魔王の息子だけど、トイレに思い入れはない

「巫山戯んじゃねぇええ!!」




城中に響きかねない怒鳴り声が、僕の耳にも否応なしに届いた。



「あー……」


「……この声は……三男の、便所魔族様ですね」


従者が遠い目をして呟いた。

……そんなことを言ったら怒られる、いや、多分照れると思う。


三兄様は一日の大半をトイレで過ごす、筋金入りの変人だ。寝るときもトイレ、食事も着替えも全てトイレで行うらしい。


最早、トイレと言う名の自室である。


そして、魔王城にトイレは全部で三つしかないのだが、そのうちの一つはいつも三兄様に占領されている。(朝とか本気で困る)


三つあるトイレはそれぞれ、洋式と和式、それから魔界式が一つずつ設置してある。

因みに、男も女も全員共通だ。


僕としては、魔界式は命懸けのトイレだからあんまり入りたくない。


トイレに入ったらまず、頭上に棍棒が振り下ろされる。

それを避けようとその場から飛び退けば、両隣からヒュドラの猛毒が塗られた槍が発射される仕組みだ。

トイレなのに全く安心出来ない。


しかも凶悪なことに、仕掛けは日替わりで変化するのだ。


この前、トイレをした後に水を流したら、その水が止まらなくなった。


その時は魔界式なのに、何故かトイレに入っても仕掛けが発動せず(ラッキーなこともあるもんだなぁ……)と感動していた時だった。


魔界式に慈悲など無かった。


あっという間に便座を超え、床に侵食してくる水に血の気が引いた。

流した後の水とはいえ、幾らなんでも悪趣味すぎる。


ドアはいつの間にか開かなくなっており、魔界式のトイレは、その密閉された空間故に水深が上がり続けていた。


途中で我に返り、ドアを蹴破ることで何とか九死に一生を得たが、僕としては最近で地味に怖かった出来事だ。


もう二度と魔界式には入らないと誓った。


……兄様姉様には人気みたいだけど。



第一、トイレが三つしか存在しないこと自体おかしいと思う。だって、兄妹だけでも軽く十三名いるのだ。

それに加えて父様や、従えている魔族などを数えたら、総勢五十を超える。


なのに三つ。


そのうちの一つを常に三兄様に占領されるということが、どれほど他の兄姉にとって一大事か。

過去何度も兄様姉様が抗議に行ったのだが、見事に全滅した。

既に僕は抗議することを諦めた。


「便所様のところは後にしますか? 荒れてるようですし……」


私行きたくないです……行くなら坊ちゃまだけでどうぞ、と大欠伸をしながら、従者が僕にそう言った。

……従者はそう言ったが、どうやらどの選択肢も選べなさそうである。


僕は従者の向こう側から、全速力で駆けてくる三兄様を避ける為、無言で壁側に寄った。


「……あれ、 坊ちゃま?」


欠伸を終えた従者が、首を傾げて僕を見る。


何故壁に? という言葉が従者の口から吐き出されることはなかった。



僕らは連行されたのだ。



***


帰って来た時にはお帰りって顔を出してくれて、

寒い時にも優しく暖めてくれて、体も洗ってくれる。


そう、正にーー


「ーー俺の万能嫁!」


三兄様にトイレに連れてこられた僕達は、何故か三兄様のトイレ語りに付き合わされていた。

どうしてこうなった。


「……部分的にしか洗ってもらえませんけどね」


従者が死んだトロールみたいな目をして呟いた。

そしてこっそり僕に、(坊ちゃま、やっぱりこの便器野郎イカレてますよ)と耳打ちする。

とうとう従者が様呼びすらしなくなった。


「うるせぇ! 黙って聞きやがれ!」


従者が元々怒りゲージの高かった三兄様が放った右ストレートで、従者がぶん殴られてる。

鮮やかに放物線を描いて、従者が壁にぶつかった。

ごろごろ転げ回って、痛そうにしている。


……また余計なことを。


タダでさえ、従者は過去に色々やらかしたせいで殴られやすいというのに。



僕は無言で首を横に振った。


やれやれである。



