第8話 練習試合

「グフフフフ……」


 恐る恐る顔を上げると、相模さがみはまだ笑っていた。全然痛そうじゃない。むしろ――眼窩が深すぎてフランケンシュタイン(の怪物)めいた顔がガキみたいに見えるほど無邪気な笑顔だ。

 今回ばかりはいくらなんでもさすがに素直に謝ろうと思った八王子はちおうじだが、完全にタイミングを逃した。


「ニヤニヤしてんじゃねー」

「いやいや、面白かったら笑うよ」


 返す言葉も失った。

 ぼんやりしていると、下がりかけた木刀の切っ先を竹刀で弾かれた。相模は続けるつもりらしい。

 そんなわけで八王子と相模は、ゴンゴンパシパシと異様な音を響かせながら練習を終えた。


「じゃあ、二人は日曜日、よろしく頼むぞ!」


 黙想を終えたあと三年生にそう言われ、本日の部活は終了。

 借りた防具を担いで体育館を出る。そういえば、と奥でやっていたバドミントン部を振り返ると、まだネットの片づけをしていた。和泉いずみはそれも見学している。

 ちょっとふざけたが、面や小手が何回かきれいに入ったところを見ていてくれただろうか。せめてひとことは言葉を交わして、名前くらいは覚えておいてもらいたいと思う。そのタイミングはいつがいいだろう。

 つらつら考えていると、同じく防具袋を担いだ相模がノッソリと出てきた。相変わらずゾンビ感がパない。いつもの猫背に戻っていて、面タオルで重力に逆らう癖がついてしまった前髪を下ろしたいのか、つまんで引っ張っている。


「なー、何年やってんの?」

「……九年」


(テンション低っ)


 なんとなく声を掛けてみたが、さっきとは大違いに生気のない声で返され、無言で頷くだけで終わった。

 それで会話終了と判断した相模が先に行ってしまったので、八王子はもう少しその場にとどまることにした。


 しかし程なく。和泉に声を掛けるフラグが立ち上がりつつある状況で、またしても脳内の〝冷静な八王子〟が急ブレーキを踏んだ。

 いや今日はヤバいだろ、マジで。やり直しの利かないファーストコンタクトを、よりによって自分が一番臭い状態で行なう意味がわからない。


(だよな。今日じゃねーよ)


 八王子は名残惜しくも和泉から視線を引きはがし、教室へ先行しているであろう相模に追いついてしまわないよう気をつけながら、早足で歩き始めた。




 そして迎えた日曜日、練習試合当日。とにかく勝つことだけを目的とした布陣が敷かれた。

 正部員の三人が先鋒、次鋒、中堅を務め、先に三勝を確実にもぎ取る。助っ人の八王子と相模を副将と大将に持ってきて、この二戦は捨て試合とする。

 勝っても負けてもあまり芳しくない評判が立ちそうだが、三年生にとってはもう後がないそうだ。聞けば、メンバーの少なさゆえに試合をセッティングできるのがせいぜい年三回。それでもって三年間で白星なしだという。なりふり構わないのは、卒業までにせめて一勝はしたいという理由だった。


 面白くないのは、当事者の八王子も同じだ。

 確かに、部活ではあまり目立った活躍はできなかった。彼が得意とするのは、天性のスピードと跳躍力を活かせる球技が主で、武道は少々ベクトル違いだと言える。

 だからと言って、エース助っター様を捨て駒に使うとは何様のつもりだと怒り心頭なのだ。


(それも、ゾンビ野郎とセットにしやがって絶対許さねー)


 そうまでしてなりふり構わず始まった試合だが、いざ始まってみれば、先鋒の二年生が一勝できたのみ。次鋒、中堅は完敗を喫し、勝利の責任は非正部員の二人に託されることに。


「うう……必勝の布陣が……」


 一本も取れずに戻ってきた中堅の三年生が、面をつけたまま首をうなだれた。

 駆け寄った二年生二人がその両脇を支えるようにして、一人が低く言う。


「負けちゃったら、きっと来年から同好会に降格ですね……」


 小手をつけて立ち上がったときにそんなことを言うのを聞いたものだから、八王子は思わず動きを止めて後ろを振り返ってしまった。想像以上に責任重大ではないか。

 生殺与奪の権利が自分にある状況では、情が湧いて生かしてやりたくなる質なのだ、八王子という男は。


「聞いたか? コレは勝たせてやりてーよなー」

「んー」


 横でぼんやりしている相模に水を向けたが、反応がめっちゃ薄い。曲がりなりにも仲間たちの危機に、なんて薄情なヤツだと思わざるを得ない。

 八王子は相模を、根本的に闘争心を持たない人間なのだと見抜いた。テストでも球技大会でもいる、「勝っても負けても知ったこっちゃない」というスタンスで臨む輩だ。一段と相模のことが嫌いになる。


(つーか、面つけてねーと最強につまんねーヤツだな)


