episode.6 ~兄嫁~

 毎週月曜日と木曜日は、燃えるごみの収集日で、各戸前に出された市指定のごみ袋には、ひとつ残らず防鳥ネットで厳重なガードが施されていました。


 少しでも隙を見せれば、目敏いカラスたちにゴミを荒らされるため、網がズレていないか、掛け忘れがないかと、回収が済むまでは油断なりません。


 そうしたごみ関係に一段と目を光らせているのが、葛岡さんのおばあちゃんです。


 毎週月・木曜の可燃、金曜のプラ・紙・アルミ缶等のリサイクル資源、第二水曜の不燃、第一木曜・第三金曜の新聞等の古紙回収に至るまで、近隣のお宅のごみを隈なくチェック。


 さらに回収後、路上にネットが放置されていようものなら、すかさずインターホンを鳴らして、



「○○さーん! 網が出しっぱなしになってるわよぉ~!」



 と、お知らせして回り、お留守の場合には門の中へ投げ込むほどのお節介…もとい、大変お世話好きであるため、陰で『ごみ番長』と呼ばれておりました。


 とはいえ、防鳥ネットが放置されていると、留守宅と思われて空き巣のターゲットにされ易く、彼女のおかげで、この町の防犯は鉄壁の守りを誇っていると言っても過言ではありません。





 そんなある日のこと。


 その日も、葛岡さん宅前には、いつも通りごみが出されていましたが、朝からおばあちゃんの姿がなく、ごみ収集車が過ぎ去った後も、自宅から出てくる気配はありません。


 きっとお出掛けになっているのだろうと思い、自宅のついでに葛岡さんのネットも敷地内に片し、



「今朝から、一度も葛岡さんの姿を見てないんだけど?」


「ごみの日なのに、珍しいよね~」


「お出掛けかしら?」



 そんな噂をしていると、一台のタクシーが葛岡さん宅前に停まり、中からおばあちゃんが降りて来ました。



「あら、葛岡さん、お出掛けだったんですね」


「今お帰りですか?」



 そう声を掛けた私たちに気付くや否や、大きく手を振りながら、全速力でこちらに向かって突進し、



「ちょっと、みんな聞いてぇ~! 私ねぇ、手術することになったのよーっ!」



 ご近所中に響き渡るような大声で、そうおっしゃったのです。





 私の名前は、松武こうめ。とある巨大な新興住宅地に住む、専業主婦です。


 いつも元気が取り柄のおばあちゃんから飛び出したその発言に、誰もが驚きを隠せませんでした。



「手術って、どこかお悪いんですか!?」


「私、こないだ検査を受けたんだけどねぇ~、胃に、ポロ…プ? ポラ…ロイ?」


「ポリープ?」


「そう! そのポリープが出来てるって言われて、今朝一番で、結果を聞きに病院へ行ったのよ~。そうしたら、先生が手術するって言うじゃない~」



 確かに、先日『人間ドック』を受けに行くと、ご近所中に言って回っていました。どうやらそこで、胃にポリープが見つかったようで、内視鏡手術で除去することになったとのこと。


 そのついでと言っては何ですが、この際に精密検査も兼ねて、10日間ほど入院されるそうです。





 考えてみれば、私がこの町に住み始めて、早10年。おばあちゃんもすでに80歳を超え、いろんなところにガタが出て来てもおかしくないお年頃です。


 が、もともと身体が頑丈だったらしく、驚いたことに、出産を除き、長い人生でこれが初めての入院なのだとか。


 ショックを受けているかと思いきや、なぜかテンションが上がりまくりで、これから入院に必要な物をデパートへ買いに行くのだと、まるで初めての海外旅行にでも出かけるような盛り上がり方でした。



「それでねぇ、来週の木曜に『市大病院』で手術するんだけど、入院は月曜日からなのよ~。面会時間は午後1時~5時だから、みんな病院へ来るときは、ちゃんと面会時間を守ってね!」



 ご丁寧に、自ら入院する病院名と日時、さらに面会時間まで教えて下さったおばあちゃん。私たちに『お見舞いに来い』という意味なのでしょう。


 さらに、ご自身の入院中についても、



「松武さんと来栖さんと椿木さんと百合原さん、あなたたちは専業主婦で、ずっと家に居て暇なんだから、ごみの日は、網の『掛け忘れ』と『しまい忘れ』がないように、しっかり監視しといて頂戴ね!」


「は~い」「分かりました~」「やっときま~す」


「それと、悪いんだけど、私がいない間、うちの網を片付けといて欲しいのよ~。うちの嫁さん、昼間は仕事に出てるから、私がいないと片付ける人がいないでしょ~? 用心が悪いから頼んだわよ!」


「かしこまりました~」「はい、喜んで~」



 テキパキと指示を出すおばあちゃんに、気のない返事をする私たち。こうして『ごみ番長』不在中の重大な任務を仰せつかったわけです。


 摘出したポリープの病理検査の結果が出るまで不安はありますが、ひとまず、本人にも全く落ち込んでいるような気配はなく、むしろポジティブに入院を受け止めている様子に、私たちも一安心です。


 この分なら、きっと手術も無事終え、すぐに元気になって戻って来るでしょう。というか、十分元気ですが。





 翌週の月曜日、おばあちゃんを病院へ送るため、近くに住む次男さんが車で迎えに来ました。そして、出掛けにわざわざ我が家に立ち寄り、



「それじゃ、今から行ってきますから、後は宜しくお願いしますねぇ~」


「行ってらっしゃい。頑張ってくださいね」



 そう言って門の外まで見送りに出ると、ご近所の皆さんが外に出て待機していました。


 わざわざ、周囲のお宅全部にお声を掛けたようで、町内の皆さんの盛大なお見送りの中、おばあちゃんは車の窓から手を振りながら出発して行かれたのです。


 3㎞先の商店街に隣接する、市大病院へ。





 翌々日の水曜日、アピールされた手前スルーするわけにも行かず、来栖さんたちと誘い合わせてお見舞いに伺いました。


 予め、葛岡さんの奥さんに病室を尋ねたところ、4階の4015号室に入られているそうで、お部屋は個室ではなく、大部屋とのこと。



「何でまた大部屋に?」


「さあ? 個室だと淋しいからとか言ってたけど?」



 見栄っ張りのおばあちゃんのこと、特別室にでも入っているとばかり思っていたので意外でしたが、その理由は、お見舞いに訪れてすぐに分かりました。





 病室が近づくにつれ、聞き覚えのある大きな話し声。その中心にいたのは葛岡さんのおばあちゃん、その人でした。


 比較的元気な入院患者さんたち相手に、井戸端会議を繰り広げる姿は、入院3日目にして、すでにボス的貫禄さえ漂わせています。


 私たちに気付き、ニコニコしながら手招きすると、一緒にいた患者さんたちに、私たちを『ご近所のお友達』と紹介したのです。



「まあ~、みんな忙しいのに、よく来てくれたわねぇ~。無理しなくてもよかったのに~」



 全員が心の中で『あれだけアピールしておきながら』&『ずっと家にいる暇な専業主婦ですから』という台詞を叫びながら、



「葛岡さん、お元気そうで良かったです」


「おかげさまで、この通りなのよ~」


「これ、私たちからのお見舞いです」



 そう言って、お花が好きなおばあちゃんのために、皆で選んだフラワーバスケットを差し出しました。


 木曜日が手術だと聞いていたので、お見舞いは『食べ物以外』で『なるべく手間が掛からないもの』ということでのチョイス。これなら、花束のように活けたり、お水を交換する手間も必要ありません。



