水曜日の迷夢 - Kuchinashi (2)

    § 2


 

 親愛なるあなたへ。

 お返事ありがとうございます。黙殺されるかと思っていたので、驚くと同時に、とても嬉しかったです。月並みな表現になってしまいますが。

 ご存知のこととは思いますが、例の事件に関しましては、収束に向かっています。私も、力不足の身ではありますが、一刻も早く、元の……それ以上の平穏をお約束できるように尽力いたします。

 それでは、あなたもお元気で。


 ――エリック・オルグレン


 

 シスルは畳の上に膝をつき、梔子と対峙する。

 伝言を受け取った梔子は、物思いにふけるかのように虚空に赤い視線をやって、銀の蛇の巻きついた煙管を口の先で揺らしている。

 梔子の纏う装束は前回見たものとはまた違う、白を基調としたもの。幾重にも重たそうな着物を重ねているわけでもなく、要するに彼女の部屋着のようなものであるのだろう、とシスルは判断した。流石に、シスルもこのような場所の流儀には疎い。ただ、梔子が無防備な姿をシスルにさらしているということだけは、確かだった。

 ……無防備なのはどちらだろう、と考えなくもないが。

 シスルも首都の一般男性としては小柄で華奢な方ではあるが、それでも大の大人一人を軽くあしらう程度の膂力は持ち合わせる。だが――この、一見儚げにも見える女に与えられた『力』は、それをはるかに上回る。

 武装を剥ぎ取られたシスルが、真っ向からこの女とやり合って、生きて帰れるとは到底思えない。だからこそ、店も客でもないシスルの度々の訪問を看過しているに違いなかった。

 なら、どうして、そのような『力』の持ち主が、外周の娼婦という立場にあるのか。

 実のところ、シスルにはずっとそれがわからずにいる。

「なあ、刺草の」

 ふと。煙管を口の端に咥えたままの梔子が放った言葉は、仮定と想像の世界に旅立ちかけたシスルの意識を現実に引き戻す。

「何故、あの阿呆はこんな下らん伝言をお前さんに託してると思う」

 その質問に、シスルは答えない。メッセンジャーでしかないシスルに、口を挟めることでもない……そう、思うことにしたからだ。実のところ、いくつか、想定はできたけれど。

 そして、シスルの沈黙の意味を梔子は正しく理解したのだろう。子供のようにぷうと頬を膨らませると、煙管を口から離し、シスルの鼻先まで顔を近づけて、甘ったるい香りの煙を吹き付けてくる。

「推測でいいんだよ、推測で。どうせ、そう的外れでもないだろうよ」

「どうして、的外れじゃないって言えるんだ」

 煙をぱたぱたと払いながら、シスルは意識せずとも僅かに苦い顔を浮かべていた。何も甘い煙が不快だっただけじゃない。梔子の口調に、ほとんど確信に満ちていたから。その瞳に宿った赤が、真っ直ぐにこちらを見据えていたから。

