9.吉川春乃の場合

 色を置く。

 四角く区切られた真白のカンバスに、感情が灯る。

 色を置く。

 カンバスがなにかをつぶやきだす。

 色を置く。

 カンバスは少しずつ、主張をつよくしていく。

 色を置く。

 カンバスは雄弁にしゃべりだす。


 色を置くほど少しずつカンバスはぼくに近づき、あるところからまたぼくから遠ざかっていく。


 ぼくはあまり話すのが得意じゃない。

 つっかえたりどもったりすることなんてしょっちゅうだし、頭のなかで言葉を組立てて、相手に伝えることがすごく苦手だ。


 ぼくはあまり感情を表に出すのが得意じゃない。

 喜怒哀楽はふつうにある。ううん、きっとぼくの気持ちはふつうの人よりちょっと大きい。けど、それが表に出せない。


 ぼくはあまり動くのが得意じゃない。

 運動は苦手だし、体育はいつも見学していたいと思ってる。相手のことが大好きでも、指で触れるのさえどうやったらいいのかわからないし、握手を求められただけでとってもドキドキしてしまう。


 だから、ぼくは想ったことは、絵に描く。


 ぼくの大切な友達は、ぼくとは異なり、自分の気持ちを素直に表現できる。

 メグはとってもよく話す。明るい顔で、きのうあったこと、面白かったこと、なんでも全部言葉にできる。

 ぼくも、メグとたくさんおしゃべりがしたい。

 ぼくは、メグのことを想いながら、明るいオレンジ色を置く。


 ミナは感情がすごく豊かだ。嬉しい時には世界で一番まぶしい笑顔を見せるし、悲しい時にはこの世の終わりみたいな泣き顔をする。

 ぼくも、ミナといっしょに笑顔になりたい。

 ぼくは、ミナのことを想いながら、うすいピンクを置く。


 ツバサは気持ちを動きに出す。じゃれあいたいときには積極的にボディタッチ、怒ったときにも手が出るのはちょっと困りものだけど。

 ぼくも、ツバサに触れたい、触れられたい。その長いきれいな髪に、切りそろえられた前髪に。細く長い指に、自分のそれを交わしたい。

 ぼくはツバサのことを想いながら、やわらかいブルーを置く。


 そこまでしてから立ちあがって、カンバスを遠くから眺める。


「うん」


 ――しばらく見つめて、それからもう一つ。


「これも、要る」


 ぼくは、ちょっと深めのグリーンを置く。これはぼくの色。


 ぼくの友達は、ぼくをハルと呼んで受け入れてくれる。

 引っ込み思案なぼくといっしょにいてくれる。

 だからぼくは、ぼくのできるいちばん得意なやり方で、気持ちを表に出す。

 カンバスに色を乗せて。

 この日々が、永遠になりますように。

 この大切な友達と、ずっと友達、ううん、もっと深いつながりでいられますように。


「結局なにも起こらなかった……事件の予感がしたんだけどなぁ」


 窓際でメグががっかりした声で言う。


「んー?」


 ごめんね、生返事だけど、ちゃんと聴いてるよ。

 ぼくはその言葉を口に出す代わりに、もうひとつ色を置いた。

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