僕とクイズとデスゲーム 3



 天地が判らない。

 胎児のように丸くなって、僕はひとまず、この濁流が落ち着きを取り戻すのを辛抱強く待つことにした。

 教室のあらゆるものが攪拌されていた。ミニチュアハウスにバケツの水をぶちまけた感じだ。暴れ狂うちゃぶ台とか畳とかと一緒に、僕の身体もお人形の一つとなってぐるぐる回っていた。

 息が限界に近付いたころに、ようやく上下を確かめて水面に顔を出すことができた。暴れ狂う鉛色の水面だ。いつの間にか水位は、足がつかないどころか、手を上にあげれば天井に触れてしまうまでに達していた。

「明久! 秀吉! 無事か!」

「なんとかね!」

「生きているのじゃ!」

 水流が轟音を鳴らし、建物が軋む。声をかき消されないために、僕たちは自然と叫ばざるを得なかった。

「まずは二階に行くぞ! ここにいちゃ何にもできねぇ!」

「待って雄二、すごろく盤がない!」

 くそっ、という悪態を残して、雄二が潜っていく。僕と秀吉はその間に脱出路の確保だ。流れに負けずしつこくへばりついている教室の扉を力づくで引きはがして、廊下への出口を作った。

「だめだ! 明久、協力しろ!」

 雄二が戻ってきて、水中を指さした。二人して潜る。回転し続ける水中はひどく泳ぎにくいし、視界が悪い。雄二が隅の方で沈殿するちゃぶ台の山を指さした。その下に盤が押し込まれてしまったらしい。

 何とか取りすがってちゃぶ台を撤去しようと試みる。けれど水圧に押さえつけられてびくともしない。隙間から手を入れてみるものの、盤は見えているのに、あと少しが届かなかった。

 我慢の限界だ。一度水面まで戻る。

「何か方法を考えねぇと……!」

 雄二が焦りだした。水位の上昇が止まらないのだ。もう顔一つ分くらいのスペースしか残されていなかった。ここで諦めたら、盤のサルベージにはそれこそスキューバダイビングの装備が必要になる。そんな装備はない。そして、ダイビング罰ゲームが繰り返されれば逃げ道も失ってしまう。

「急ぐのじゃ! もう時間が!」

「雄二――!」

 とっさに挽回の手段を閃いて、雄二に確認を取った。なるほどな、という賛意を受けて、僕たちは使い慣れた言葉を発した。

 僕たちにとって一番なじみのあるもの。力では動かせない代物を、ならばもっと強い力技でなんとかしてやろうと思わせるもの。

「「試獣召喚サモン!」」

 試験召喚獣だ。学ラン姿の召喚獣が現れて――たちまち水流に流されていった。慌ててひっつかんで抱きとめる。

 この召喚獣、物質的にはおそらくこの荒れ狂う水と同じ存在のはずなのに、今は何とも頼もしい。

「行くぞ」

 再び潜って、ちゃぶ台の近くに召喚獣を設置する。そして雄二と頷きあうと、吹き飛ばせ――と指示を出した。召喚獣たちが振るう木刀と拳によって、ちゃぶ台がゆっくりとしたモーションでひっくり返っていく。開いた隙間に潜り込んで、何とか盤を引っ張り出した。

 試験召喚獣はいつもはVRの存在にすぎない。けれど観察処分者に認定されてしまった僕の召喚獣にだけは常日頃から物理干渉能力が付与されている。だから馴染みがあるのだけれど、この物理干渉能力は強力で、人間の何倍もの力を発揮できるのだ。

 そして今はすべての召喚獣に物理干渉能力がある。僕と雄二の召喚獣が合わされば、水圧をはねのけてちゃぶ台をひっくり返すくらいわけないのだ。

「早くするのじゃ!」

 秀吉が手招きしている。そっちに向かい、廊下に出て、僕たちは階段を目指した。泳ぎなんて上等なものじゃない。壁伝いになんとか犬かきをして、流れてくる机やロッカーといった大物を押しのけて進む重労働だった。