「まあ、可愛らしいこと~! ありがとねぇ~。ああ、でも、もうこっちはいっぱいなのよ~」


「どうしましょう?」


「悪いけど、そっちの予備のテーブルに置いて頂戴~」



 おばあちゃんが指さしたその場所は、この部屋に入ったときから気になっていた、違和感満載のスペースでした。その一角だけに『ここは芸能人の病室か?』というほどの、山のようなお見舞いの数々が所狭しと置かれていたのです。


 そのテーブルも、すでに頂いた物で溢れ返っていて、整理も兼ねて何とかスペースを確保し、おばあちゃんに言われた通り、そこに持参したフラワーバスケットを並べました。



「葛岡さんって、本当にお友達が多いのね~」


「ホント、一昨日入院してから、お見舞いの人がひっきりなしだもんね~」


「これ以上増えたら、もう置く場所がないんじゃない? 人望が厚いのも、時と場合で困りものね~」



 同室の患者さんたちが、口々にそうおっしゃったのに対し、



「やっぱり、もう一つ、お見舞いを置くためのテーブルを借りないといけないかねぇ~」



 と、シレッとした顔で答えるおばあちゃん。


 自分が入院することを、ご近所、親戚、友人、知人、古いお知り合いに至るまで、ありとあらゆる人たちに話して回り、私たちにしたのと同様に、お見舞いに来いアピールをしたことは、想像に難くありません。



「本当に、もうこれ以上置く場所がないから、良かったら、皆さんでお菓子を食べて頂戴よ~」


「え~? 葛岡さんが頂いた物なのに、悪いわよ」


「だけどね~、私は胃が悪いから、食べ物なんか貰ったって食べられないじゃない~? 贈るほうもちょっと考えりゃ~分かりそうなのに、気が利かないっていうか、まあ、こういうとこでお里が知れるのかねぇ~」


「そんなこと言ったら、せっかくお見舞いに来てくださった方に失礼よ。ねえ!」



 そう振られて、返答に困り苦笑していた私たちに、おばあちゃんは、



「ああ、いいの、いいの。この人たちは気心知れてるから~。良かったら、松武さんたちもお菓子食べて行きなさいよ~」


「あ、いえ、私たちは大丈夫ですから」


「遠慮しなさんなって~」



 と、私たちにまで、お見舞いのお菓子を勧める始末。さらに、



「ほら、あなたたち、ボケっとしてないで、そこにあるお花を皆さんのベッドの周りに活けてあげなさい! そんな隅っこに置いとくより、お部屋全体にちりばめたほうが、お花畑みたいに明るくなるでしょう~?」



 と、私たちを付き添いの家族か、お抱えヘルパーさんのように、あれしろこれしろと人使いの荒いこと。


 おばあちゃんが望むように室内をレイアウトし、必要なものを買いに行き、ついでに他の患者さんの御用伺いまでさせて頂いた私たち。


 そうこうしているうちに、別の方がお見舞いにいらっしゃり、私たちはそのタイミングで失礼させて頂きました。


 入院しても、相変わらずパワー全開のおばあちゃんでしたが、何はともあれ、お元気で何よりです。





 病院から帰る途中、カフェに立ち寄り、さっきの出来事に花を咲かせていた私たち。



「いや~、もう、さすがは葛岡さんだよね!」


「見た!? あのお見舞いの数ったら! どんだけ事前にアピールしたんだって感じ!」


「でも、あんなに人が来るのが分かってるなら、個室にしたほうが良かったんじゃないのかな? あれじゃいくら何でも、同室の人たちにご迷惑よね?」


「だからこそ、大部屋だったんでしょ? 葛岡さん、たくさんの人にお見舞いされてる自分を、他の入院患者さんたちにアピールしたかったんだと思うわ。ついでに、お裾分けも出来るしね」



 百合原さんの見解に、その場にいた全員が、もの凄く納得しました。


『だからこその大部屋』というチョイスに、計算され尽したおばあちゃんの強かさが窺えるというものです。


 そんな会話で盛り上がっていると、椿木さんの携帯にメールの着信があり、それを見た彼女の表情が一変しました。



「どうしたの?」「何かあった?」


「ヤバ…義母が入院したって!」


「ええっ!?」「大変じゃない!」「病気、怪我!?」


「転倒して、骨折したみたい」


「あちゃ~!」「最悪~!」


「身内で動けるのが私だけだから、とりあえず、今から病院へ行かないと」



 そう言うと、椿木さんは大きく溜め息をつきました。





 椿木さんのご主人は、男ばかりの三兄弟の次男。ご主人の名前は拓哉さん、奥さんは優香子さんといいます。義実家は、3年前にお舅さんが他界されて以来、お姑さん一人で暮らしている『高齢者独居世帯』でした。


 今回、自宅の中で転倒し、骨折して動けなくなっていたところを、たまたま遊びに来たご近所のお友達に発見され、病院へ搬送されたとのこと。病院からの連絡で知った長男(義兄)から、兄弟たちにメールで知らせて来たのです。


 高齢者の独り暮らしで、急な病気や怪我で動けなくなった場合に、どうやって助けを呼ぶのかは大きな課題であり、このことは椿木家でも以前から危惧していました。


 実際、母親が転倒した場所は廊下で、固定電話も携帯も手が届く範囲にはなく、足を骨折していたため移動することも出来ず、自力で救急車を呼ぶことは出来なかったようです。


 三人の息子たちは結婚して独立し、実家に帰るのは1~数か月に一度程度、用事がなければ電話連絡もしないため、真夏や真冬だったりすれば、最悪の場合、誰にも発見されないまま、熱中症や低体温症で亡くなっていた可能性もありました。


 事故から病院へ搬送されるまでには、数時間のタイムラグがあり、その間、母親には激痛の中、とても不安な思いをさせてしまったわけですが、こうして助かったことは、本当に不幸中の幸いでした。





 当初から、実家は長男の彰典さんが継ぐことになっており、結婚する際、将来的に同居する約束でしたが、12年が過ぎてもその約束は実現されないまま、長男家族は現在もマンション暮らしを続けていました。


 母親の怪我の状態は『左大腿部骨折』、主治医の見解によると、年齢的なことを考慮して、退院までには数か月は掛かるだろうとのことでした。


 また高齢者の場合、怪我や病気で寝込んだのをきっかけに、認知症を発症することもあり、いろいろと心配は尽きません。


 何より最大の問題は、今後の母親の生活拠点をどうするのか、ということ。実家は昭和中期頃に建てられた古家で、至る所に段差があり、現状のままで住むには厳しい状況です。


 このまま独り暮らしを続けるには限界があり、併せて今の年齢を考えれば、そろそろ長男家族との同居に踏み切る潮時というのが、暗黙の了解でした。





 その週末、入院中のことも含めた母親の今後を、三兄弟とその嫁たちで相談することになったのですが、長男の嫁の美樹さんというのが、なかなかの曲者。


 いずれ実家を継いで同居する約束だったため、戸建てや分譲マンションの購入は出来ず、都心に近いお洒落なデザイナーズマンションを借りて住んでいました。


 美樹さんは優香子さんの2歳年上で、なぜか常に上から目線、顔を合わせれば、自分は家庭と仕事を両立するキャリアウーマンで、ブランド品や豪華な旅行などの自慢をしては、やたらと『出来る女』を誇張。


