水曜日の迷夢 - Kuchinashi (3)

   § 3


 

「なかなかしつこいねえ、アンタも」

「それは、依頼人のミスター・オルグレンに言ってくれ」

「『もう寄越すな』って返事はどうしたんだ」

「確かに伝えたよ。それでも、どうしてもこれだけは、ってな。報酬を貰っているからには、私にもそれを完遂する義務がある」

 シスルは大げさに溜め息をついてみせたが、梔子は笑いはしなかった。古風な化粧に縁取られた紅玉の瞳で、シスルを睨むように見上げるだけで。

 厭だな、と内心でひとりごち、ミラーシェードの下の視線を逸らす。何度対峙しても、この女の目は苦手だ。薄闇にも鮮やかな、真紅。陰惨な諦めに彩られているようで、消えることのない埋み火の熱を帯びた瞳。

 梔子に己のすべてを捧げ、それ故に死んでいった男たちは、この瞳に魅入られたのだろうか。薄闇の牢獄の中にあって、なお輝きを失おうとしない二つの赤い宝石。それを、己だけのものにできるのなら――そう、考える気持ちは、わからないでもない。

 ただ、一つだけはっきりしているのは、この瞳の持ち主は他でもない梔子であり、仮に梔子を手に入れたところで、彼女の心のありさまを映し込む瞳が、その男のものになるわけではない、ということ。

 梔子の目は、今だって、目の前にいるシスルを見ていながら、遥か遠くを眺めているようでもあって。

「……刺草の?」

 その時、掠れた声が響いて、シスルの思考を断ち切る。シスルは改めて、自分が何のためにここにいるのかを己に言い聞かせ、小さく頷いた。

「ああ、すまん。用件を済ませよう」

 三回目になる伝言。ここまでくると、覚えるのにも慣れてきた。頭の中に、ぼんやりと微笑む――しかし、色つきレンズの下に、姉に似た激情の瞳を隠した花冠の君、通称エリック・オルグレンの姿を思い浮かべながら。

 シスルは、そんなミスター・オルグレンの口ぶりを精一杯に真似る。


 

 親愛なるあなたへ。

 あなたに不快な思いをさせてしまったなら、申し訳ありません。遠回しなやり方をしていたのも認めます。

 しかし、今回の出来事をきっかけにして、どうしてもあなたに、僕の思いを伝えたかったのです。ですから、これが最後だと思って聞いていただければと思います。

 僕は、今でもあの日に塔を去ったあなたの望みが何であったのかを、考え続けています。あなたの望みを叶える助けになりたいのです。そのために、あなたへの答えを探しています。ずっと、ずっと。

 必ず、あなたに会いに行きます。全ての答えを持って。

 愛しています、ガーデニア。


 ――エリック・オル


 

「どうして首を絞める」

「何か、むかついたから」

 子供のようなことを言う。唇を尖らせる梔子の顔は年端のいかない童女を思わせ、それがまた好ましくもあったのだが……怪力で首を締め上げられていると、そう悠長なことも言っていられない。いくら機械の身体といえ、喉が急所の一つであることには変わりないのだ。

 この前そうしたように、何とか畳を叩いて降参の意を示してみせたが、梔子はぼんやりとしているようで、シスルの動きに気づかない。その代わり、ぐっと喉を絞める力を強めるだけで。

 流石にシスルも慌てて梔子の手に自分の手をかけて、叫ぶ。

「ちょ、梔子、やばい、死ぬ! 死ぬから!」

「あ、ああ、すまないね」

 梔子ははっとしてシスルの首から手を離した。シスルがまともな人間なら、きっと、首にはべったりと梔子の手形がついていたことだろう。

 何とか命の危険からは逃れたが、梔子を見れば、まだぼんやりと虚空に視線を投げかけている。

「……梔子?」

「何で、奴は莫迦なんだろうねえ。莫迦。莫迦。大莫迦だよ」

 ――確かに。

 三つ目の伝言を預けたエリック・オルグレンは、いつになく感情的だった。それは、シスルが伝えた伝言にも如実に表れている。この短いメッセージに篭められた思いは、単なる家族への情なんかではなかった。オルグレン氏は……遺伝上の姉である梔子を、異性として愛しているのだ。

 そして、梔子はそんなオルグレン氏の想いを知っていたはずだ。伝言を受け止めた時に、それこそシスルの首を反射的に絞めはしたが、驚くことはなかったから。

 果たして、この二人の間にはどのような関係性が横たわっていたるのだろう。シスルの想像を遥かに越えた場所に座りこんでいる梔子は、簪の先に咲く藤の花を揺らして、シスルを見据える。