 そして何とか階段までたどり着いて、やっとこ一息つくことができた。というか、一息どころかみんなして咳き込んだ。

「くそっ、マジで水だ。この学校、やっぱり狂ってやがる」

「僕、こんな感じの映画見たことあるよ」

「わしもじゃ」

「――どういう結末だ?」

「まあ、おおむねハッピーエンド。苦労してたけど」

「そいつは何よりだな……」

 やれやれ、と雄二が身を投げ出した。すでに誰もが疲労の極にある。水の中というのは著しく体力を消耗するのだ。

 どうやら水は二階にまでは上がってこないらしい。今後何かあれば、上に上に逃げていくことになるのだろう。

「あ、サイコロ――!」

 すごろくを構成するもう一つの要素を思い出して、僕は青くなった。ここからさらに潜っていく気力はないし、ましてやあんな小さな代物、見つけられる気がしない。

「大丈夫だ、持ってきてる」

 幸い次の番だった雄二が握りしめていてくれたらしい。これで次の『問題』に挑むことができるわけだ。全くうれしくないけれど。

 少し遅れて、逃走中だったムッツリーニも水面から顔を出した。僕たちより疲れているように見えた。

「無事だったんだね、よかったよムッツリーニ。――あのマッチョは?」

「…………沈んだ。おかげで貞操は守れた。ギリギリだった」

 ああ、ボディビルダーって浮かないからね。予想以上に追い詰められていたみたいだけど、逃げきれて何よりだ。

 つかの間の休憩を取っていると、尻ポケットが震えた。頼りになる文明の利器、耐水性スマートフォンが、水流に負けずポケットにしがみ付いてくれていたらしい。

『明久君!』

「姫路さん……!」

 電話の向こうで、なぜか懐かしいくらい聞きたかった声がした。姫路瑞希さん。ほんと、ここまでの時間って苦しくて長かったんだなぁと実感してしまった。

『良かった、ようやく繋がりました――』

 なんだか災害時の電話みたいだった。まあ、僕から見える景色はいっぱしの災害レベルだけどね。人災ってところがミソだ。

『今、西村先生に代わりますね』

「げ、鉄人!?」

 どうやら姫路さんのスマホ経由で僕に連絡を取ってきたらしい。嫌な不意打ちだった。

「あの、今回僕らなんにも悪くないと思うんです……!」

 鉄人の声がする前に、本心というか事実を述べた。信じてもらえるかは未知数だけど。

「全部あのババア長が悪いんです! あとは不幸な偶然というか」

『判ってる、判ってるから落ち着け。今回ばかりはお前たちは被害者だ』

 幸い鉄人はいつにない寛容さを見せてくれた。ちょっと語調が固いのは、もしかすると鉄人もババア長にご立腹なのかもしれない。

『いいか、よく聞け。試験召喚システムの復旧は現状不可能だ。この乱痴気騒ぎを収めるには、お前たちがやっているすごろくをクリアするしかない。外部干渉の手は考えているが、現状は目途が立っていない。お前たちだけが頼りというわけだ』

「最悪だ……」

『最悪なのはここからだ。今、一階を壊した罰ゲームが発動しているだろう? 学園長に言わせると、まだまだ序の口、らしい』

「無事戻れたらババア長を死ぬほど殴っていいですか」

『……』

 鉄人の無言を了承と取ってしまいそうだった。

『すでに他の生徒の避難は完了した。今学校に残っているのはお前たちだけだ』

「どれだけ不運なんですか、僕たち」

『同情はする。だが派手にやっていいということでもある。学園長にはいい灸になるだろう』

 好きなだけ暴れろという、普段なら絶対に聞けないお墨付きだけれど、この時ばかりは要らなかった。

『それに安心しろ、ここから先は俺がついている』

「鉄人が!?」

 みんなの顔にようやく希望の色が戻ってきた。

 鉄人の担当教科は「補習」。ありとあらゆる教科を網羅する、文月学園きっての万能教師だ。出てくる問題が高校教育の範囲となれば、これ以上ない援軍だった。

 スマホのバッテリーも充分にある。悪い意味でのご都合主義もないわけだ。

「そんなら話は早い。ちゃっちゃと終わらせようぜ」

 雄二が身体を起こして、ためらいなくサイコロを振った。張り付いたままだった駒が動き出す。

『問い。現在坂系アイドルとして人気を博し、オリコンチャートの週間ランキングで六位となったアイドルグループの名前を答えよ』

「……」

『……』

「……」

『……おにゃん子クラブ』

『罰ゲーム:虎』

「「「「てつじぃぃぃん!?」」」」」

 こんなに頼りにならない教師初めてだ!

