#15:握手

 少女の足は思ったより速く、彼女よりも少し背丈の高いクロンでも軽い駆け足でなければ追いつけないほどだった。きっと、普段から起伏の激しい道を歩いているのだろう。

 少女は崖内壁の建物のすき間を縫うように進んで行った。階段は上ったかと思えばまた下りていき、曲がりくねった道はもはや何処を歩いているのか分からない。地上に出るはずなのに、何故ここを通っていくのだろうか。

「ねえ、待ってよ!」

 クロンの呼びかけに、少女は素直に足を止めて振り返った。

 クロンは切らした息を整えつつ、誰が住んでいるかも分からない建物の縁の段差に腰掛けた。

「急いでたんじゃないの?」

「その……、まだ、ちゃんと礼を言ってないし、名乗ってもいなかったから」

 少女は、さも当たり前とばかりに真顔で頷き、クロンの傍にちょこんと座った。

「助けてくれてありがとう。ぼくはクロン。ヨリデ村から来たんだ。キミは?」

 少女はまた顎に指を添え、思案する素振りを見せた。

(名乗るのに、考える必要なんてないと思うけど……?)

 ややあって、少女は答える。

「……ミュカ。そう呼ばれてる」

「そっか。よろしくね、ミュカ」

 そう言ってクロンが手を差し伸べると、ミュカはきょとんとした表情で、ぎこちなく同じようにして手を差し出した。

「……こう?」

「握手だよ?」

 クロンは苦笑し、自らミュカの手を取った。それで驚いたのか、彼女はびくっと身体を震わせ、呆気に取られた表情で成すがままに従った。

「どうして、手を握るの?」

 今度はクロンが驚く番だった。

 もしかしてこの子は、今までに握手をする機会が無かったのだろうか。恐らく、その意味を教える家族も。

 歳を考えると、十年前の抗争に巻き込まれた可能性もある。だとしたら、身寄りもなく、一人で生きてきたのではないだろうか。リーエと同じように。

 クロンは一思案した後、口を開いた。

「……今、ぼくが手を出したら、キミもそうしたろ?」

「真似するんだって思ったから」

「うん。何故かはぼくも知らないんだけど、ぼくはこう考えたんだ。握手っていうのは、言葉を交わさずに誰かと仲良くなるための方法なんだって。だから、お互いが同じ行動をして触れ合うことで、仲良しになった……って考えるんじゃないかな」

 ミュカは自分の手――クロンと交わった手をまじまじと見つめ、何度か握ったり開いたりを繰り返し、それから、またクロンを見つめた。

「…………おもしろいね」

「……その割には、面白いって顔をしてないなあ」

 ミュカはぎゅっと眉を寄せた。

「ごめんごめん。困らせる気はないんだ。……さ、そろそろ先へ行こう?」

 クロンが立ち上がると、ミュカもそれに倣ったが、直ぐには歩きださなかった。

 ミュカは先程よりも真剣に何かを考えているようだった。

「どうしたの?」

「……クロンのこと、少しだけリカイした」

「そ、そう……? それは良かった」

 この子の考えることは分からないな――と、クロンはただ、苦笑するしかなかった。


 しばらく彫刻の階段を進んだ後、ミュカは、とある一軒の家の前で立ち止まった。

 ここなのか、とクロンが疑問を口にするより早く、ミュカは戸の取っ手を握り、右へ左へと何度か複雑に捻った後、最後は真後ろに引いた。

 カチン、と何かが外れる音がして、戸は軋んだ音を立てながら独りでに奥に開いた。

「これは……仕掛け扉?」

 ミュカは一つ頷き、迷わず暗闇の中へ入っていった。クロンも恐る恐る後へ続く。

 入り口脇に掛けてあった琥珀灯に光が灯されると、殺風景で何の家具も置かれていない一つ部屋の向こうに、もう一つ扉が付いているのが見えた。

 ミュカは先程のように取っ手を複雑に操作し、二つ目だった仕掛け扉を開いた。今度は岩壁のトンネルが真っ直ぐに続いている。

「もしかして、この奥からルニの都に……?」

 ミュカは不思議そうに首を傾げた。

「覚えてないの? ここはみんな通ってきたはずなのに」

「みんな……?」

「クロンは、外から来たんでしょ?」

 クロンは息を飲んだ。

 ――外。

 何に対しての外か、と頭を巡らすと、その答えは直ぐに思いついた。

 そして、固い氷がゆっくりと溶け出すように、クロンの心の中で閉ざしていた記憶が露になる。

(思い、出した……)

 目を閉じると鮮明に浮かび上がってくる。

 暗く果てしない道を走り、今と姿の異なる坑道から森へ出た、あの大雨の日のことを――。

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