを感じているうちに、奏志は微睡みに身を委ね、夢の国へ船を漕ぎ始めていた。
突如として明かりが消え、事務所内が静寂と混沌とた闇に包まれる。彼は「すわ停電か」等とも思ってみたが、タキオン・ドライヴの完成した今の世の中においては「停電」等と言う言葉は発するだけでもナンセンスであるため、奏志はただ黙って明かりがつくのを待った。
意識を凝らしてみるとそこここと人の気配があり、ついでにガサゴソと不穏な音がしていた、何らかの危険を感じた彼は身を固める。
電気がつき、事務所内に明かりが戻る。奏志の目に飛び込んできたのは机の前にずらりと並んだ先輩諸氏の姿であった。
ガタイのいい漢が横並びになり、顔を顰めている。人によっては壮観だと思うかも知れない、そんな事を考えながら奏志は真っ直ぐに前を見つめた。
「今日で、そこにいる篠宮奏志君はこの菱井建設のバイトを辞め、国連のテスト・パイロットを務めるようになる。寂しくはなるが、皆でしごいてきた後輩が名誉ある仕事をするというのは、誠に嬉しい限りである。みんな、胸を張って見送ってやれ! 」宮田は目を潤ませ、言葉を濁らせつつであったが、最後までカッコいい先輩として奏志に賛辞を送った。昨日の様子を見て、新たな道をゆく奏志を力強く送り出すと決めていたのだ。
「よせやい、今生の別れみたいで辛気臭いゾ」
「どーせすぐクビになって帰ってくるさ」口々に奏志をけなしたり、褒めたり、愛のある言葉をかけた。
「皆さん……本当に今までの一年弱の間、ありがとうございました。ここで覚えたことは絶対に忘れません、もし忘れることがあったとしたら、その時は迷わず俺をぶん殴って、それからいつものように「そんなことも忘れたのか? このクソ童貞め」と罵ってください。本当に、お世話になりました。これからも何かの折にお世話になることがあるかも知れません……そん時はまたよろしくお願いします」奏志はこみ上げてくる思いに視界と言葉を遮られ、考えてきた挨拶も忘れ、自分自身、何を言っているのかも分からない状態で別れの言葉を口にした。
「バイク買うときは呼んでくれよ、一番良いのを選んでやるからな」大木は涙をいっぱいに溜めていた。
「はい……お願いします……」そう言った奏志の頬には一筋の涙が伝った。
「それじゃあ、皆さん……本当にありがとうございました……」奏志はえづきながら、涙でクシャクシャの笑顔でドアに手をかけた。
「またいつでも遊びに来いよ、いつだって待ってるからな! 」
「下手な操縦すんじゃねぇぞ! 菱井建設の名が廃る! 」誰もが涙を流してはいるものの笑いながら、去っていく奏志に色々な言葉を浴びせかけた。
「女の子と一緒だからって、セクハラすんじゃねぇぞ! 絶対だからな! 」放たれた宮田の言葉にその場が静まり返った。沈黙が流れたのは一瞬だった。
「どういう了見だ! 」「んなこたぁ、聞いてねぇぞ! 」「ヤッちまえ! 」口々に奏志を避難し始める職員たち、
まず最初に康司の拳が宙を舞い、奏志の肩に突き刺さった。
「おい、痛いじゃないかぁ! 」奏志がそう言うか言わないかの内に次々と拳が飛来し、あっという間に奏志は床に伏した。
ボロボロになりながらも奏志が立ち上がると、職員たちは声を揃えた。
「お前が女の子と複座機に乗るなんて二億年早い、そんなことも忘れたのか? クソ童貞め」
「酷いじゃないですかいきなり殴るなんて……あんまりですよ……俺だって青春したいんですよ……」奏志は、泣いていた。
「無理だーッ! 無理無理! ワハハハハハハ」
「覚えとけよ! クソども! 絶対青春を謳歌してやるからなーッ! 」奏志は勢い良く外へと飛び出していった。
ドアが閉まり、奏志の涙ぐんだ笑顔が見えなくなると、途端に事務所は静かになった。みんな俯いたまま、だった。
「これで、いいんだよな」「あぁ」「心残りなんか無いだろうからな」
本当の漢の別れに、「さよなら」は要らない、
またどこかで逢えるのだろうから、ただ最後まで
笑顔で、去っていくその人の背中に向かって手を
振り続けることが一番相応しいのだ──
「漢」ってなんだ?
─本当にカッコいい男の十か条─より抜粋
「でもさ、なんかお前、かなりキツめに殴ってなかった? 」「お前こそ」「そういやお前も」そんな彼らの様子はつゆほども知らず、奏志は事務所の外で男泣きしていた──
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