龍の花嫁が嫌いなもの

黒崎

龍の花嫁が嫌いなもの

 私の暮らす村にある大きな大きな山には、龍神さまがお住いだと言い伝えにはありました。

 白く美しい龍神さまは、とても強大なお力を持っていらして、その力で麓の私たちに恵みをもたらしてくださっているとのことでした。

 だけれどその代償に、私たちの村からは生け贄を数年にひとり、差し出さねばならないことになっています。


 私は東の小さな島国に生まれ、やがてこの西の異国へと連れられて行きました。戦で身寄りを失った私を、以前に母と交流のあった異国の夫婦が引き取ってくれたのです。


 私がこの村に暮らすようになった翌年、生け贄に選ばれたのは隣のお姉さんでした。

 お姉さんはとても優しい人で、たった一年ほどしか一緒に居なかった私を本当の妹のように可愛がってくれたものです。

 そんなお姉さんが連れて行かれると知って、私はわけが分からず大泣きをして皆さんにご迷惑をお掛けしたことをよく覚えています。


 お姉さんは結局帰っては来ませんでした。

 初めこそ、今日こそ戻ってくるのではと毎日のように村の入口まで迎えに行って居りましたが、それも一年経った頃にはやめてしまいました。

 私がそうする度、お姉さんのご両親が悲しそうな顔をされるからです。


 生け贄になった子は、若く美しい娘であれば龍の花嫁になるのだと聞いています。

 お姉さんはとても美しい人でしたので、きっと龍神さまに愛され幸せに暮らしているのでしょう。そう思わねば、私は悲しくて眠れぬのでした。


 そうこうするうち、私は今年で十六になりました。

 まだ立派な大人とは言えないような身ではありますが、それなりに背も髪も伸びて、母に似てきたと言われるような年頃ではあります。

 異国の子らと比べると、背も低ければ顔も子供っぽい私ではありますが、一応この国の定めではもう結婚もして良い歳です。


 だけれど私はまだ結婚というのはなんだかピンときません。

 学び舎でお友達と遊んでいるほうが楽しくて、男の子とお話することはあまりありません。異性という存在が少し、怖いし恥ずかしいというのもあります。

 なにより、男の子ったら酷いのです。私がすぐに悲鳴を上げて泣くのが面白いからと、トカゲなんかを投げて寄こしてきたりするのです。あんまりではないでしょうか。


 それに、私はそんな男の子たちと遊ぶよりも、さらに言うならお友達と遊ぶよりも好きなことがあります。

 甘いお菓子を作ることです。作る過程も然ることながら、あの自分が作り上げたとは思えぬほどの美味しいお菓子を食べることは、なににも勝る幸福でした。

 そんな私を、母は面白い子だと言って笑ったものです。


 お友達の中にはもう将来を誓い合った男の子が居るという子も居りますが、毎日のように早々に家に帰ってはお菓子作りに勤しむ私には縁のない話です。

 こんな私でもいつかは結婚をして子を成すのだろうか、なんてちょっと考えるようになった頃、私は育ての両親に呼ばれました。


 神妙な面持ちで口を開いた父の隣、母はさめざめと泣いておりました。

 だから私もなんとなく、分かったのです。きっと、今回の生け贄に私が選ばれたのだろうと。


 考えはぴたりと当たり、私は生け贄として、そして龍の花嫁として、お山に登ることとなりました。

 父は最後までなんとかしようと頑張ってくれましたが、やはりどうにもならなかったようでした。村に生きる以上、村全体で決めたことには従わねば生きていけぬのです。


 母は夜にこっそり泣いているようでした。私にはそれだけが辛く感じられました。


 本当のことを言うと、生け贄に選ばれたことはさほど悲しくはないのです。

 どのみち、戦で両親を亡くした私はそこで死ぬ定めでした。その生命を拾って頂いたのです。ここで再び捨てることとなっても、元の形に納まるだけだと思ったのです。

 だから、母を悲しませてしまったことだけが悔やまれるのです。


 その悔いだけが、私の足を重くさせておりました。

 お山はとても険しくて、持参した品々が私の足を一層重くさせます。


 持って来たものは、生まれた国の調理器具と、その国でよく使われる食材です。私が用意してくれるようにお願いしたのでした。

 どうしてそんなもの、と父は言いましたが、母はすぐに用意をしてくれました。

