第10話 《Bパート》

 暗い通路を、一人の少年が歩いていた。かつ、かつ、という靴が地面を鳴らす音が、通路に異様に響く。

「シャドウ」

 呼ばれた少年――黒いバイザーで顔を隠しているシャドウは、足を止めて振り向いた。彼の背後にあった柱の陰から、姿が現れた。

「……リディック」

 その人物はディス・パレイドの幹部――ガードルの一人、『憂愁の術者 リディック』。オールバックに上げた赤黒い髪、細められた鮮やかな赤色の瞳。顔や露出された筋肉質な腕には、紋様のような刺青が入っている。

「まだ、ブライト・ブレイバーの勇者がいたの?」

 大柄な体格とは不釣り合いな、作った高い声。それを聞いたシャドウは不快そうに眉を歪めた。が、その表情の変化はバイザーのおかげで、相手には伝わっていない。

「いやねぇ。あんな雑魚ちゃんたちがいるおかげで、アタシたちの目的達成に、時間が掛かっちゃうじゃない」

 わざとらしい、甘ったるい女性の様な言い方。リディックはくすくす、と口元を指先で隠しながら笑った。足を組みながら立つ姿勢は、わざとらしい女性のそれだった。

「あの程度の奴らが、俺達の目的を果たす上での障害になるとは思えない」

 リディックの言葉に、シャドウは冷たく言い放つ。それを聞いて、さらにリディックは笑い声を上げた。

「あらぁ? そんなこと言う子が、どうして、わーざーわーざ、ブライト・ブレイバーの勇者クンを倒しに行っちゃったのかしらぁ?」

 楽しげに笑うリディックを、シャドウは鼻で笑った。

「別に。あんなもの、倒す、などと言う内にも入らなかった。ただの掃除だ」

「そう言う割には、随分あの勇者に執着してるみたいだニャ?」

 第三者の声が、二人の間に入る。

「いよっ、と」

 そんな掛け声とともに、上方から誰かがシャドウとリディックの間に飛び降りてきた。その人物は音もなく静かに着地すると、立ち上がってシャドウの方を見た。深い茶色の肩までかかる髪、頭部には猫のような獣の耳。腰のあたりからも猫のもののような尻尾が生えている、腕や太もも、腹部も露出した黒い服の女性。淀んだ金色の瞳が、にやりと細められる。

「どういう意味だ、アーニャ」

 女性――『妖艶の踊り子 アーニャ』に、シャドウは視線を向けて問う。アーニャは「ししし」と声を殺しながらも、楽しげに笑った。

「そのままの意味だニャ。お前、あの勇者と何かあったのかニャ?」

「……そんなものはない」

 シャドウはアーニャの言葉を切り捨てて、背を向けて歩き始めた。

――おれの仲間を返せ!!

 脳裏に浮かぶ、その少年勇者の必死な姿。

――翔太!!

 勇者の叫びの中、自分の剣に貫かれた少年の姿。少年の黒い瞳が大きく開かれ、自分を見つめていた。

 シャドウは首を振り、脳裏に浮かんだ映像を消し払った。

「……いずれにせよ、奴はもう、立ち上がれない」

 シャドウの小さな言葉は、誰も居ない通路にはっきりと響いた。それを聞いたリディックが小さく息を吐く。

「まあ、あの子と戦ったら、そうなっちゃうわよねぇ」

「そうだニャァ。……ありゃ? そういえば、ロベリアはどこに行ったんだニャ?」

 アーニャがふと、気付いた、と言うようにあたりをきょろきょろと見ながらリディックに尋ねる。リディックは首を小さく傾げた。

「ロベちゃん? ああ、あの子も今、アッチに行ったみたいよ」

「いいニャァ、アーニャも早くあっちに行きたいニャア」

 アーニャが背伸びをしながら言うのを見て、リディックはふふ、と小さく笑った。

「そうねぇ。まあ、でもいずれ、オブザーもアタシたちのモノになるからね……んふっ、アッチにはどんなイイ男が待ってるのかしらぁ?」

「全く、リディックの考えてることは理解出来ないニャ」

 不気味な笑い声を上げるリディックに冷ややかな視線を送りながら、アーニャはその場を去った。一人置いて行かれたことに気付いたリディックは「あらぁ、ちょっと待ってよぉ」とアーニャを追いかけるように、内股で走った。



 翌日。

「……母さん、……おはよう」

 台所で朝食の準備をしていたまりこは、ゆっくりと振り向いた。そこには、まだ暗い表情のままの翔太の姿があった。それでも、ちゃんと部屋から出てきたことに安心したまりこは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべた。

