第20話

 着いた先は会場を一望できる部屋の一室であった。外の音が全く入らない作りになっているらしく、しんと静まり返った室内に1人座るラムはそわそわと周りを見渡す。

 谷は主催者がラムと2人で話したいらしい、とだけ伝え先ほど部屋を後にしてしまった。


 窓の外に目をやると、最初にラムと郁と谷の3人で来た時とは比べ物にならない程観客席は埋まっていた。感心したように眺めていると、それは不意に聞こえてきた。


「お呼び立てしてすまない、ラムくん」


 それは音も気配もなく唐突にラムの耳に飛び込んできた。ビクリと肩を震わせ、ラムは急いで振り返る。


「君には頼みがあってどうしても直接、それも2人きりで話したくてね。こんな危険なレースへの参加を主役の君にさせるよう手を回したのは僕だ。すまないとは思っているんだよ」


 どこから入ってきたのか分からないが、振り向いた先には色白と表現するだけでは物足りないほどに脆そうな白い肌をした主催者と思わしき人物が立っていた。


「僕は、君が勘違いされていた人物だよ」


 普段動かさないのか、彼の頬の筋肉がぎこちなく上へ釣り上がる。笑顔になろうと努めている様子だ。

 ラムはその発言で郁が探している“ラムさん”がこの一定の距離を開けて立つ色白の人物だと導き出す。


「僕は純粋な…いや、それは少々違うかもしれないが、一般的に吸血鬼と呼ばれる者なんだ。すまないね、あまり君には近付けない。言葉で自分を騙しても、制御しきれない場合もあるからね」


 彼はコツコツと軽快に靴を鳴らし、離れたままではあるがラムの座る椅子の真正面に直立する。


 制御しきれない場合、とはラムの死を意味するのだろうか。

 ラムは無い脳みそをフル活動させ逃げの策を練るが、出入り口はラムから見て左手にある扉しかない。位置関係をざっと見て考えても、彼の方が近いのは明らかだ。


 最悪の場合は窓を突き破るか、等と考えているとラムの意識をこちらに戻させるかのよう彼はひとつ咳払いをする。


「君はあまり頭がよろしくない」


 人差し指を立て、彼はそう切り出す。


「これは君を馬鹿にしている訳ではなく君の設定上の話だ、気分を悪くしないでくれ」

「あ、はい。その通りなんで、別に…」

「そのクヨクヨと悩んだり考え込まないでいられる設定のまま、僕の話を聞いてほしい。長くなるかもしれないが半分は聞き流しても構わない」


 ゴホン、と要らないであろうにまた咳払いをして彼は再び語り出す。


「僕は彼女…郁の父親だ。谷はその事に勘付いてはいるし、物語の流れ上、読者にも薄々それは分かるようになっている。読み取れていない、もしくは信じたくない者もいるだろうがね。だが、主人公である郁はそれを全く知らない。知らないまま、同じ吸血鬼の仲間だと信じ、そして恋心を抱いている。憎む父親である僕に、だ」


 最後を強調させ、ラムの目をしっかりと捉える。


「続編はほぼ完成している。あとは物にするだけだ。その物語の中で僕は父親として娘と再開する訳なんだが彼女は前作の中でも、そしてこの街でさえも僕を探し続けている」


 分かるね?と口だけを動かしラムに目で訴える。


「君の物語はまだ終わっていないのは自覚しているはずだ。そんな君が彼女と手を組んで探せば僕は否応なく彼女に会うこととなるだろう。だが、真実が語られるにはまだ早すぎる」


 ラムはごくりと生唾を飲み込み、ゆっくりと頷いてみせる。ラムが理解したと見てホッとしたのか、壁に寄りかかり少し体を楽にした状態で、彼はまた一方的に話しだす。


「僕は自分を言葉で騙していると言ったが、それは彼女も同じで物語同様に彼女は吸血鬼のままだ。この街と物語との繋がりは極めて弱い。設定はいくらでも自分で塗り替えられるが残念な事に本質は変わらない。彼女は怒ると無意識に元に戻る、君も薄々気付いてはいるはずだね」


 その言葉で谷の屋敷で一瞬見せた郁の変貌ぶりを思い出す。文字と“鬼の形相”と表現するどころか、あれは完全に“鬼”に近い“何か”になっていたのだ。

 その“何か”は正しく彼女が演じ続けていたそれであろうし、彼と同じモノであると考えられる。


「それは、じゃあ…」

「詳しくは覚えてない事であるし、君に全て言う気はない。けれど彼女にとって父とは忌むべき存在、それも殺したい程にね。それが僕だと知ったらどうなるだろう」


 震える声で、先ほどの彼と同じように口だけを動かす。ラムの声無き言葉に同意を込め「おそらくね」とだけ言って頷く。


「無意識に外れたリミッターを戻すのは骨が折れるだろうし、目が覚めた彼女に映る光景は酷く赤黒いことだろう。例えこの街の住人がどんな力を持ってしても死ねないとしても、ね」


 その言葉によってラムの頭に自然と浮き出た場面に思わずゾッとする。身震いしたラムの気を晴らすように、彼は極めて陽気な声を意識した声色で語りかける。


「ひとつ良いかな。実のところレースの勝ち負けはあまり関係がない。そこは君の好きなようすれば良い。そのまま詐欺師だと思われても、君は君のまま。変わる事はない」


 そこでまたひとつ始まりと同じように終わりの咳払いをして、彼は出入り口の扉に向かい歩き出す。

 彼が扉に手を掛けたところで「ああ、そうだ」とわざとらしく何か思い出したかのように声を上げる。


「忘れないでほしい、これは君の物語だ。好き勝手に物事を進め、終わらせてくれて構わない」


 そうして彼は最初に見せたあのぎこちない笑顔と良い勝負のウィンクをラムに投げつける。

 「健闘を祈る」と言葉を残し、ばたん、と今度は出て行った事がしっかりと分かるようにして彼は立ち去った。離れていく足音に耳をたてながら、ラムは固く握りしめていた拳をゆっくりと開く。爪が強く食い込んでいたらしく、ところどころ細い三日月状の赤い跡が付いていた。


19.03.19

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