第2章 1 

 デートの日は意外と早くやってきた。いやまあ、時間の流れが早くなることはないので、あくまでわたしの主観でしかないのだけれど。でも、そういえば、かのアインシュタインが証明した相対性理論とかいうもののなかには、そんな時間に関する記述もあった気がする。難しくてよく理解できなかったが。ただ、わたしが覚えているのは、相対性理論そのものではなく、それにまつわるアインシュタインのエピソードだけ。たしか、「相対性理論ってなんなの?」って子どもたちに訊かれたアインシュタインは、「君たちが、たとえば恋人と一緒にいるときには、時間が流れるのは早く感じるでしょう? それと同じで、時間の流れっていうのはみんなに平等なものではないってことだよ」みたいに答えたとかなんとかっていうエピソード。うろ覚えだから、あっているかどうかはわからない。

そう考えると、時間が早く流れたように感じたというのは、あながち間違ってもいなかったのかな、なんて考えながらわたしは、押上駅で京浜急行の電車を降りる。赤い車体に白い線が一本入っているツートンカラーの車体だ。もっとも、京浜急行とはいえ直通運転なので、押上駅は都営浅草線にあてはまるのだが。

 今日の集合は午前の十時。わたしの家からは別段近いということもないので、家を結構早めに出た。自分が待つのはいいけれど、人に待たせるのは、どうも気を遣ってしまって性に合わない。今は集合時間の三十分前だから、九時半だ。まあ、集合とはいっても二人しかいないのだけれど。

 もうすでに彼が到着しているかもしれないと思いながら改札を通るが、見渡す限り、あのヒョロヒョロで廃スペックな彼はいないようだ。もしかしたら、あまりにも体が細すぎて柱の陰にでも隠れていしまっているのか、とも思ったが、それもないようである。わたしも彼も、考え方が似ているらしく、いつも二人して集合時間の三十分前に到着している。それじゃあ集合時間なんか意味ないじゃん、なんて思ったりもするけれど、お互いに譲らないのだから仕方ない。それに、早く集まったほうが長く一緒にいられるというメリットもある。

 わたしは壁にもたれかかりながら、彼を待つ。スマホの画面を開き、なんともなしに画像を見たりする。そうして、暇さえあればスマホを触っている自分に気づく。スマホなど持っていなかったころのわたしは、スマホを持っても依存なんか絶対にしないぞ、くらいに思っていたけど、今思えばバカらしい。スマホが一日なかったら、どれだけ暇になるだろう。そんな生活、想像もできない。数年前、スマホを持っていなかったころのわたしは、どうやって一日を過ごしていたんだっけ?

 なんとなく彼とのLINEを見ていたわたしは、ふと思い出す。そういえば電話を切るときも、お互いになかなかきれないのだ。電話といっても、LINEの機能のうちの無料通話のことである。多少音質や電波が悪い時もあるけれど、通話を行うのにさして不自由はしない。

 わたしは、彼との通話をきる場面を思い出す。

「じゃ、わたしそろそろ寝るから、電話きるね。また明日。バイバイ」

「うん、また明日ね!」

「……」

「……」

「……ん? なんか言い忘れたことでもあった?」

「……いいや、なんにも。なんで?」

「いや、だって電話切らないから」

「いやいや、そっちもでしょ?」

「うん。まあ、たしかに」

 そうして二人で笑う。これがテンプレートの展開。

 わたしは、電話をきるときに相手がきってから自分がきらないと落ち着かない。それは彼も同じようで、この類の人間同士で電話をするとき、こういう現象がよく起こる。最近では、二人で息を合わせて、「せーの」で電話を切ることにしている。

 わたしは思考をいったん停止させて、スマホから顔を上げる。彼はまだ来ていない。怪訝に思いながら時計を見ると、九時五十七分。彼にしては珍しく遅いな、と思っていると、やっとそこで、駅構内の曲がり角を飛び出してこちら側に向かってくる彼を発見した。走ってきたみたいで、息が上がっている。わたしは声をかける。

「遅かったね、どうしたの?」

「あー、ごめん、大学で月曜日までの課題があったから、それを昨日のうちに終わらせようと思ってたら、時間かかっちゃって……」

「あ、つまり今日は寝坊助さんなのね」

 そう言ってわたしは、意地悪そうな顔をつくる。

 彼は、「ごめんなさい」と年上なのに丁寧に謝る。

「今日、起きたのが九時半で、あわてて着替えて走ってきたの」

「え、まって、三十分で来れるの?」

「あれ? 本当に気づいてないの? 俺の家って、ここから一駅のところだよ?」

「えっ!? あ……」

 そう言われてみればそうだった。今までスカイツリーの話題が出たことなんか特にないから、意識していなかったが、彼の家はここから近かった。

 彼の家には、もう何回か行ったことがある。彼の家で終日遊んでいたこともあるくらいだ。彼は、大学進学のために上京していて一人暮らしなので、彼の家は気を遣わなくていい分だけ楽なのだ。

 そういえば、その度にスカイツリーが見えていた記憶がある。

 わたしは少し、ふてくされる。

 彼が言う。

「俺がこないだ、『どうする? 何も遊ぶものなかったら』ってLINEした時も、なんか普通の反応だったから拍子抜けしちゃったんだけどさ。本当は、『いや、家から近いんだから知ってるでしょ』みたいなことを言ってくるかなって思ってた」

「ふーん、そうなの」

「うん、それに、場所をスカイツリーにしたのも、俺がよく知ってると思ったからなのかなって。……えと、ねえ、なんか怒ってたりする?」

 わたしは答える。

「ううん、別に?」

 そうして間をおいて、

「まったく、バカなんだから」

 と言って、わたしは微笑んだ。

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