「おはよう、翔太。もう少ししたら朝ごはん、できるからね」

「……うん」

 うつむいたまま、それでも翔太はいつもの場所に座って朝食を待った。翔太の前にトーストとベーコンエッグを置くと、まりこは翔太の向かい側に同じメニューを置いて座った。

「じゃあ、いただきます」

「……いただきます」

 まりこの言葉に続いて、翔太も低い声で、手を合わせて言った。静かに、ゆっくりと食事を食べる翔太を見ながら、まりこは何かを言おうと、口を開けた。が、言葉が出てこなかった。何を言えばいいのか、一瞬、わからなくなった。

「……翔、太」

 ぎこちなく名前を呼ぶと、翔太が顔を上げた。目元が、うっすらと腫れている。まりこは笑顔を浮かべて、翔太の顔の変化に気付いていないふりをして、尋ねた。

「今日は、どうするの?」

「……え?」

 聞き返す翔太の声は、掠れていた。ああ、やはり昨日はずっと泣いていたのか、とまりこは理解した。それでも、まりこは翔太の顔の変化には触れず、話を進めた。

「今日、どこか行くの?」

 問われた翔太は、再び俯いた。

「……う、ん」

 それでも、低い声で肯定の返事をしたことに、まりこは少しだけ安堵していた。昨日の自分の言葉は、翔太に届いていたようだ、と。

「譲くんのところ?」

「……その、つもり。でも……」

 まりこは、翔太の小さな口から言葉の続きが出るのを待った。しかし、翔太は開きかけた口をきゅっと閉じて、持っていたフォークをテーブルの上に置いた。

「ごちそうさまでした」

 それだけ言うと、翔太は立ち上がった。

「翔太」

 まりこが呼び止めるが、翔太は振り向くことなく、部屋から出て行ってしまった。

「……翔太」

 そんな、まりこの小さな声だけが部屋の中に響いた。


 翔太は部屋に戻り、勉強机の上にあったカードパックを見た。譲が持ってきたというパックを、翔太はまだ開けていなかった。そして、ベッドの上に放置されていたデッキケースを手に取る。慣れた手付きで、翔太はデッキケースの中から一枚のカードを取り出した。

「……、ショウ」

 翔太が取り出したのは、『剣の勇者 ショウ』のカード。いつものように呼びかけるが、カードの中から返事はない。ただ、銀色の剣を構えた翔太にそっくりな勇者の絵が描かれているだけだった。

