全ては闇の中へ

「おかえりなさい。そろそろ来る頃だと思ってました」

 崇が怒りと焦燥で表情を歪めながら、ズンズンと近寄って来るのが見えても、占い師は涼しげな顔だった。

 そう、然も『崇が此処に、どういう状態で来る』かまでを予測していたかのように。


「……訊きたい事がある」

「何故、過去のご自分と考え方が違うのか……と云う事ですか?」

 心の内を読まれたのか!? と、崇はギクリとなる。が、却って此方から話す手間が省けたと考えたか、それに対する返答は省略して、その先を言葉に紡いだ。

「それと、どうして俺が元の時間に帰った時、その時の自分の状況を知らないのか……と云う事もだ」

 やっぱり……いや、やっと気付いたのですね? と、占い師は初めてローブに隠された素顔を晒し、崇に笑顔を向けた。

 但し、その笑顔は……爽やかな喜びの笑顔ではない。

 ふぅっ、と溜息を吐いて、ゆっくりと振り返ったその笑顔は、何故か哀しみの色を帯びていた。


 遅かったですね……と。占い師は、心の底からそう思っていたのだ。


「それはですね……いま貴方が見ているこの世界は、貴方が客観視しているパラレルワールドだからですよ」

「なッ……客観視、だと?」

「そうです。貴方は客席から舞台を眺めている、ギャラリーに過ぎないのですよ」

 言っている意味が分からない……と、崇は更に焦り出す。然もありなん、今の物言いでは、自分がこの世の人間では無いと、ハッキリ宣言されたようなものなのだから。


「ちょっと待て、なら、いま此処に居る俺は何なんだ? この世界には、湯沢崇は俺しか……」

「いいえ、本物の『湯沢崇』さんは今、会社にいますよ。無論、他の皆さんも、それぞれの生活を営んでいらっしゃいます」

「何……だと!? なら、俺は!? この俺は何処に帰れば良いんだ!?」

 今更気付いても、全ては後の祭りなのですけどね……と、占い師は更に苦い表情を作る。そして、今までそうして来たように、掌の間に映像を映し出し、崇に見せ付けた。

「ほらね? 本物の皆さんは、キチンと正規の時間軸の中に居ますよ。お気づきにならなかったんですか? この時間軸の中に、貴方と私しか居ないという事に」

「……!! そ、そう言えば、妙に静かだ……夕暮れ時とは言え商店街の真ん中だと云うのに、人っ子一人歩いていない?」

「居る筈が無いですよ。御覧の通り、本物の時間軸は別にあるんです。この時空は、私が作って見せている幻なのですよ」

「ふざけるな! 質問に答えろ、俺は何処へ帰れば良いんだ!」

 占い師の襟首を掴み上げ、崇が眼光を鋭くして語気を荒げる。が、それを静かに振り払うと、占い師は乱れた襟元を整え乍ら、ゆったりとした口調で語り出した。そう、然も残念そうに。

