第3章 4

 わたしが何を聞きたくて彼女らに話しかけたのかをすべて理解したようにそう言うと、彼女は歩いて教室から廊下へ出る。無論、わたしも俯いたままそれに従う。クラス中のみんながわたしのことを見ている気がして、いたたまれない気持ちになる。

 わたしが廊下に出ると、彼女は口を開いた。

「なんでみんなが自分のことを避けているのか、そのことを聞きたいんでしょ? 自分には身に覚えのないことだから」

 その通りだ。しかし、わたしはなぜか口を開くことができない。どうも口が重い。言いたいことはあるのに、口が思うように動いてくれない。そんなもどかしさを感じながら、わたしはただ首だけで肯く。

「あんたがエンコーしてるって、噂になってる」

「エン、コー……?」

 エンコー。それがどういう意味の言葉で何を指しているのか、そのときは考えにも及ばなかった。少しして、それが援助交際の省略だということに気付く。

 だがわたしには援助交際など思い当る節はない。

「そう、援交。お金ほしさに大人の男の人に股を開いてる尻軽女だって。正直言って、わたしもあんたのことサイテーな人間だと思ってる。学校じゃイイ子ちゃんぶって先生たちに媚び売って、一歩学校を出たら、化けの皮剥がして男狩り。まだまだ、ウチと同じ中坊のくせして。そうやって人のこと見下してたんだろ?」

 彼女のセリフに、わたしの思考は追いつかない。

「ちょっと待って……。なんで、そんな話になってるの? そんな根も葉もない話、どこから湧いてきたの?」

 たったこれだけの言葉を口にするのも、大変な体力を使う。喉の奥が焼けるような、そんな感覚がある。唇がわなわなと震える。一度、深呼吸をして気持ちを整えようとするけれど、吐く息も震えて深呼吸にならない。

「だって……、そんな、火のないところに煙が立つわけ……ないのに」

 やっとそこまで言葉を吐き出す。

「ねえ、あんたさ、学校の成績は良いくせに、意外と頭はポンコツなの? 煙があるってことは、どこかに火があるってことでしょうが」

 たしかに、それはその通りだ。でも、心当たりがさっぱりない。

「あんたが土曜日、誰だか知らない男の人とデートしてるのを見た人がいるわけ」

 それにはもちろん、心当たりがあった。彼とデートした日だ。

「スカイツリーのフードコートで見たんだってさ」

「誰が……」

 それは彼女に対する質問ではなく、単なる呟きだった。いったい誰が、あの場にいたというのか、信じられない、そういう思いがつい口をついて出ただけ。

しかし彼女は律儀にも、その名前を口にした。彼女が話した名前は、元カレのストーカーさんの名前だった。

 わたしは重い口をひらいて、反駁せずにはおられなかった。

「そんなの、わたしに恨みがあっての狂言かもしれないでしょ?」

ストーカーさんがわたしに対して恨みを持っていてもおかしくはない。

「うん、最初はわたしもそう思った。でもね、写真まで見せられたら、信じるななんて言うほうが無理だよ」

「え、しゃ、しん……?」

「うん、写真。これだよ」

 そう言って彼女はポケットからスマホを取り出す。わたしが覗き込むと画像が出ていた。そこに写っているのは紛れもなく土曜のわたしと彼だった。わたしと彼がテーブルを挟んで向かい合って座っている。

 でも……。

「でも、これって、ただふたりで話してるだけだし」

 わたしは少しだけホッとする。この写真が根拠なら、誤解を解くのは比較的容易だ。

「うん? あ、間違えた。こっちじゃない」

 そういって彼女が画面をスワイプすると、次の画像が現れる。彼女のスマホをもう一度覗く。そうしてわたしは声が出せなくなる。

 そこには、わたしが彼からお金を受け取るところが写っていた。痛いところの写真を撮られた。別にやましいことはないけれど、明らかにいくつも年上の人とデートしていて、テーブルに向かい合ってお金を受け取っているというのは状況的には間違いなくクロだ。こんな写真があるのなら、援助交際と思われても仕方ない。「疑わしきは罰せず」というのは日本の法律の原則だけれど、学校のクラス内における人間関係は、もちろん治外法権。情報ソースがどうとか、信憑性がどうとか、そんなことは全く関係なくて、みんなが言ってるから正しいんだろう、みんなと同じように行動していればいいんだろう、そうやって大衆は流される。もうひとつ、噂は噂を呼ぶ。人間はゴシップが好きだ。中学生ともなればなおさら。今のところはクラス内だけだけれど、そのうち学年に知れ渡り、学校中に知れ渡るのは目に見えている。ただし大人を除いて。

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