 私がなによりも好きだったもの。両親とお姉さんの次に大切だったもの。

 お菓子作りが最後にできるよう、そう思ってのことでした。


 私はあまり器量良しではありませんから、きっと龍の花嫁にはなれぬことでしょう。

 花嫁になれぬ生け贄がどうなるか。はっきりと知っている人は居りませんでしたが、誰も帰ってきてはいないという事実だけで十分です。


 もし最後に我が侭を聞いて頂けるなら、私はお菓子を作って死にたいと思います。

 お山にはきっと花嫁となったお姉さんが居るはずですから、私は最後にお姉さんに私のお菓子を食べてもらいたいのです。


 もしもお姉さんが私の作ったお菓子を食べて笑ってくれたなら、私はもう思い残すことはなにもありません。

 ……いえ、やっぱり父と母のことを思うと悔いはあるのですが……。


 それでも、少しはこの魂が救われるのではないかと思うのです。


 その思いだけを糧に、私は険しいお山を登りきりました。

 お山の頂上には、それは立派なお屋敷がありました。こんなに大きくて綺麗な建物は見たことがありません。

 村で一番大きな建物である学び舎よりも大きく、村で一番綺麗な建物である教会よりも綺麗なお屋敷でした。


 建物を前に呆ける私に声を掛けてくれたのは、ひとりの女の人でした。

 忘れるわけもない。それはずっと会いたいと思っていたお姉さんでした。


 もう十年近くもあって居なかったのに、お姉さんは私を見るとすぐに私の名を呼んで抱きしめてくれました。

 疲れもすぐに吹き飛んで、私はいつかのようにわんわんと泣いてしまいました。


 そんな騒ぎを聞きつけたのか、お屋敷の中からひとりの男の人が出て来ました。

 背が高く、髪の長い方でした。

 見詰められると息を飲んでしまうようなとてもお綺麗なお顔でしたが、私はそれよりもその長く真っ白な御髪がとてもとても綺麗だと思ったのです。


 聞けば、彼こそがこのお屋敷の主、ひいては龍神さまでありました。

 人ではありませんかとつい口にしてしまったところ、証明として龍神さまは私の目の前で本来のお姿を見せてくださいました。


 それはそれは大きなトカゲのようなお姿に、やはり大きなコウモリみたいな翼。

 爪など剣のように鋭くて、私はあまりの驚きにその場でころりと倒れてしまいました。

 そのまま泡を吹く勢いで気を失ってしまったのだと、あとでお姉さんから聞くこととなりました。お恥ずかしい。


 目覚めると、お屋敷のベッドで寝ておりました。

 そばにはお姉さんが居て、先の話を聞いたのです。


 照れる私のもとに、ほどなくして龍神さまがいらっしゃいました。

 そうしてお姉さんから私のことを紹介して頂きました。


 龍神さまは黒い髪と黒い眼をした私が珍しくていらっしゃるようで、まじまじとは見ぬものの、ちらりちらりと垣間見てきてはお姉さんに笑われておりました。


 よい夫婦関係を築いていらっしゃるのだと、私はほっとしてそう告げました。

 するとどうでしょう、お姉さんがそうではないと言うのです。


 曰く、お姉さんはここで家事全般をお手伝いしているのだとのこと。

 それは花嫁とは違うのですかと問うたところ、なんと旦那さまは別にいらっしゃるとか。


 そうして紹介されたのは、龍神さまよりも大きなお体の、立派な角を生やした男の人でした。

 なんでも”おーが”という種族なのだそうです。おーがの皆さまは、揃って頭に角が生えているとのこと。私の国でいう鬼神さまに近い種族のようでした。


 鬼神さまは、龍神さまのご友人でいらっしゃるそうです。

 このお屋敷に生け贄として来られたお姉さんに一目惚れしてしまい、それからお姉さん自身も鬼神さまに心惹かれていき、めでたく夫婦となったとのことでした。


 それを許す龍神さまはお優しい方でいらっしゃると感想を述べたところ、お姉さんはもうひとつ私に真実を教えてくださいました。


 生け贄というのは、龍神さまが望んで得ていたものではないということ。

 大昔から続く風習で、龍神さまは初めこそ断っていたのだそうです。

 けれど一度村に生け贄として来た娘さんを返したところ、村が飢饉に見まわれ、龍神さまに見初められなかったその娘さんのせいだと、あろうことかその娘さんが殺されてしまう悲劇があったのだそうです。


