第24話 乱戦/合戦/由比ヶ浜

「がはははっ! ものども、ワシに続けえっ!!」


「公方、突出しすぎです! ええい、三浦衆、公方くぼう様に傷を負わせては三浦の名折れだぞっ!」



 揉み合うような乱戦の中、自ら陣頭に立って指揮しようとする鎌倉公方足利義明よしあきを追いながら、荒次郎は怒鳴るようにして自軍に号令をかけた。



 ――伊勢方大庭おおば城に不穏の動きあり。



 荒次郎が報せを受けたのは、二月の末だった。

 この事態を荒次郎たちは当然、予測している。鎌倉公方屋敷の整備を名目に、鎌倉に兵を留めていた。

 そのことについては、内々の会計で成果を出しつつあり、三浦家の会計にまで口を挟み始めていた真里谷初音まりやつはつねがほっぺたを膨らまして超文句を言いたそうだったが。


 報せを受けた荒次郎は、急ぎ鎌倉に向かいながら、四方に伝令を飛ばし、国衆を招集、ある程度兵がそろうのを待って、江の島道を鎌倉に向けて急進してくる伊勢方を、鎌倉の西の入口、由比ヶ浜ゆいがはまで迎え撃った。


 伊勢方、1500。荒次郎たち鎌倉公方の兵が2000強。

 伊勢方の電撃的な侵攻に、荒次郎たちがこれだけの兵を集め得たのは、ひとえに鎌倉公方の威勢と言っていい。


 由比ヶ浜は、鎌倉の町の南に広がる海岸だ。

 源平合戦の後、起こった鎌倉御家人たちの権力闘争。

 その舞台として、由比ヶ浜の砂浜は、多くの英雄の血を吸っている。

 そこに新たな血を注がんと、両軍合わせて数千の兵が、ぶつからんとしていた。

 いつまでも変わらぬ争いに、由比ヶ浜を静かに見下ろす銅錆色の鎌倉大仏は、何を思うのか。







「古河公方に逆らう反逆者め!」


「鎌倉公方に従わぬ逆賊が!」



 両軍は激しく言葉を叩きつけ合うと、弓矢を交わし、そして激しくぶつかり合った。

 荒次郎は義明に軍配を預かり、自ら矢の届く位置に立って指揮をとった。鎌倉新公方に靡いた転向組が、いまいち信用できなかったこともあるが、それ以上に、伊勢宗瑞いせそうずい相手に、多勢に驕る危険を感じたからだ。

