#18:出口

 竹梯子に掴まりながら丸い天井を押し込むと、真っ白な光が一気に注ぎ込んできた。

 後方にいるクロンは咄嗟に目を背けて、階下へと視線を移した。

 一心不乱になって上ってきた功績は思った以上の高さだ。それでも、あの吊り橋の恐怖に比べれば、底が見える分ずっとマシだとクロンは思った。

 外は建物の影にある狭い路地裏で、ガラクタや工具が乱雑に棄てられている廃棄場のようだった。振り返ると、いつの間にか道が塞がれている。軽く足で退けてみても、そこに穴なんてものは無かった。

 不思議に思いながら、クロンは路地の先まで歩いていき、辺りを観察した。太い機械樹の根が縦横無尽に張り巡らされている。クロンの腰回りはある太さだ。中からはズルズルと液状の何かを吸い上げる音が聞こえてくる。

 根は近くの四角い建物の中へと続いていた。見慣れた木造ではなく、古びた鉱石を板状にし、繋ぎ合わせたような壁だ。

「工場……?」

 その存在が、何処にいるのかを報せてくれた。

 見上げれば、空には網目状の枝が張り巡らされ、枝の隙間からは清々しいほど青い空も見える。

 枝を目で辿っていくと、集約する場所に森のどの木よりも巨大な機械樹があった。

「マテル……」

 ルニにいた頃の記憶はほとんど忘れてしまったクロンだったが、マテルの姿だけは目に焼きついていた。

 つまりここは、十年ぶりに訪れたルニの都なのだ。

「二度と来ないと思ってた」クロンは目を細めた。「でも、今はここにいる。来てしまったんだ」

 ミュカは不思議そうにクロンの顔を見上げた。

「来たくなかった?」

「……どうだろうな。森での暮らしは好きだったけど、都以上に危険が多かったから、来たくなかったと言えば嘘になるよ。

 けど、ここは家族を失った場所でもあるんだ。ぼくは、そのことにずっと怯えていたし、忘れないって誓ったのに、いつの間にか目を背けてしまってた……」

 傍にシラがいるから、リーエがいるから――だから、辛いことなんてわざわざ思い出す必要など無いんじゃないか。今さえ幸せなら、過去なんて思い出さなくたっていい。

 クロンはいつの間にか、そうやって心の奥に十年前の惨劇をしまいこんでいた。

「でももう、ここにいるよ」

 ミュカはクロンの袖を摘んで言った。

「クロンは今日からここの住人になる。そうなんでしょ?」

「…………驚いた。何も言ってないのに、キミには分かるんだね」

 ミュカは俯いた。どこか哀しげな顔だ。

「森から、いろんなクストスが毎日やって来てるから。森が危ないからって……結局また、この都に戻ってきているの」

 昨日の役人たちの来訪のことだろう、とクロンは思った。

「それは、どれくらい?」

「分からないけど、地上側はもうすぐ住む所が無くなっちゃうんじゃないかな。クロンも急いだ方がいい」

「でも、リーエ……友達を先に見つけなくちゃ」

 ミュカはクロンの袖を引き、強く首を振って否定した。

「だめ。住むところが先。そのためにまず、仕事を貰わないと」

「仕事?」

「ルニの都に住むなら、必ず仕事を貰う。鉱夫、縫い子、革工房、琥珀工房、配管業……中には酷い仕事もあるけど、仕事をしないと不法侵入罪になるし、ルニから追い出される」

 すると、もしかしたらリーエも既に仕事を貰ってここにいるのかもしれない――とクロンは考えた。

 都に入った者はそうそう出られるものでもないし、だとしたら、リーエを探すのも難しい話ではないんじゃないか。

「クロン。夜に身を隠す場所を持たない方が危険。森に住んでいたなら、分かるでしょ?」

「それは……そうだけど」

「よく聞いて。あなたが知っている森の規律は、ここに居ても変わらないんだよ。

 つまり、人は夜明けに起きて、日が沈んだら家に帰らなくちゃいけないってこと。

 マテルが街を覆う壁を建てていても、それは、もしかしたら見せかけかもしれない。……そこの抜け穴と同じように」

 クロンはごくりと生唾を飲み込んだ。

「だから、急いで、クロン。ここは南東の工業地帯。北にある運河の渡し舟に乗れば、直ぐに北東の役所に着ける」

「ありがとう。でも、キミは?」

「お仕事。だから、ここで別れなくちゃ」

 ミュカはそう言うが早いか、クロンに背を向けて走り出した。

「ねえ、ミュカ! また会えるかな!?」

 クロンはその小さな背に呼びかける。ミュカは軽く振り返った。

「会える。ルニにいる限り」

 それだけ答えると、彼女は薄紅色の髪を揺らしながら、あっと言う間に立ち去ってしまった。

 取り残されたクロンは、少しばかり頬を緩ませた。

「なんだ、アイツ……」

 クロンは腰の剣に軽く手を触れてから、ミュカを追うようにして走り出した。

(ちゃんと笑えるじゃないか――)

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