第10話 《Aパート》

「俺の勝ちだな」

 にや、と笑いながら言うダイゴに、要は苦い表情を浮かべた。

「久しぶりにやったら勝てるかと思ったけどなあ」

 そう言いながら、要はテーブルの上にあったカードを手元に寄せてまとめる。同じようにダイゴも自分のカードをまとめて整えながら、要の手の中にあるカードを見た。

「けど、お前。前より攻撃力上げたな」

「お、マジで? じゃあ次にバトルするときはお前に勝つぜ」

「何言ってやがる。俺が勝つ」

 ダイゴと要は、互いに不敵な笑みを浮かべながら言い合う。そんな時だった。

「いらっしゃいませー。あ、譲く……ん?」

 店内に聞こえてきた真澄の声に、要は手を止め、視線を店の入り口に向ける。

「……譲?」

 そこにいたのは、俯いている譲。何かがあった、というのは兄の要でなくとも、一目見れば伝わるような様子だった。要は一つため息を吐いた。

「悪いな、ダイゴ。ちょっと」

 ダイゴに言いながら、要はカードをテーブルに置いて店の入り口まで駆けた。

「おい、譲」

「……兄ちゃん」

 要の声を聞いて顔を上げた譲の表情は、要の予想通り、暗いものだった。

「どうしたんだ。お前、今日は翔太と一緒にアーケードするんじゃなかったのか?」

「うん……」

「翔太とケンカか?」

 要が問うと、譲は首を振って否定した。そんな間に、ダイゴと、同じくシャインにやってきていた忍がそばに寄っていた。

「おい、譲、どうした?」

「何かあったのか」

「DD……師匠……」

 二人に気付いた譲がそれぞれの顔を見て、それから視線を要の方に戻して小さく言った。

「翔太が……バトル、したんだ」

「誰と?」

「……Shadow、と」

 譲がしぼり出すように言った言葉に、三人の目がはっと丸く開かれた。

「Shadowって、あの、ランキング一位の?!」

「うわあ……それは翔太も災難だったな……」

「それで? 翔太はどうした?」

 同情するようなダイゴと要の横で、忍が譲に尋ねた。

「翔太……バトルが終わった後、なんかもう、泣きそうな顔して……それからなんにも言わずにゲーセンから走って行って……。追いかけたけど、追いつけなくて……」

 そう言う譲の手には、一枚のカードが握られていた。要が、そのカードを指さして譲に訊く。

「それ、翔太が忘れたやつか?」

「う、うん」

「なら、届けに行ってやればいいだろ」

「……うん」

 ダイゴの提案に、譲は俯いたまま小さく頷いた。頷いているが、ダイゴの言葉には肯定していない様子だった。譲の返事にダイゴが首を傾げる。

「どうしたんだよ、譲」

「オレ、あんな翔太見たことない……。翔太、……もしかしたら、もう、ブレバトしたくないって、思ってるかも……」

 譲は震える小さな声で、不安を零した。

 ブレバトの初心者である翔太が、現在ランキング一位の“Shadow”と対戦し、そして負けた。それも、親友の譲に何も言わずに走って逃げだすほどに。そんな状態の翔太が再びブレバトをするのか。譲の中の不安は、忍やダイゴにも理解できた。

「で、お前は?」

 そんな不安を零した譲に、要は腰に手を当てて尋ねた。譲は「へっ?」と驚いたような声を上げた。

「だから、お前はどうなんだ、譲。翔太とまた、ブレバトしたいのか? したくないのか?」

 問われて、譲はぱちぱち、と瞬きをしていた。それからしばらく沈黙して、譲は、考えた。

「オレ……、また、翔太とブレバトしたい!」

「なら、お前がすることは決まってるだろ?」

 にや、と要が笑うと譲は強く頷いて、店内のカードパックコーナーに走った。

「真澄さんすみません! これ、ください!」

「はーい」

 レジにパックを持って行った譲は、代金を払う。真澄からパックを受け取った譲はばたばたと入り口まで走った。

「ありがとな、兄ちゃん! ちょっと翔太の家行ってくる!!」

 店内から去った譲の背中を、要はふっと笑って見送った。譲の姿が見えなくなった頃、要の両脇を、誰かが同時に軽く肘打ちしてきた。

「やるな、兄貴」

「お前、意外と真面目に兄貴だったんだな」

 にやりと笑いながらからかうように言うダイゴと、真顔で感心するように言う忍。そんな二人に挟まれて、珍しく要が乾いた笑みを浮かべた。


 譲が走って向かった先は、翔太の家だった。足を止めて、何度か大きな呼吸をして息を整えた後、譲は覚悟を決めたような表情を浮かべ、翔太の家のインターフォンを押した。しばらくすると、通話口から[はい]と女性の声が聞こえてきた。

「あ、あの! 市村です! 翔太くん、いますか……?」

[譲くん? ちょっと待っててね]