 文句をぶつける余裕も与えられず、盤の水晶が輝いて幾何学文様が飛び出した。試獣召喚と輝きが同じだ。そして、そこから何が出てくるか、僕たちは直球勝負の文言ですでに確信を持っていた。

「逃げるぞ!」

 がおー、という咆哮が響くより先に階段を駆け上がっていた。しなやかな足音と怒り狂うような呼吸がすぐさま背後から迫ってくる。

「明久、伏せるのじゃ!」

 後ろを窺った秀吉が叫ぶ。伏せるというより転がるようにして床に突っ伏すと、その上を大きな生き物が飛び越えていった。

 顔を上げる。案の定、黄色く輝く体毛の虎が、僕たちの前に立ちふさがっていた。しかも転んだ衝撃でスマホを投げ出してしまった。ばきりと鈍い音がして、ああ、虎が踏みつけたんだろうな、やっぱりこうなるんだな、ご都合主義め今度こそ許さない、と僕は我が身を呪った。

 秀吉とムッツリーニはスマホを持っていない。雄二が持っていれば何とかなるかもしれないけれど――。

「でも、今はそれどころじゃない……!」

 虎は姿勢を低くして、飛び掛かるタイミングを慎重に計っている。

「やるしかねぇ!」

 雄二が腹をくくって虎に負けない咆哮を吐く。退路はない。やるしかない。方法はただ一つ――こちらも同等の膂力を持つであろう試験召喚獣で対抗する!

「「試獣召喚サモン!」」

 秀吉とムッツリーニも召喚獣を出した。巫女装束と忍び装束の二体。点数はともかく、二人とも校内でも操作の腕はトップクラスだ。試召戦争を幾度も経験してきた僕らは、学内で最強を自負するカルテットなのだ。

 だけど――何度も試召戦争を潜り抜けてきた僕たちでも、虎とやりあうのはもちろん初めてだった。

「動物愛護くそくらえ! 弱肉強食を叩き込んでやる!」

 虎が一足飛びに距離を詰めてきた。僕たちは阿吽の呼吸で召喚獣を散開させて、命がけの狩りの開始を告げた。




 斬りつけたり殴ったりしても、虎は怯みこそすれ、外見に目立った変化を現さなかった。

 本物っぽくてもやはり召喚獣ではあるらしい。頭上に表示された、体力を示す300点という数字は、時間をかけるに連れてじわじわと削れて始めていた。

 間合いを詰め、一撃を加え、距離を離し、目標を定めさせずに再び死角から襲い掛かる――。

 自然と僕たちの連携は階段の段差を生かした戦いに移行していた。数の利を最大限に生かす布陣だ。虎は時折本体を狙ってくることがあるけれど、即座に狙われていない誰かが横から殴りつけて弾き飛ばす。

「ゲームの感覚も馬鹿にできないね……!」

 何となくマルチプレイのゲームに似ている、と僕たちは心の余裕を取り戻しつつあった。フルダイブ系のVRゲームが登場したら、僕たちはかなり有名なプレイヤーになれるかもしれない。

 とはいえ、僕たちの本体のみならず、召喚獣にもいわゆる「あたり判定」はある。フィードバックといって、召喚獣が受けた物理ダメージを本体に送り込むというシステムだ。僕にだけにしか設定されていないはずだけれど、物理干渉が可能な今、他のみんなにないという確証は持てない。

「明久、行ったのじゃ!」

「合点!」

 真正面からの打ち合いは避けて、とにかく攻撃を受けない立ち回りを徹底する。爪の一裂き、牙の一噛みが致命傷になりかねない。

 すれすれを見切って体を翻す。虎の姿勢が崩れたところを、雄二とムッツリーニが狙いすました一撃を見舞った。クリティカルヒットだ。大分相手の点数が減った。

 虎の単調なパターンを見切り始めてきた。もしかすると、外見は虎と言えど科学の産物だから、コンピュータのプログラム通りにしか動けないのかもしれない。つまり、やっぱりこれはゲーム感覚で通用する――!

