第23話 君、話さん♯3

「雨でも降るみたいに」

「イヤな予感がしたら空を見なさい。隔離の時空魔法は相手が近くにいないと使えないからね。いや、もう隔離はないかも知れないけれど。ていうかあなたには、逃げずに積極的に魔法少女から魔法を奪って欲しいんだけど」

イヤな予感がしても逃げるな立ち向かえ、とは、この忠告には一体何の意味があったのか。もし隔離がないのなら、空からの不意打ちに気を付けろ、ぐらいの話なのだろうか。黒猫はそれ以上続けず、また歩を進めた。早朝の青空、冬の冷気に澄んで色濃い。累には、彼女の考えていることが少しも分からなかった。正体についても、目的についても、何一つ。

 それでも累が彼女に付き従っているのは、先に目をやってみて、この黒猫以外には何の標もないからだった。命を救ってもらった、という恩がある。最初から最後まで口しか挟まない手助けだったが、なければきっと累は死んでいただろう。

 訳も分からず、殺されていただろう。

 あるいは、魔法少女を返り討ちにしていたか。魔法少女を撃退し、アンヌにひき肉にされていたか。アンヌさえ砕き、待ち構えていた魔法少女たちに消されていたか。

 どっちみち、あまり良い結果に着地したとは思えない。こうやって呑気に散歩をするなどなかったに違いない。何の根拠もない勘だったが。

「それにしても、徹底的ね。このまま歩いていたら市街に出てしまうわ」

 黒猫の話は飛びがちだ。最初に魔法少女の話をしていたと思ったら、唐突に魔法少女は空からやってくるのよと説明し、今度は周囲の状況について言及する。本当に何を考えているのか……流れについては、何も考えていないのだろうか。

「市街に出るのはまずいのか?」

「まずいっていうか……」

 累の住んでいた場所は郊外だ。市の中心、賑やかな市街まで行こうと思えば到底徒歩では済まない距離にある。もっぱら、移動手段は車かバス。近くには電車の類もなかったから、閑静ながら不便と言えば不便な立地だったし、不便なぐらいに遠いからこそ閑静な住宅街足り得ていた。建物やら何やらがぺしゃんこになったことで、途中までは一直線に突き進むことができるようになった今でも、やはり徒歩での行軍については前向きに検討したくない。

 そりゃあ、雨風を嫌って屋内を求めるのなら、実際に市街まで足を運ぶかはともかく、このぺしゃんこ地帯からは抜けなくてはならないだろうが……。

「問題は、それで町まで行って、町が無事で、そんな場所に棲みついたら、町を戦いに巻き込むのは必至でしょ。あなた、自分のためにもっと多くの人が死ぬの、我慢できる?」

 今、周りにある、惨劇のように。

 思いがけず心配され、うーん、と累は考え込んだ。というか、魔法少女が一般市民を犠牲にすることは、もはや前提なのか。

「あら、考え込むのね。意外だわ、もしかして、別に良いやって思ってるのかしら」

「いや、全く思っていない。ただ本当に、魔法少女はそれをするかな、と思って」

「どういうこと?」

「だって、一応は正義の味方をやっているのに、そうばかすか無辜の市民を殺していちゃあ、自分たちの存在意義を見失ったりしないのか?」

 魔法少女が累の周りをこうまで徹底的に破壊したのは、念のため、物のついでなのだと、黒猫は言った。“物のついで”で何千人単位の人殺し。いくら正義のためとはいえ、大勢の“おそらく無実の”人間を殺してしまうことが分かっていて、そう易々と魔法を撃てるものだろうか。黒猫のいかにも適当な言い様がそのまま魔法少女の胸中に合致するとは限らないわけで、よくよく考えれば、そこには多くの葛藤があって当然じゃないだろうか。

「今まで、魔法少女は表舞台に姿を現していなかった。敵と戦う時だって、わざわざ別世界に隔離してからなんて、手の込んだ細工をしてる。それだけ、現実世界には被害を出したくなかったんだよな。けど、今回は仕方なく、その禁を破ったってわけだ。それは、どうしようもないってのはさ、もちろん殺された人たちもそうだけど、そいつを選択しなくちゃいけなかった魔法少女にとっても、今回のことは不可抗力だったんじゃないのか?」

 今までうまく回せていたアンヌとの戦いが、アンヌの妙策によってそれまでの枠の中では収まり切らなくなった。もはや隠し切れず、また隠れて戦い続けるための工作が困難になった。アンヌが人間に寄生し、その力を分け与える作戦は、魔法少女がこれまでに行ってきた秘匿のための努力を全否定するものだった。

