第2話 8月7日

 海へ行くことになった。

 麻衣夏と付き合ってもうすぐ一年になる。だが、付き合い始めたのが夏も終わり頃だったので、爽平が彼女と一緒に海へ行くのは初めてのことだ。

 更衣室で着替えて浜辺で麻衣夏を待ちつつ座っていると、急に頭に衝撃が走る。といっても、軽い感じのものだ。

 見ると、西瓜の形をしたビーチボールが転がっていく。

「爽平、お待たせ」

 そのボールを追いかけて麻衣夏が現れる。ショッキングピンクのカーゴショーツに白地に薄いピンクのハイビスカス柄のタンクトップ姿。街を歩くにはやや派手目な格好であるが……。

「おまえ、なんか間違ってない?」

 爽平はそう言わずにはいられなかった。

「えー、なんで?」

 西瓜のビーチボールを胸に抱えた麻衣夏は不満げに口を尖らせる。

「まだ着替えてないんだよな」

「え? だって、ほら」と、彼女はくるりとまわって「さっきと服装違うでしょ」と得意げに言う。たしかに、Tシャツにキュロットスカート姿の着替える前とは違っていた。だが、爽平には納得がいかない。

「それ、水着だとか言うなよな」

「ほら水着の生地でしょ」

 爽平の手を掴んで腹部の生地を触らせる麻衣夏。ニッコリ笑ったその顔に誤魔化されまいと爽平は手を離す。

「この前一緒に買いにいったアレはどうなったの?」

 専門店まで一緒に買い物に行った時、あれこれと思い悩む麻衣夏に焦れったく感じながらも2時間近く付き合った記憶がある。

「ああ、アレね。うん、なんだか恥ずかしくなって」

 おもむろに視線を逸らす麻衣夏。その仕草はわざとらしくも感じる。

「つうか、麻衣夏、おまえは夏女だろ。全身で夏を感じるような生き方じゃなかったのか」

 見損なったと言わんばかりの勢いで爽平は攻撃をかける。

「うーん……なんだかねぇ。秋が似合う女になりたいわけよ」

 急に気怠そうな、それも演技っぽい口調になる。

「こういう時だけ夏を否定するなよ」

 いつもは夏を背負って歩いているような性格の彼女なのだから。

「あははは。夏はやっぱりスクール水着だよね」

 その作り笑いにも、話を逸らす為の方向にも無理はあった。

「なんか誤魔化してるだろ」

「うん、実を言うとね」

 伏し目がちになる麻衣夏。

「なんだよ。もったいぶって」

「だから! 勢いで買っちゃったけど……やっぱね、ビキニタイプって胸ないとちょっと格好悪いんだな、これが」

 「てひひひ」って感じの変な苦笑いを麻衣夏はした。そこで思わず爽平は胸の小さなふくらみに目がいく。

「あ、そっか。麻衣夏、貧乳だもんな」

「貧乳いうなぁー! セクハラ男」

 爽平の頬に彼女の拳で思いっきりぶつかってくる。そう、平手じゃなくて拳だ。麻衣夏の右ストレートには手加減はなかった。



 水着はおとなしめではあったが、海の中では大はしゃぎの麻衣夏だった。

 二人でくたくたになるまでふざけあって、海に来たというのに大して泳ぐことはなかった。それでも楽しい時間を共有できたと爽平は思う。

 途中、肌を焼きたいという彼女にサンオイルをたっぷり塗りたくって(肌を焼きたいのに、露出が少ない水着を着てくる矛盾を爽平は感じたが)、しばらく休憩となる。飲み物を買ってきて麻衣夏に手渡すと、彼女はこんなことを言った。

「そういえば最近、砂浜で恒例のイベントやる人ってあんまりいないのかなぁ」

「イベント?」

「そう、いかにも夏の砂浜っぽい感じのやつ」

「例えば?」

「西瓜割りとか」

「……西瓜割りなんて、今時お笑いタレントのコントでも見かけないぞ」

「そうかなぁ」

「少なくとも今どきの奴はやらないだろ」



 帰り道、「お腹空いた!」と麻衣夏が言ったので、手軽に食事のとれるファミリーレストランに入ることにした。付き合って1年近くにもなるので、今更豪華なディナーに誘わなくても彼女は不満を言わないはずだった。

「最近、ファミレス多いよね」

 今日に限って彼女はそんな風に漏らす。大好物のカルボナーラをペロリと平らげた後だった。

「不満か?」

「いや、気取ったお店ってのも気を遣ってヤだけどさ。でも、なんかお気軽な扱いされているようで、ちょっとムカツクかも」

 そう彼女は笑顔で言った。「ムカツク」の部分がこれ以上にないくらいの笑顔だったので、彼は少し恐怖を感じた。

「仕方ない、今度はもっと豪華なディナー連れてってやるからさ」

「ま、いいんだけどね。あたしジャンクフード嫌いじゃないし、時間や周りを気にせずに喋れるってのはある意味魅力的だし」

「どっちなんだよ」

「まあまあ、怒らない。複雑なのよ女心は」

 そう言って彼女は食後にとっておいたアイスティーを飲む。

 爽平も口の中を潤そうと思ってコーヒーカップに手を出すが、その中はすでに空だった。

「コーヒーのおかわりいかがですか?」

 タイミング良く近づいてきた店員が、空になったカップに目を向ける。わりと小柄な二十代前半ぐらいの女性だった。

「あ、お願いするよ」

 爽平はそう言って店員に視線を向ける。だが、彼女はこちらではなく、麻衣夏の方を見つめていた。そして驚いた口調で呟く。

「あれ? エイフーじゃない?」

 その声で、麻衣夏もアイスティーのグラスから視線を上げて店員を見る。

「え? あ、佳枝じゃん。なに、ここでバイトしてんだ」

「まあね、こちらは彼氏さん?」

「うん、そんなようなもん」

 そう言われて爽平は口を出せなくなった。せっかく爽やかな自己紹介の方法を考えていたというのに、まるで脇役扱いだ。

「そんな言い方していいの? 彼の方は何かいいたげだよ」

「いいんだよ。で、いつからバイトやってんの?」

 麻衣夏は爽平の事など気にしない様子で話に夢中になっている。

「夏休み入ってからだよ。あ、ごめん、あんまし喋ってると店長がうるさいから」

 彼女は一度後ろを振り返り、麻衣夏に右の手のひらを向ける。

「うん、わかった。後でメールするね」

「では、ごゆっくり」

 そう言って彼女は去っていく。

「友達?」

 親しそうに話していたのだから十中八九そうであろう。

「高校の時のクラスメイト」

「ふーん、で『エイフー』って? ニックネーム?」

「そうだよ」

「変わった呼び方だね。どういった経緯で付いたわけ?」

「うん、ほらあたしの苗字って変わってるじゃん」

「あ、そうか『四月朔日』は『四月一日』だから、エイプリルフールね。はいはい、すっきりした」

「ほんとは『朔日』って陰暦だから、正確にはエイプリルフールとは違っちゃうんだけどね」

「ま、ニックネームなんてそんなもんだろ」



 その夜、再び印象的な夢を見る。

 血に染まった砂浜。

 頭から血を流している幼い少女の死体。

 頭痛がしてきた。


 またしても乱雑な記憶の再配置だ。


 先週観に行ったホラー映画と、海に遊びに行った事が入り混ざっている。どうせならもっと楽しい夢がいいのだが。

 やはり元凶は映画の後のくだらない議論だったか。あれが一番影響しているのだろう。爽平はそう思うことにした。

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