 それ以来、龍神さまは生け贄として来た者たちを保護し、希望があれば他の国々へ連れて行って差し上げていたとのことでした。


 お姉さんはここで鬼神さまと暮らすため留まっているそうですが、私も希望があれば他の国へ連れて行って頂けるとのこと。

 龍神さまは少し口数の少ない方ですが、本当にとてもお優しい方でいらっしゃるようです。


 先の話を聞く限り、やはり村には戻れぬようですが、私は少しほっとしておりました。

 死んでも良いとは思えど、それでも命拾いをすれば嬉しく思うのでした。


 けれど、他の国と言っても何処に行きたいという希望もありません。

 私が困っていることに気付かれたか、龍神さまはしばらくここに居れば良いと仰ってくださいました。


 私はお言葉に甘えることと致しました。

 それから、お礼にお菓子を作らせて頂きたいと申し出ました。


 お台所をお借りして、私は持参した道具でおはぎを作りました。

 お米を炊いて、あずきを茹でて。あんこをまぶしたものから、きなこをまぶしたもの、それから青のりをまぶしたものを作りました。


 材料が似たようなものですから、ついでにおもちも作っておぜんざいも。

 なんだか甘いものばかりになってしまいましたが、これを少し苦いお茶と頂くのが私は好きです。


 せっせとお台所を駆けまわる私を、龍神さまはうしろでずっと見てらしたようです。

 たまに背の届かぬ場所にある食器に手を伸ばしたりすると、すぐに飛んできて取ってくださいました。

 お顔は少々怖いところもありますが、本当にお優しい方なのです。もう三回も言っていますね。


 そうしてできあがったお菓子を、龍神さまと鬼神さま、それからお姉さんと私の四人で頂きました。

 まさかこんなことになるなどとは少しも思っていませんでしたが、四人で過ごすお茶の時間はとてもとても楽しいものでした。


 それと、とても嬉しいことがひとつ。

 私のお菓子を、龍神さまがいたく気に入ってくださったのです。私のお菓子を食べて、これほど幸せそうなお顔をしてくださる方はお姉さんの他には居りませんでした。

 皆さん美味しいとは言ってくれますが、ここまで気に入ってくださる方はそうは居りません。


 どちらかと言えば食べることのほうに重きを置いていた私ではありますが、このとき初めて作り手としての冥利を知ることとなるのでした。

 私の作ったお菓子で幸福を感じて頂ける。それには甘いお菓子を食べているときにも勝る幸せだと、そう思ったのです。


 龍神さまはぼたもちを六個ぺろりと平らげて、おぜんざいを二度おかわりなさいました。

 三度目のおかわりはもうないのだとお伝えすると、あんまり残念そうになさるものですから、失礼かとも思いましたが思わず私の分の残りを差し出しました。

 そのときの龍神さまの嬉しそうなお顔は、きっと忘れることはないでしょう。


 結局鬼神さまからもぼたもちをひとつ譲り受け、ようやく龍神さまは満足された様子でした。

 あまり愛想の良い方ではない印象でしたが、その様は子供のようでお可愛らしものでした。


 翌日、もう一度お菓子を作って欲しいと頼まれて、今度はみたらし団子をお作りすることにしました。

 昨日のあんこも残っておりましたので、あん団子も。

 お団子を作りすぎてそれでも余ってしまったので、三色団子も用意することとしました。


 龍神さまはこれもまた、大層喜んでくださいました。

 お顔にはそれほど出てはおらず、周りにお花が飛んでいるかのような、そんな控えめな喜びではありましたが。


 龍神さまは三色団子が特にお気に召したようです。

 綺麗な色だと言って、綺麗な金色の眼を細めて眺めていらっしゃいました。


 その日も、結局鬼神さまの三色団子を二本、今度はなかば奪うようにして平らげてしまいました。

 今度はもっとたくさん、ご用意しようと心に決めました。


 次の日も、その次の日もお菓子を作っては皆さんに食べて頂きました。


 そうして四日目に事件は起こったのです。

 なんとなんと、龍神さまが私さえ良ければずっとここで共に暮らして欲しいと仰ったのです。


 本で読む、プロポーズの言葉そのものでした。

 けれどすぐに思い直します。龍神さまは私の作るお菓子が好きなのであって、私が好きというわけではないのだと。


 けれどそのあと、龍神さまは仰いました。

 お前を好いているので、出来れば夫婦にもなって欲しい――と。


 私はまた仰向けに倒れこんだそうです。記憶にはありません、途中で気を失っておりましたから。

 あぁ、あぁ、こんなことがあるでしょうか。


 私は龍神さまとは夫婦にはなれません。

 目覚めて一番にそう告げると、龍神さまはとても悲しそうなお顔をなさいました。それに胸が痛みます。

 ずくずくと疼く胸を押さえながら、私はどうしたら良いのかと考えるのです。


 龍神さまのお人柄はお慕いしております。

 寡黙だけれどとてもお優しい龍神さま。私のお菓子をとても幸せそうに食べてくださる龍神さま。

 だけれどどうしても無理なものは無理なのです。


 あぁ、私が大のトカゲ嫌いでさえなければ……。

 まずはそこから改善することが、私の花嫁修業の第一歩のようでございます。

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