第12話 激戦/城攻め/玉縄城

 日は高く、風は凪いでいる。

 一心に船を漕ぎ進ませながら、鎧を着込んだ荒次郎と初音は船尾に立っていた。

 矢よけの竹盾越しに見える三浦半島は、はるか遠い。周りに広がるのは海原だけだ。

 天地すら失いそうな錯覚にとらわれながらも、船は確実に、北へ向かって進んでいる。



「――気づかれた」



 真里谷初音まりやつはつねが、ふいにつぶやいた。

 彼女の視線は、三浦半島の沿岸部をとらえている。



「わかるのか」



 荒次郎の目には、人の姿など映っていない。

 しかし、エルフの少女は自信たっぷりにうなずく。



「ああ、見張りの動きが慌ただしい」


「ここからよく見えるな。俺は見えない」


「目はいいんだよ。エルフだからかな? 夜目も利くし、この調子だと弓とかも得意そう」



 ああ、なんで魔法だけ使えないんだか、と嘆く初音に、荒次郎は「ふむ」とうなずく。



「では、試しに射てみるか?」


「やだよ。主さまの十人張じゅうにんばりの超強弓だし。つーかその矢なに」



 エルフの少女は目を眇めながら、荒次郎の矢筒に視線を向ける。

 荒次郎が背負うそれには極太、極長の、槍のような矢が大量に収まっている。



「丸太矢だ」


「……いや、確かに太いけど、せいぜい丸木だろ。丸太っていうには無理がある」



 自信満々の荒次郎に、エルフの少女は冷静に突っ込んだ。



「丸太だ」



 しかし、荒次郎は主張を曲げない。

 それが妙につぼに入ったのか、漕ぎ手の武者がくすりと笑った。


 あきらめたのか、エルフの少女は肩をすくめる。



「まあいいや。それに、戦の前に無駄矢玉だま射つもんじゃないし」


「そうだな」



 と、その提案には、荒次郎は同意した。



「伝令が着くのは」


「どうだろう。直通だと、たぶんあっちの方が早い。菊名きくな経由だと……微妙かな。いずれにせよ、いまから援軍を送っても、玉縄たまなわ城まで二日はかかる。こっちは半日もかからない。一日半で落とすとか、わりと無茶な要求だけど」