「……そう、だよね」

 翔太は、ぎこちない笑みを浮かべる。昨日、ショウに言った、自身の言葉を思い出した。

――もう、嫌だ

 そして、最後に見た、ショウの表情。

――今まで、ありがとう

「……もう、あんな思いしなくていいんだ」

 翔太はそう言って、カードをデッキケースの中に収めた。デッキケースをポケットの中に入れて、翔太は部屋を出た。

「翔太?」

 部屋を出ると、まりこが翔太に声をかけた。翔太は何も言わずに玄関に向かった。

「シャイン、行くの?」

 靴を履く翔太に、後ろからまりこが声をかける。翔太は頷いて、立ち上がった。

「じゃあ、ちゃんと譲くんにお礼、言うのよ?」

「……うん」

 低い声で返事をした後、翔太は扉に手をかけた。

「……いってきます」

「いって、らっしゃい」

 ばたん、と扉が閉まる音。まりこは、目を閉じて、深く息を吐き出した。



「ちょっと、譲? そんなに慌てて食べなくても、ご飯は逃げたりしないわよ」

 同時刻、市村家。がつがつ、と慌てて食事をかき込む譲に、譲の母、かえでが呆れたように声をかける。しかし、譲は速度を緩めることなく、食事をひたすらに食べていた。

「休みの日に早起きしたかと思ったらなんなのかしら」

「まあいいじゃないか、早起きしたんだし。譲、紅茶飲むか?」

「ミルクティー!」

 楓が呆れる横で、にこりと微笑みながら父、右京うきょうが立ち上がった。

「ミルクティーか。なら今日はアッサムか……アールグレイか……」

「おっはよー」

 右京が棚の中にある、茶葉の入っている瓶を眺めて選んでいる間に、リビングに起きたばかり、というような寝間着姿の要がやってきた。

「あら、要も今日は珍しく早いのね」

「まあねー。って、譲? 何、がつがつ食ってんの?」

 楓の言葉にあくび交じりに返事をした要が、すでに食卓で朝食を食べている譲を見て驚いたような表情を浮かべた。

「今日は、翔太とブレバトするから」

 口の中のものを飲み込んだ譲が、要の問いかけに答える。それを聞いて、楓が呆れたように声を上げた。

「譲、あんたまたブレバト? もう、休みの日は本当に遊んでばっかり!」

「まあまあ、休みだからいいじゃんか、母さん」

 へらり、と笑いながら要が楓に言いながら、譲の向かい側に座った。そんな二人の前に、右京が淹れたてのミルクティーが入ったマグカップを置いた。

「そうそう。今のうちしか遊べないからなあ。ほら、二人とも」

「ありがと父さん!」

「サンキュー」

「あー、もう、うちの男どもは……」

 男三人のやり取りを聞いていた楓が額に手を当てて、大きくため息を吐き出した。

「それじゃあ、オレ、行くね!」

 ミルクティーを一気に飲み干した譲は、勢いよく立ち上がった。それを聞いて、要が時計を見る。

「行く、って、シャインはまだ開店してないぞ?」

「その前に、翔太の家行くんだ! じゃあ、行ってきまーす!」

「おいおい、譲。紅茶はもうちょっとゆっくり味わって飲んでだなあ」

 と、右京が言い終わるよりも先に、譲は部屋を飛び出た。そんな譲を見て、楓が本日何度目かの大きなため息を吐き出した。

「はあ……そろそろあの子も勉強に集中してもらいたいんだけど」

「なあに、まだ小学生だろ?」

「そうだけど、受験どうするかとか、いい加減決めないと……」

「本人の意志が一番だろう? なあ、要」

「はぇっ」

 楓と右京の話をぼんやりとしか聞いていなかった要は、突然右京に話を振られてパンをかじろうとしていた口のままで声を出した。それからパンを皿の上に置いて、右京の方を見た。

「えっと、何? 受験? 譲には無理だろ」

「ははは、兄ちゃんからしたらそうなるか。それとも、受験した先輩としての意見か?」

「んー、まあ、どっちもかな」

 そう言いながら、要はマグカップに入ったミルクティーを一口飲んだ。


「早く翔太の家に行って、一緒にブレバト!」

 走りながら、息を荒げながら、それでも笑いながら、譲は翔太の家に向かっていた。少しでも早く、と思いながら譲が曲がり角を曲がった時だった。

「うわっ?!」

 曲がった先に人が立っていたようで、勢いよく走っていた譲はそのまま相手にぶつかって尻餅をついた。

「あっ、ご、ごめんなさい!」

「いえ、構いませんよ」

 譲は立ち上がって、慌ててぶつかった相手の元に謝罪に向かった。相手は黒い髪に黒い太縁の眼鏡をかけた、スーツ姿の青年だった。

「気をつけてくださいね」

「あ、はい! すみませんでした!」

 譲が深く礼をすると、青年はそれ以上何も言わず、譲に背を向けて歩き始めた。その時、青年の足元に何かが落ちた。

「あ、あの! 落し物!」

 譲がそれに気づき、地面に落ちたものに手を伸ばした。それは――ブレバトのカード。

「これ、ブレバトの」

 譲がそのカードに手を伸ばした、時だった。

――譲!

「え?」

 誰かの声が、譲の耳に届いた。思わず、譲は伸ばしかけた手を止めた。

「今の……って」

 どこかで聞いたことのある声に戸惑う譲があたりを見ていると、青年が譲の方を振り返った。

「――手間をかけさせますね」

 青年がつま先で軽く地を、叩く。すると、突然風が強く吹いた。

「うわっ?!」

 突然の風により吹き上げられたカードが、譲の指先に触れた。直後。

「う、わあ?!」

 譲の視界が、闇に落ちた。



 去っていく譲の背中を、眼鏡の青年が見つめていた。

「地道な手段ですが、仕方ありませんね」

 そう言うと、青年の足元から風が吹くと同時に淡い青の光が青年の身体を包んだ。光が消えると、そこに立っていたのは薄い水色の髪に深い青の瞳、青い縁の眼鏡をかけた青年がいた。先ほどまでのスーツ姿ではなく、白いポンチョマントと青の服に身を包んでいる、普通の街角で見かけるには違和感を与えるものだった。

「これもすべて、ディス・パレイド……イーヴァル様の為」

 一言、青年がそう言うとその姿は白い光に包まれて消えた。


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