 ふたりには同い年の長女がおり、何かにつけて比較しては、自分の娘のほうがいかに優れているかをアピールし、事ある毎に対抗心を燃やしてくる面倒くさい人なのです。


 もっとも、自称キャリアウーマンと触れ回ってはいましたが、結婚前から勤務していた大手旅行会社は、当時まだ産休育休制度が整っておらず、妊娠を機に、正社員からパート社員への契約変更を余儀なくされていました。


 もとは国内旅行を担当する部門でツアーを企画したり、宿や公共交通機関を押さえるための交渉をしたりと、職場の中でも花形の部署にいたこともあって、美樹さん自身、相当プライドが高いのも事実です。


 本人は正社員に復帰することを強く希望していたものの、最近は国内旅行も海外からの参加や問い合わせも多く、二か国語以上話せることが新たな採用条件となり、外国語が話せない美樹さんは、主にPCの入力作業で週3日ほど働いている状況でした。





 対して、優香子さんは結婚前、国際線のキャビンアテンダントをしていた経歴があり、容姿端麗で語学も堪能。仕事が激務のため、結婚を機に退職し、現在は専業主婦をしています。


 職業柄、昔買ったブランド品も多く持っており、今もそれを大切に使っているのですが、それらも美樹さんにとっては気に入らないポイントなのでしょう。


 次男嫁で同居の義務もなく、自由にマイホームを建て、働きもせずに悠々自適に暮らしているように映る優香子さんに対し、嫉妬心でいっぱいなのです。





 ちなみに、三男の弘樹さん家族は、妻の智美さんの実家が建てた二世帯住宅で、嫁親と同居中です。


 夫婦は共働きで、ふたりとも職業は銀行員、子供たちの面倒はもっぱら、リタイアして時間を持て余している智美さんのご両親頼み。


 三男家の子供たちは年齢が離れているためか、美樹さんがそちらにマウンティングすることはありませんでした。





 三兄弟の住まいは全員同じ市内にあり、実家は市内から電車で1時間弱の距離にありました。


 長男一家が実家に住むとなると、余計な通勤時間が掛かり、子供たちの学校も転校しなければならなず、美樹さんからは、今すぐに実家への転居は無理だという回答が出されました。


 その代わりとして、



「退院したら、とりあえずお義母さんには、うちのマンションに来て頂こうと思うの。住み慣れた場所を離れるのは嫌かも知れないけど、うちは親の面倒を看る責任があるから、少しはお義母さんにも我慢してもらわないとね」



 殊勝な面持ちでそう言った美樹さんでしたが、次男・三男夫婦とも、その言葉を額面通りには受け取っていませんでした。


 というのにも、今回と似た状況で、長男夫婦にはとんでもない前科があったからです。





 兄弟の父親が他界したのは、今から遡ること3年前。


 不調を訴え、病院で検査した結果、末期癌だと判明。すでに手の施しようのない状態で、医師から宣告された余命は幾許もありませんでした。


 諦めきれず、藁をも縋る思いで手術が出来る病院を探し、ゴッドハンドと言われるドクターがいる病院へ転院することになったのです。


 転院先の病院は、息子たちが住む市内にあったため、父親が入院中、母親は長男のマンションに寝泊まりし、毎日病院へ通うことになっていました。


 ところが、入院の二日前になって、彰典さんも美樹さんも仕事が忙しいのと、マンションが狭いため母親が寝泊まりする部屋がないという理由で、ドタキャンしてきたのです。


 母親から電話で事情を聞き、驚いた拓哉さんが、彰典さんに詰め寄ったところ、



「そもそも、完全看護で付き添い不要なんだし、母さんがどうしても付き添いたいんなら、家から電車で通えばいいだろう?」


「そんな無茶な! あの歳で、その距離を毎日通ってたら、母さんのほうが身体壊すよ!」


「だったら、無理して毎日通うことないじゃないか」



 仕事が忙しいのは別にしても、とりあえず母親が寝起きするスペースを確保するくらい、どうにでもなるはず。


 そもそも、本人たちが宿泊を快諾したから、母親もそのつもりで予定していたというのに、それをこんな間際になって翻すくらいなら、最初から断るべきです。



「兄貴さ、母さんの気持ちとか考えないの!?」


「いちいち母さんの我が儘に付き合ってられないし、美樹に迷惑掛けるわけにもいかないんだよ! そんなに言うなら、お前ン家に泊めてやれば?」



 と、けんもほろろでした。


 彰典さんの言葉の節々から、家庭内で美樹さんに頭が上がらないのが伝わります。とはいえ、あまりの無責任さに半ば呆れながらも、毎日電車で通院するつもりの母親を見捨てておくことも出来ません。





 拓哉さんの職業は『ディスパッチャー』といい、航空機の運航管理を行う業務に従事していました。


 仕事の内容は、気象情報や機体の整備状態、乗客や搭載貨物の重量など、あらゆる情報をとりまとめ、航空機が安全に目的地へ到着するための『フライトプラン』を作成します。


 さらに、フライト前には機長と打ち合わせを行い、フライト中は飛行ルート上の気象状況や機体の揺れの予測など、随時無線で機長に伝え、航空機の安全なフライトを監視・サポートするという、大変なお仕事です。


 担当する便によっては勤務時間が夜間になることもあり、母親を受け入れるなら、家族のフォローは必須になりますので、どうにかならないものかと、妻である優香子さんに相談したところ、



「分かった。お義母さんさえ良かったら、うちから通って貰おう」


「ありがとう! 一生恩に着るよ!」



 そういうわけで、急遽、母親を迎え入れる準備をした優香子さん。


 ところが、入院当日の病院への送り届けから、入院手続き、入院中の様々な雑用や、医療費の支払いに至るまで、『仕事』を理由に丸投げした長男夫婦に代わり、ほぼ優香子さん一人で処理し、かなりの頻度で自宅と病院を往復することに。


 一方、自宅とは逆方向でしたが、仕事終わりに時間を作っては、病室に顔を出してくれていた三男の弘樹さんや妻の智美さん。


 休日には、母親の用事を引き受けたり、優香子さんの子供たちを自宅に泊めたりと、彼女がリフレッシュするための時間を作ってくれるなど、何かと気遣ってくれていたのです。


 予定外の突然の同居と病院通いで、思いのほかストレスを感じていた優香子さんにとって、ふたりのそうした気遣いにはとても感謝していました。





 父親の入院は2か月に及び、当初、抗ガン剤や放射線治療で癌細胞を小さくした後、手術に踏み切る予定でしたが、残念ながらほとんど効果がなく、結局手術を受けることは出来ませんでした。


