第3章 1

 『神奈川県相模原市で、公立中学校一年の男子生徒が学校の屋上から飛び降りて死亡する事故があった件について、同市教育委員会は、生徒の自宅から「もう耐えられない」と書かれた紙が見つかったことを明らかにした。市教委は、いじめを苦に自殺を図った可能性があるとみて調査を始めた。神奈川県警は――』

 テレビの画面の中でアナウンサーがそんなニュースを伝える。わたしは掛け布団にくるまりながら、体を起こすのを気怠く感じる。時計を見ると午前六時。もう三十分も聞き流すだけのテレビを点けながら、ぬくいベッドの上で眠さに目をこすりつつゴロゴロしていた。このあいだ国語の授業で「春眠暁を覚えず」なんていうフレーズを習ったけれど、春だろうが春じゃなかろうが寝起きがつらいことに変わりはない。ましてや今日は月曜日。より一層、頭も体も重い。

 いっそ、月月火水木金金みたいな感じなら月曜日を疎ましく思う気持ちもなくなるのかもしれない。でも、休みがなくなるのは嫌だな、体も休まらないし、遊びにも行けない。そう考えると、月曜日を疎ましく思うのは、逆説的に休日の恩恵を表しているといっても間違いじゃない。これはたとえば、かりに何かに痛がっている人に対して、「痛いっていうのは生きている証だよ、ありがたいと思え」と言うことに大して相違ない。レベル低いな、わたし。

 わたしは思い切って体を起こす。起きない言い訳ばかり考えていても仕方ないし、学校に行くのは確かだ。これ以上横になっていたら、時間がなくて朝ご飯を食べ損ねてしまう。自分で自分の首を絞めるだけだ。

 両手を上に伸ばし、大きく伸びをする。パジャマの裾がめくれていたのでそれを直し、掛け布団をきれいに整えてリビングに向かう。

 リビングの戸を開けると、それと同じタイミングでチンという甲高い音が鳴る。オーブントースターの音だ。パンが焼けたらしい。

「なんだ、お母さん起きてたんだ」

 わたしはそう言うと、洗面台へ行く。

「うん、今日は燃えるゴミのゴミ出しがあるでしょ。だからね」

 最近はひとりで起きて、ひとりで朝ご飯の準備をして、ひとりで家を出ることが多い。もう中学二年生なんだから少しずつ自立なさい、ということらしい。わたしとしても、これくらいのほうが気も楽で良い。

 歯磨き粉のチューブをつまんで、歯ブラシの上に適量をのせる。そうしてそれ口に含み、歯を磨く。歯茎にブラシのあたる感覚が妙に心地よい。

 口をしっかりゆすいだあと、朝食をとり、部屋に戻る。この時間になると、さすがに意識もしっかり覚醒していて、さっきみたいにベッドの中でグダグダすることもない。たいがい眠気なんてそんなものだ。起きるのは嫌だな、とか思いながら、実際に起きてみると案外すっきりして、それまで時間を無駄にしていたのが馬鹿みたいに思えてくる。でも、意外と何でもそういうものなのかもしれない。勇気のいることでも、えいやって飛び込んでみたら、存外うまくいったなんてことはザラにありそうだ。

 そんなとりとめもない考えを廻らせながら、わたしはパジャマを脱ぐ。下着姿に肌着を着て、その上から制服のYシャツを羽織ってボタンを留める。下半身にはプリーツスカートをあてがってホックとチャックをしめる。

 スクールバッグを掴み、中身を確認して、忘れ物がないか確かめる。よし、大丈夫。

 姿見鏡の前に立つ。身だしなみに変なところがないか。そこで、セーラー服のスカーフを忘れていることに気付き、洗濯物ピンチから取り外して、身に着ける。

 今度こそ完璧だと思い、玄関に行き、靴を履く。いってきます! と大きな声をあげて外に出る。母からの返事があったかどうかはわからない。

 外に出ると、東の空にまだ上にあがりかけの太陽が目に入る。日の光のポカポカとした暖かさに包まれながら、わたしは駅に向かって歩く。

 家から駅まではさほど遠くない。十分ほどで到着する。定期券を使って改札をくぐり、一番線のプラットホームに立つ。今日は線路に飛び込む妄想はしない。そう毎日毎日やるようなものでもないし、たまにするからこそ、陶酔を得られるのだろう。

 今週はどんな一週間になるのだろう、きっといつもと変わらない日常に埋もれていく一週間なんだろうな、そう思いながらふと顔をあげると、プラットホームの屋根の隙間から漏れ出ずる空は、嫌みなくらいに青くって、皮肉なくらいに晴れ渡っていた。

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