「押し切れる!」

 それぞれも確信を抱いたかのように、積極的な攻めに転じた。避ける動きは最小限。常にカウンターを狙っていく。

 数発の剣閃が煌めいて、虎の点数をあと一撃というところまで追い込めた。しかもよろめいている。決着をつけるべく、僕たちは召喚獣を飛び掛からせた。

 が、追い詰めた先に、考慮すべきだった失策が待ち構えていた。

「やべぇ、全員下がれ!」

 一番最初に気づいた雄二が声を張り上げる。

 盤が瞬いていた。そこからもう一匹の虎が飛び出し、一直線に僕たちに牙を向けてきた。

 忘れていた。制限時間内に次のサイコロを振らないと、もう一度同じ罰ゲームが降りかかる――。

「秀吉!」

 狙われたのは秀吉だった。とっさに僕は召喚獣に無茶な機動を命じて、二者の間に身体を割りいれる。爪と牙こそもらわなかったが、体当たりによる強烈な重さのフィードバックがやってくる。しかも弾き飛ばされて壁に叩きつけられたため、後頭部にもダメージがいってしまった。頭がくらくらする……。

 形勢が逆転してしまった。一匹が瀕死とはいえ、元気いっぱいの新品が加わって二対四だ。さっきのぴ〇ちゅうらい〇ゅうコンボから察するに、レベルアップしている可能性もある。付け加えるなら、それを制限時間以内に倒さなければさらにもう一匹が飛び出してくる。終わりがない。

「結局クソゲーだなんて……!」

「…………負けイベントという可能性は」

「試してみたいか、ムッツリーニ」

「わしは御免被るのじゃ」

「逃げ出してみる?」

「…………残念、ボスからは逃げられない」

 意外とユーモアを忘れていないのは悪癖だろうか。

 新品が飛び掛かってきた。先ほどのパターンを踏襲して散開する。が、散ったところを旧型が猛追してきた。狙われたのは雄二だ。食いちぎられる間一髪、その口を上下にがっちり押えていた。すかさず援護に向かうけれど、もう一匹の対処でどうしても遅れてしまう。木刀を振った時にはもう、旧型は飛びのいていた。いよいよまずい状況だ。

「…………このままだとじり貧。策がある。ターゲットを俺に」

 ムッツリーニが唇を引き結んで一歩前に出た。本体に脂汗が浮かんでいるところを見ると、それほど高い勝算が立っているわけではなさそうだった。自殺行為だと止めたいけれど、今はその策に賭けてみるしかない。

 攻撃を控えて、全員がひたすら回避に専念した。両方のターゲットがムッツリーニに移るのを粘り強く待つ。

「…………来た!」

 何度目かのパターンが重なって、二匹ともムッツリーニに飛び掛かっていった。ムッツリーニは退路がない。

「…………加速」

 爪が食い込むその瞬間に、ムッツリーニの召喚獣が姿を消した。目にも止まらぬ速さの移動技だ。こうした特技じみた手法を使えるのは高得点者だけで、ムッツリーニは保健体育一本だけでそれを成し遂げたエロの帝王だった。

 虎がターゲットを失って虚空に投げ出される。二匹の身体が向かう先は――僕たちが散々苦しめられた、あの水面だった。

「なるほどね!」

「了解したのじゃ!」

 虎が水柱を立てて落ちるのと同時に、長物を持つ僕と秀吉が距離を詰めて、水中で暴れまわる虎の頭を得物の先で押しつぶした。凄い力で這い上がろうとしてくるが、こちらも渾身の力を込めて防ぐ。