 アンヌがそこまでの混乱を狙っていたかはともかく、だ。

「不可抗力、そうなのかも知れないわね。魔法少女は現実世界から離れて戦っていた。それは要するに、“離れて戦うことができていた”に他ならない。アンヌがその戦場を魔法の世界から現実世界へと移したのなら、魔法少女も合わせて戦場を移すしかなくなる。侵略者というだけあって、イニシアチブはいつだって向こうにあるのね。今回のアンヌの作戦に対する抵抗は、現実へと引きずり出された魔法少女にとっては確かに不可抗力だわ」

「なら、そう何度も繰り返しはしないと思うんだよ。今回は仕方がない。つまり不本意だったわけだ。そうすれば、次はどうだ? 黒猫、おまえは言ったよな。念のためだ、って。的を俺に絞り切れていなかったから、俺のいる辺りを潰したんだって。その一回で、現実世界に対する攻撃の目的は遂げている、違うか?」

「違わない。でも絶対でもない。もしかしたら、これを機に大掛かりな掃除を始めるかも知れないわよ」

「そんな狂った連中には見えないぜ。だってそれじゃあ、事を表に出してこなかった秘密主義……今までの繊細さと矛盾しないか?」

「キレイ好きには変わらない、ってわたしは思うけど」

 汚れが外まで及んだのなら、開き直って外での活動を活発化させてもおかしくない、というわけだ。

いや、絶対にアンヌを許しはしないと断固足る姿勢を取っているのなら、もはや開き直ってすらいないのかも知れない。舞台がどうあれ、やることは一つ。魔法少女はひたすらに、アンヌを殺すだけ。

 ない、とは言えなかった。いきなり殴りかかって来たダブルセイバーに出会っている以上、実力行使の前にまず交渉から入る類の人間ばかりではないことは分かり切っているのだ。

魔法少女は、そんなに優しくない。

「……最初の質問だけど、俺は、多分我慢できないよ」

「そう。じゃあ人のいそうなところに行くのは止めましょう。でもねえ、この辺りで雨風をしのげるところなんて……」

 黒猫はぱたりと足を止めて、辺りを見渡した。自分の目線の高さでは瓦礫しか見えないと知ると、累の頭の上に登ってぐるりを見渡した。やはり、瓦礫しか見えなかったのだろう。はあ、と黒猫がため息を吐く。動作はいかにも落胆していて、けれど声だけが黒猫からは聞こえていない。

 ぺたん、と軽やかにコンクリートの地面に降りると、黒猫は苛立たしげにぺしぺしと足元を叩き始めた。何やら拗ねているようにも見えて、黒猫の身体でそれをやると妙に可愛く、その上気怠いので変に色っぽかった。

「あなたはね、その身体だから野晒しでも平気でしょうけど」

「猫だって、普通は外で寝起きする生き物だろう」

「か弱いのよ」

「俺が抱いて寝るとか?」

「暑苦しいのはイヤだわ」

 わがままである。大体、昨晩は野晒しであったわけだが、累がその事実を突くと『何日も続くのがイヤなの』と恨めしそうに睨み返す黒猫だった。本音は、魔法によってぺしゃんこになった範囲の外まで行ってまともな建物の陰に寄りたいところなだろう。そうした気持ちをぐっと堪えて、黒猫は累の気持ちに寄り添ったというわけだ。

 いじらしいではないか。

 しかし、そんなに親切な性分だろうか、この黒猫は。

「心外だわ。命を助けてあげた。必要な説明もしている。何を疑う必要があるの?」

 問われれば何もないと答えるしかなくて、累は眉をひそめるに留まった。

 命を助けられた。必要な説明も受けている。その二つに間違いはない。なぜそうまで入れ込んでくれるのか、一体何をどこまで知っているのか、そもそも彼女は何者なのか、“必要な説明の全てを受けられているのか”、黒猫の思惑こそ知らない累だったが、それは黒猫のせいではない。黒猫が自ら話していないのは違いないにせよ、累がわざと、黒猫に質問していないだけの話だった。

 そんなことまで聞かずとも、累は黒猫を頼るに足る人(猫?)物だと確信している。ただ、平時の人を喰った言動、やる気のなさから滲み出る胡散臭さ、繰り出す言葉の適当振りを鑑みるに、頼るのは良いが信じるには勇気がいる、というのが累の素直な印象だった。

「まあ、嫌われていないのならそれでいいわ。わたしの言うことには従う、そういうことでしょう?」

 自身の嫌われそうな原因については否定も肯定もせず、自覚があるのかないのかにも触れず、黒猫は目の前の敷地を示した。

 早速、命令を下すために。

「穴を掘りなさい。前柄累」

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