第34話



 彼が姿を消すと同時に、勇者の彼女は力なく地面にへたり込んでしまった。それと共に広場に人が戻りつつあり、人々の目は龍を呼び寄せたこの不思議な組み合わせのラムたちに集まりつつあった。


「ちょっと、あんたしっかりさなさいよ」


 呆然とするルチルに郁が声をかける。


「立って。一旦、ここを離れましょ?」


 郁は力の抜けきったルチルと、ただボケっとしていたラムを引き連れて駅の広場を後にした。

 グイグイと引っ張るようにして郁がふたりを連れてきたのは郁の住居であった。シンプルな外観のアパート、その三階の角部屋で、大学生が一人暮らしで住んでいるような雰囲気である。谷に預かってもらっていた鍵を取り出すも、すぐに開けようとはしない。


「…ちょっと、一分待って」


 郁は「久しぶりだからな…」と呟きつつ、ひとりだけ室内に素早く入っていった。散らかった部屋の掃除か水回りの様子を見たりでもするのだろうか。

 勇者とふたりで取り残され、ラムは気づかわし気な目で勇者を見やった。


「なあ、大丈夫か?」


 落ち込んでいるというよりかは放心状態に近い様子の勇者にそう問いかける。すると、彼女はラムの問いかけに間髪いれずに「ひとつ、いいか?」と逆に何かを問いかけてきた。


「勇者のくせに、この手で何も殺したことのないわたしを、どう思う?」

「…へ?」

「この腰の剣に、実は一度も血を浴びせたことがないんだ」

「え?そうなの?」


 思わぬ発言に驚いているところで、アパートの扉がゆっくりと開いた。


「ちょっとまだ散らかってるけど…どうぞ?」


 ラムとルチル、ふたり揃って「お邪魔します」と口にしてそう広くはない室内に足を踏み入れた。

 クローゼットに収まりきらないゴシック調やクラシカルなデザインのものが多く揃った洋服がハンガーににかけられ1列に並べられ、愛らしい人形の類は特にはないがカーテンやカーペット、ベッドは猫をモチーフにしたデザインのもので統一されていた。

 あまりジロジロ見ないようにしよう、と固くなるラムとは対称的にルチルは珍しく目を輝かせながら部屋を見渡し「女の子の部屋だ」と呟いていた。


「あら、なによ。ちょっとは元気になったわけ?」


 そんなルチルの様子にいち早く反応した郁がマグカップを3つ用意してふたりを座るように促した。泣きじゃくった時以外はずっと頭の上に乗っていた猫耳付きの帽子はこちらに来る前に取ったらしく、ヒールの靴を脱いだせいもあり随分と身長が小さくなったようにラムには感じられた。


「さぁて、で?どうするの?」


 郁の質問にラムが「どうする、って?」と反応すると「あんたじゃないわよ」と冷たくあしらわれた。

 マグカップに入っている、お湯を入れて完成するココアをチビチビ飲んでいた勇者が「ん?」と言って顔を上げた。


「わたしのことか?」

「当たり前でしょ。何のんびりまったりしちゃってんのよ。あんた、物語の主人公で勇者なんでしょ?どうすんのよ、物語進めないで未完にしたまんまじゃ、いつか消えちゃうかもしれないじゃない」

「それは、そうだが…」

「…え?消える?」


 聞き捨てならないワードにラムが反応する。


「そうよ。委員会の目に留まってたり、作者の意識にあるうちはキャラクターとして成り立っていられるけど、そうもいかなくなって形にならなくなったら、もう自分は自分じゃいられないのよ。別な、それこそ新しいキャラクターに融合されることもあれば、すっかり忘れ去られることもある。流浪人が増えれば増えるだけ、いずれはそうなる可能性が増すだけよ」


 長々とした心底丁寧な説明にラムはポカンと口を開けたまま、郁の言葉をしっかり理解すると頭を抱えて下を向いて呻いた。

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