第7話 剣道

 喉元を押さえられて、息がしにくいような感覚。それに伴い、忍び足で這い上がってくるような、微かな吐き気。


相模さがみが、なんか変わった……のか?)


 面をつけたとたん、猫背の地味男は豹変した。

 といっても、ただ背筋を伸ばしただけなのだが、威圧感がすごい。素直にデカいと思わされる。たまたまタイミング的なものなのか、バドミントン部と洋舞部も静まり返って剣道部を見つめているような気がした。

 剣道部正部員の三人もこの空気に気圧されたのか、若干相模と距離を置いて立っている。


(いや、オレはそんなダッセーことしねー)


 だから八王子はちおうじは、あえて相模の真横に立った。

 オレ、ビビってませんからアピールだ。

 同じ体育館に和泉いずみがいる。ここで無様な姿は見せられない。絶対に。


「そ――れじゃあまず、お手伝いで参加してくれる二人の実力を見せてもらおうか?」


 部長が遠慮がちに言うと、二年生二人がすごい勢いで頷いた。そして、素早く黄色のビニールテープで即席の試合場を作成した。手慣れたものだ。

 八王子と相模は左手に竹刀をぶら下げたまま顔も合わせず、その縁に向き合うようにして立った。


「三本勝負、始め!」


 二人は同時に足を踏み出し、進み出た。竹刀を両手に持ち直しつつ蹲踞。

 面の中で相模の野郎がどんなツラをしてやがるのか、気になる。面金が邪魔で表情が見えないのが、不気味さをさらに煽った。首の後ろがチリチリする。


 これまで、部活で実力を見せる場面で失敗したことはない。必ずぶっちぎりでゴールしたし、期待される場面でシュートしたし、決めなきゃいけないところでタッチダウンした。

 しかし、今回に限ってはどういうわけか……。

 八王子の中に、「やべーコレ負けんじゃねーか?」という考えが一瞬浮かんだが、無視しつつ立ち上がって――。


「しゃぁああ!」

「らぁぁああ!」


(超デケー声出るじゃねーか! 面をつけると人が変わるタイプかよ。ハンドル握ると豹変するフランス人かテメーは)


 などと心の中でツッコミつつ間合いを取る。本当のところ、ビクッとなった。

 さすがに、いきなり面を打たせてくれる隙はない。ならばと小手を狙いに左へ素早く回り込むが、相模は腹が立つほど落ち着いて応じてきた。

 道場に必ず一人はいる、八十歳オーバーなくせにむやみやたらと強い爺さんが思い出される。


(待ちとかセコいことしてんじゃねーぞ)


 ないのなら、隙を作るまで。八王子は鍔迫り合いからの引き面を目論んだ。


「……っしゃ」


 面を打ちにいく体で竹刀をぶつけ、そのまま押し合う……つもりだったのだが、


「おらぁ!」


 とんでもない圧の掛け声がしたかと思うと、ものの見事に放物線を描きつつ後ろに吹っ飛ばされ、そのまま背中から床に着地した。

 人間て本気で驚くと「きょとん」とするんだなー、なんて考えてしまうのは、頭の回転数が無駄に上がっている証拠だ。実際には〇、五秒も経っていない。


 顔を上げれば、紺の胴着に身を包んだ巨漢に見下ろされていた。

 距離が縮まっても表情は判然としないが、軽く首を傾げているのはわかった。人を二メートルも飛ばしておきながら心配しているつもりだろうか。


(だったら、ナメんな)


 さすがに一挙動とはいかない。しかし、立ち上がって竹刀を振りかぶるまでをワンアクションでやってのけ、すぐさまえらい高い位置にある面に竹刀をたたき込み、残身して振り返った。


「めぇえん!」

「一本!」


「当たり前だろー」今頃構えを合わせようとしてくる相模に、左手だけを伸ばして竹刀を突きつける。「鍔迫り合いでコカしたって場外になんなきゃ試合続行だろーが。なに勝った気になってんだ雑魚」


 ギリギリ体面を保ったところで八王子は煽ったつもりだったが、なぜか相模にはウケたようだ。

 異様な雰囲気を醸し出していた大男は構えを解いて両手を腰に当て、うつむき気味に肩を揺らしている。

 八王子は面白くない。当たり前だ。吹っ飛ばされてすっ転んだところを和泉に見られていたら、どうしてくれる。


「はいはい、構えて――始め!」


 笑いを収めて構えた相模が、三年生の合図とともに間合い内へ無遠慮に入ってきた。

 それがあまりにもナチュラルすぎて、八王子は小手に行くのを忘れた。ペースを乱されたことに舌打ちしながら一歩退いて間合いを取り、直後に再度舌打ち。


(あー、クソ。退いたとこ和泉に見らたかもしれねーじゃんかよ)