 さらに他臓器への転移も見つかり、容体は悪化する一方で、本人は住み慣れた自宅へ帰ることを希望していたものの。


 その日、医師から今晩が山になるだろうと告げられ、ずっと付き添っていた母親と、連絡を受けて飛んで来た次男・三男家族に看取られ、父親は転院先の病院で息を引き取ったのです。


 午前5時41分でした。





 長男家族が初めて病院へ来たのは、父親が亡くなったという連絡をしたその日でした。


 勿論、『危篤』の連絡はしていましたが、そのときも、それまでも、一度もお見舞いにも来なかった長男一家。対面した父親に対して、涙一つ見せませんでした。


 おまけに、ずっと看護していた母親を慰めるでもなく、自分たちが丸投げしたせいで、その間の面倒を見てくれた優香子さんに対する労いもお詫びも無し。


 それどころか、優香子さんが専業主婦というだけの理由で、『時間がある人がやって当然』と言わんばかりの態度に、誰もが呆れて物も言えませんでした。


 何より腹が立ったのは、お葬式で喪主を務める長男夫婦に、何も知らない親戚や弔問客からの『お父さんの入院中は、いろいろ大変だったね』という労いに、『はい』とシレッと答えていたことです。


 母親も母親で、あんな扱いを受けたというのに、二言目には『お兄ちゃん♪ お兄ちゃん♪』と長男崇拝全開、次男夫婦に対する彰典さんや美樹さんの非礼さえ、咎めもしません。


 夫が亡くなり、いよいよ長男夫婦との同居が始まるものだと、すっかりその気でひとり浮かれ気分の母親でしたが、彰典さん一家が同居を始める気配は全くありませんでした。


 業を煮やした煩型の親戚が、どういうつもりでいるのかと説教したところ、



「まだ元気なんだし、すぐに同居する必要性はないでしょ?」


「一人にしといて、何かあったらどうするんだ?」


「その時になったら、考えるよ」



 その結果、周囲が危惧していた通り、今回の事態に至ったという次第です。





 他にも同様のことは度々あり、いつも口ばかりで責任を果たさず、いい加減な長男夫婦に対し、次男・三男夫婦とも、完全に信用を失くしていました。


 本来看るべき母親のお世話も、実際、今回の入院手続きをしたのも優香子さん。美樹さんのパートは週三日ですから、病院へ行く時間はあったにも関わらず、今日こうして皆で集まるまで、一度も病院には行っていません。


 また今回も、口八丁で丸投げするに決まっていると、全員が疑心暗鬼でした。





 一先ず、退院後しばらくは長男のマンションに身を寄せるとして、もう一つ切実な問題は、実家家屋をどうするかということでした。


 築年数が古いため、現在の耐震基準も満たしておらず、父親が亡くなってからは、ほとんどメンテナンスされていなかった建物の老朽化が進み、地震や台風で近隣のお宅に被害を及ぼすようなことにでもなれば一大事です。


 その対策として、



①古家を取り壊して、そこに新築を建てる。


②古家をリフォームする。


③更地にして売却し、別の場所へ転居する。



 以上の三択になりますが、いずれにしても、あまり悠長にはしていられません。


 費用的に①と②は大差なく、現在の家を残す理由もないことから②は除外、というわけで、取り急ぎ、実家の建物は解体する方向で決まりました。


 が、今の場所に住むとなると長男家族には不便、かと言って、子供の頃から住み慣れた町を引き払うことを、母親が快諾するとは思えません。


 彰典さん曰く、



「母さんとも良く話し合って決めるよ。みんなにも協力して貰うこともあると思うから、その時は宜しく頼むな」


「分かった」「了解」



 そんなわけで、椿木家では、一応の方向性が決まったのだそうです。





 未だ入院中で、葛岡さんのおばあちゃんがいない中、ゴミ回収後の防鳥ネットを片付けながら、椿木さんのお話を聞いていた私たち。



「それで、入院中のお義母さんのお世話は、どうしてるの?」


「長男の奥さん、絶対やらなさそうじゃん?」



 前回の父親の転院の際、私たちも近くで見聞きしていましたので、当然の疑問でした。


 案の定、兄弟全員で集まったあの日以来、彰典さんも美樹さんも、一度も病院へは行っていないとのことでした。





 利便性を考えて、母親を近くの病院へ転院させようとしたのですが、『家から遠くなると、ご近所のお友達がお見舞いに来られなくなる』という理由で、断固として拒否されたのだそうです。


 ですが、往復2時間掛けて移動するのも大変ですし、前回優香子さん一人に負担させたことを教訓にして、専門の代行サービスをお願いすることにしました。


 これに対し、美樹さんからは『費用が勿体ない』『時間のある人がやればいい』などのクレームが出されたそうですが、



「労力や、往復の交通費を考えたら、代行サービスのほうが断然割安だよ」



 と言ったのは、拓哉さん。


 父親のとき同様、端から優香子さんに丸投げしようという魂胆の美樹さんに対する、ささやかな牽制でした。



「どうして? 優香子さんが動けば、交通費だけで済むじゃない、ねえ?」


「親父のときに優香子さんには、何から何まで本当にお世話になりっぱなしだったし、今回また母さんのことまで負担させたりしたら、申し訳ないよね?」



 と言ったのは、弘樹さん。さらに、智美さんも続きます。



「うちは夫婦ふたりともフルタイムで働いてるじゃないですか~。労力を出したくても時間の融通が利かないから、前回何も出来なかったのが心苦しくて~。お金で解決出来るなら、その方が気が楽なんですよね~」


「そんな堅苦しく考えなくたって、身内なんだから、時間のある人がやればいいじゃない?」


「ああ、じゃあ、美樹さんがお義母さんのお世話するんですね? 美樹さん、パートだから、お休みの日は時間ありますもんね~?」



 はっきり揚げ足取りと分かる智美さんの言葉に、あからさまに表情を歪めると、ふて腐れた様子で、尤もらしく言い放つ美樹さん。



「でも、全然働いてない人に比べたら、私には時間に余裕なんてないのよ。兄弟なんだから、こういうことはみんなで協力するのが当たり前でしょ?」


「そうですよね~。誰か一人に負担を押し付けちゃったら、みんなで協力とはいえませんもんね~。あ、でも、もし美樹さんがどうしても自分で面倒看たいっていうことなら、それはそれで全然構わないんですけど~」


「そうじゃなくて…!」


「だったら、決まりだね。専門のヘルパーさんにお願いするってことで」


「でも、その費用はどうするのよ? 三軒で割り勘ってこと?」


「それは、兄貴のとこが出すべきでしょ?」



 そう即答した弘樹さんの言葉に、美樹さんと彰典さん以外の全員が大きく頷きました。





 父親が亡くなった際、椿木家の父親名義の動産・不動産等すべての財産は、彰典さん一人が相続していました。


 法律上、妻が二分の一、残りの二分の一を子の数で割るのが一般的ですが、長男の彰典さんが家を継いで母親の面倒も看るということで、母親と拓哉さんと弘樹さんは相続放棄したのです。


