第28話


 列車の発車時刻より少し前、まさにラムと郁が駅へ着いた頃になってから会場を後にした勇者の彼女と貴族の彼。ふたりは商店街を並んで歩いていたところであった。


「勇者さん」


 郁達が向かったであろう駅へとゆったりした足取りで歩いていると、不意に貴族の彼は勇者へと会話を切り出してきた。


「はい?なんでしょうか」


 言葉少なく歩いていたためか勇者の彼女には彼の声が少々不意打ちに感じられ、ぴくりと肩を揺らし驚いてしまう。

 平然を装いながらも彼女の耳元では忙しく早く流れる血流の音がどくどくと脈打つ。それと同時に、心臓も。


「そう警戒しないで。君へ危害を加えたりはしないから」


 困ったような顔をする彼に、勇者は咄嗟に「ごめんなさい」と口にする。

 だが、勇者にとって彼が怖いはずは無いのだが心のどこかで警戒しているのは事実であった。


「…結局、ラムくんの事は魔王であると君は見なすのかな?」

「あぁ、その事…」


 予想通りとも言えるその質問に、勇者は足元へと目をやりながらうなだれる。

 最終的に分かった事と言えば、勇者自らが彼を危険な目に合わせてしまった事実のみ。あれだけ暴れる龍を彼女は目にしたのは、一応初めてではなかった。


 それは森で初めて青年・ラムと出会った時の事である。

 魔王であるラムと共に見習い勇者であるルチルへ楯突いてきたのかと思えば彼が退散した途端瞳に渦巻く赤黒い何かは消え去り、宝石のように澄んだ煌めきを放っていた。


 穏やかで大人しいその龍はルチルに献身的な態度を示し、そうしてここまで連れて来てくれたのだ。

 そんな心優しき龍がラムを、彼が力尽き落ちた暁には殺すのではないか。そう思わせる程にレースの際にあの龍は暴れていた。


「わたしの追う魔王ではないのだろうな、とは感じた。わたしが忌むべき相手はおそらく別だ」

「そう」


 短く、単調に、そんな乾いた返事を貴族の彼は返す。勇者のその回答には頷きもしない。

 そんな事には気付きもしない勇者は尚も言葉を続ける。


「それに、この街に来てから考えが多少変わってきているんだ」


 スカート丈をソワソワさせて気にしながら彼女がそう言うと、こちらに顔を向けたらしい彼から「どう変わったんだい?」と頭上から問かけられる。


 勇者が顔を上げると、底抜けに明るく煌めいている彼のエメラルドグリーンの瞳にルチルの顔をした“少女”が映っていた。


「…わたしは、勇者だ」


 彼への答えというより、彼の瞳に映っている自分自身へ言い聞かせるように彼女は言う。


「皆に笑顔を咲かせる存在だというのに魔王をひとり殺し、のうのうと生きて良いものなのだろうか、とね」

「…へえ」

「“皆”の中に魔王を含まない決まりはないし、どうにかしたいと考えている。勇者に囚われているわたしではあまり良い案が浮かばかいのだが…」

「そんな簡単に成し得る事かな?」

「それは……そうかもしれないが…何か方法があると思うんだ。どうだろう、貴方は何か浮かばないだろうか?」


 期待を込めるように勇者は見つめ続けるが貴族の彼は瞬きもせず顔を背け、勇者から顔を背けてしまう。


「わたしは勇者ではないから理解できないよ」

「…そ、そうか。すまなかった」


 あまりに素っ気ない彼の言葉。勇者の彼女は気まずそうにまた足元へと目を移す。


 沈黙が続く中、ふたりはようやっと駅へと辿り着く。

 少々距離を開けてふたりは階段を登り、勇者はどこで彼を怒らせてしまっただろうかと悩み込んでいた。


「…ぅわ!」


 すると、慣れない靴のせいか勇者は勢い良く階段を踏み外してしまい彼女の重心がぐらりと揺れる。

 後ろへと傾く体を立て直す事ができず、掴む物など無いのに彼女は腕を伸ばし空を掴む。


 その時、勇者自身“理解できない”事が起きた。

 ふわりと見えない風がベールの様に身を包み、落ちる事なく彼女をその場に漂わせたのだ。空を掴んだ勇者の手を柔く握られ、浮いていた彼女は地へ足をつけた。


「大丈夫?」


 息を付く間もなく、彼女はそう問いかけられる。

 あまりにも冷静な彼を前にして、一瞬の隙に過ぎ去ったその時間は夢だったのではないかと錯覚させる。


「まるで天使だね」


 勇者の手を握る彼自身の手に力を込め、そして微笑む貴族の彼の言葉で夢ではないのだと告げられる。

 瞬きを繰り返し混乱する彼女をよそに握られていた手は離れ、あっという間に温もりは失われる。


「だけど君はどう転んでも“勇者”だ」

「あ、あぁ。勿論だ」

「着替えてきたら?その服、嫌なんだろう」


 勇者の手にはいつの間にやら渡されていたらしい、彼女の元の服装が一式入れられた袋が握られていた。

 動揺と混乱に頭を支配されながらも勇者の彼女は「嫌な訳では…」と口籠るも貴族の彼は彼女を気遣う様子も見せず言葉を続ける。


「砂糖菓子の様に甘い頭を持っていたとしても、君は“勇者”でなければいけない。そうだろう?」


 その言葉にルチルはぐっと奥歯を食い締める。


「…分かった。着替えてこよう」

「うん、そこの門で待っているよ」


 手渡された袋をぎゅっと抱きしめ、ルチルは逃げるように駈け出していった。

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