***


「それで三兄様。どうして僕らをここに?」


このままではずっと嫁自慢が延々と続いて拉致があかなさそうなので、僕は話の流れをぶった切った。正直、早く判子が欲しいのだ。

そして一刻も早く人間界に行きたい。僕は切実だった。


従者はいつの間に復活したのか、背中を痛そうにしながら半歩後ろにいた。従者も大概打たれ強い。


従者を右ストレートでぶっ飛ばした三兄様は凶悪な顔で嗤った。如何にも魔族らしい笑顔である。……いつ見ても怖いのは僕だけなのかな。


「……いい質問だな。俺の嫁に変なものを食わした奴がいる」


最早三兄様がトイレに擬人法を使うことにツッコミを入れるものはいない。

恐らくトイレに異物を流した魔族がいるんだろう。どうしてだかこういう事が偶にあるのだ。

従者がこれから言われることを察したのか嫌そうな顔をした。


「………俺がゴブリンの巣潰しにしてやってもいいが、些かそれは面倒だ。だからテメェら力を貸せ」



***



「待ちやがれ! 逃げんじゃねェ!!」


僕らは三兄様と共に六兄様を追いかけていた。変態仮面、再びである。


突然怒り心頭の三兄様に追いかけられたものだから、メンタルの弱い六兄様が悲鳴をあげて逃げ出したのだ。


それが悪かった。


三兄様に『逃げる=罪悪感がある=犯人』と思われてしまったのだ。案外本当に犯人かも知れないけど。


あの時とは逆の立場で僕は六兄様を追いかけている。


やっぱり逃げるより追いかけるほうが性にあっている。


僕はフォークを六兄様目掛けて投げ飛ばした。


「ちょ!? 危ないよ!」


六兄様は屈むことでそれを間一髪で避ける。鞭がないからかやる気がいまいち出ないようだが、それでも中々の身体能力である。ぽろりしそうな服装じゃなければ、感心するレベルだ。


そして、避けたことで体勢の崩れた六兄様に、トイレの三兄様が「スッポン」を投げる。

生き物の方ではなく、トイレが詰まった時に便利なアレだ。

黒いそれが高速で六兄様の方に吸い込まれていく。


そして確認のため後ろに振り返った六兄様の顔面にすっぽりと嵌った。


そう、スッポンだけに。


視界不明瞭になった六兄様がその場ですっ転んだのは、仕方ないことと言えよう。



***


「だから本当に違うんだって!」


捕まった六兄様は、三兄様にトイレの個室の中で取り調べを受けていた。

僕たちは暫く外で待機だ。


早く取り調べが終わって、判子が貰えたらいいな。


「ああ? なら何で逃げた? 吐け」


ドスの聞いた声が扉一枚隔てた先から聞こえるというのもなかなか怖い。六兄様なんか、もっと怖いだろう……。


怒りの原因はただのトイレ詰まりだというのが、中々締まらないところではあるが。


痺れを切らしたらしい三兄様が、何やら暴れているような音が聞こえる。それと、六兄様の悲鳴も。


「いだだだだっ! 背中の皮が擦り下ろされるッ! 」


「そんな防御力の低そうな服装をしてるからだろうが!」


「これはファッションなんだよ! 痛いよ! タワシ本当に痛いってば!」


多分中で、三兄様と六兄様が殴り合いしてる気がする。

骨の折れる音と、トイレのドアの下から一筋血が流れてきた。バイオレンスだ。



「……坊ちゃま」


ふと、従者が僕を呼んだ。

従者の目線が虚空を見ている。どうしたんだろう。


「どうかした?」


……もしかして、血で気分が悪くなったとか?

いや、そんな訳ないか。


「物凄く今更なのですが……」


従者がそこで一旦息を吸った。

そして、かつて無いほど真剣な目で言った。



「恐らく、詰まらせたのは……私です」


……え?


「『まものっち』っていう育成ゲームを今朝トイレに落としたんですよねー……」


折角交尾までこぎ着けたのに、と悔しがる従者を、僕は無言で三兄様と六兄様がいるトイレにぶち込んだ。

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