一の段其の七幕 家庭内機械化と女衆







 天文五年文月。

 江田郷えだごうは次々と導入される新しい技術に祭りのような賑わいを見せていた。

 久遠によって作られた機械群は彼らにとって技術というよりは、奇跡であった。


 田では手動式の田植え機が、荒地では自転車式パワーブーストの草刈機や耕運機が動き。

 さとの中央の広場に建てられた共同小屋には電気と水道が引かれ、裸電球に照らされる中、脱穀機や洗濯機に炊飯器といった家電が見る者を驚かせている。 


 絡繰からくり式の耕運機などはともかく、動力源に水力発電を使った脱穀機やポンプに大型洗濯機そして炊飯器や炭素フィラメントの電球などの電化製品は、彼らにとって仙術と変わらぬ奇跡の技だったのだ。


「すごいよ。まわってる。みて、まわってるよ」

「おう、見事なもんだな」

 平成の時代にはすでに時代遅れの機械式タイマーで動く10槽のスクリュー式洗濯機を見てはしゃぐ女を見ながら、男は別の事に気を取られていた。


 郷長さとおさのもとで働く男は御披露目前に、これらの機械には、さんざん驚かせられていたので今更というのもあったが、これで洗濯に行く女と二人っきりになる機会がなくなるという事で決意した話をどう切り出そうかと考えていたのだ。


「くおんさまは、ほんに、みこさまだったなあ」

 よほど嬉しかったのか、無邪気な笑顔で女は誰言うとなく、久遠への賛辞を口にする。


 川から引かれた水道に驚き、電気炊飯器の便利さに感心し、電球の明るさに驚嘆して尚、素直に驚き喜ぶ女を男は改めて愛おしいと思った。


「ああ。そうだな」

 その笑顔に背中を押され、男は女の家事で荒れた手を握り締める。

「おれと夫婦になろう」


「……ああ。なろう」

 一瞬驚いたような顔をした女は直ぐに破顔してそう答える。





 久遠がナノマシンで再現した現代技術の御披露目があったこの日。

 同じような光景が村のあちこちで見られた。


 多くの男女が賑わいの中、関係を深めていたのだ。

 これは普段と違う晴の日の雰囲気だけでなく、多くの女達が家事で負う負担が少なくなることで得た開放感によるものだった。


 この時代、毎日の家事は現代と比べ物にならないほど手間がかかる。

 食事をつくるだけでも桶で水を汲み薪で火を起こしという苦労が必要だ。

 洗濯にしても川まで洗い物を運び手で洗った後、重くなった洗い物を抱えて戻るのだ。


 家事の負担を減らすことは、武家とは違い女衆が力を持つ農家では、大きな意味を持つ。

 かぞえ歳で10にもなれば、ほとんどの子供は農作業をさ手伝うことになるので、若衆や男衆の了承を取り付けるのはもとより、家事の手伝いをする子供を就学させるには、女衆を納得させねばならないからだ。

 

「予想外の効果があったようですね」

 日も落ちてあちらこちらで楽しげにいちゃつくカップルを、監視網で見守りながら美亜は、式典の疲れで畳に張り付くようにしてへたっている久遠に声をかけた。


「あ~?」

 畳から顔だけ上げて久遠がだらけた声をあげる。


 ナノマシンのおかげで、肉体的には半永久的な活動が可能な久遠だが、その精神性メンタリティは人のものであって苦手な事をすれば、精神的に疲れもする。

 機械の御披露目に集まった郷人さとびと達の挨拶に、にこやかに応えていたせいで精神的に消耗しているのだ。


 物作りや仙術の行使などナノマシンを使用する作業の場合、その使用プロセスで精神的な疲れまで癒すようにナノマシンがプログラムされているので平気なのだが、そうでない日常的な行為は普通の人間と同じ久遠。

 どんな状況でも精神性メンタリティに変化を起こさない美亜。


 一部の郷人さとびとからは同じように見られることが多い二人だが、やはりその本質は違う。

 それは、人とアンドロイドの違いでありあたり前のことだ。


「今日は多くの命が生まれる日になるかもしれません」


「ああ……そうか」

 監視網にアクセスして美亜が見ている光景を共有した久遠は、ナノマシンを使って脳内物質を調整することで、瞬時に精神疲労を消して起き上がった。


 娯楽のほとんど存在しないこの時代、祭りの夜は、夜這いや神事としての交合が行われるのは常である。

 女衆がさとの若衆に女の扱いを教える儀式などの主導権は男にはなく、郷長さとおさを除けば一夫多妻の多くも女達の意向で決定された。


 現代でなら男達の妬みを一身に浴びるような立場だが、この時代では女達の共有物としての側面が強く、男の選択権は無いに等しい事と年嵩の女達があぶれた男の面倒も見る事で、ある種の公平性が保たれている。


 このさとは、女の夜這い千人抜きを祝うような祭事がある地方ではないが、中世の農村のほとんどがそうであるように、性には大らかな風潮があった。


 そうやって子供が生まれても、その子はさとの子として差別無く育てられる。

 それが中世の農村では当たり前の事だったのだ。

 

「美亜。これ以降、常時、排卵誘発を行い母子の安全を確保できるだけのナノマシンを確保した場合、計画の進行にどの程度の遅れがでるか計算してくれ」


「排卵誘発ですか? 母体1につき子供の数を平均5とすれば8ヶ月程度でしょうか」

 ふと思いついたように膨大な計算を必要とする作業を命じられた美亜は、ほとんど間髪入れずそう返して久遠に問い返す。

「人為的にさと内の人口を増やされるのですか?」


「ああ。教育制度を急いでつくるより子供を増やす事を考えたほうが、将来的にはプラスになるはずだ」


 道士となる子供を増やせばそれ以後の改革は、ナノマシン量と人手を考えれば加速するはずだ。

 それに少ない子供の中から道士となる子供を育てるよりは多くの子供の中から選んだほうが子供達の為にもなるだろう。

 久遠はそう考えていた。


 かつての道士による大戦のような事が起こらないように、安全策は講じてあるが、だからといってそればかりに頼る気もない。

 道士としての適性がない子供を道士にするようなことは、避けるべき事だ。


 そして適正の高さが人間性で決まる以上、適正の高さもピンからキリまである。

 久遠は道士の数を増やすよりは、道士となる人間の適正の高さを上げることを重く考えていたのだ。

 

 こうして女達を家事の手間から解放することで始まったさとの社会改革の第一歩は、さとの人口を飛躍的に増加させることになる。


 後世、この世代が団塊の世代と呼ばれるかどうか、それは定かではない。

 




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