 ところが美樹さんが、父親の葬儀に掛かった費用を兄弟で均等に負担するべきじゃないかと言い出し、これには拓哉さんも弘樹さんも猛反論。そもそも、葬儀費用は喪主が支払うのが一般的です。



「ちょっと待って。その請求金額、おかしくないですか?」



 そう言ったのは智美さんでした。



「え、何が? 別におかしくないでしょ?」


「この計算だと、支出だけで、収入分が入ってないんですよね~」



 美樹さんから請求された金額には、弔問客からのお香典による収益は入っておらず、単純に葬儀社から請求された金額を三等分にした金額が提示されていました。


 おまけに、拓哉さんと弘樹さんは『親族』として、それぞれ10万円の香典を出しているのに対し、『喪主』の彰典さんは一円も払っておらず、長男家だけがまるっと得する計算です。


 彼女には、しばしばそうしたお金に汚い一面が顔を覗かせることがあるものの、銀行で出納を担当している智美さんから見れば、一目瞭然。



「そう、じゃあ私の計算ミスだわね」



 と、あまりにも白々しい言い訳にシラケた空気が流れ、さすがにこの時は、請求することを諦めたのでした。





 その後の一周忌、三回忌等の法要でも、美樹さんは忙しいことを理由に、本来は施主である長男夫婦がすべき準備一切を、母親と優香子さんに丸投げしておきながら、いざ支払いになると、高いだの何だの文句を言う始末。


 フルタイムでお仕事をしている智美さんでさえも、何か出来ることがあればと声掛けや手伝いをしていたというのに、美樹さんは知らんぷりどころか、やってもらって当たり前のような態度でした。



 そんな彼女の口癖は『親の面倒は兄弟平等に』



 そう言う割には、本人は何もしていないというご都合主義でしたので、彼女にはこれ以上何も協力したくないということになり、長男家に対し、然るべき責任は果たしてもらうことに決めたのです。


 とはいえ、相変わらず口八丁の美樹さんと、完全にその尻に敷かれている彰典さんが、すぐに心を入れ替えるとは思えず、不信感は増すばかりでした。





 案の定、すぐに取り壊すといっていた実家の建物も、いつまで経っても手付かずのままで、屋内の家具や衣類もそのままの状態で放置されていました。


 いつ何時、台風が発生してもおかしくない季節ということもあり、どういう予定になっているのか尋ねても、



「今、業者さんに頼んで、見積もりを取ってるところだから」



 と答えるものの、いつまで経っても着工せず、その後何度尋ねても、



「それがね、まだ見積もりが出てこなくて」



 と、のらりくらりとかわすばかり。


 見積もりは出ず、家具も家屋もそのままに、母親の骨折から三か月が過ぎ、長かった入院もリハビリの最終段階に差し掛かっていました。



 そうして、再び騒動は起こったのです。



 彰典さんから電話があり、母親の退院が今週末に決まったとのことで、当面の間、退院した母親を拓哉さん宅で引き取って欲しいと言い出したのです。


 予想していた通り、今回もまた土壇場になっての放棄・丸投げに、即答で断った拓哉さんでしたが、どうやら後ろで美樹さんが糸を引いているらしく、しつこく食い下がって諦めません。


 というわけで、翌日の夜、再び全員で長男のマンションに集まって、話を聞くことになったのです。





 まずは、母親を引き取れない理由を、美樹さんが神妙な顔つきで説明しました。



「私もね、お義母さんに来てもらうつもりでいたのよ。でも、私も仕事があるし、見てのとおり、このマンションは狭いから、お義母さんが寝るお部屋もないのよね。それに一日中こんな狭い場所にいるなんて、お義母さんが可哀想だと思わない? だからね、同居するお家を建てるまでの間、拓哉さんの所で預かってもらいたいの。うちより広いし、前にもいたから勝手も分かってるし、そっちで暮らしたほうがお義母さんも幸せだと思うのよ。だから、これで決まりね!」



 立て板に水の如く、つらつらと勝手な言い分を捲し立てる美樹さんでしたが、



「悪いけど、うちでは引き取れないから、最初の予定通り、兄貴の家で面倒見てくれよ」



 拓哉さんがきっぱりと断ったのです。



「そんなの困るわよ! さっきも言ったけど、私は仕事してるから、お義母さんの面倒だって看られないし…!」


「あの~、聞いても良いですか?」



 割って入ったのは、智美さん。



「何?」


「お義母さんって、まだ四六時中誰かが付き添って介護しないといけないくらいの状態なんですか? だとしたら、まだ退院するの早すぎません? うち、おばあちゃんが要介護だから分かるけど、もし歩行介助が必要な状態だとしたら、おトイレやお風呂のお世話するの、女性ひとりじゃ無理ですよね?」


「そういうのは自分で出来るけど、もし自宅に誰もいないときに何かあったら大変でしょ?」


「それを言ったら、どこの家だって同じじゃないですか? それに美樹さんの場合、お仕事って言ってもパートだから、ずっといないわけじゃないですよね?」


「そう言われたらそうだけど…!」


「それにさ、マンションが狭いっていうけど、母さん、まだほとんど歩けないわけだから、別に広いスペースって必要なくない?」



 援護射撃に加わる弘樹さん。


 実は昨晩、彰典さんからの連絡を受けた後、話し合いの席で美樹さんに言い包められないために、彼女がどういう言い訳をするのか四人で予測を立て、それに対する言い訳返しを考えていました。


 題して『ああ言えばこう言う作戦』。美樹さんが何を言おうが、片っ端から理詰めで潰して行くという対抗策です。


 不利な立場になり、困惑している美樹さんに追い打ちを掛けるように、拓哉さんと優香子さんも続きます。



「うちの家、デザインにこだわって作ったから、家の中に段差が多いんだよな」


「うん、そうなの。前にうちに泊まってたときも、お義母さんに『この家は、階段が多い』って言われて。でも、このマンションならバリアフリーだし、お義母さんには好都合ですよね」


「でもそれは…!」


「それよりさ、家建てるの決まったんだ? いつ頃、どこに建てるの?」



 その言葉に、チャンスとばかり、目を輝かせる美樹さん。



「そのことなら、すぐにでも着工しようと思ってるの。だから、お願い! その間だけでいいから、お義母さんのこと、お願い出来ないかな~?」


「ああそう。すぐ着工なら、お互いに早めに同居に慣れたほうが良いんじゃないかな」


「そうだね。一緒に住めば問題点も分かるし、完成前なら手直しも出来て一石二鳥だし、これなら何も問題ないよね」



 四人から完膚なきまでに論破され、それ以上反論の言葉も思い浮かばず、苦虫を噛み潰したような顔をしていた美樹さんでしたが、今度は、目にいっぱい涙を浮かべると、突然シクシクと泣き始めたのです。



「酷いわ…みんな、私にばっかりお義母さんの面倒を押し付けて…!」



 彼女の口から出たその発言に、思わず絶句する四人。



「だってそうでしょ!? 何で長男っていうだけで、うちだけが同居や介護を押し付けられるのよ!? そういうのは、平等に看るべきじゃないの!? 法律でも、そう決まってるよね!? 身内や友達もいなきゃ土地勘もない田舎に、ローンまでして住みたくもない家を建てさせられて、姑と同居させられて介護まで付いてくるって、何のメリットもないじゃない! だいたい、私は仕事してんのよ!? 働いてない優香子さんが面倒看れば、何もかも丸く収まるんじゃない!」