 ぷつ、とインターフォンの通信が切れる音がしてしばらくすると、扉が開かれた。

「翔太の、母さん……」

 扉から出てきたのは、翔太の母、まりこだった。譲はまりこの元に駆け寄り、「あの」と言いながら顔を見上げた。

「翔太……帰ってます、か……?」

「うん、つい、さっきね」

 苦い笑みを浮かべて答えるまりこに、譲は翔太の様子を察した。

「翔太、何かあったの?」

「えっと……あの……」

 何も事情を知らないまりこに、どのように状況を説明すればいいかわからない譲は言葉を詰まらせた。そんな譲の様子を見て、まりこはふっと微笑んだ。

「ごめんね。翔太のこと、心配してくれたのよね」

「……翔太、今、会えますか」

 譲が尋ねると、まりこはちら、と後ろを見た。続く視線の先には、翔太の部屋がある。譲も、同じように翔太の部屋がある方向を見た。

「……ごめんね、譲くん。ちょっと、今は難しいかもしれないわ……」

「そう、ですか……」

 まりこのぎこちない笑みに、譲は一瞬顔を俯いた。が、すぐに顔を上げて「あの!」と声を上げた。

「これ!」

「……え?」

 譲が差し出してきたものをみて、まりこは驚いたような声を上げた。それは、ブレバトのカードと、カードパックだった。

「翔太に、伝えてください! また明日、シャインで一緒に、ブレバトしようって!」

 そう言うと、譲は深く一礼して、まりこに背を向けて走って去った。まりこは、視線を遠く去って行った譲から手元のブレバトのカードとパックに変えた。これがどういう意味のものなのか、まりこには理解できなかったが、それでも譲が翔太のことを思って渡してくれたことは解った。まりこは、玄関の扉を閉め、翔太の部屋に向かった。

「翔太」

 ノックをして声をかけるが、中から反応はない。家に帰ってくるなり、何も言わず部屋に駆け込んで閉じこもってしまった翔太に、まりこは何度か声をかけたが、翔太は何も言わなかった。

――こんな翔太の姿を、まりこは、知っていた。

 その時の翔太の姿を思い出し、そして、何もできなかった自分を思い出した。まりこは一つ、大きく息を吐き出した後、ドアノブに手をかけて、静かに扉を開けた。

「翔太」

 部屋の中は、薄暗い。ベッドの隅にいる翔太は、膝を抱え込んで座っていた。顔を見せず、俯いたままの翔太に、まりこは声をかけた。

「譲くんが、来てくれたわよ」

 まりこの言葉に一瞬だけ、身体をぴくり、と動かしたが顔を上げることはなかった。

「これ、ブレバトのカードかしら。それと、何だろう……カードパック? って書いてるけど、譲くんがわざわざ買ってくれたのかしら。ねえ、翔太」

 それでも、翔太は俯いた姿勢のまま、まりこと視線を合わせようともしなかった。まりこはカードとカードパックを、翔太の勉強机の上に置いた。

「机の上に、置いておくわね。あと、譲くんから伝言。明日もシャインで、ブレバトしよう、って」

 それだけ言い終えると、まりこは翔太の部屋を出て、扉を閉めた。扉に寄りかかるようにして、まりこは目を閉じて大きく息を吐き出した。

「……ねえ、雄一さん。こんなとき、どうしたらいいのかな」


 まりこが去った部屋の中、翔太はずっと俯いたままだった。

[翔太]

 翔太の耳に、声が、届いた。ゆっくりと顔を上げ、翔太は足元を見た。ポケットから落ちたのか、そこにはショウのカードがあった。

[……大丈夫、か]

「大丈夫じゃ……ないよ……」

 ショウのぎこちない問いに、翔太は震える声で答えた。

「なんなの……あれ……」

 翔太は、先ほどのことを思い出した。

 目の前にいたショウの背中。目の前で繰り広げられたバトル。ダメージを受けるたびに全身に走った痛覚。そして、最後の一撃――シャドウに身体を貫かれた感覚。

 直後、胃の中のものがこみ上げてくるような不快感が生じた。嗚咽交じりの咳をして、翔太は膝を強く抱きかかえた。

[あれが……おれたちが戦っている、ディス・パレイドだ]

「ディス……パレイド……」

 それは、ショウの世界――リヴァーズを滅亡に導こうとする組織。ショウから話を聞いて知っていた翔太だったが、しかし、あまりにも彼の現実とかけ離れた話だった。

「戦うって……こんなに……」

 翔太は腕を抱える。まだ、痛みが身体の中に残っていた。

[翔太]

「おれ……怖いよ」

 翔太の言葉を聞いて、ショウははっと、目を開いた。

「もう……嫌だ。あんな、怖い思い……したくない……」

 震える翔太の声、鼻をすする音。ショウは俯いた。

[翔太]

 ショウが、翔太の名を呼ぶ。翔太はようやく、顔を上げてショウを見た。翔太の目は、真っ赤に腫れていた。

「ショウ……?」

[おれは、ディス・パレイドと戦わないといけない。おれの仲間が、奴らに捕まってるんだ]

「ショウの、仲間が……」

 翔太が言葉を繰り返すと、ショウは小さく頷いた。それから、言葉を続ける。

[だからおれは、強くならないといけなかった。翔太、お前と会って、お前と一緒に戦えて、おれは強くなれたと思う]

 そして、ショウは目を閉じる。しばらくの沈黙の間、翔太はショウをぼんやりと見ていた。

[ごめん]

「……え?」

 ゆっくりと目を開き、ショウは翔太の顔をまっすぐに見つめていた。何かを決心したような、そんな表情のショウを、翔太は不安げな瞳で見返していた。

「ごめん、って……」

[戦いに、関係のないお前を巻き込んだこと。お前は、オブザーで平和に生きてたんだよな。それなのに、勝手に、おれの戦いに巻き込んだこと……本当に悪かった。ごめんな]

 ふっと、微笑むショウの表情に、翔太は何かを言わないといけない、と思った。しかし、開かれた口からは言葉が出てこなかった。

[今まで、ありがとう]

 直後、ショウのカードが薄い光を灯した。それを見て、翔太の目が見開かれた。

「ショウ!」

 カードに手を伸ばし、名前を呼ぶ。が、光が消えてしまったそのカードからは返事がない。

「……ショウ?」

 翔太の手の中にあるのは、『剣の勇者 ショウ』のカード。初めて翔太が手に入れた時と同じ、剣を構える勇ましい勇者の絵が描かれたカードだった。


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