「……お前さん、どうせ最初から知ってるだろ? 私と奴の関係を、さ」

「きょうだいか何かか? ミスター・オルグレンと瓜二つだもんな、アンタ」

 軽く言ってやると、梔子は不愉快そうに形のよい眉を吊り上げた。シスルの答えに満足していないのは確かだった。

 もちろん、シスル自身がわかっている。シスルは、彼女の望む答えを返してはいない。

 梔子は「最初から知ってる」と言い切った。つまり、外見で二人の関係を推測したわけではないことくらい、梔子はとうに見通している。

 一呼吸の後、梔子はぐいとシスルの肩を抱くように引き寄せ、煙混じりの言葉を吐き出す。

「私が言ってるのは、そんなことじゃないんだよ、刺草の。いや」

 耳元で囁かれたのは、今ここで聞くはずもない、三音節四拍。

 その瞬間に、シスルは反射的に身を引いていた。だが、梔子の言葉に恐怖したわけではない。単純に……驚いたのだ。

「し、知って」

「いや、ブラフだよ。案外単純だな、お前さん」

 けたけたと笑う梔子に、思わず上ずった声を上げてしまったシスルは、胸の中で舌打ちする。それを表に出さなかっただけ、上出来といえよう。

 ただ……いくらブラフといえ、他でもないシスルにその言葉をぶつけてきたことは、事実。

「要は、裏付けは無いにせよ看破してたってことだろ。アンタも弟も、本当に性質が悪い。なあ……『花冠ガーランド』のお姫さん」

 ガーランド――その言葉を聞いて、梔子は口元に笑みを浮かべてみせた。だが、それは心からの笑みではない。その真紅の双眸には、揺らめく暗い炎が宿っていたから。

「そう、それでいいんだよ、刺草の」

 ガーランド。

 それは、《鳥の塔》で『造られた』人間の総称だ。

 彼らを生み出す目的は、滅び行く世界への適応。旧時代の人類には耐えられない環境の中で生きていくためには、どのような能力が必要とされているのかを、その存在をもって示す。

 その過程で、彼らにはこの世界を生き抜くための特別な能力が与えられる。あるガーランドには通常の人間よりも遥かに高い思考能力を、あるガーランドには暗闇を見通す瞳を。

 そして、あるガーランドには――まさしく目の前にいる女がそうであるように――人間離れした身体能力を。

「黒髪に赤い目はガーランド・ファミリーの特徴らしいな。ミスター・オルグレンは流石に目の色を隠してたが」

「奴もそこまで阿呆ではない、ってことだろう。そうまでするなら、もう少し気の利いた偽名を考えてこい、と言いたいとこだが……と、話が逸れたな」

 煙管の先を手元に寄せた鉢の縁で叩き、梔子はつと視線を逸らす。頭を揺らせば、簪の先についた飾りがちりりと鳴る。

「何も、お前さんの中身を暴き立てたいわけじゃない。そんなもの、何の得もありゃしない。聞きたいのは、あの愚弟の狙い。こんな伝言を預けてきたことに対する、お前さんの意見さ」

 シスルは、口元に手袋を嵌めたままの手をやって、思案する。シスルの中での推測はただ一つ。ただ、それをどう言葉にすれば正しく伝わるだろう、と考えてみて……結局、思ったとおりを言葉にした。

「別に、何の狙いもないんじゃないのか? ただ、アンタのことを心配してるだけで」

 ガーランドの名で呼ばれる一族が、どれだけ特異な出生であるにしても。シスルは、今までこの目で見てきたガーランドの姿を通して知っている。

 彼らも、この国に生きる誰とも変わらない、人間なのだと。

 ほとんど「人間らしさ」からかけ離れているシスルが言うことでもないかもしれないが、だからこそ、冷静に観察することもできるというものだ。

 とにかく、シスルの目を通して見れば、彼らはあまりにも「人間」だった。

 従順に見せて、実のところ酷く感情的で、時に醜悪なまでの我を見せる。そこまで考えたところで、記憶の片隅にちらついた、涙に濡れた赤い瞳を意志の力で追い払う。そうして、再び思考に戻る。

 オルグレン氏(当然、本名も知ってはいるのだが、ここでは便宜上そう表現する)は、そんなガーランドの中でも、人間らしさという点では突出している。己の中に渦巻く感情を、理性で押さえこむという技術を覚えているだけ、尚更。

 そのオルグレン氏が、家族への情というものを持ち合わせていても、何ら不思議ではない。

 だが。梔子は、シスル……というよりも、おそらくはシスルの後ろに見え隠れするオルグレン氏の影を見据えながら、呻いた。

「……ありえんな」

 その言葉には、隠しようもない苦々しさが滲み出していた。

 そこにシスルが見出したものは、憎悪、嫌悪、そして、後悔。

 そのどれが正しいのか……もしくはどれも正しいのか、シスルには判別しかねた。これは、先ほどのオルグレン氏と梔子の関係を問われるのとは違う。想像を膨らませるにしても、材料が少なすぎた。

 そして、梔子もそれ以上は何も言わなかった。

 沈黙だけが、その場を支配する。シスルは、梔子の瞳から視線を逸らし、格子窓の外で提灯が風に揺られるのを見るともなしに見つめていた。

 梔子が、次の返事をシスルに伝える、その時まで。

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