 かつての大船合戦においても、伊勢宗瑞は劣勢を挽回し、まず引き分けと言っていい戦果をあげているのだ。


 案の定、というべきか。

 開戦からいくらも経たぬうちに、伊勢宗瑞の波状攻撃に翻弄された国衆が、及び腰になり始めた。



大森越前おおもりえちぜん、三浦衆を預ける。丸太衆、出るぞ」



 看過できないと見た荒次郎は、玉縄城を落とした精鋭部隊を動かした。

 指揮を重臣に任せると、荒次郎は押し寄せる伊勢方に、丸太衆とともにぶつかっていく。


 丸太矢を射かけ、丸太を振りまわす七尺五寸の巨人と、剽悍無比ひょうかんむひの丸太衆。

 ぶつかった不幸な兵たちは、その圧倒的な破壊力に為すすべもなく牽き潰されていった。



「おお、まさに万夫不当ばんぷふとうの働きよ!」


「三浦の悪鬼羅刹め!」



 味方からは賞賛を、敵方からは罵声を受けながら、荒次郎は必死に戦場を俯瞰しようと努めている。

 やむ得ないとはいえ、突出したせいで、後方の動きが把握しにくくなっている。



 ――丸太働きはこれまでだ。味方を寄せて全軍を掌握する。



 だが、動きは伊勢宗瑞が一歩早い。

 この梟雄は、戦場の怪物と正面からぶつかる愚を避けた。

 芸術的ともいえる手際で兵の厚みを変化させ、突出した丸太衆を街道側に避け、荒次郎と後方との連絡を絶ちつつ、本隊は鎌倉へ向けて押しこんでゆく。



 ――抜かれれば、こちらが追いつく前に、鎌倉への侵入を許してしまう。



 伊勢宗瑞の狙いは鎌倉の町そのものだ。

 鎌倉を焼かれれば、それを防げなかった鎌倉公方の威信が損なわれる。

 それがわかる荒次郎は、少なくない犠牲を払いながら丸太衆を本隊に合流させ、全軍の指揮に戻った。

 その時には、すでに両軍の一部が入り混じる乱戦に突入している。


 鎌倉公方、足利義明が動いたのはそんな時だった。

 血が騒いだのだろう。ほとんど単身、伊勢方主力に向けて、馬を走らせはじめた。


 報せを受けた荒次郎は、肝を冷やしながら、またぞろ丸太衆を率いて義明に追いすがる。



「公方、御身を大事にしてください」



 肝を冷やしながら、追いついた荒次郎は、非難を口にする。



「だが、見よや、三浦介みうらのすけ



 義明は荒次郎に声をかけ、敵陣の至近を指差した。

 その先には、厳重に守られる皺顔の鎧武者の姿がある。エルフの少女、真里谷初音なら、眠るようなその瞳が荒次郎たちをひた・・ととらえている姿までわかったかもしれない。



「伊勢宗瑞はあれだ。ぶち破れば勝てるぞっ!」


「そこまでがはるか遠い。届きません」



 荒次郎は、首を強く横に振った。

 荒次郎は伊勢宗瑞の恐ろしさがよくわかっている。

 あの梟雄ならば、攻めやすいと思ったところには、かならず罠を張っている。一種の信頼と言っていい。



「……ふむ。そうか。ヌシの言うことだ。信じよう!」



 存外聞き分けよく、足利義明は荒次郎の言葉に従った。

 場合によっては力づくでも止めるつもりだった荒次郎は、肩すかしを喰らった気持になる。


 その心理を、この貴人は読んだのだろうか。にやりと笑い、そして言った。



「がははははっ! そんな顔をするな。ワシはヌシを信じておるのだっ!」



 ふむ、と首をかしげる荒次郎に、この貴人は笑って説明する。



「存外鈍いな三浦介。ワシにはワシの野心がある。だからヌシらに担がれてやった。しかし、信用はしておらん!」



 戦場の、しかも敵の間近で立つ姿は堂々としており、荒次郎とて威風を感じざるを得ない。

 それはやはり、足利尊氏の血を引く、源氏の貴種ゆえ、だろうか。



「――扇谷の上杉朝興ともおきは野心家で、江戸の太田資康すけやす軽佻けいちょうだ。上総の真里谷信保まりやつのぶやすなんぞ頭の先からつま先に至るまで、一切信用できん!」



 すがすがしいまでの一刀両断だが、同意できなくもない。しかし全員親族である。返答に困る人物評だった。



「そなたは内心の読めん男だが、まず道理を通す。だから信じられる!」



 荒次郎とて、古河公方に逆らうという、道理で言うなら最大級の反逆を冒しているわけだが、そのあたりは気にしていないらしい。

 いや、むしろ、自分こそが真の関東公方だという強烈な正当意識があるからこそ、そんな言葉が出たのかもしれない。



「公方様、それよりも」


「がははははっ! そうであったな。今は合戦の最中だ。しかし、ヌシの言葉は正しかったな、三浦介!」



 荒次郎の言葉に答えて、義明が笑声を発した。

 見れば、丸太衆を追ってきた敵方の一隊が、伊勢宗瑞の浜手を守るように合流してきていた。

 伊勢宗瑞を葬り去らんとする足利義明の動きに従っていれば、あの小勢は荒次郎たちの部隊を側面から噛み破っただろう。



「あーあ、喉笛を掻き切る前に、止まっちまったか」



 と、小勢を率いていた青年武将がほほを掻いた。

 大道寺盛昌だいどうじもりまさ。伊勢家御由緒、大道寺家当主だ。

 そして、当主を守るようにして馬を走らせていた荒武者が、突如戦場の虚空に躍り出て、大音声で呼ばわった。



「ひさしぶりだなあ……我こそは伊勢家御由緒、大道寺が一門、八郎兵衛はちろべえだっ! 三浦の当主っ! わしと戦えっ!!」



 ――なんとも、頓狂な武者もあったものだ。



 時代遅れだと苦笑した者も少なくない。

 しかし、足利義明は違った。



「つき合うのか?」



 真顔で尋ねてくる貴人に、荒次郎は苦笑交じりにうなずいた。



「つき合います。現状、両者手詰まりです。いや、かろうじてその状態に持って行けた。このまま泥沼の乱戦になるのは、伊勢宗瑞とて望む所ではないでしょう。この一騎打ちは、戦の幕を閉じるいい機会だ」



