#14:花畑の少女

 「やすらぎ横町」を抜けると、ヨリデ村ぐらいの広さはあるだろう「大空洞」が広がっていた。その中心部は、ぽっかりとくり抜いたような丸い崖になっていて、ギリギリまで近付いて覗いてみると、底が見えないほど深かった。

 崖の上にはいくつもの吊り橋が対角線に架けられていて、今も何人かのクストスが見すぼらしい服装で平然と往来している。高所には自信のあるクロンも、さすがにこの大きな穴には言い知れぬ恐怖を感じ、息を飲んだ。

 顔を上げると、ちょうど大穴の反対側に赤い塗料で大雑把に真一文字の目印を付けた壁が目に映った。

 崖の内壁には無数の建物が建っている。まるで地面を彫って作った彫刻のように、床と階段、建物が全て同色で一体化しているようだ。

(……建てた、って感じじゃないな。琥珀を掘りながら建物を彫っていったんだ……)

 床も建物も階段も、みな同じような琥珀の粒が入り交じった岩で出来ている。継ぎ目はなく、何か堅いもので削った跡だけが見受けられた。

 さて、コレを渡るには如何なものか、とクロンは思案した。

 大穴の向こう側へ行く方法は三つある。安全を講じてぐるっと崖を避けて迂回するか、崖内壁の建物と一体化している迷路のような階段を通るか、堂々と吊り橋を渡るかだ。

 なるべく先を急ぎたいクロンは、迂回路と迷いそうな階段を省いた。怖いが、吊り橋を渡るしかないだろう。

「…………よ、よし、行くぞ」

 ところが、一歩踏み出しただけで橋が大きく揺らぎ、決意までもが一緒に揺らいだ。

(こわくない……こわくないってば……)

 クロンは縄の軋む音に震えながら心の中で何度も自分に言い聞かせ、慎重に吊り橋を渡り始めた。縄の手すりに掴まる手が汗ばむが、直ぐに渇ききった縄に吸い取られていく。

 何とか橋の中央――すなわち、大空洞の中心まで来たところで、クロンは恐怖以上の好奇心という誘惑に負け、崖下を垣間見てしまった。

「……っ! うわぁ……!」

 それは思いのほか、美しかった。彫刻の家々が放つ柔らかな琥珀灯の灯りが、星の如く瞬いている。きっと、真夜中に外から建物を見るとこんな感じに見えるのだろう、とクロンは思った。

(それに……)

 ここは、昼も夜も関係がなく、日が射し込まない夜の街なのだ――。


 ようやく長い吊り橋を渡りきり、赤い塗料が付けられた土壁まで辿り着いた。傍には狭い小道が延びていて、その先から微かな明かりが洩れている。壁に手を当てながら小道を通り抜けると、突如射し込んできた眩い光と吹きつけてくる暖かな風に思わず目を閉じてしまった。

 ゆっくりと目を開いていくと、白くぼんやりとした灯りが……いや、白い透き通った花弁の草花が幾つも咲いていた。

 白い情景を中央から染めるように、淡紅色の何かが浮かび上がる。

 それは、花々に埋もれるように屈んでいた誰かの頭だった。目を凝らして見ると、淡い紅色の髪をした、クロンよりも若干幼い歳の少女だと分かる。

 一見して人間のようだが、ボリュームのある肩口までの髪から覗く耳は少し尖って見える。その横顔を見ていると、どういうわけか心にあった緊張や警戒心が一つ残らずほぐされていくような――そんな不思議な気分に陥ってしまった。

 少女はクロンの方を一度振り返ったが、また直ぐに視線を落とした。少女の視線の先を覗き見ると、丸っこくて指先に乗る程の小さな空色の昆虫が、花弁にしがみついているのが見えた。

「あの……」クロンはそっと尋ねた。「キミがぼくを助けてくれた子?」

 すると少女は、目を逸らさずに黙って花畑の奥をすっと指差した。

 そこに花はない。かわりに、草や土、落ち葉なんかが土塊となって積み上げられ、その真上からは花畑と同じように眩い光が射し込んでいた。

「天井が抜けると、光が当たる」

 少女はようやく口を開いた。

「だから、花が咲く。虫も来る。花粉を付ける。

 ……あなたがそこに落ちてきたから、また、花畑が増えるのかな」

 クロンはどう答えていいやら戸惑い、頭を掻いた。

 話を聞く限り、この子が落ちてきたところを目撃したわけだから、何らかの形で救ってくれたのは間違いない。だが、その事に触れる前に、一つ確かめたいことがあった。

「えっと、キミ。もしかして、もう一人落ちてきたのを見てない? ぼくの友達がここに落ちたかもしれないんだ」

 少女はきょとんとした顔でクロンを見上げ、二、三度ぱちくりと瞬きをした。

「…………もう一つ花畑が増えるんだ?」

「……知らないってことだね……」

 クロンはそう解釈して、がっくりと肩を落とした。

「そうヒカンすることでもないよ」

 少女はすっくと立ち上がり、剥き出しの膝小僧に付いた土を払った。

「花畑はあちこちあるから、わたしが見てないだけだと思う」

「じゃあ、別のところに落ちたかもしれないんだ?」

 少女は肩を竦めた。

「さっき、あなたが落ちた後に、近くでどしーんって音がした。多分それだと思う。でも、直ぐに誰かがやって来て、連れて行っちゃったかも」

「連れて行った……!? 一体どこに? 心当たりはある?」

 少女は目を瞑って顎に人指し指を当てて何か思案する素振りを見せた。……が、その仕種がわざとらしく、真剣に思い出しているようには見えない。

 ややあって、少女はぽつりと答えを出した。

「……たぶん、上の大きな街」

 この辺で街と言われて思い当たるのは、ここを除いて一つしか思いつかない。

「それって……ルニの都!? どうして?」

「ここに落ちた新しい人は、みんな連れて行かれるから。わたしが偶然助けなかったら、あなたもそうなってたよ?」

 自分が幸運にも助かったという安堵と、リーエが連れ去られたという焦燥が、クロンの心の中をぐちゃぐちゃに掻き乱し、蝕んだ。

(連れて行ったのが誰であれ、わざわざリーエを都へ運んだんだ。冷たい都の中でクストスが何をされるか……)

 目撃者を探すような時間はない。一刻も早くここを出て、都に向かわなくては。

「色々と助けてくれてありがとう。その……ちゃんとしたお礼が言えなくて残念だけど、急がなくちゃ」

 少女は首を傾げた。

「あの街に行きたいの?」

「うん。どうしても……」

「道が分からないと入れない」

 断言され、クロンは口を噤んだ。

 少女は蒼く透き通った瞳でクロンを一度見上げ、それからクロンの脇を通り抜けて行った。

「あ、あの……」

 何処へ、と尋ねる前に、少女は大空洞へ続く細い小道をスタスタと歩いていく。クロンは慌ててそれを追った。

「待って!」

 呼び止めると、少女はあっさりと立ち止まり、またクロンを見上げた。

「……行くんだよね?」

「もしかして、都に案内してくれるの?」

 少女は頭を縦に動かした。

「でも、大丈夫? 都って……物騒じゃない?」

「……なんで?」

 少女は怪訝そうに見つめ返す。

「わたしには、こっちの方がブッソウだと思う」

 そう言ってクロンに背を向け、再び歩きだす。

 答えた少女の口ぶりは、今までの坦々たんたんとしたものと違い、どこか怒ったように聞こえたのだった。

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