「刺草の」

「何だ」

「この伝言以外に、奴から私のことは聞いたのかい?」

「いや、何も」

「妙なところで律儀だね、奴も」

「元々、それなりに律儀な性質だとは思うがな。それに、私とてアンタらの関係を詮索したいわけじゃない――下世話な興味はあるがな」

 そこは、素直に告白することにした。ここまで聞いてしまったからには、この二人の関係性に興味を持つのは当然ともいえた。梔子も、シスルの答えに気を悪くした様子はなく、「だろうね」とだけ言って、鉢の縁に置いたままだった煙管を持ち上げた。中に詰められた草はとうに燃え尽きていて、溜め息混じりに灰を鉢の中に捨てた。

「何、そう面白い話じゃないさ」

 火を入れないままの煙管を指先でもてあそびながら、梔子は言う。

「頭文字G、七つ目の花冠。そうやって造られた私には、ガーランドにとっては致命的な欠陥があってね。成功作の奴――ひとつ下の弟と違って、永遠に塔で実験を繰り返す運命だった」

 シスルは黙って、ただ頷くだけで梔子に話の続きを促す。

「お前さんには、成功作と失敗作の違いを知らないかもしれないが……そうさね、成功作はいわば『客寄せパンダ』だ。それこそ、公式第三番のようなね」

「公式第三番……ホリィ・ガーランド」

 その名は、特に、シスルのような荒事を生業にする人間の間で有名であった。

 統治機関鳥の塔に逆らう者をことごとく殺戮する『制圧者』、もしくは『討伐者』。ただ、彼と相対した人間は生きては帰らないため、実際のホリィ・ガーランドを知る者は極端に少ない、とも言われている。

「そう、血も涙も無い、かわいくない弟さ。奴の名が裾の町に広まったのは必然でね、奴にはガーランド……塔が造り出した『進化した人間』の性能を外部に示す役割があったのさ。その代わり、限定的な形ではあるが、外の世界との接触を許される」

 ――だが、失敗作はそうではない。

「失敗作は、塔から一歩も出ることを許されない。失敗作というものが『ある』ことを、表沙汰にしたくないのさ。だから、私はずっと、硝子の檻の中で、白衣の連中が望むように過ごしていた。くるくる、終わらない車を回すげっ歯類のようにね」

 煙を立てることを止めた煙管が、淡い闇の中に円を描く。くるくる。硝子の槽に閉じ込められたハツカネズミが延々と車を回す様子を、脳裏に思い浮かべる。その、想像上のハツカネズミも、やはり赤い目をしていた。目の前の女と同じように。

「そして、お前さんの依頼人は、そんな私を哀れんだのだろうな。奴も公式番号を持つ成功作だが、上の思惑通りに客寄せパンダを演じる、生真面目な双子の兄貴とは似ても似つかなかった。奴の趣味は、成功作としての特権を振りかざして、上の監視すらも掻い潜って塔の外をほっつき歩くことだったから」

 確かに、シスルの知るあの男――仮称エリック・オルグレンは、塔の人間らしからぬところがあった。選ばれた者が住まう塔の中よりも、塔が見下ろす裾の町を愛し、特に塔からは目も向けられないような外周と、そこに生きる人々に、惜しみない愛を注ぐ。

 それは、純粋な好奇に加えて、己を縛ろうとする者たちへのささやかな反抗かと思っていた。だが、それだけでなかったのかもしれない。

「奴は、色々なことを私に語ってくれたよ。塔の中じゃあ、絶対に誰も教えてくれないようなことを、色々とね。そうしているうちに、私のなかに生まれた感情を、お前さんなら何と表現するかな、刺草の」

「……嫉妬か」

「そう。当たり前さね、奴が見ている世界を、私は見ることができない。奴は良かれと思って語ってくれたんだろうが、私にはそれが鼻持ちならなかった。それと同時に、自分が生きてる世界に、絶望もした」

 ああ、この、硝子の檻の中はあまりにも狭い。

 世界の最先端として生み出されながら、勝手な都合で失敗作のレッテルを貼られて、げっ歯類と何も変わらない扱いを受けたまま、磨り減って、やがて消えていくのか。

 シスルの耳は、梔子の声にならない叫びを聞いた気がした。ニヤニヤと笑う顔の無い研究員たちに眺められながら、指先で硝子板を引っかき、黒髪を振り乱す一人の女の姿を、想像する。

「私が死んでも、実験記録は残るだろう。だが、記憶には残らない。ガーデニア、という名前など、単なる通称でしかないからね。同じ顔をした失敗作の花冠が一人、潰されて消える。それだけだと思ったら、頭がおかしくなりそうだった。そこに、一人の男が手を差し伸べてきたのさ」

