ジェットコースター

 う、頭が痛い。

 目覚めは最悪だった。頭がガンガンする。

 ゆっくりと体を起こし、状況を確認した。


 そうか。ここはうちじゃないんだ。


 ゲストルームのベッドの上。時計を見るともう10時をまわっている。窓の外は薄曇りの空からしとしと雨が降り注いでいる。


 頭に響かないようにゆっくりとベッドから出ようとして、左手に握りしめているモノに気づく。


 男物のシャツ。


 ……。


「ええ?!」


 思わず声をあげて、自分のその大声が響いてガンガンする頭を抱え込む。

 ゆっくりと目を開けて、再確認してみると。

 見覚えのあるシャツ。これは昨日、正人さんが着ていたやつだ。


 ええっと。えっと?

 記憶をたぐる。


 昨日は誕生日を祝ってもらって。真由美が私のジュースにお酒を入れてて……だからこの頭痛は二日酔いってやつだな。

 で、そうだ。キスシーンを見たんだ。思い出してボワワワッと顔が赤くなる。

 それで目の前のジュースを一気飲みしたら、くらくらして……ってあれもお酒だったのか。――そこからの記憶は曖昧。


 手に持っているシャツを眺めてしばらくぼんやりする。そして……ふと自分が言った言葉が頭に浮かんできた。


「行っちゃヤだ。とくとくってこの音、安心する」


 そう言って抱きついていたのは、あれは正人さん? 

 うわ、うわわわ。


 抱きかかえられて、ふわふわゆらゆらここまで運んでもらったおぼろげな記憶もよみがえってくる。


 うわ~。


 どんどん思い出してきた。


 そうだ、最初はふわふわ気持ちよくて楽しくて……それが途中から悲しくなってきて、泣きながらなんかいっぱい言った気がする。めそめそ泣いてぐずっている自分を思い出す。言った言葉までは覚えてないけど。


 うっわ~。何言ったんだろ、私。


「あー、もう、せっかくきれいにメイクしたのに。もうとってやるからじっとしてろ」


 そうだ。真由美がメイク落としてくれて。

 そんでもって、泣き寝入りしかけたところを運んでもらったんだ。


 わ。さらにすごいこと思い出しちゃった。


 ベッドに降ろされて、ドレスがしわになるから着替えろって言われて。出ていこうとした正人さんを引きとめて……。


「着替えるからあっちむいてて。出ていっちゃ駄目。そこで待ってて。置いていっちゃヤだ」


 ってなんであんなこと言ったんだ私~。

 そんでもって、結局一緒にベッドで寝た気がする。ずっと抱きしめてもらってた。


 ボワワワワンッ


 顔に血が上って真っ赤になってるのが自分でもわかる。顔が熱い。


 うわ。どんな顔してみんなに会えばいいの? あんな醜態さらして。穴があったら入りたい~~~。入ったまま永久冬眠していたいよ~。


 しばらく顔を隠してごろごろ転がっていたけれど、ずっとそんなことをしててもはじまらない。


 ふう。落ち着こう。

 とりあえず、今は誰もいないはず。多分。平日のこんな時間だもの。顔洗ってゆっくり考えよう。


 ペシペシッと両手で両頬を叩いて立ち上がると、着替えを置いてくれているのに気づく。


 何から何までありがとう……って、これ、着替えよね? 私に置いてくれてるのよね?


 部屋を見回す。

 ゲストルーム。余分なものは何もない。その部屋でベッド脇の机に畳んで置いてある服。

 やっぱり着替え、なんだろうけど。

 なんで? 


 置いてあったのはフェミニンなブラウスとフレアスカートだったのだ。


 これって絶対真由美のじゃないよね。私よりもっと着そうにないもん。加奈の……いや、杏花さんのかも。そうか、多分朝練で真由美たちはさっさと行っちゃって、大学生でゆっくり時間のあった杏花さんが用意してくれたんだ。きっとそうだ。


 それにしても。

 一体なんの罰ゲームなの。昨日のドレスに引き続きまたスカートなんて~!

 

 と思ったところでこれしか着替えはないし、みんなが帰るまでパジャマで過ごすわけにもいかないので、その服を着ることにした。 

 ちょっと気恥ずかしい思いをしながらそろっと階下に降りてみる。

 やっぱり人の気配はない。

 少しほっとする。

 あ、テーブルに食事とメモがある。


『みんな夕方になります。ごはん、食べてね  杏花』


 二つ並んでいるトレー。

 一つにはサンドイッチにサラダにティーバッグの入ったカップ。

 もう一つには、おにぎりと野菜炒め、汁椀。


 うわぁ、杏花さんありがとう。


 おいしそうなご飯を見たら途端にお腹が減っていることに気づいた。

 朝食と昼食なんだろうけど、全部食べちゃおう。お腹ペコペコだ。

 とりあえずおにぎりの方をパクパク食べて人心地がついたので、それから紅茶をいれてゆっくりとサンドイッチを食べることにする。


 それにしても――ヘンな感じ。こんな時間にこんなにゆっくり紅茶を飲んでるなんて。サンドイッチを口に運びながら窓の外を眺める。

 空は薄い雲に覆われている。細かい霧のような雨が木々を湿らせ家の中にまで湿気を運んできている。


 しとしとしとしと。

 

