第25話 寝所/争奪/奥の乱


 永正11年の鎌倉合戦。

 その初戦となる由比ヶ浜ゆいがはまでの戦いを機に、関東の情勢はゆるゆると動きだした。


 上総かずさ真里谷信保まりやつのぶやすは、房総管領ぼうそうかんれいの名分を存分に利用して、上総諸勢力をまとめにかかる。

 本家筋の庁南ちょうなん武田氏を硬軟織り交ぜて取りこむと、安房の里見義通さとみよしみちと同盟。上総中部から安房一帯までを勢力下に置くと、下総に侵入。下総南部をまとめる関東八屋形かんとうはちやかたが一角、千葉氏との対立を深めていった。


 武蔵むさし上杉朝興うえすぎともおきは、関東管領の威勢を駆って武蔵一帯の支配を強める。

 山内やまのうち上杉家当主、憲房のりふさはこれに強く反発。朝興に対して猛烈な怒りの文を送りつけると、武蔵鉢形はちがた城に兵を集めた。


 ただし、このとき上杉憲房は関東管領ではない。

 山内上杉の養子となった、前古河公方こがくぼうの弟、上杉顕実うえすぎあきざね

 憲房との家督争いに敗れはしたものの、この男は関東管領の地位についたまま、兄のもとで健在だ。

 それゆえ、国力では扇谷上杉をはるかに凌駕しながら、上杉憲房は関東管領、山内上杉家の力を存分に振るえずにいる。


 武蔵東部の岩付いわつき城、江戸えど城を古河公方に対する守りとして、朝興ともおき自身はこの二城と両ケイマの位置にある川越かわごえ城に詰め、山内上杉に備えた。

 この三城こそ、名将太田道灌おおたどうかんが古河公方と、山内上杉家と戦うために築いた鉄壁の防衛陣だ。

 朝興は、そして太田資康は、眼前の敵を見据えながら、調略の手を伸ばしていく。


 関東八屋形のひとつ、小山おやま氏を頼る前古河公方政氏まさうじが、この情勢を見過ごすはずがない。

 古河公方高基たかもとに追い詰められていた政氏は、失地を回復せんと、鎌倉公方義明に同調する。

 もちろん、関東公方、関東管領の問題を抱える以上、表だっては連携できない。だが、最大勢力である古河公方に対抗するには、暗黙理にせよ、協力は必須だった。


 他の八屋形や国人勢力も、めいめいがこれを利用して勢力伸張を図りだす。

 このため、関東の旗色は、ほぼ二色に別れた。ただし、旗幟をめぐって勢力内での内紛も多く起こっている。


 関東は、陰陽二極に別れながらも、なお混沌のなごりを色濃く残していた。







 一方、相模さがみ玉縄たまなわ城。

 荒次郎たちは、鎌倉の防衛にあたりつつ、大庭おおば城の伊勢宗瑞いせそうずいとにらみ合いを続けていた。


 そんなある日の夜のこと。

 荒次郎は文机ふづくえに地図を広げて、自室で頭を悩ませていた。悩みの種は風魔である。


 風魔は伊勢宗瑞旗下の忍び集団だ。

 歴史に詳しい真里谷初音まりやつはつねによれば、総勢は二百ほどだという。

 諜報、破壊工作に特化したこの小集団に、荒次郎たちは悩まされていた。

 捕捉が難しいこの小集団は、ごく少人数で鎌倉に侵入を図り続けている。


 目的は焼き働き。いわゆる放火だ。

 荒次郎たちも厳重な警戒のもと、対応策を練ってはいるが、とても防ぎきれるものではない。すでに何箇所かが放火の被害に遭っている。

 放火で陽動した上での暗殺も考えられる。この状況で鎌倉公方の近辺を手薄にするわけにもいかないので、慢性的に人手が足りない。士気は下がる。疲労も募る。使う人数は最小限。いやらしいまでに効果的な策だ。