 そう思いつつ竹刀を振り上げる直前、癖で一瞬切っ先を下げた――のだと思う。


「でぇい!」


 ずどん。

 とてもとても良い音がした。


「一本!」


 すがすがしいほどの面をもらった。すごい音がした割には全然痛くない。よほどきれいに入ったんだろう。


 それからはなんだか変なテンションになって、八王子が引き面で一本取り、勝負がついたあとも試合を続行した。

 相模は蹲踞していたが、八王子が構えて面金をパシパシたたくと、また立ち上がって乗ってきたからだ。


 正部員たちはあきらめて、自分たちだけで練習を始めた。

 八王子や相模とは対照的に、剣道特有の甲高い気合いが体育館に響きわたる。踏み込みの低い音と、竹刀の乾いた音も。

 それらに加えて、女子バドミントン部の掛け声と、洋舞部が流す「ロック ユー」が入り交じる。放課後の体育館は、カオスだ。


 八王子と相模はまるで懸かり稽古でもするように、打ってはすれ違い、鍔迫っては引きを繰り返しながらリズミカルに打ち合った。会話はなかったが、なんとなく途切れさせたほうが負けのような空気ができあがっていた。

 八王子は、やっぱり剣道のフル装備で漫才をするのが一番いい気がしてきた。人が人を全力でブン殴るとき、何らかの条件が重なると笑いを誘う場合がある。それを可能にする要素として挙げられる一つが、防具の存在だ。

 だったら、ボケもツッコミも剣道部という設定の漫才を作ればいいのではないか?

 そんなことを考えていると、相模が口を開いた。


「面白いからいっそ、木刀で来なよ」


 笑いを含んだ超低音でそう言われ、頭オカシイんじゃないかコイツはと八王子は思う。しかし、自分から言い出したからには、ナシにしてやる義理などない。

 待ってろよ――という意思表示に片手で竹刀を突きつけてから、壁際にある荷物スペースに走る。八王子は、昇段審査の練習にしか使わないはずの木刀を手に取った。竹刀とはまるで違う重量感と重心の違いを確かめながら、二、三度素振りして腕と足のタイミングを合わせる。


 走って戻って構えても、相模はノーリアクション。今さらやめてくださいと言い出しても、やめてやる気などさらさらなかったが。

 だから八王子は、当然のように木刀を振りかぶり、面を打ち込んだ。


「しゃらぁ!」


 ごん。


「ぶははははは!」


 野太い笑い声に、八王子が残身を途中でやめて振り返ると、相模が大きな体を「く」の字に折り曲げてバカウケしていた。

 八王子にしてみても結構面白かったので笑った。


「げははははは!」


 だが、脳内に存在する冷静な八王子は、気づいていた。

 十センチ以上も身長差があれば、普通に面を打つと竹刀――この場合は木刀が面金に当たる。すると、がちゃついた雑音がするのみで、良い音は出ない。良い手応えもない。

 ということは、だ。今の面がきれいに決まったのは、インパクトの瞬間に相模が頭を下げて、木刀が面に対して水平に入るように調整したからだと考えるべきだろう。

 つまり、みずからすすんで打たれにきている。


「なんなんだテメー、棒で殴られて喜んでんじゃねーよ気持ち悪い」

「よーし、かかって来い!」


 それからは、間違い探しのような剣道が続いた。

 何食わぬ顔で打ち合っているが、よく見ると片方は木刀……というボケでもある。経験者なら音がおかしいので気づくだろうが、ガンガン打たれている相模が痛そうなそぶりをまったく見せないせいか、誰もツッコまない。

 ボケ剣道は延々と続く。

 そんな折り、剣道でありがちなアレが起きた。胴をミスって相手の肘を打ってしまうという、アレだ。


(あ、ヤベ)


 打っておきながら、八王子は身をすくませる。

 アレは、竹刀でさえヤバい入り方をすれば超痛い。だって当たるのは肘だ。骨へのダイレクトアタック。木刀だったら冗談では済まない。

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