 雨音もたてずに降り続く雨。

 考えないようにしていたことに思考がむいていく。


 私はどうしてここにやってきたんだろう。元の世界には戻れるんだろうか。

 それは、いつ? それとももう戻れない?

 戻れるなら、それはまたいきなりなの?

 考えてもわからないことだけど。

 いきなり、消えちゃったんだよね。向こうの世界では。

 バースデーパーティーをするために集まってくれていた人たちの顔が浮かぶ。

 心配性の佳代さん。いっつもお世話になってるのに。彼女に心配かけちゃうなんて。おろおろと泣きそうな顔が目に浮かぶ。

 それからおチビさんたち。パーティーをすごく楽しみにしてたのに。「プレゼント作った!」って嬉しそうにしてたのに。半べその顔が浮かんじゃうよ。

 幸也も割と心配性だしなぁ。佳代さんに似て。きっと探し回ってくれてるんだろうな。でも随分しっかりしてきたし、みんなを励ましてくれてるかな。

 バスケ部のみんな。あー、もうすぐ最後の大会なのに。

 それからお父さんとお母さん。二人とも仕事を早めに切り上げて帰ってくるって言ってたのに。


 みんなみんなに心配かけてるのに。

 それなのに私はこっちでお祝いをしてもらって、お酒を飲んで酔っ払ってたなんて。……私、最低だ。

 なんか泣けてきちゃう。

 勝手に涙がぽろぽろこぼれて止まらない。

 う~~~。


「ふうぇ~~ん」


 ああ、もう。誰もいないんだから声も我慢しなくていいや。思いっきり泣いちゃえ。


 ソファーに移動して膝を抱えて両手で顔を覆ってしばらく泣いていた。

 泣きすぎて目が腫れぼったく感じるくらい泣いて。


 リビングのドアの開く音で、思わず顔を上げる。

 入ってきたのは正人さん。ばっちり目が合ってしまい、恥ずかしくて俯いて顔を隠す。

 正人さんは何にも言わず隣に座り、私の頭を自分の方に引き寄せた。


 とくとくとく。


 心臓の音が聞こえる───って、えええ~~!!

 昨夜のあれこれが一気に脳裏に浮かびあがり、顔に血が上っていくのを感じる。


 ちょっ、えっと、うわ~。別の意味で顔をあげられないよ。

 心臓がばくばくいってる。


 私がてんぱっているのに。

 くっくっくっ。と頭上で笑い声がする。


「今日はガッチガチなんだな」

 

 笑いをこらえながら言う。


「昨日はあんなに大胆だったのに」

「…………あれは」

「んん~?」


 完全にからかってる声。


「あれは正気じゃあなかったんです!」


 思わず顔をあげて反論してしまう。

 と、目の前に顔があって。


莫迦ばかだなぁ。せっかく冷やしてやったのに、またこんなに泣いて」


 思いがけず優しいに出会い、また俯いてしまう。


「冷やしてくれたんですね。…………ありがとうございます」


 だから今朝、腫れてなかったんだ。でも、今はずいぶん腫れてるだろう。きっとひどい顔になってるはず。


「また敬語に戻ってる」


 くすくす笑う。


「待ってな」


 そう言って立ち上がると、キッチンの方へ行く気配。戻ってきた正人さんが手渡してくれたのは、よく冷えたタオル。


「ありがとう…………」


 私の頭をくしゃっとかきまわして、また隣に座る。


「…………夕方に帰るんじゃなかったんですか?」


 膝の中に顔を埋めて目を冷やしながらきいてみた。


「ん~? 昨日あれだけハイになった後大泣きして醜態をさらしたのを思い出したら、朝からわ~ってテンション上がって、その後落ちてるだろうなと思って」


 まさにその通り。なんでもお見通しってわけか。


「ジェットコースターみたいなやつだな」


 いえ、私がそうなんじゃなくて、ジェットコースターに乗せられてる気分です。

 

 あ、雨が強くなってきたみたい。

 雨音が聞こえてきた。

 雨が地面に沁み込むように正人さんの優しさも私の中に沁み込んでくる気がして、私は耳を澄ましてその雨の音にしばらく聞き入っていた。

 正人さんはそれ以上何も言わず、ただ隣に座っていてくれた。

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