3.異変

#26:小さな影

 ずんぐりとした木こりの男アズハムは、部下の働き手二人と、武器を所持した監視人ラハンを連れて馬車に乗り、木漏れ日射す深い森の中を進んでいた。

 彼らがマテルの管轄外である森に入れるのは、アズハムが腰にぶら下げている琥珀の「お守り」のお陰だ。中に希少なマテルの種が入っているため、その周辺にいればルニの都にいるのと変わらない効果を与える。故に、首飾りは爆発せず、魔法を使うことも出来なくなる。

 それだけの効果を秘めているだけあって、お守りは人間の中でもクストスを束ねる地位の者にしか与えられなかった。

 ところで、遠目に見れば大体似通った特徴の機械樹には、無数の種類があった。ほとんどは色や樹皮の形状、枝の伸ばし方といった部分で見分けがつき、それぞれが機能の違う回路を内包している。回路が違えば用途も違うので、見分け方を知らなければ無駄な労力となる。

 双眼鏡でしっかりと樹皮を確かめて目標の樹を見つけたアズハムは、馬車を止めさせて板履きを履き、枯れ葉の上に降り立った。

「おい、おめーら、おらぁからぜってぇ離れんなや。離れりゃドカンだぁ」

 アズハムにしてみれば、クストスのおりは御免だった。種の効果範囲よりも、クストスが付けている首飾りの爆破範囲の方が広いからだ。

 それに、均衡の母は、この戒めの首飾りに対しても条件を授けていた。クストスの息の根が止まった場合も直ぐに爆破する仕掛けになっているのだ。

 クストスの若い働き手二人は、黙ってアズハムの言う通りにした。口答えをすれば鞭で叩かれるし、何より死にたくはない。

 二人でかかれば、もしかしたら人間を倒せるかもしれない。そんな考えも何度か過ったが、背中から武器を突きつけられた丸腰のクストスに何が出来ようか。

 待てばいつか必ず機会は訪れる。二人はそう信じて今日まで我慢して生きてきた。その決意と努力を無駄にするわけにはいかない。

「この樹だぁ。役所さ発注だ、急がにゃならんでなぁ。早速取りかかるべさ」

 クストスの二人は折り畳んだ大鋸を広げ、両端の柄をそれぞれが握った。

 樹を木材として伐り倒す場合は斧でもいいのだが、回路を使う際は断面を真っ直ぐに保つために鋸を使う。これを扱えるのは二人一組の鋸使いで、回路用の鋸職人として認められるには三年の月日を要する。

 二人は呼吸を合わせ、一定の調子で鋸を動かした。アズハムはそれを満足げに眺めながら、樹の周囲を歩き回った。

「んん?」

 アズハムは森の奥の一点に目を向けた。

 白い塊が見える。霧のようだ。

(はて。森に霧が出っと、何があったんだべか?)

