第13話 機略/縦横/戦国絵巻
「久しぶりだなぁ――三浦荒次郎!」
「むぅんっ!」
哄笑をあげる天魔に、荒次郎は丸太を振るう。
風魔の棟梁はこれを躱すと、とんぼを切って
「小太郎。なぜここに」
「なにがあっても貴方は生かせとの命令。逃げられよ」
凶悪な笑みを浮かべながら、風魔は氏綱の問いに答える。
その間も、荒次郎からは目を離していない。
「押し勝てませんか」
「風魔があと五十も居れば。大殿も火急の時。小太郎自らここにあることで数を察せられよ」
「……わかりました。これは私の敗北です。それを
「うむ」
言い置いて、伊勢氏綱が兵に退却を指示すると、伊勢兵たちは、速やかに退いていく。
三浦衆が表情で追い打ちを望んだが、荒次郎にそれを察する余裕はない。
猪牙ノ助が黙って首を振ったので、彼らもそれに従った。
最後に、風魔だけが残った。
「やるか」
「せぬわ。口惜しいがな」
丸太を構える荒次郎に、風魔は顔をゆがませ答えた。
瞬間。荒次郎は鋭く足を踏み出し、小次郎の頭上に丸太を振り下ろす。
轟音。
丸太が突き刺さる――硬い地面に。
小太郎は素早く躱し、後方に身を投じている。
7尺2寸の巨体は、炎の届かぬ闇の中に吸い込まれていく。
残るは、風の魔がごとき声のみ。
「荒次郎よ。若殿の言う通り、城は一時の間、預けよう。だが心しておけ。玉縄城は風魔が知りつくして居る。大殿の命令あらば、難なく入りこみ、お主の命を取ってやろうぞ……」
やがて、それも風に溶けて消えた。
「やられた」
風の木霊が消えると同時。
エルフの少女が口惜しげにつぶやく。
「最初から撤退する
これは失言だ。
確かに彼女の言ったことは事実だ。
しかし、将兵に、いたずらに不安を抱かせるようなことを口にするべきではなかった。
しかし、兵の不安を敏感に察したのだろう。
猪牙ノ助が「かかっ」と笑い飛ばす。
「まあ、なんとかするわい。のう、荒次郎」
猪牙ノ助が、荒次郎に水を向ける。
いま、なにを言うべきか、察した荒次郎は、三浦の将兵に向けて口を開く。
「みな、よくぞ戦った」
火は城内の各所を灰にしようとしている。
炎を背に、荒次郎は将兵に告げる。
「――玉縄城は取った。この戦、三浦の勝利だ!! まずは勝鬨あげいっ!! その後、全速で消火! 各自、燃えている建物を取り壊せ。延焼を防ぐ。木材も燃えぬよう、運び出せっ!!」
「おおっ」
と、夜天を震わすような声が、城を満たした。
この戦いの参加将兵、三浦衆二百。
うち死傷者六十名。短時間ながら激しい戦いだった。
のちに言う、三浦義意の玉縄城一夜取り。
これは荒次郎の驍名を関東に轟かす、最初の一事であった。
◆
一夜明けて、翌日。
「……しかし、どうしたもんだろ」
寝ぼけ眼の初音が首をひねった。
日に照らされ、明らかになった城の惨状を眺めてのことだ。
結局、消火が終わったのは、山の端から光がこぼれ始めたころだった。
それまでに城の御殿部分の大半と、厩舎、それに柵までもが数ヵ所消失している。
兵糧庫は幸い無事だった。小太郎の性格とは合致しないので、これは領民の米穀が収奪されるのを嫌った伊勢宗瑞の指示か。
荒次郎が壊した曲輪や大手門、それに柵の補修は急務だった。
伊豆水軍の帰還にはまだ時間があるが、もし伊勢宗瑞が城の奪還に動いていたとすれば、明日にも到着する計算だ。
遺体の埋葬も含めて、荒次郎は生き残った三浦衆を二班に分け、交代で休ませながら作業を進めさせることにした。
「補修のために、壊した木材を移動させた……とはいえ」
「全然足りねー。特に住むとこ」
荒次郎の言葉に、初音があきらめ混じりでぼやく。
「いや、住むところも問題だが、やはり問題は柵だ」
「ああ。ちょうどいい大きさの杭が足りない。ああ、どこかに適度な太さがあって、それでいてある程度の長さがある……」
いいさして、初音の視線が、ある一点で止まった。
視線の先には、
「おい、エルフさん。なんだその目は。そっちには何もないぞ」
やや焦った口調で、荒次郎が返す。
それを尻目に、エルフの少女が歓声をあげた。
「あるじゃないか、ちょうどいいものが!」
「違うぞエルフさん! それは武器だ!」
「緊急時だ! 物事には優先順位ってものがるんだから仕方ない! いやー、
「止めてください! エルフさん、お願いだからやめてください!」
聞いたことのないような口調で、荒次郎が必死で取り縋る。
エルフの少女は、迫る巨体に押し倒されそうになりながら、兵士たちに命令する。
結局。丸太矢は柵へと職を変えた。
◆
住む場所以外にも問題がある。
便所がない。
いや、壺があるので無いわけではない。
