ハプニング


 買い物をすませた後、もう一度大学に戻るという正人さんと別れて一人でぶらぶら歩く。


 正人さん、ほんとにいい人だなぁ。わざわざ私の様子を見に戻ってくれたんだ。買い物に連れ出してくれたのも、気分転換させてくれるため。

 一緒に寝てくれたのも……抱き枕みたいにしがみついて寝ていた自分を思い出して赤面する。……絡んで私が放さなかったのかもしれないけど、ほっとくこともできたのにね。っていうかおかしなことされても文句も言えないのに。

 お兄ちゃんかぁ。いいなぁ、真由美は。あんな人に守ってもらえて。


 雲の隙間からほんの少し陽が射してきた。

 雨上がりの町は好きだ。街路樹がきらめいて見えるから。

 うん、外に連れ出してもらってよかった。家に一人きりは気が滅入る。


 少しだけ上向きの気分になって駅前広場の階段を降りようとした、その時。

 誰かが私の足を引っかけた。


 え?!


 がくっと前につんのめって転げ落ちそうになり、慌てて手摺に手を伸ばした。

 けど届かない。ふわっと宙に浮かぶ感覚。


 落ちる!!


 思わず目をつぶってしまう。


「危ない!」

「きゃー!!」


 誰かが叫ぶ声が聞こえた。


 ボスッ。


 階段にぶつかるにはずいぶん早く、衝撃がくる……ってあれ? 痛くない。

 と思ったら、私は誰かの腕の中にいた。うまくキャッチしてもらえたらしい。

 下に続く階段を見て、ほっとするのと同時にぞっとした。こんなところからあの勢いで落ちてたら、骨折どころじゃすまなかったかも。


「ありがとうござ…………」


 顔をあげた目の前に誰かの顔。それこそキスしちゃいそうな至近距離。


「うきゃ~!!」


 って変な声を出して思わず手を突っ張った。突き飛ばそうとしたわけじゃないの、ほんとについ思わず。


「危ない!!」


 ぐいっと腰を引き寄せられて、胸の中。一瞬見えたのは見知った顔。


 え? 幸也?


 私を抱きかかえたままとんとんと階段を下りていく。

 幸也ってこんなに力、強かったんだ。背も、こんなに高かったけ? いや、私の知ってる幸也とは違うんだろうけど。

 シャツごしに感じる体温に、どきどきする。


「ちょっ、降ろして。大丈夫だから」

「暴れないで。そうやって暴れるから危ないんでしょ」


 助けてもらった手前、それ以上言えず大人しく階段下まで運ばれた。


「それにしても先輩、珍しい恰好してますね」


 爽やかな笑顔が眩しい。だけどあの幸也とは違う距離を置いた感じ。


 先輩? ああ、ここでは真由美の後輩になるんだ。でも違う制服。バスケが強い学校だ。そっちに行ったんだ。


「真由美の後輩なの? 私は真由美の…………従姉妹なの。今遊びに来てるの」


 苦しい嘘をつく。


「え? すみません。勘違いして」

「ううん、よく間違われるから」

「ホントにそっくりですよ。あ、でも雰囲気は違うかも」


 本人じゃないのはわかってるのに他人行儀な態度が気に入らない。胸の奥がざわつく。

 距離感がつかめない。


「それより、どこか怪我はしてませんか? えっと…………」

「あ、マミです。ありがとう。私ったらお礼も言わずに」

「いいえ、あんまりすごい勢いで降ってきたからびっくりしましたよ」


 くすくす笑って。


「普段そんな服着ない先輩が、しなれない格好をして失敗したのかと」


 それは真由美に対して失礼だろう。……私にたいしても。


「真由美はそんなドジしないでしょう。私だって…………」


 私だって何にもなくて落ちたりしない。


「誰かに足を引っかけられたの。見てない?」

「ええ? そうなんですか?」


 驚いて目を丸くする。


「いや、俺も下を向いてたから見てないですね。誰かの叫び声で顔を上げたらあなたが降ってきたんです」


 それから目を閉じて拳を額にあて、ほんの少し眉根を寄せる。


 あ、思い出そうとする仕草、おんなじだ。


「あの後は…………」


 ぱっと目を開き、顔を上げる。正面から目が合ってその瞬間。

 幸也の顔が一瞬で真っ赤になった。

 それを見て私も思い出す。キス直前のワンショット。


「あ…………」


 私の顔もきっと真っ赤になってるだろう。耳まで熱い。ほてった頬に両手をあてて俯く。

 ちらりと幸也を見てみると。


「…………見ないで下さい。階段下りてる間に落ち着いたつもりだったのに」


 まだ真っ赤な顔を大きな片手で隠していた。

 うわ~。見たことない一面。こんな表情かおするんだ。


「すみません。女の子に免疫がないもので」

「え~。もてそうなのに」

「部活で忙しくってそんな時間ないんですよ」


 にこっと微笑んで、それから真顔になる。


「それにしてもいたずらにしては悪質ですね。ほんとにどこも痛くないですか」

「うん、大丈夫。もう帰るわ」

「送りますよ」

「ううん、いいわ。どっかに行くところだったんでしょ?」


 向かっていたのは家と逆方向。


「特に予定があったわけではないんです。図書館に寄ろうかと思っていたぐらいで」

「じゃあ行っておいでよ。ありがとうね」


 手を振って別れてから、もう一度振り返って去っていく後姿を見送った。全く私を知らない人のように扱う幸也にちくんと胸が痛んだ。

 


 ふと黒い仔猫がこっちを見ているのが目に入った。

 ああ、そういえばさっき階段の上で前を横切ったっけ。

 黒猫に前を横切られると不幸があるっていうけど、ホントみたいね。

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