 ――君の望みを、叶えてあげられるかもしれない。

 そう言ったのは、一人の研究員だった。君さえ上手くやってくれれば、自分は君を、この場所から連れ出してやれる――と。

「もちろん、ほいほいとその誘いに乗ったよ。当時の私は、世間知らずのお嬢様だったからな。欠陥品とはいえ、白い花冠を頭に載せて、くるくる回っているだけの阿呆。だが、私が外に出る条件を満たすためには、自分の力で一つ、どでかい騒ぎを起こす必要があった」

 梔子の表情が、いびつな笑みを模る。埋み火の瞳が、闇の中に獰猛に煌いた。

「そこで、私は奴を利用することにしたのさ。私のことを散々苦しめてくれた奴を、高みから哀れみの目で見下ろしていた貴重な成功作を、私の手でめちゃくちゃにしてしまえば誰もが黙っちゃいないだろう、ってねえ」

 くつくつと押し殺した笑みすら漏らしてみせるが、決して、梔子の目は笑ってはいなかった。

「なかなかの見物だったよ。あの、すました顔の奴が、泣き喚いて助けを求めるさま。私に何度も『何故』を問うさま。きっと、自分がどうしてそんな目に遭うのかも、わかっていなかったんだろうよ。本当に、おめでたい頭だよねえ、奴も――私も」

「……それで、騒ぎを起こしたアンタは、危険分子として塔の記録からは抹消された。殺された、と言い換えた方がいいのか」

「ご名答。そうして、たどり着いた場所がここ」

 梔子の指が、畳を引っかく。爪痕は、影となってその場に残り続ける。

「何もわからないまま連れて来られて、そうして、やっぱりここも篭の中だっていうことに気づかされたのさ。違うのは、私を好きにするのが、研究員でなく物好きなお偉方だってこと。そして、そうなることを、私自身が選んだということ」

 知らなかった、というのは言い訳にならない。

 もはや、取り返しのつかないところまできてしまった梔子に残された選択肢は、この場に残るか、それともあてもなく外に出て、失敗作の花冠であることを塔に知られ、本当の意味で抹消されるか。その二択だったのだ。

 ここまで来て、シスルは、何故梔子に関わった人間がことごとく死ぬのか、本当の意味で理解した。梔子の存在は、それ自体が塔の汚点だ。そして、それを争いの種として利用しようとする者も少なからずいるに違いなかった。

 塔には味方も多いが、敵も多い。

 だからこそ――梔子の秘密を知った者は、生きていることを許されない。そういうこと、なのだろう。

 シスルは小さく身震いした。自分も「生きていることを許されない」一人であることに気づいてしまったからだ。

「性質が悪いな、あの野郎……」

 思わず呟いていた。あの花冠の君――エリック・オルグレンは、何もかもを理解した上で自分をここに寄越したのだ。シスルなら、何を知ろうとも簡単には殺されることがないと踏んで。

 人畜無害そうな笑顔の下に隠されていた真意を知って、歯噛みする。彼が何もかもを隠して寄越したことが不愉快だったというよりは、その真意に気づけなかった自分自身が悔しかった、という方が正しい。

 頭を軽く振って、気を取り直してシスルは問いを投げかける。

「それで、アンタは、後悔してるのか?」

「少しはね。でも、ここの生活は悪かないよ。味気ない記録を積み重ねるよりは、ずっといい」

 物知らずのお嬢様だった梔子は、このきらびやかな牢獄でいくつもの経験を重ね、いつしかこの娼館に「君臨」するようになった。確かに、その生活は、ただ悪いだけのものではなかったのかもしれない。そこまでの過程や、今の梔子のあり方は、もはやシスルの想像も及ばない領域だったが。

「さ、つまらない昔話は仕舞いだ。これで、私と奴の関係はわかっただろう?」

「ああ。だが、ミスター・オルグレンはそこまでされてもアンタを恨んでいない……どころか、愛まで語ってくれてるが」

「奴は奴で、ちょっと頭の螺子がいかれてるんだろうよ。何といっても、私の弟だからね」

「愛は盲目、って考え方は無いのか」

「考えたくないだけさ」

 しれっと、梔子は言ってのけた。ただ、意外なことに、そこに拒絶の響きはなかった。それどころか、梔子が口の端に浮かべる笑みは、今までシスルが見てきたどの表情よりも、安らかなものに見えた。

 梔子が、エリック・オルグレンと名乗る花冠の君に抱く感情は、シスルには量りきれない。だが、それが単なる嫉妬から来る憎しみや、己の苦しみを理解しなかった怒りだけではない、ということだけは確かだった。

 難しいな、とシスルは思う。だが、その難しさが好ましくもあった。確かに関係性だけで見れば、酷くいびつかもしれないが――それでも、この二人の間に流れるものは、とても「人間らしい」感情であったから。

 梔子は、ふ、と息をついて言葉を紡ぐ。

「長々と話しちまったね。返信を頼むよ」

「何て言えばいい?」

「……『その大口を、私の目の前で叩いてみろ』」

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