「帰る場所? そんな物、ある訳が無いじゃないですか」

「……!?」

「何を驚いているんです、当たり前でしょう? 本来の貴方は、既に消滅しているのですから」


 つまり、こういう事だ。


 倒産した会社に恨み節をぶつけた崇は、建築家を目指した崇に上書きされた。

 建築家を目指して失敗した崇は、高い地位を得ながら妻を失った崇に塗り潰された。

 そして社会的には一応の成功を見た崇は、現在映像に映し出されている崇によって抹消された……と。


 全ては幻と化し、奇麗さっぱり消滅している、という事になるのだ。


 そんな話は聞いていないぞ!? と、崇は更に興奮状態になる。しかし、占い師からの回答は変わらない。

 本物の『湯沢崇』はこの画面の中に見えている方、貴方は残留思念に過ぎないのですよ……これの繰り返しであった。

 更に占い師は、こうも付け加えた。『3度目のトラベルを行わず、思い留まればまだチャンスはあったのだ』と。

 2度目のトラベルから戻った際に、ヒントは差し上げた筈だ……と。

「では何故! こんな重要な事を話しもせず、いきなり俺を過去に飛ばしたりしたんだ!?」

「早く事を起こせと急き立てたのは、貴方ご自身でしょう……特に最後の時には、強い口調で私の制止を振り切りましたね」

 何てこった……と、崇はヘナヘナと膝を折り、その場にへたり込んだ。


「あぁ、残念……そろそろ時間切れですね」

 その呟きにどんな意味が含まれているのか……崇は何となく正解を知りつつも、敢えて……力なく占い師に問い掛けた。

「じ、時間が切れると……俺はどうなるんだ?」

「ゲストの貴方が、いつまでもこの時空に居る事は許されません。無に帰すのですよ……本当に、残念ですがね」

 つまり、全ての自分をご覧になった貴方はもう直ぐ消えてなくなり、最終的に書き換えられた時間軸が、正規の時間軸として未来へと続いていくのだ、と占い師は淡々と述べた。

 それを最後まで聞いた時、崇は顔面蒼白になっていた。


「最後に一つだけ、教えてくれないか……いま映像に映っている俺が、どういう状況なのか……」

「……良いでしょう」


 占い師が語った『現状の崇』は、それはもう絶望的な状態だった。


 彼は少年時代に二度『未来から来た自分』に影響されて学業成績は優秀となったが、独善的な性格が災いして人望を得られず、伴侶はおろか恋人すら出来た事が無く、挙句に職場でも爪弾きにされているという、最悪の結果を呈していた。

 そう。まるで、これまでに犯した罪を一手に負わされたかのように、惨めで孤独な人生を歩んでいたのだ。

 そして、彼は虚ろな目付きで天井を仰ぎながら、何やら呟いていた。

 

 自らこの世に別れを告げる意思を固めている事を仄めかす、禁忌の数々を……


「……過去に介入して、自らの人生を変えようとした時点で、既に間違いだった……それは分かった。だが……」

「だから何度も問い質したでしょう? 相当なリスクを覚悟して頂きますよ、本当に良いのですか? とね」


 その一言を聞き、背後を振り返った時、既に占い師の姿は無かった。次第に街の景色も消えて行き、周囲は闇に閉ざされた『無』の世界となった。


(なら、何故に奴は……俺を制止しなかったんだ? こうなる事が分かっていて、何故……)


 その答えは、至極簡単な事だった。

 現在の自分が苦境を跳ね退け、幸せを掴むのが本来の『勝利者』の姿。

 しかし崇は、それを考えずに、最初から安易な道を選んだ。

 過去に介入し、未来に起こる事を明かして失敗を揉み消すという、尤も安易な方法を。


 つまり、この方法を選択した彼を、赦す事は出来ない……占い師は、心身ともに打ちのめされた弱者の心を試し、誤った手段を敢えて提示して、その誘惑に負けた者に引導を渡す為にやって来た、神の遣いだったのだ。


 崇があの時、占い師の誘いを跳ね退け、強い心で未来を見据えていれば、この結末は回避できたのだ。

 ……だが、全てはもう既に、過去の過ちに過ぎなかった。


(悔い改めても……もう、遅いんだな。ハハ、滑稽な事だ……全てが終わってから、悔やむ事になるなんてな)

 誰かが言っていたな……後悔とは、先に出来ないから厄介なのだ、と。


 それを理解した時、崇は無駄と分かっていながら、次第に消えゆく我が身を見て、思わず叫んだ。


「お願いだ、誰か教えてくれ! 俺のリセットボタンは、何処にあるんだ!」


 その叫びを聞き届けた者は、誰も居ない。

 誰かの耳に届いたとて、叶える者もまた居ない。

 全ては自分の蒔いた種、自業自得なのだ。それを償える者は、この世にただ一人……そう、自分だけしか居ないのだ。


 そして、本来あるべき道から大きく外れた軌跡を辿りながら、それでも時間は流れ続けている。

 自分たちが運命を大きく塗り替えられた事も、それを行ったのが誰だかも、全てを闇のヴェールに包み込んだまま……


<了>

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リセットボタンは何処ですか 県 裕樹 @yuuki_agata

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