 と、そんな時。



「荒次郎、いい?」



 ふすま越しの声が、荒次郎の思索を破った。

 声の主は、荒次郎の名目上の妻である真里谷初音だ。



「入ってくれ」



 荒次郎が促すと、彼女はふすまが開く。

 長い耳に碧眼、後ろで束ねられた金髪が、灯明のおぼろな光に照らされ、幻想的にきらめいている。

 エルフ。そう称されるべき特徴を備えている和服の美少女は、部屋に入ると、ふすまを慎重に閉めた。


 ふむ、と荒次郎は眉をひそめた。

 様子がおかしい。挙動不審に視線を泳がせる少女の面は、死罪の宣告を受ける罪人のごとく蒼白になっている。



「どうしたのだ」



 荒次郎が尋ねる。

 エルフの少女は、ひとつ、深呼吸して。それから、はずみをつけるように言った。



「あ、荒次郎。わ、わ、私を抱いてっ!」



 時が凍った。

 その、言葉の意味を理解した荒次郎が、がたっ、と立ち上がると、エルフの少女は急に及び腰になった。



「――あ、やっぱ待って! 待て! 待てって! にじり寄るな近寄るな息を荒げるなまず座れっ!!」



 両腕を何度も交差させる初音に、荒次郎はやむなく静止する。

 それを見て、エルフの少女は心底ほっとしたように、胸をなでおろした。



「まったく。先走るなよ」



 ふたり向かい合って座ると、エルフの少女がぼやき混じりに言った。

 荒次郎は眉根を寄せて抗議する。



「そう言われてもな。俺だって我慢しているのだ。あまり挑発的なことを言われては困る」


「いや、その、ごめん」



 エルフの少女が、バツが悪そうに頭を掻いた。

 その様子から、荒次郎は何か理由があると察した。



「ふむ。理由があってのようだ。すこし聞かせてくれないか?」



 荒次郎が水を向けると、エルフの少女は、安心したように息をついた。



「わかった、荒次郎。話すからちょっと聞いてよ」







「おひいさま」



 事件当日の午後。

 私室で会計雑務の処理に追われていた初音は、ふいに声をかけられた。

 声の主はまつだ。初音の侍女として、真里谷家からついてきた、数え13歳になる少女だ。



「なんだい、まつ」



 文机に向かいながら、膨らみ続ける戦費についての記録に、恨みがましくてしてし・・・・と筆で攻撃しつつ、初音は聞き返す。



「政務もけっこうですけれど、荒次郎さまのお世話も、いいかげんきちんとしてください」



 少女ははっきりと言った。

 身に纏う雰囲気が、一切の冗談を拒絶している。



「ほ、ほら、わりといっしょに寝てるし。いっしょに風呂入って背中流したりもしてるし」


「そのわりにはお布団はきれいですし、ご懐妊の様子もありませんよね?」



 まつは目を眇めている。

 初音は、冷や汗がほほを伝うのを感じた。


 子を産むのが、妻としての重要な務めだということは、初音も重々承知している。

 してはいるが、半年前までは男の体を有していた初音である。とうてい男を受け入れる気にはなれない。初音の主観だが、物理的にも無理だ。



「でもな、まつ。いまは主さまが大変な時だし……」


「その言い訳は聞き飽きました! それではお尋ねしますが、おひいさまはいつになったら御当主さまが大変じゃなくなると思っているんですか? 先の大乱長享の乱など、収まるのに、二十年の時を要したんですよ! それまで御当主さまに当主としての責任を果たさせないおつもりですか!!」