 虎の体力がぐんぐん減っていき、そしてようやく細かな幾何学文様をまき散らして消滅した。

「いい作戦だったぜ、ムッツリーニ」

「…………褒めても何も出ない」

 なぜかムッツリーニは鼻血をどばどば出していた。エロい要素なんてないよな、と周囲を見渡してみると、踊り場の壁に亀裂が入っていた。

 何のことはない。狭いスペースで加速なんか使うから、そのまま壁に突撃したのだ。身を犠牲にする献身的な作戦だった――というか、あとのことに考えが至らなかっただけかもしれない。勇敢だけど下手すればトラックに撥ねられるレベルの重傷負っていたから。僕なら思いついても絶対に採用しない。

「一休みしたいところだがそうもいってられねぇ。秀吉、頼む」

 勝利の余韻に浸る余裕もなく、僕たちは次の問題に取り掛からなくてはならなかった。これは――想像以上に未来が見えない。改めて言うけれど僕たちの成績は底辺級だ。毎回自爆していたらいつかは力尽きる。

『問い:以下の英文を訳せ。


Fire and Ice


 Some say the world will end in fire,

 Some say in ice.

 From what I`ve tasted of desire

 I hold with those who favor fire.

 But if it had to perish twice,

 I think I know enough ob hate

 To say that fore destruction ice

 Is also great

 And would suffice.


 おいおい瞬殺だよ(笑)

 僕にも判る単語がある。Fire and Ice。火と氷。

 正直アルファベットすら読めないほうがよかった。どっちが出ても酷いことになるのは目に見えているし、もしかしたら両方かもしれなかったから。最期は焼死か凍死のどちらかで、当たり前だけどどっちも嫌だった。

 該当者である秀吉の顔から一切の表情が消えて、死刑を待つ囚人のように無垢な瞳をしていた。

 と――。

 そこに雄二が、確かな口調で告げた。

「秀吉。俺の言う通りに復唱しろ」

 この中で解ける可能性があるとすれば雄二だけだ。間違っているとしても、というか十中八九間違うだろうけれど、秀吉はもう縋るしかなかった。

 雄二の言葉通り、秀吉がすべてを諦めた透き通った声で詠み始める。


火と氷


 世界は燃え尽きて終わると言う者もいれば

 凍り付いて終わると言う者もいる。

 私が欲望を経験した限りでは

 火の説を説くものに賛同する。

 しかし二度消滅する運命だとすれば

 私も憎悪についてはよく知っているつもりだから

 破壊にとっては氷もまた

 凄まじく

 充分それに事足りるだろう


 ――嘘だろう、という表情でムッツリーニが目を見開いていた。

 完璧……のように聞こえた。僕たちには判別がつかなかったけれど、それが正解かどうかは数秒後に判明した。

 水晶に少し長めのカウントダウンが表示された。つまり、順番がムッツリーニに移ったということで、秀吉の――雄二の解答は100点満点だったということだ。

「雄二、アルファベットが読めるなんて……」

「人を明久みたいに言うな」

「誰がアルファベットの読めない猿だって!?」

「おいおい、猿だなんて、そんなに褒めてねぇよ――。ただ、確かに今のは俺の実力じゃあないな」

 にっと笑って、雄二が右手に持っていたものを突き出した。

 スマートフォンだった。

『……ちなみに作者はロバート・フロスト』

 スピーカーモードで零れ落ちてきたのは、学年主席、雄二の妻、霧島翔子さんの綺麗な声だった。鉄人並に万能な成績を持つ彼女だから、彼女もまた百人力の援軍だ。

 これで救われた。胸を撫でおろす。もう全部霧島さんに任せてしまおう。

「安堵してるところ悪いが、実のところ時間稼ぎにしかならない」

「どういうことさ」

「俺のスマホは常に翔子にGPS情報を送っている。その分だけ消耗が激しいわけで――つまりもうそれほどバッテリーが残ってない」

 くっそ、また出てきたかご都合主義め……。

「だからこっちでも手を打つぞ。俺がやったみたいに、そこらの教室から教科書をパクってくるんだ。カンニングとしては最大級の代物だろ?」

 確かに、教科書持ち込み可なら僕だってテストで満点が取れる。勝ったも同然だ。あとはクリアまで走り抜けるだけ。

 休んでいる暇はなかったけれど、新たな希望を胸に、僕たちは階段を登り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と政治と離婚事由 +α 只野新人 @Masked

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