 竹刀と木刀でドツキ合ったときに感じたテンションの高まりが、嘘のようだった。

 ――と、八王子は審判に呼ばれて前へと進み出て、竹刀を構えた。もう後がない先輩たちのために、せめて一勝をもぎ取ろうと決意しながら蹲踞する。


「始め!」

「せやぁぁあ!」

「キェッ!」


 なるほど、相手は奇声タイプだ。超音波じみた甲高い声を上げつつ、じりじりと時計回りに間合いを詰めてくる。

 幸い、八王子は動体視力にも自信があった。確実を期すために、カウンターのチャンスを待つ。いわゆる町道場の爺さん戦法。この際、青少年らしくなかろうが構っていられない。


「め――」

「小ッ手ェェエ!」


 ツッコミと同じだ。相手にみなまで言わせず、食い気味に飛び込んでいけば――


「一本!」


 というわけだ。

 構え位置に戻りながら仲間のほうへ目をやれば、先輩三人はハイタッチし合って喜んでいた。

 少し離れたところで、相模は腕を組み、深く頷いている。


(何様だよ!)


 勝ったのに、なぜかイライラした気分で迎えた二本目の勝負。

 出小手を取られた相手は用心深くなり、打ち込んではこない。例のキンキン声も出なくなっている。

 これは萎縮しているのだろう、八王子はそう踏んだ。だとすれば、軽いジャブで緊張をほぐしてやらねばなるまい。


「っしゃ、小手ェ!」残身から素早く振り向いて、続けざまに。「めぇえん!」


 もちろん、どちらも有効ではない。これは言うなれば、ウケる前のフリだ。

 さらに面で正面からいって、鍔迫り合い。相模とやったときとはのハードヒットとは比べものにならない、ソフトな押し合いをする。


「せりゃあ!」


 引き面。しかし無効。懸かり稽古のように、もう一度面からの鍔迫り合いへ。

 押し合う小手の感触に、八王子は内心でほくそ笑んだ。さっきより力が強い。相手は引き面を狙っている。それなら話は早い。


「め――」

「どぅおおお!」


 残身する前に旗が上がった。


「一本!」


(そうだろーよ)


 二年生と三年生は、女の子みたいに飛び上がって喜んでいた。

 コレコレ、コレだ。八王子が部活の助っ人をしていて良かったと思えるのは、この瞬間だ。たぶん、大人になったらそんな機会は滅多に訪れないだろうから、今のうちに思う存分味わっておきたい。

 みんなに合流すると、興奮した様子でバシバシとたたかれ、照れる。和泉いずみが見ていてくれたらなー、なんて思う。だってあの勝ち方、最高にカッコ良かったじゃないか。


 しかし、八王子の所属する剣道部には、せっかくのテンションを落としてくださる存在がいた。

 その相模は面をつけ、背筋を伸ばして立っていた。

 まただ。ゾンビという身元の明らかなモンスターから、非アンデッドの得体の知れない怪物に変化したような違和感がある。


「オマエ、マジでやれよ」

「うーん……まだ少し、たりないな」

「なにがだよ」

「高揚感、かな」


 知るかよ、と思うが、大将戦――つまり部活の存続がかかる試合だと思うと、ちょっとスルーしづらい。


「じゃー、手伝ってやる。どーすりゃテンション上がるんだ?」

「話がわかるね。木刀持ってる? あ、ない。それなら竹刀でいいから、この辺りを」と相模、袴の上から膝の少し上辺りを示す。「強打してもらえるか」


 面で表情が見えづらいが、絶対、気色悪いニヤニヤ笑いを浮かべているに違いないので、反射的に声を荒げた。


「もらえるわけねーだろバカ! ソコ、超痛いトコじゃねーか」

「うん。痛いくらいじゃないと、アドレナリン出ないから」


 何だか知らないが、言っていることが本当に気持ち悪い。八王子が三白眼でドン引いていると、相模の名前が呼ばれてしまった。

 仕方がないから出小手の要領で手首のスナップを利かせ、竹刀の先端付近で膝を、お望みどおり渾身の力で強打してやった。


「よしきた!」


 相模はたいそううれしそうな声でそう言うと、試合場へ悠然と進み出て行った。痛そうな様子は……八王子が見る限り確認できない。


 そして結論から言うと、我らがヒバ高はなんと、三年以上ぶりの白星を収めることに成功した。

 宣言どおりテンションを上げた相模は、練習のときは一度も見せなかった上段に竹刀を構え、様子見をしようとした相手にいきなりの面を一発。そして、二本目開始のかけ声とともに踏み込んで竹刀を振り下ろした。

 相手は擦り上げて反撃に出ようとしたが、相模の力がバカみたいに強かったせいか、切っ先の軌道は少しも変わらず面へクリーンヒット。実にあっけない試合だった。

 要するに、相模は強すぎた。


 抱き合って喜び合う先輩たちを見ながら八王子が思い出したのは、先日体育の授業で行なったミニバスケの様子だった。

 そのときの相模といったら、動きは遅い、反応は鈍い、状況は把握できないと三拍子そろって、完全なる木偶の坊だった。それらがすべて、本人が言うようにかぶり物――面がなかったせいだとすれば、なんて残念な男だろうと思わずにはいられない。

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