だが、それを隠す空間がない。残った建物や急組みのあばら屋は、兵士たちが寝泊まりするのでいっぱいいっぱいだ。
当然そこへ便壺を持っていくわけにはいかない。やむを得ず物陰に置かれているのだが、約一名にとってこれは大問題だった。
紅一点の真里谷初音である。
「あの、荒次郎。主さま。ちょっとお願いがあるんですけど」
プルプル震えながら、エルフさん。
「なんだ」
「その、折れた木材とか戸板とかでもいいんで、私用のトイレ、作ってくれませんでしょうか」
「エルフさんも知ってるだろう。その、折れた木材でも貴重な燃料になる。物事には優先順位というものがあるだろう? 大丈夫だ。城の北には花畑がある」
「大丈夫じゃないよ! 悪かった! 謝るからお願い漏れそうなんだよーっ!」
きっちり仕返しされるエルフさんだった。
ともあれ、そんなバタバタがありつつも、急ごしらえの補修作業は、なんとかその日のうちに終わった。
◆
翌未明。
荒次郎は物見台の上に居た。
不思議と目が冴えている。なにかが起こる。そんな予感があった。
「やあ荒次郎くん、早いではないか」
台下から顔を出したのは、三浦猪牙ノ助だ。
老人と言って問題ない年齢の男は、そのわりに軽快な足取りで梯子を昇ってくる。たいしたもので、息も切れていない。
「どうもな、妙な予感がする」
「敵が来るかね」
恐ろしい予感を、老人はあっさりと言う。
「……そうだな。そうかもしれない」
「らしくないなぁ、荒次郎くん。吾輩に言ってみたまえ。伊豆水軍が戻ってくるかね? あるいは伊勢宗瑞が兵を割いてこちらを攻めて来るかね? それとも」
道寸の影は、にやりと笑いながら、言葉を押しつける。
「――吾輩の裏切りでも、心配しているのかね?」
荒次郎はしばし、驚きに口をふさぎ。
ため息をついた。
「わかっていたか」
「わからいでか。荒次郎くんが吾輩を疑っていることなど、すぐにわかったさ。なにせ吾輩、疑われ慣れとるからなぁ!」
「かかっ」と笑いながら、猪牙ノ助が言う。
「だから、足手まといであるにもかかわらず、この作戦に吾輩を連れてきたのであろう?」
「ああ、そうだ」
荒次郎はうなずいた。
正確には、荒次郎は猪牙ノ助が伊勢方に裏切っているとは思っていない。
ただ、荒次郎や初音に、なにかを隠している。行動に表れていたため、それは確かだった。
万一、猪牙ノ助が伊勢方と内通していれば、荒次郎たちの居ない新井城に、道寸の影武者である猪牙ノ助を置いてくなど危険極まりない。
それゆえ、作戦に同行させることによって他者との連絡を封じ、猪牙ノ助が不測の行動を起こしても制御しやすいよう、手元に置いておいたのだ。
「荒次郎くんの推測は正しい。吾輩、実は隠しごとがある。だが、それは伊勢方への内通ではない。そろそろわかることだから、先に教えておこう、吾輩が隠していたこととはな――」
そのとき、物見に出していた兵が、息を切らしながら帰ってきた。
荒次郎たちはその声を、台上で聞いた。
「伊勢軍が鎌倉に到着。
◆
扇谷上杉南下の報を、その数とともに聞いた伊勢宗瑞は、即座に軍をまとめさせ、北進を開始した。
「抑えの兵は」
「いらぬ」
尋ねてきた若武者、大道寺盛昌に、宗瑞は首を振る。
「しかし、三浦方が出てきた場合」
「取って返して一撃する。いや、それを匂わすだけで十分よ。それで三浦は出てこん」
事実だ。
荒次郎や影武者道寸である猪牙ノ助が居ないうえ、三崎城防衛のために兵を割いている。
押し出せる兵数は一千を割る。七千の兵の後背を突く決断など、当主ならともかく重臣たちでは到底できない。
伊勢宗瑞の軍は北上し、落ち伸びてきた息子氏綱から玉縄城失陥の報に接する。
保険として風魔を送っていた宗瑞は、その速さに驚きながら、小太郎たちをねぎらい、鎌倉を北西に抜け、柏尾川の手前、大船に布陣する。玉縄城とは川を挟んで向かいの位置だ。
翌日、
上杉朝輿、太田資康……主だった将を数え上げていた宗瑞は、太田資康に轡を並べる武将の姿を認めて、鷹の目を見開き、喝破した。
「なるほど。なるほどなるほど! 見えぬ見えぬと思うておれば……とうの昔に城を出て、戦図の
その声が聞こえたわけではないだろうが、扇谷上杉の陣で、
「かかっ! 決着をつけようぞ――伊勢宗瑞っ!!」
ほどなくして、軍が衝突する。
後に言う、大船合戦。戦いは、二人の老雄の雄叫びで始まった。
◆用語説明
勝鬨――戦で勝利を収めた時に上げる鬨の声。えいえいおー。
丸太矢――武器である。柵ではない。
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