伊勢宗瑞いせそうずいがこちらに援軍を送ってくるようでは、間違いなく俺たちの勝ちだ」



 すでに一日前、扇谷おうぎがやつ上杉の軍勢は発っている。

 その確報が伊勢宗瑞に伝わるのは、早くて今日。三浦の船団北行の知らせと前後してのことだろう。

 扇谷上杉軍は、鎌倉街道下ノ道を使い、四日もすれば、街道が三崎方面へと向かう分岐点、鎌倉に到達できる。いまからなら三日だ。


 新井城の抑えに二千。残りの手勢五千をさらに割るようなら、兵数八千から一万と見積もられる扇谷上杉軍を相手にできるはずがない。



「ま、そのほうが楽でいいんだけどね。援軍来たなら、こっちは機を見て逃げればいいんだし」


「ふむ? 逃げる?」


「……え? 逃げるんじゃないの? 援軍が城に篭もればそれでよし、とって返したとしても、そいつらは強行軍で疲れきってて役には立たないって寸法じゃ」


「え?」「え?」



 と、周囲の武士たちまで、不思議そうな顔をして初音を見る。

 見事なまでに坂東ばんどう武者である。呆然として、エルフの少女は言った。



「……なにそれ怖い」







 やがて、江の島が見えてくる。

 さかい川を遡上し、さらに枝分かれした柏尾かしお川から、玉縄城の外堀に至る。

 玉縄城の水の道を可能な限り遡り、後は陸路でひた走る、というのが、当初の案だ。

 むろん、城に至るまでの道筋は、全国、特に選挙区である神奈川県の道路網を、その歴史とともに網羅している猪牙ノ助がいるため、万全だ。



「うわ、緊張してきた。つーか、まじであの堅城を攻略するんだな」


「ふむ。そんなにすごい城なのか?」



 身震いする初音に、荒次郎が問いかける。



「ああ。平山城ひらやまじろでな、守りに適した天然の要害を利用した城で、上杉謙信や武田信玄も避けて通ったほどだ」



 この場にいるほとんどの人間にわからない説明をする初音。

 荒次郎はそれに、「そうか」と返した。


 落ち着き払った様子だ。

 エルフの少女が、自分と引き比べたのだろう。ため息をつきながら言った。



「主さまは緊張しないのな」


「俺はこの作戦に命を賭けている。必死だということだ。なら、緊張している暇などない」



 荒次郎は淡々と言う。

 その肝の据わりようを見てか、同じ船に乗る歴戦の武者たちが、みな、にやりと笑った。

 そんな様子を見て、二人の後ろ――船の最後尾に座っている三浦猪牙ノ助ちょきのすけが「かかっ」と笑った。


 初音もつられて、その美貌に苦笑を浮かべる。

 そして、しみじみと言った。



「ほんとに、おまえは大物だよ」







 玉縄城。

「いざ鎌倉」の言葉のごとく、鎌倉街道の集約点となっている、関東行政の中心であった都、鎌倉。その北西に建てられた城だ。

 複数の鎌倉街道の交流点を押さえる要地で、しかも層を為す山が天然の土塁となった要害地。まさに堅城と呼ぶにふさわしい城だ。


 日が沈み、夕焼けの残滓が消えたころ。

 玉縄城本丸御殿で、伊勢氏綱いせうじつなは伝令を受けていた。

 氏綱は伊勢宗瑞の嫡男だ。二十七歳。やや痩せているが、どっしりとした落ち着きを持つ武将だ。



 ――三浦水軍の少数が北上中。狙いはおそらく玉縄城。



 この報告を聞き終えた氏綱は、しばし沈思し、それから諸将に向かって口を開いた。



「こちらの水軍が戻るまで、1日か、遅くとも2日。それまで支えます」


「大殿からの援軍は」


「ないと思ってください。理由はわかりますね」



 氏綱の問いに、みな、うなずく。

 だが、氏綱はあえて確認をするように、語る。



「みなの推測通り、扇谷上杉が動きました。風魔が大岡おおおかで捕捉しています。現在、鎌倉街道下ノ道を急進中。その数一万を越えるといいます」


「一万!?」


「兵を割く余裕などないでしょう。いや、おそらくは玉縄城の援軍に兵を割かせることこそ、相手方の狙いでしょうね」



吶々とつとつと、氏綱は語る。

 その口調は、ひどく落ち着いている。



「――だから、待つのです。こちらの城兵は二百足らずですが、敵方もほぼ同数。伊勢方こちらの援軍を考慮しているとすれば、捨て石に等しい数です」



 その、言葉が終わるか終らぬか、というとき。



「ほ、報告、報告っ!」


「どうしました」



 足をからませながら駆けこんできた兵士に、氏綱は尋ねる。



「てき、敵が見えました」


「はや来ましたか。夜攻めするつもりですか……ともあれ、諸将は持ち場に。相手は寡兵ですが、それはこちらも同じ。くれぐれも油断は禁物――」



 主君の言葉にかぶせるように、報告の兵士は叫ぶように報告する。



「一団の中に、7尺をはるかに超える巨人がいます。隊を率いているのは、敵大将、三浦義意みうらよしおきです!!」


「なっ!?」



 氏綱は、初めて声を荒げた。


 訳がわからない。

 まったく意味のない行為だ。

 このようなリスクの高い場所に、出てくる理由などない!







「理由なら、ある」



 木盾きだてに守られながら、荒次郎は、柵を丸太で薙ぎ払う。

 曲輪くるわから打ちこまれる矢は強いが、数が足りていない。

 少なくない数の将兵を射殺されながらも、土竜もぐらのように木盾の奥に篭もりながらやぐらを抜き、曲輪を押し通ってゆく。



「ひゅう、さすが八十五人力――主さま、後方の櫓から狙われてるっ!」


「わかった」



 夜目の利くらしい初音が鋭く声を飛ばすと、荒次郎が“丸太矢”をつがえる。

 槍と見紛うほど巨大な矢は、十人張の強弓より放たれ、狙いたがわず、櫓の一部ごと敵兵の命を刈り取った。



「……鎮西八郎ちんぜいはちろうかよ」



 矢が盾に刺さるたびに肩をびくつかせている初音が、呆れたように言った。

 鎮西八郎とは、源為朝みなもとのためとものこと。鎌倉幕府を開いた源頼朝の叔父で、一矢をもって三百人の乗る戦船を沈めた、などという伝説を持つ猛将である。



「吾輩、この場所に居る意味あるのか?」



 盾持ちに守られながら、猪牙ノ助がぼやいた。

 たしかにこの老人は、現状足手まといでしかない。

 猪牙ノ助が役に立つのは、城を取ってからであるが、それを指摘できる荒次郎は、戦闘にかかりきりでそんな余裕などない。


 ひと塊となって、一団は進む。

 多くの犠牲を払いながら、大手にたどり着いた荒次郎は、門に向かって丸太を叩きつける。

 轟音とともに、門の各所が悲鳴をあげる。三度、繰り返すと、かんぬきが音をあげたのか、弾かれたように門が開かれた。


 瞬間、飛んできた矢箭から荒次郎をかばって、籠城時によく見知った若武者が、喉元に矢を受ける。

 荒次郎はその隙に返矢を送る。周囲もろとも、射手が吹き飛ぶ。



「ぐうっ――、わ、若殿、御武運をっ!!」



 致命傷を受けた若武者が、か細い息を振りしぼる。

 荒次郎は眉ひとつ動かさず、うなずいた。



「わかった。安心しろ。三浦は勝つ」



 若武者は、にやりと笑って目を閉じる。

 もの言わぬ死者となった若武者を隅に追いやりながら、一団は駆ける。

 戦場を渦巻く殺意と死に酔ったのか、初音が振り切ったように明るい声をあげた。



「はっはっは! そこ右だ。切岸きりぎしの上注意! この真里谷まりやつ初音さんを舐めるな! 玉縄城の縄張りなんて十四の歳に覚えたわ! 複雑な構造ゆえの堅城ってのはな、裏を返せば構造を熟知してたら弱いってことなんだよっ!!」