 仕事とどうでもいいことは直ぐに忘れる性格のアズハムに、霧の重要性など頭に無かった。

「おぉい! 霧さ出てきたぁが、ありゃ何でだっけかぁ?」

 呑気に尋ねるアズハムに、クストスの二人ははっと顔を見合せ、鋸を木に取り残してじりじりと後退った。

「おっと。離れるなよ」

 ラハンは手に持った槍の柄で二人の背を止める。どうやら、この男も霧の噂を知らないらしい。

「殺される! みんな殺されちまうぞ!」

 クストスの一人が言った。

「何馬鹿なことを抜かしてやがる。仕事を続けなければ鞭が飛ぶぞ! ……アズハムさん! 霧なんて何もありゃしないですよ!」

「そぉれもそうだなや! 霧なんぞ、ただぁ湿気しけっただけさぁね! おめぇら、意外に肝っ玉小せぇんだなぁ」

 がはは、と口を開けて笑う人間二人に挟まれ、クストスの働き手達は成す術もなく。

「…………もう、諦めるんだ」

 一人が言った。

「あぁ。短い人生だったな」

 もう一人が続けた。

 あまりに消極的な態度を取る二人に、ラハンは呆れた顔で笑った。

「ったく、最近の若者は根性がねぇな! たかが霧じゃねぇか!」

 クストス達はもはや耳を傾けず、鋸を黙って動かすことに集中した。


 ぎり、ぎり、ぎり……。


 湿った木屑を飛ばしながら、大鋸を動かす音だけが森中にこだまする。

「それにしてもどうしたんだ、この霧。全く姿が見えんな」


 ぎり、ぎり、ぎり……。


 鋸は動いている。音が続く限り、何事も起きていないという証拠でもあった。

「……おい、アズハムさんよ。さっきから静かだが、そこにいるのか?」


 ぎり、ぎり、ぎり……。


 ――だが、こうも静かだと、いよいよラハンは不安になってきた。

 手にした剣を握り直し、ゆっくりと歩き、アズハムがいるであろう場所まで歩いていく。


 ぎり、ぎり、ぎり……。


 鋸を引く音は背後から。前方からは何も聞こえてこない。

 あのおしゃべりなアズハムが全く喋らないというのはおかしい。クストス達の位置から考えても、この辺りにいなければならないはずだが。

「アズハムさん! どこだ! 返事をしてくれ!」

 呼びかけた途端。

 目の前で何かを一気に吸い上げるような音が聞こえた――かと思うと、それはあっと言う間に森の奥へと遠ざかっていった。

 同時に、ラハンは見えない力で遥かへと弾き飛ばされて別の樹に身体を強打し、ずるずると落ちて枯れ葉に身を埋めた。爆音は二度鳴っていた。

 ラハンは激痛の余り、絞るような喚き声を上げた。何が起きたか考える間もない、一瞬の出来事だった。

 本来なら死んでいてもおかしくはない距離だったはずだ。彼を偶然守ったのは、後方にあった、伐り倒そうとしていた機械樹だった。

 爆発で大きく抉られたのだろう、樹はメリメリとけたたましい破裂音を立てて後方へ倒れた。伐採の必要はもはや無くなった。

 ラハンは身体を折り曲げたまま、枯れ葉の中で痛みを堪えるので必死だった。

 手足やあばらが複雑に骨折している。とても動けるような状態ではない。

 整息に集中していると、ようやく、ラハンの思考が追いついてくる。

(後ろから…………首飾りの……爆発だと……!? ってことは……)

 爆発は伐採していた木を抉ったから、クストスの二人が動いたわけではない。つまり、アズハムが遠くへ離れたのだ。爆発を逃れるほど、一瞬にして。

 流れる霧は周囲の樹達をも隠してしまった。ラハンはどうにかしてこの場を離れなければと思った。

 ――その時である。

「な、なんだ……?」

 ふいに、バリバリ、と枯れ葉をまとめて踏み潰す音がした。

 音はゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。

 ラハンはいよいよ恐怖に震えた。震えることしか出来なかった。

「ひいいっ……!」

 白い霧の中に浮かび上がる、黒くて巨大な影。

 縦に長い身体である、ということだけはかろうじて理解できた。しかし、人のような形状ではない。長い身体から折れ曲がった太い足がいくつも八方に伸びていて、それぞれが意思を持っているかのように蠢いている。ラハンの頭では、到底連想出来そうにない形だ。

 巨大な影は立ち止まり、身体を捻った。……ラハンには、そう見えた。

「あ……あ……!」

 長い腕のようなものが伸びてくる。

 ラハンが動けないと知っているのか、実にゆっくりとした動作だった。

 ――ああ、自分のはらわたが……吸い取られている……。

 不思議と、ラハンは冷静にぼんやりと考え、宙を仰いだ。

(あれは……なんだ……?)

 完全に意識が途絶える前に、ラハンは目撃した。

 白い霧の中で、人と思しき小さな影が、化物の前を走り抜けて行くのを。


 ――直後、黒い闇があっと言う間に全てを覆い隠した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る