 あいまいな態度をとる初音に、幼い侍女はついに怒りを炸裂させた。

 鬱憤とともに言葉の高波を叩きつけてくる侍女に、初音はたじたじになる。



「ちょ――まつ。ちょっと落ち着いて」



 必死でなだめようとするが、幼い侍女の怒りはおさまらない。

 主に向かってびしっと指先を向けて、少女は言い放つ。



「お姫さまがその気なら、まつにも考えがあるんですからねっ!」


「……考えって?」


「不詳このまつが、御当主さまにお情けをいただき、子供を産みます!」



 恐る恐る尋ねた初音に、幼い侍女は胸を張って宣言した。



「え?」



 ぽかん、と口を開けた初音に、幼い侍女は得意げに説明する。



「なぜ侍女に、一族のまつが選ばれたか御存じですか? おひいさまに子供が出来なかった時に、家同士の連帯を維持するための予備としてなんですから!」


「え? ちょ!?」


「お姫様にやる気がないのなら、まつが荒次郎さまのお世話をいたしますっ! なんなら今すぐにでもっ!」


「……いや、その、物理的に無理じゃない?」


「お姫様はまつを侮辱してるんですか!? ちょっと背と胸が足りないだけじゃないですか! 御当主さまならきっと大きな情けで受け入れてくれますっ!」



 いやいや、と初音は手のひらを顔の前で左右に振る。



「足りないのは年齢じゃ――」


「足りてます! 月のものも来てます! まつはちゃんとお役目を果たせます! 残念なおひいさまとは違うんです!」



 ――ヤバイ。目が本気だ。



 このまま荒次郎の寝所に飛び込んでいきかねない勢いだ。

 初音は焦った。荒次郎と寝るのは嫌だが、可愛い侍女を身代わりにするは、もっと許せない。


 ままよとばかり、初音は叫んだ。



「もう、わかった! わかったから! ちゃんとお勤めするから、まつも落ち着いてーっ!!」







「……と、いうわけなんだ」



 時は戻って荒次郎の寝所。

 エルフの少女の話を聞き終えて、荒次郎は唸った。



「ふむ。どうしたものか」


「まつの受け入れに肯定的な言葉吐きやがったらロリコン認定する。容赦なく」


「いや、さすがに無理だとは言っておく」



 アーモンド形の目を思いきり眇める少女に、荒次郎は淡々と答えると、逆に問い返す。



「――で、結局どうするのだ?」



 荒次郎の問いに、エルフの少女は心細げに肩を落とした。



「その、勢いでああ言っちゃったけど、やっぱりいざとなると勇気が。どうしよう……でも、やらないとまつが」


「あまり焦ることはないと思うが」



 荒次郎があまり意味のない元気づけの言葉をかけた、ちょうどそのとき。



「話は聞かせてもらいましたわ! つまりわたくしの出番ということですわねっ!!」



 ばーん、と、ふすまを開け放って部屋に飛び込んできたのは、出口冴でぐちさえ

 三浦一族にして、三崎みさき城代出口茂忠でぐちしげただの娘だ。



「そ、そうだっ! これだあーっ!」



 初音が、飛び込んできた冴を見て叫ぶ。

 勢いに押されて、少女はあとじさった。



「な、なんですの? なにをじろじろと見ているんですの? こ、怖くなんてありませんわよ!?」



 と、強がる冴を尻目に、エルフの少女は意気込んで荒次郎の肩を掴む。



「そうだよ、冴さんだよ荒次郎! 私、冴さんの胸にうずまりながらだったら、きっと荒次郎を受け入れられると思うんだ!」


「まて、エルフさん」



 ほほから冷や汗を伝わせながら、荒次郎が静止の声をかける。

 もちろん、天啓とばかりに大はしゃぎな少女の耳には入っていない。



「大丈夫! 冴さんも荒次郎のこと大好きだし、受け入れてくれるよ! さあ冴さん。その豊満な胸を惜しげもなく晒して私に顔をうずめさせてプリーズ! 私と一緒に荒次郎を受け入れてよ!」