 涙を流しながら、勝手なことを叫び続ける美樹さん。でも、返して言えば、それが彼女の本音なのでしょう。



「だったら、何で兄貴と結婚したんだ、ってことになるんじゃないの? そもそもの条件がそれだったわけだよね?」


「あの時と今では、事情が違うし…!」


「何がどう違うのか、分かるように説明してくれる? 納得の行く理由があるんなら、こっちにだって相談の余地もあるし」


「それは…だから…」



 当然、納得出来る理由などあるはずもなく、ブツブツと意味の分からない言葉を口の中で繰り返すばかり。



「もう一こ言わせてもらえば、親父が死んだとき、母さんを看るっていう条件で、俺も拓兄も遺産相続を放棄してるんだよ? 今更そんなこと言いだすなら、何でその時言わなかったの、ってことでしょ? それも事情が変わったの?」


「…」


「それと、美樹さんね、さっきから『平等に』って連呼してますけど、今まで自分では何一つやってませんよね?」


「だって、私はあなたとは違って、仕事してるから…!」


「そうやって、二言目には仕事仕事って免罪符みたいに言うけど、自分の果たすべき役割りを押し付けて良い理由にはならないって、分かりません?」


「そんなこと言われても、現実的に無理だもん! 仕事してないんだから、あなたがやれば済むことじゃない!」



 優香子さんからの苦言に、思わず逆ギレした美樹さんでしたが、そんなふたりの口論を横目に、テーブルの上に書類等を広げながら、智美さんが言いました。



「平等っていうことなら、私からも言わせてもらっていいですか? 職業柄、私、過去の実家の通帳やら書類やらを、全部精査させてもらったんですけどね~」



 もともと、何でも捨てずにとって置くタイプの母親。


 一度、実家の中がどうなっているのか、病院の帰りに立ち寄った智美さんたちは、そこで父親の遺産相続に関する書類一式に目が留まりました。


 あの頃、バタバタした中で相続放棄の書類にサインしたものの、実際にはどれだけの資産があったのか等の詳細を知らされていなかったことを思い出し、丁度良い機会だと思って、それに目を通したのです。



 そこで分かったことは、驚愕の事実でした。



 まずは、跡取りということで、結婚した当初から、今住んでいるマンションの敷金・礼金はもとより、毎月の家賃や保険料、水道光熱費など、住居全般に掛かる費用は、すべて父親の口座から引き落とされていました。


 また、親戚関係の冠婚葬祭やお中元・お歳暮などの費用も、毎回長男名義で親が出していたらしく、他にも車や家具、家電の購入費など、残っていた明細から見て、衣食費を除いたほぼすべてを親からの援助で賄っていたようです。


 同居する家を建てるにしても、父親の遺産だけで十分支払いは可能。土地を売却すれば、別の場所に土地付き一戸建ても買え、全く費用負担が掛からないだけの資産を相続していた長男家。


 マイホームを建てる際、次男という理由で、一切の援助を受けなかった拓哉さんや、そもそもが嫁親と同居で、嫁親が建てた二世帯住宅に住むことになっていた弘樹さんとは、比較にならないほど金銭的に優遇されていたのです。


 相続関係の書類の中には、彰典さんの源泉徴収票のコピーがあり、また、美樹さんは彰典さんの扶養家族に入っていることから、とてもこれまでの派手な生活が出来るとは考えられず。


 ご自慢の高価なブランド品の数々や、子供たちの習い事、海外を含む年二回のゴージャスな旅行と、何かに付け、優香子さんに対しマウンティングしていた美樹さんでしたが、すべては親からの援助で浮いたお金でしていたことでした。



「これで『兄弟は平等』って言われても、まったく説得力ないですよね~?」



 ついでに、同居するための家をすぐにでも着工する予定があるというのも嘘。


 何とか母親との同居を回避しようと必死だった美樹さんのデマカセで、本当のところ、古家の取り壊しの見積もりさえ取っていませんでした。



「もう、勘弁してやってくれないか?」



 そう言ったのは、彰典さんでした。泣きじゃくる妻を宥め、兄弟たちに頭を下げて謝罪すると、彼自身の本音を語ったのです。



「俺も、子供の頃から『お前は跡取りだ』って言われ続けて、正直、それがすごいプレッシャーだった。でも、仕方ないとも思ってて、自分の中では受け入れるつもりではいたんだ」



 自分の親のことですから、本人としては納得していたものの、結婚した妻が、どうしてもそれを受け入れられなかったのです。


 これまでにも、出産や子供の入学など、何度も同居に踏み切るタイミングはありましたが、その度に理由を付けては拒否。出産後もパートにしがみ付いていたのは、その理由づくりのためでもありました。


 もともと、美樹さんは責任感が乏しく、他力本願な性格に加え、他人から指図されるのが大嫌いだったため、夫である彰典さんから見ても、同居しても続かないだろうことは明らかでした。



「自分でも、情けない話だとは思ってる。弘樹は智美さんのご両親と二世帯だから無理なのは分かってるけど、どうにか拓哉のところで母さんを引き取って面倒看て欲しい。金銭的なことなら、全部こっちで見させてもらうから、頼む!」


「断る」



 一刀両断といった拓哉さんの言葉に、室内の空気が張り詰め、美樹さんのすすり泣く声だけが響いていました。



「兄貴さ、親父が入院中、母さんずっと『もうすぐお兄ちゃんが迎えに来る』とか『ここにいるのも、お兄ちゃんの所へ行くまでの我慢だから』とか言ってたこと、知ってる?」


「いや、全然知らなかった…」


「おまけに、兄貴にドタキャンされて、急にうちにくることになったのに、二言目には『一番親を思ってるのは、お兄ちゃんだ』って言ってたんだぞ」


「母さんが、そんなことを?」


「それ言われた優香子の気持ち、分かるか? 母さんの事受け入れてくれて、そのうえ、愚痴も言わずに面倒まで看てるのに、あの温厚だった親父もブチ切れて、『一生懸命自分たちのお世話してくれてる優香子さんに申し訳ないだろう!』って、母さんを怒鳴りつけてたよ」


