二節 少年時代の森下公男と初恋


―「おいハム男、なにかいい案、思いついたか」


こうやって、いつも私の肩を叩いたのは、地元でガキ大将の井伊ゴウタだった。


彼の笑顔は、いかにも己の人生を楽しんでいる風だったが、そのじつ、祖父母からひどく嫌われて折檻を受けることも多く、何かと家を離れていることの多い奴だった。


―「あぁ、これなら間違いないだろ」

 

 私は、彼のうっぷんを晴らす様々な小細工を思いついては、彼に伝授していた。


例えば、彼の弟、これがまたどうしようもなく憎たらしい4つ歳下のガキで、彼と違って家族に溺愛されていたのだが、この弟に偶然にみせかけて「やりかえす」方法がその一つだ。


私の作戦には、いつもクラスの友人たちが協力してくれた。対価は私の家で売っている駄菓子で、それに見合う程度の簡単な依頼を頼んだ。


家が金持ちで自分の自転車を持っている靖には、雨の日、ゴウタの弟が一人で歩いているところを見計らって、すぐ近くを自転車で走り、泥水をかけるとか。またの日は、ゴウタの弟のクライスメイトまでたらしこんで、給食時間、嫌いなニンジンを多くスープにもらせたりなどした。どれも、ていどの知れたものだ。


 今日は、彼の祖母に対する「仕返し」で、それには女子の協力が不可欠だった。


『どうかなぁ、それって』


 最初に斉藤みずほが口にしたのは、この言葉だった。


 私の提案は、近所の野良猫を彼の祖父母の部屋の軒下に集めて、嫌がらせをすることだった。そのためには、まず家の軒下に、餌を仕掛ける必要がある。

 

 その役が、彼のクライスメイトで、しかも女子ならば、彼の忘れ物を持ってきたついでに、家にあげてもらい、お茶をごちそうになる、という運びが期待できたからだ。

 しかしそれを、彼女はいい案だとは思わなかった。


『だって、それじゃあ、私だって思われなくてもゴウタがやったって、思われるんじゃない?』


 たしかにその通りだった。そのとき私は、彼女の賢さを見直した。その後、10年ほどたって、2人は付き合いだし、結婚して今に至っているが、そのときから彼女は彼が好きだったのだ。


『だったらさ…』


 計画は、近所の野良猫を二三匹捕まえて、彼の祖母の部屋に放つという、より直接的なものになった。それには、彼の見事な動物好きが無くてはならなかったが、それもまずまず、上手くいった。 


 まず、みずほが、彼の祖母が一人で家に居る時に、家のベルを鳴らす。祖母が自室を出たところで、彼、および私が協力して部屋に猫を放つ。


 元来野良猫は、人の家に簡単にあがらない。まして、障子がちゃんとしまっているような家には。しかし、私たちは敢えて、その障子の何枚かをやぶり、そこから猫をおしこんだ。


 みずほの家は、普段からこの学区内の火気や、子どもたちの安全に関して呼びかけを行い、夏の祭りの実行委員も毎年やっているような、いわば、地主的存在だった。


 彼女が、このあたりの家を訪ねてアンケートをくばり、祭りの要望をきくのは、あっても不思議では無い。それには、彼女の家人にも協力が必要になってくるので、彼女の提案が無ければ、できることではなかった。


 幸い、彼女の家人は何ら疑うことも無く、むしろ歓迎して、そのアンケートを作り、彼女に持たせた。彼女は本当に手際よくやってくれた。高齢の女性相手に、なんでもない世間話をふくらませ、しばらく引きとめてくれたおかげで、調達してきた猫をすべて放った後で、その場を離れる時間までできた。


 おかげであれは、後で思い出してもよくできた仕返しだったように思う。


私はここまで思い出すと独りにんまりし、スーパーの野菜売り場の女性に不審がられながら、色づきのいいニンジンを一袋、かごに放り込んだ。今日は、肉じゃがにする。


 想えば私は、みずほが好きだったのだ。世話好きでもちろんかわいい顔をしていた彼女は、大人にこびず、クラスメイトの誰にも公平だった、もちろん私にも。


 私は、彼女にとって、自分だけが特別に見えるならば、夢のようだと思っていた。だから、ゴウタのことにかこつけて、彼女と話をしたかったのだ。


 私はゴウタをかわいそうに思っていたか?―否。彼を味方につけておくと、クラス内で上手くやっていけた。それに、様々な思いつきも、何より自分が面白かったからだ。


 彼が喜べば尚、よかった。私には、他人が困る所を見て喜ぶ性質があったし、それには、自分がまず、安全な位置にいなくてはならない。


 すべて『彼のために』思いついたという建前ならば、何時ばれても、彼を理由にできる。最終的に、そのことがばれることは無かったが、ゴウタが中学に上がって、働き始めたあたりから、私は半ば、彼の世界から消えた存在になった。


 役割で結びついていた関係は、そうやって淘汰されていく。私は、彼を利用し、彼もまた私を利用した。彼一人では、そんなふざけた仕返しは思いつかなかったろうし、笑うこともできなかっただろう。私は、彼の鬱憤を知り、晴らしてやることで、彼の中の暗い感情をいわば「昇華」させていたのだ。


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