毒の沼に咲くフクシア

"ご主人"

「失礼しますー」

　ソルがノックをしながら入ったその部屋の壁一面にはずらりと棚が敷き詰められ、その中には隙間なく本が並んでいる。そして重みのありそうなテーブルにも積みあがる本の山。

　そしてその本に隠れそうになりながらも年季の入った椅子に座る、男。

「最近調子はどうだ、ソル」

「ええ、いつも通り、すこぶる良いですよ、ご主人。……けど、あのー、私って3人の中で1番経験あるじゃないですかー。一応1番の先輩ですし。なのに最近ティエラばっかり呼ばれてて。ティエラ、気に入られてるんですかねー……半月くらいフクシア様の顔すら見てないんですよ。たまには私もフクシア様の顔、見たいです」

　あまり年の取っていなさそうな、しかし落ち着いた雰囲気を身に纏わせる男はぺら、と手に持った本のページをめくりながら、目を合わせる事はない。

「ふむ、そうか。では最近のフクシアについてはあまり知らないという事かい」

「んー、少なくとも私に訊いても何も出ませんよ。訊くなら後の2人に訊いてくださいな」

「そうか……分かった、これからも頑張ってくれ」

　ソルは部屋を出て行った。

「失礼します」

　しばらくすると、今度はアグワがノックをして部屋に入ってきた。この部屋に侍従達は月に1度しか入る事がない。

「最近調子はどうだ、アグワ」

　ぺら、と今度はファイルをめくる男。

「ええ、特に変わりないです」

「ティエラはどうだ？」

「真面目で素直です。だからこそ、フクシア様に気に入られている気もしますし、だからこそ、嫌な予感もします」

「嫌な予感？」

「はい、あれだけフクシア様と接する時間が増えていると……フクシア様がいつ機嫌を悪くするかも分かりませんし、もし"前のティエラ"のように……」

「そういう事か。大丈夫だ、そうならないように私も気を付けている。アグワが気にする必要はない」

　男は柔らかく言葉を返した。

「ありがとうございます」

　アグワはお辞儀をして部屋を出て行った。

「失礼、します」

　最後にティエラがノックをして部屋に入った。

「ここでの生活には慣れたかい、ティエラ」

　重みのあるテーブルに出来た本の山。その奥にある年季の入った椅子に座る、男。

「は、はい、ご主人様……」

　ティエラは緊張して声を震わせながら小さく返事をした。

「そうか。アグワやソルはどうだ。優しいかい」

「は、はい。色々な事を1から丁寧に、教えてくださいます」

「それは良かった」

　ぺら、と男はファイルのページをめくり続ける。

「フクシアはどうだい」

　ティエラは一瞬視線を外し、考えたのちに答えた。

「フクシア様は……自由に行動されている、ように思えます。しかしそれでもなお、ストレスも抱えているような気がします。飛び抜けている、からこそ、周囲とのズレを感じている、ような……。で、でも私は侍従として、フクシア様に、尽くしていきたい、です」

「そうか……」

　男は最後まで見終えたファイルを閉じ、ティエラに目を向けて答えた。

「ティエラがそう思っているのなら私としても嬉しい。フクシアが迷惑をかける事もあるかもしれないが、どうか大事に扱い、これからも報告してくれ。フクシアは大事な私の娘だからな」

「はい。分かり、ました……」

　ティエラは最後にもう一度丁寧にお辞儀をして部屋を出て行った。

　侍従との会話を終えた男は息を吐きながらファイルを本の上に置き、別の本の山から別の本を手に取った。テーブルの上にある本に埃は全く積もっていない。

　突然、部屋に響いた電話の着信音。男は胸ポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押す。

「もしもし……ああ、今月の……。えっ、いない？ あとどれくらい……半月？ ああ、そりゃあ困るさ……」

　男は小さく唸りながら続ける。

「……やけに連絡が遅いと思ったんだよ。全く、こちらも人員がぎりぎりなのを分かってくれよ。フクシアはペットじゃないんだ」

　男は、ゆっくりと頭を上げた。

「"待て"と言っても、"待てない"んだよ」