「すみません…優香子さん、俺からも謝ります」


「いえ」


「母さんに悪気なんて、これっぽっちもないと思うよ。けどさ、母さんにとって、同居する相手は俺たちじゃ駄目なんだよ、長男の兄貴以外、あり得ないってことなんだよ」


「でも、それは…」



 彰典さんはちらっと美樹さんに目を遣り、彼女は睨み返すようにして、小さく首を横に振りました。


 そんなふたりの様子を見て、拓哉さんは続けました。



「兄貴たちが、どうしても同居が無理だっていうんなら、施設に入れる方向で考えるしかないんじゃないかな?」


「私も、それがいいと思う!」



 現金なもので、それまで泣いていたのに、身を乗り出してその提案に乗って来た美樹さん。


 ともあれ、これまでの経緯や、それぞれの性格や関係性を考えれば、それが一番無難な解決策に思えます。


 問題は、以前から母親が『施設に入るのだけは絶対に嫌だ』と公言しており、裏切るような後ろめたさも手伝ってか、彰典さんとしては、すぐに賛同出来ないようでした。



「でも、母さんがそれを納得するとは思えないし…」


「それは兄貴たちが説得するしかないし、出来ないなら、同居するしかないよね」


「私、頑張って絶対に説得するわ!」


「だけど、そんなにタイミング良く入れる施設なんてあるのかな?」


「『あるのかな~』じゃなくて、それも兄貴たちで調べて、その他必要な準備も全部やるんだよ。もちろん、費用も全額負担、足りない分は自腹でさ」


「ちょっと待って! いくら何でも、それじゃ私たちばっかり負担が大き過ぎるわよ! せめて不足分は三人で折半にして貰わないと!」



 お金のこととなると、目の色を変えて意見してくる美樹さんでしたが、拓哉さんはきっぱりと言い放ちました。



「今まで親から貰ってた総額を考えたら、お釣りが来るんじゃない? 智ちゃん、どう?」


「はい。毎月引き落としされてた家賃と保険と光熱費だけで、一か月20万円、年間だと240万円、結婚してからお義父さんが亡くなるまでの9年間と計算して、総額2160万円ですね~。あくまで、家賃と保険と光熱費だけの合計ですけど~」


「マジ!?」「凄っ!」



 改めて数字にしてみると、相当な額であることが分かります。これには、当の彰典さん、美樹さんまでが、驚きを隠せませんでした。



「そっちがやりたい放題贅沢して使った分まで、俺たちが負担する筋合いはないと思う。勿論、母さんが施設に入るまでの間はそっちで同居して、義務を果たしたら?」


「そんなの無理! 私、お義母さんとなんて暮らせない!」


「美樹さんさ、『無理、無理』って言うけど、これまで、一日だってうちの親と泊まったことないよね? そういうことは一度くらい実践してから言いなよ。たまには口ばっかりじゃなくさ」



 それ以上は有無を言わさず、拓哉さんも弘樹さんも、一時的にでも母親を預かることを拒否し、これ以上話すことはないからと、長男宅を後にしました。





 それでも諦めない美樹さんは、翌日も、翌々日も、退院当日までも、優香子さんばかりか、弘樹さん宅にまで電話を掛け続けていました。ここへ来てもまだ、母親を押し付けることを諦めないでいるのです。


 その言い訳も周到。



「優香子さん? 緊急事態なの! うちの子、インフルエンザに罹っちゃって! 移すといけないから、治るまで、お義母さんをそっちで預かってもらえないかな?」



 勿論、そんなことは想定内。



「ごめんなさい~! うちの子、ノロウィルスかも知れなくて! お義母さんなら、毎年インフルエンザのワクチン打ってるから、きっと大丈夫ですよ。それじゃ、お大事に~」



 優香子さんが駄目なら、智美さんへ、



「智美さん? 緊急事態なの! うちの子、ノロウィルスに罹っちゃって! お義母さんに移したら大変だから、治るまで、お義母さんをそっちで…」


「すみません~。今週、うちのおばあちゃんがホームから一時帰宅してて、両親も出かける予定があるんで、手一杯なんですよ~」


「それなら、私がお義母さんをそっちまで送って行くわ」


「えっ!? 同居家族がノロなんですよね!? うちのおばあちゃん、免疫力が低下してるから、あんな感染力の強い菌を持ち込まれると、命取りになるんですよ~」


「大丈夫よ、私は完全に菌をシャットアウトしてるから、移る心配はないし。だからお願い!」


「菌を完全にシャットアウト出来るんだったら、お義母さんが行っても心配ないんじゃないですか? それに、うちのおばあちゃんより、確実にお義母さんのほうが、免疫力高いでしょうから~。それじゃ~」



 名付けて『こっちのほうがもっと大変作戦』



 もしここで甘い顔をして、一時的にでも母親を預かってしまえば、二度と美樹さんが自宅に引き取らないのは明らかです。


 嫁親と同居で、要介護4の祖母がいる弘樹さん宅にまで押し付けようという神経の持ち主の美樹さんのこと。当日『自宅に行く前に、ご挨拶して行こう』などと母親に持ちかけ、どちらかの自宅に強制的に上がり込み、そのまま置き去りにする可能性も否定出来ません。


 そこで、当日は一切電話には出ず、自宅から離れることにした拓哉さん・弘樹さん一家。いかに美樹さんといえど、さすがに留守宅の玄関前に、足の悪い母親を放置することは出来ないでしょうから。


 夜になって帰宅すると、予想した通り、インターホンには母親と彰典さんの姿が録画されていました。しかも拓哉さん宅に3回、弘樹さん宅には2回、両方の家を往復した形跡があり、その執念には恐怖を感じるほど。


 最後の最後まで、紆余曲折はありましたが、結局当初の予定通り、母親は長男夫婦のマンションで暮らし始めることになりました。





 その後の美樹さんですが、余程、姑との同居が嫌だったのでしょう、それからの行動が早いこと。


 数日以内には、市内近郊にある高齢者施設をいくつか見繕い、下見もそこそこに、その中から一番早く入居できる介護付有料老人ホームに決め、あのケチな彼女が、頭金の500万円を払い込んだといいます。


 入居後は、食費を含めた30万円ほどの月額利用料が必要になりますが、今後もし寝たきりになっても、すべての介護をして貰えるため、それも重要なポイントの一つだったようです。


 介護施設としては費用が高めですが、安価で介護が手厚い施設になると、入居まで何年も待たなければならず、すぐにでも姑を追い出したい美樹さんにとって、背に腹は代えられない苦渋の決断でした。





 当初、頑なに施設への入所を拒んでいた母親も、一緒に住んでみて分かった美樹さんのあまりの人間性の酷さに、逆に自分のほうが一緒に暮らせないと言いだす始末。


 骨折後の後遺症で、長い時間立っているのも辛い状態なのに、リハビリと称して、自分の食事の支度や後片付けは自分でやるように言い、食事も独りぼっちで食べさせ、休日に家族で出掛けるときにも、一人淋しくお留守番。


 美樹さんに気を使っているのか、彰典さんは自宅に居ても話もせず、子供たちも両親に倣って、呼んでも近寄っても来ません。


 母親に宛がわれたのは、小さな窓が一つしかない納戸のような狭い部屋で、用がないならそこに居るように言われ、家族団欒にも入れてもらえず、食事とお風呂とトイレ以外は、自室で寝ているか、テレビを観るだけの毎日。


 足が悪いため、一人では出掛けることも困難な母親にとって、外へ連れ出しても貰えず、家族とさえ話もしてもらえない状況は、かなり辛かったようです。


 他にもいろいろと意地悪をされていたようで、もしこれが施設に入るよう説得する手段だったとすると、いかにも彼女らしいと言え、入所する頃には、すっかり長男一家を毛嫌いするまでになっていました。