「待て、落ち着けエルフさん。あなたはいま極めて特殊なプレイを強要しようとしている!」


「わ、わたくしも、荒次郎さまとねやを共に出来るのでしたら……」


「冴さんも誘いに乗ってはいけない!」



 と、そのとき。



「なにをやっているんですかーっ!」



 幼い怒声が、部屋の外から飛んできた。

 ふすまを叩きつけるように開き、肩を怒らせながら入ってきたのは初音の侍女、まつだ。



「ま、まつ!?」


「お姫様。このまつを差し置いて、なぜ冴さまと一緒に荒次郎さまのお情けをいただこうとしているんですかっ! それなら、まつといっしょでいいじゃないですかっ!」


「……たしかに、まつのお腹にうずくまりながらでも……」


「おひいさま!? なぜまつの場合胸じゃなくてお腹なんですか!? まつの胸は不足ですか!? 不足なんですかっ!?」


「奥方さま!? ほ、ほら、わたくし脱ぎますわよ!? だから一緒に荒次郎さまと」


「わたしだって、わたしだっておなか出しちゃいます!」


「だいじょうぶ。だいじょうぶだ。ふたりの力さえあれば、きっと勝てるっ!!」



 三者三様の騒ぎぶりに、当事者である荒次郎は、深く、ため息をついてから。



「すまないが、俺にそんな特殊な嗜好はない。とりあえず妻に説教はなしがある。ほかのふたりは帰ってくれないか」



 至極まっとうな主張で、少女たちを追い出した。







 少女たちをどうにか返して、やっと部屋が静かになった。

 エルフの少女も興奮が冷めたのか、顔を真っ赤にして布団に包まり、先程の狂態を悔いている。


 荒次郎は、初音の横に座りながら、どうしたものかと頭をかく。



「ううう……なぜ私はあんなことを」


「エルフさんはおっぱいが好き過ぎる」


「あたりまえだ。おっぱいが嫌いな人間なんていませんよ」



 初音はちっとも懲りていない。

 ため息をついて、荒次郎は少女に問う。



「しかし、子作りなど、そんなに焦ることなのか?」


「そりゃまあ、いつ死んじゃうかわからない時代だしね。周りが焦るのも、わかる。わかるだけに、焦っちゃったんだけど」


「無理する必要はないぞ。俺は子作りまで無理強いするつもりはない」


「そう言ってくれるのはあり難いんだけどねー。いや、こんな時、歴史勉強してるとつらいわ。子作りしないデメリットが次々に思い浮かんじゃう」


「だからと言って、さっきのようにとち狂われても困る」


「うう……面目ない。いや、実際いい案なんだけどね。荒次郎がいなければもっといい」



 荒次郎は、何度目かのため息をついた。

 なんというか、本格的に残念な娘である。



「まあ、エルフさんが抱かれてもいいと言うなら、俺は頑張るつもりだ。もし嫌で、それでも子供が要るのなら、側室を持つことを許してくれれば済む話だと思うが」


「それはそれで問題あるんだけどなあ……まあ、まつに手を出すとか言わないなら……」


「ふむ。冴さんならいいのか?」


「正直いやだ。でもまあ、本人完璧惚れてるし。反対してたのも嫉妬だし。さすがに私がトチ狂って荒次郎と子供作るまで待たせるのもかわいそうだし……いいけど……ひょっとして、私の許可待ってた?」



 顔色をうかがってくる少女に、荒次郎ははっきりと宣言する。



「俺の正妻はエルフさんだ」


「変なとこ律儀だなあ。あんまり期待されても困るんだけど……と、それから」



 照れくさそうに笑ってから、エルフの少女は荒次郎を睨みつけた。



「――荒次郎さあ、いい加減その“エルフさん”ての止めない? なんつーかさ、私たちは仲間というか同志というか……一蓮托生だろ? いつまでも“エルフさん”だと、その、他人行儀というか、なんというか」



 言っていて恥ずかしくなったのか、少女は長い耳を真っ赤にして、最後は言葉を濁した。



「すまない。それほど気にしていたとは」


「いや、そんなに深刻なことじゃないんだけどね、地味に気にしてたというか。猪牙ノ助ちょきのすけの爺さんは“猪牙ノ助さん”なのに、私が“エルフさん”なのは納得いかないというか。なにか理由があったのなら、別にいいし……」



 わたわたと弁解する初音に、荒次郎は真剣な表情で頭を下げる。



「すまない。深い理由があったわけではない。ただ、“エルフさん”と呼ばれて“エルフ言うな”と返すエルフさんがかわいくて、つい……」


「おい。今までずっと悩んでた私に謝ってもらおうか」



 あんまりな理由に、エルフの少女は低い声で抗議した。

 永正11年、三月。戦乱の最中の、ちいさな平和の一幕だった。







◆用語説明

長享の乱――山内上杉と扇谷上杉の戦い。

大きな情けで受け入れてくれます――人それをロリコンと言う。

きっと勝てる――何に勝つのか、きっと本人もわかってない。

おっぱいが嫌いな人間なんていませんよ――いませんよ。

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