 案外、こんな時のために、梟雄があの荒武者に因果を含めていたのかもしれない。

 思いながら、荒次郎は丸太を手に、歩を進める。



「絵になりきらぬ男だ」



 と、八郎兵衛が苦笑交じりに下馬した。

 この荒武者は、刃渡り五尺近い大太刀を手にしている。

 丸太と大太刀。たがいに、得物の見事さに賞賛の視線を送りながら、一歩、二歩、歩み寄って。


 戦いは、始まった。







 誰もが見惚れた。

 誰もが目を外せなかった。

 誰もが子供のころから物語に聞いていた、源平の頃の英雄たちの一騎打ち。

 すでに時代遅れで古びた、しかし、男たちの心を熱くさせてやまない、戦いの作法。


 荒次郎の丸太が、太刀行きの速さで振るわれる。

 八郎兵衛の大太刀が、劣らぬ速さで振るわれ、丸太に食い込む。

 力と距離では荒次郎が、技量では八郎兵衛が勝る。それが、勝負に微妙な均衡をもたらしていた。



「行けっ! 小賢しい三浦の儒子こぞうを倒すのだ八郎兵衛っ!」


「御当主! 我らを古い秩序あくと蔑んだ恥知らずどもを、その丸太で吹き飛ばしてくださいっ!」



 双方から声援が飛び、丸太が、大太刀が、何十回と振るわれる。



「丸太を振るう相手と戦う術を練ってきたか!」


「貴様の丸太を喰らって長い間動けなかったのでな! 考える時間だけは大いにあったわ! それより、貴様こそ、格段に技量うでを上げたな!」


「当主自ら戦うことが多いからな!」



 丸太を大車輪に振りまわす荒次郎。

 それを避けながら、大太刀の一撃を送る八郎兵衛。

 たがいに一撃受ければ終わる、そんな状況で、決着をつけたのは、やはり地力の違いだった。


 八郎兵衛も怪力とはいえ、五尺近い大太刀など、何百と振るえるものではない。

 一方八十五人力の荒次郎にとっては、丸太といえど、竹刀と変わらない。

 疲れが動きに出てきたのは、八郎兵衛が先だった。


 八郎兵衛の鎧のかたあてに、丸太の先端が触れた、瞬間、袖は引きちぎれて彼方に飛んでいった。



「疲れたか?」


「まだまだ、だっ!」



 肩で息をし始めた八郎兵衛だが、まだ止まろうとしない。



「八郎兵衛! 退けよっ!」



 伊勢方から、声がかかった。

 大道寺盛昌だ。



「聞け、ませんな、御当主。無粋ですぞっ! このような、誉れ高き、舞台に、恵まれたのだ。ここで、果てようとも……本望っ!」



 その、覚悟に。



「応」



 応えて荒次郎は、丸太を振りかぶり――振るう。

 掛け値なしに全力で、殺すつもりで。


 荒武者は避けきれず、丸太の直撃を喰らう。

 巨体は宙を舞い、敵陣深くに吸い込まれてゆく。



「八郎兵衛っ!」



 大道寺盛昌が、八郎兵衛の行方を追って馬を走らせる。


 味方から、歓声が上がった。

 決着をきっかけに、両者兵を退きはじめる。

 鎌倉公方勢は、敵を鎌倉の町に侵入させず、伊勢方は、数に勝る敵と互角以上に戦い、鎌倉に侵入を果たした。どちらも勝ちを主張できる戦いであり、ここが引き際だった。



「がははははっ! 見事であったぞ三浦介っ!」



 名勝負を絶賛する足利義明に対して、荒次郎の顔は渋い。



「どうした三浦介?」


「いや、あの武者、ひょっとして命を拾う」



 重い音を立てて、丸太が地に落ちる。

 荒次郎の岩のような手の甲には、手裏剣が刺さっていた。


 戦いは終わった。

 だが、永正11年の鎌倉合戦。

 後にそう呼ばれる戦いの、これはその初戦に過ぎない。







鎌倉大仏は何を思うのか……屋根欲しい。

丸太衆……丸太は持ってない。

万夫不当……一騎当千の上。すごくつよい。

丸太働き……槍働きとかそんな感じ。


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