 父親の入院で拓哉さん宅に滞在していた間、優香子さんがいかに気を使って尽くしてくれていたのか、今になってようやく理解したようで、面会に行った拓哉さんたちに、



「いっそのこと、あなたたちが長男夫婦だったら、どんなにか良かったのにね」



 と言った母親。


 それを聞いて、ただただ、苦笑いするしかありませんでした。





 当初は、長男に裏切られたという思いから、酷く落ち込んでいた母親も、その後、入居した施設で出逢ったたくさんの仲間たちと暮らし始めると、それまでの考え方ががらりと変わったようです。


 自分が思い描いていた老人ホームのイメージとは違い、設備の整った高級感のある建物の中で、食事から身の回りのお世話まで、すべてが至れり尽くせりで、気分はまるで上流階級のマダム。毎日が充実していました。



「これまで、長男家族との同居に備えて、自分たちは贅沢の一つもしないで、一生懸命節約をしてたのは、いったい何だったのかしらね? あのままあの人たちと住んでいたらと思うと、ぞっとするわ」



 とまで言い放ち、長男信仰という固定観念から解放された母親は、結婚して以来、今が一番自由で快適だと言いました。


 ただ、一つだけ心残りなのは、せめて夫が生きている間に、二人一緒にこの暮らしが出来ていたら、と、その瞳にかすかに涙を浮かべて。





 その後、実家の土地は道路拡張のため区画整理に掛かり、思いがけず高値で買い上げられたのだとか。それに一番ホッとしたのは、美樹さんでした。


 当初、姑を拓哉さんに押し付けて、遺産で自分の実家に三世帯住宅を建て、両親と姉夫婦との同居を画策していた美樹さんでしたが、目論見が外れ、姑の施設入所に思いのほか多額の費用が掛かってしまいました。


 すでに遺産の多くを使い込んでいたため、このままではマイホームどころか、後数年で介護施設の月額費用も払えなくなる状況だったのです。


 美樹さんの誘いに、何も知らずその気になっていた両親や姉夫婦も、今回の事が発覚し、赤っ恥だったことでしょう。


 他人様の親の遺産を当てにして、そんなことを企むとは厚かましい限りですが、やはり悪いことは出来ないものです。





 さて、話を少し戻して、その後の葛岡さんのおばあちゃんは、と言いますと。





 予定通り、ぴったり10日で退院したおばあちゃん。ポリープは良性で、他の検査でも悪いところは見つからず、元気いっぱいで戻って参りました。


 ただ、ご不満もおありで、ご自身が入院している間、同居している嫁と孫が、一度もお見舞いに来なかったと大変ご立腹でした。



「あの人は、冷たいねぇ~。孫まであんなだとは、思っても見なかったわよ~」



 奥さんに代わり、入院中のおばあちゃんの身の回りのお世話は、次男さんがしていました。


 葛岡さんの奥さんとおばあちゃんは、世間に違わず『嫁姑、犬猿の仲』で、しばらく前にも『出て行け』『出て行かない』の大喧嘩を繰り広げたほどですが、今回、入院中のお世話をしなかったのには理由がありました。





 おばあちゃんの長男で、奥さんのご主人でもあり、柊くんの父親は、数年前に交通事故で他界していました。


 事故当時、車に同乗していた女性が誰だったのかは今以て分からず、不倫疑惑を残したままの死だったこともあり、奥さんのショックは計り知れないものがありました。


 ご主人が亡くなった時点で、おばあちゃんとの同居は解消すべきところ、次男一家が引き取りを拒否し、おばあちゃんも住み慣れた家を離れたくないと言い張ったため、なし崩し的に同居を続けることになったのです。


 当時まだ柊くんは小学生、奥さんも働いていましたので、おばあちゃんがいることで助かる部分もありましたが、所詮は嫁と姑、加えておばあちゃんの性格もあり、衝突が絶えませんでした。


 さらに、このところ動作や記憶に怪しげな部分も多くなり、今回の入院で『近い将来の介護』が現実味を帯び始めたのです。


 今は自分のことは自分で出来ますし、他人のことにまで口を突っ込むほどお元気ですが、奥さん自身が働いている身の上で、亡くなったご主人の親の介護までは勘弁して欲しいというのが本音でした。


 実子である次男がいるのですから、けじめをつける意味でも、出来ればおばあちゃんがまだ元気な内に引き取って貰いたい旨、打診していたのです。





 次男さんとしても、義姉に母親の面倒を押し付け、申し訳ない気持ちはあるものの、子供の頃、長男の兄と自分が差別されて育ったという思いから、親を引き取ることへの葛藤があったのも事実。


 さらに、長男嫁以上におばあちゃんと性格が合わず、気が強い次男嫁が絶対に首を縦に振らず、もし強行するなら離婚すると脅されているのです。


 また、次男宅には、おばあちゃんを迎え入れる部屋は客間用の和室しかなく、本人だけならまだしも、膨大な数のおばあちゃんの荷物を引き受けるスペースはありません。


 気乗りはしませんが、兄嫁の手前『うちに来る?』と軽く打診してみたものの、そんなつもりはまったくない様子。近所に知り合いもいない場所で、淋しい思いをしたくないのでしょう。


 何より、今の家を建てた時、息子夫婦に渡した五万円を『頭金』だと言い張り、大きな顔をしているおばあちゃん、一円も援助していない次男宅で、肩身の狭い思いをしながら暮らすなんて、まっぴらごめんです。


 そんなわけで、このお話はなかなか前に進みそうもありません。





 手術した胃はすっかり良くなり、以前にもまして絶好調のおばあちゃんは、今日も口煩く、ご近所のごみチェックに奔走していました。


 実は彼女が退院した日、私たちがほんの一瞬目を離した隙に、カラスにごみ袋を荒らされてしまい、怒り心頭で路上に散乱したゴミを片付けているところへ、運悪く、ちょうど病院からご帰還したおばあちゃんにその様子を見られてしまい、



「まあ、まあ、まあ、何てことかねぇ~! あれだけ私が言っておいたのに、この有り様とは! 今どきの人たちったら、ホント情けない!」


「すみません、ちょっと目を離した隙にやられてしまって」


「まったく、あなたたちときたら! やっぱり、この町には私がいないと駄目なのよねぇ~!」



 退院早々、『ごみ番長』の大目玉を食らってしまいました。


 カラスにしろ、おばあちゃんにしろ、『何でこのタイミング?』という割り切れないもどかしさに苛まれつつ、かと言って、ゴミを荒らされたのは事実なので反論も出来ず、言われるがまま立ち尽くしかない私たち。





『にっこり笑って、バンパイアの胸に杭を打ち込め作戦』第六弾。今回は、私たちの完敗です。


 負け惜しみになりますが、おばあちゃんが無事退院し、お元気に毒を吐いている姿は、この町が平和な証。


 これからもそんな平和が続くこと、そして『退院おめでとう』の意味を込めて、今回、ガッツポーズは返上です。





 さて、嫁と孫がお見舞いに来なかったことを、大々的に吹聴して回ったおばあちゃんでしたが、事情を知らない一部の人たちの中には、彼女に同情的な人たちがいたのも事実。


 そして、ちょうどこの頃、葛岡さんの奥さんの人間関係に大きな変化があり、それも物議を醸す要因となるのですが、それはまた、別のお話。


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