一の段其の幕間 魂魄と感応魔術





 たましい。幽体。 御霊みたま魑魂すだま。 霊体 。 物精もっけ星幽体アストラル

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていた神秘や怪異は、唯物論と機械文明の下に、当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。

 

 しかし、人の創った観念や概念は、それがどんなにくだらなく見えるものでも、当初はその必要性に応じて存在したものだ。

 人間が洞窟で猿と変わらぬ暮らしをしていた頃から今までに積み上げてきたものを、無思慮に否定することは、愚かとしかいえない行為であろう。


 正しくその在り様と存在理由を考えなければ、発展のつもりで破滅へと突き進んでいるのに、そうと気づかないことも、また大いにあり得る話だろう。


 人の精神の根幹となるのは、仙道によれば、こんはくと呼ばれる存在だ。

 ふたつを併せて魂魄こんぱくと呼ぶ。


 科学的に言うなら、こんは生まれながらの性質からなるプログラムデータ群。

 DNAによって決定される基本データで、一卵性の双子なら誕生時には、ほぼ同一となる。

 

 対してはくは、脳のシナプスに刻まれた記憶データ群。

 誕生後の経験で、自我や個性を形成し、行動規範を決定するための閲覧データ群だ。


 また仙道によれば、魂魄自体以外にも、それぞれに影響を与え合うものがあり、こんには、せいはくには、しんが対応しているという。

 

 科学的に言うなら、せいとは、五感を通してもたらせられるフィードバックデータ群。

 経験によって積み上げられる雑多で煩雑な処理を必要とするデータ群だ。


 対して、しんとは社会通念などの肉体の外部に蓄積されたデータ群。

 歴史とともに積み上げられてきた膨大なデータ群で、人と獣を分かつ人が人であるためのデータ群だ。


 これらのデータ群が空間に投影されたものは、霊や残留思念などと呼ばれるが、それを他の物体に対して使うのが感応魔術だった。


 久遠は、生まれる前からこのさと全体に、自分への好意を抱きやすくなるように、何度か感応魔術を使って働きかけている。


 人間関係が生死を分ける時代だという先入観が強かったわけでもないが、武士達全てを相手に戦わなければならない未来を考えた故のことだ。


 生きていくだけならどうにでもなる。

 かつて山の中で過ごしていたように生きるなら、この時代は過ごし易い。

 だが、久遠はすでに一度そういった生き方をやめる選択をしていた。

 そのための感情操作であり世界変革の決意だ。

 得体の知れない怖ろしい子供ではさとを治めることなどできはしない。


 さとを治めるという事は護るということでもある。

 一応の自衛手段は得たが、いまだ安心できる状況ではなかった。

 豊前の国、現在の北九州市辺りでは、大友氏と大内氏が小競り合いを繰り返している。

 前世界では、2年後の天文7年に和睦することになるはずだが、それからが問題だ。


 その後、豊後国内では再び内紛が始まる。

 そして天文19年にはお定まりの継承争いが起こり、当主の暗殺による継承が行われるはずだ。


 調査の結果、その通りの出来事が起こる可能性は高い。

 当主の妻達の対立と、その背景にある有力家臣間の対立は根深い。

 前当主、義長の時代に収拾したとはいえ、内紛の要因はくすぶっていた。


 この世界が前世界と同じ歴史を辿るとすれば、行動を起こすなら10年後になるだろう。

 その為にも監視網を主要な町に広げねばならない。


 久遠はそう考えを纏めると、それを美亜へと一任していた。

 量子コンピューター以上の処理能力を持つ美亜になら、それはそう難しいことではない。


 あくまで人間と同じ精神構造を持つ久遠と違い、高速多重同時の並列思考が行える美亜は事務処理をやらせれば、数千人分の働きができる。


 もっとも身体は一人分しかないし、使えるナノマシンの量は243ユニットなので、久遠が“使貴”と名付けた生体アンドロイドとしての分体を、243人分用意できればの話だが。


 そのうち“使貴”も創らねばと思いながら、久遠はナノマシンを使い藁から紙を作っていった。

 人材育成のための学園設立準備の一環だ。

 その為にはさとの同意を取り付けなければならない。


 これは、感応魔術でやってはいけないことだし、できないことだった。

 長期の意識操作など、人間性を失った人格を作り出すだけなのだ。

 

 心から協力させるためには、学問を行わせる余裕が必要になる。

 その為には……

 久遠は、計画の手順を考えながらも手を休めず紙を作り終えると、必要となるだろう機械の製作に取り掛かった。 




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