 大量の出血を強いられながらも、荒次郎たちは、敵兵を物理的に吹き飛ばしながら、城の中心部に向けて一直線に突き進んでいく。



「くそっ!なんで城の造りがことごとく!」

 

「大将を狙え! 動きの中心に居るはずだ!」



 悲鳴のような敵兵の声を聞きながら、荒次郎たちは進む。

 そして、たどり着いた。一団が、行き足を止める。



「あれだな」



 初音がつぶやいた。

 少数の供廻りを率いた若武者を見つけてのことだ。



「まったく、やられたと言うほかありません」



 若武者は、妙に毒のない口調で言ってから、名乗りを上げる。



「――伊勢宗瑞がそく、伊勢新九郎氏綱しんくろううじつな。三浦荒次郎殿、道寸殿、一別以来です」



 伊勢氏綱は、三浦義意や三浦道寸と、わずかながら面識がある。

 それを知っている道寸の影武者、猪牙ノ助は、氏綱の挨拶に、鷹揚に応じた。

 もちろん荒次郎は伊勢氏綱と面識などない。ただ「ふむ」、とうなずいただけだった。



「なぜ、あなた方が自らこんな場所へ?」


「決まっている」



 伊勢氏綱の問いに、荒次郎は短く返した。

 伊勢方の兵が集まってきている。しかし、時間稼ぎではない。

 氏綱と荒次郎の間に、それほどの距離はない。相手が背を向ければ、瞬く間にこれを捕えて人質にできる。また、それを意識させる距離に、氏綱はいる。


 そして何より、主たちが対話するさまを見て控えているのか、弓箭の音が先程から途切れている。



「俺が行くのが、もっとも確実だからだ。それに、三浦家当主が玉縄城を奪取して、そこを守っている。その影響は無視できまい」



 この着眼を聞かされて、エルフの少女は言った。

 これで東相模の国人連中が三浦になびく、と。劣勢を挽回し、しかも玉縄城を捨て石にしない意思を示すことになるからだ。



「しかしそれも、この城を維持できればの話。伊豆水軍は明日にも戻ってきます。これにどう抗うのです?」


「伊豆水軍は当分戻って来ない。美味い餌にかじりついているところだからな」



 伊勢水軍は、罠にかけられた。

 それを察して、氏綱が息を吐いた。



「すべて手の内、ということですか……負けました。狂人に」


「そうだ。だから勝った」



 命を抵当にした賭け。それが前提となった策。

 食料に、水軍拠点。あり得ないほど大胆に手札を捨てていったからこそ、荒次郎は伊勢宗瑞の読みを上回ることができたのだ。



「では、伊勢新九郎殿、ここで倒れてもらおうか」


「それは、できません。我々は古き秩序あなたがたに、屈するわけにはいかない」



 荒次郎が丸太を構え、前に出る。

 伊勢氏綱が、圧されたようにじり、と退がる。

 荒次郎は氏綱を討ち取るために。氏綱は、脱出して活路を開くために。

 集結した伊勢方が、じりじりと寄せてくる。三浦衆は、近づかせまいと構える。


 張りつめた糸が切れ、弾かれたようにすべてが動き出す、直前。


 一本の手裏剣が、両者を隔てるように、地に突き刺さった。



「――これは」


「火の燃える音だ!」



 エルフの少女が、異変を察して叫んだ。

 荒次郎は見た。城内の数ヶ所で、炎が上がるさまを。

 双方が混乱に乱れる中、風の唸りにも似た哂い声が場内に響く。

 炎はまたたく間に燃え広がり、場内のすべてが朱に照らされる。


 朱の世界を、影が走る。

 暴風のごとく、烈風のごとく、魔風のごとく。

 三浦衆をなぎ倒しながら、襲いかかってきたそれ・・を、荒次郎は丸太で受け止める。

 炎に照らされ、朱に染まったその面は、まるで赤鬼だ。だが、この鬼を、荒次郎は知っている。



「久しぶりだなぁ。このような場所で、再び拳を交わせるとは思わなかったぞ――三浦荒次郎!」



 風魔小太郎ふうまこたろう


 難攻不落を誇る新井城に侵入し、千駄矢倉の兵糧を焼きはらった恐るべき忍びは、楽しげに笑う。

 その姿は、亡者を前に残虐な哄笑をあげる、地獄の悪鬼そのものだった。







◆用語説明

竹盾――矢よけの盾。軽量。

十人張り――十人がかりで張った弓。超絶強弓。ちなみに三人張りで強弓と呼ばれる。

丸木――丸太である。あくまで丸太である。

坂東武者――関東の武士。陸戦モンスター。

平山城――平野部の中の山や丘陵地に建てられた城。

鎌倉海道――関東諸方から鎌倉に向けて集約する道路網。

曲輪――城郭内の防御陣地。

櫓――やぐら。城郭の防御や物見のための建造物。

源為朝――ちなみに舟を沈めた逸話を持つ彼の弓は五人張りである。

切岸――斜面を削った人工的な断崖構造。


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