第3話

 リビングへ行けばそこにはソファとテーブルがあり、テーブルには料理が並べられている。もちろん、家具はテーブルとソファだけではなくテレビなどもきちんとあった。


 テーブルに並べられた料理はカレーライスであった。カレーとポテトサラダ。ド定番である。しかしそれがいい。


「そういえばさ」と席に着きつつ俺は言う。「橘花って料理できたのか?」


 橘花は小樟が夕飯を作るのは手伝うとかなんとか言っていたが、俺たちは収容所の出であり、収容所では料理をする機会なんてなかったはずだ。そんな自由は許されてなかった。つまり、俺も橘花も料理なんてしたことがないはず。


「何を言う。失礼な」と橘花が喰いつく。「料理くらい――」


「――できませんでしたね」


 笑顔で、小樟は橘花の言葉の続きを奪ってそう言った。


「私、初めて見ましたよ。洗剤を使ってお米を研ぐ人」


「……おい、マジか。俺でも米の研ぎ方は知ってるぞ。あれだろ。洗剤じゃなくて石鹸を使うんだろ」


「お米は洗剤でも石鹸でも研ぎません。お米はただの水を使って研ぐんです」


「え、そうなの!」


「ほら、やっぱり驚くでしょ」橘花が言う。「わたしも聞いたときはびっくりしたもん」


「いや、これは常識です」


 なるほど。勉強になった。お米は水を使って研ぐらしい。


「で、結局、橘花は何をしたんだ?」


「わたしはポテトサラダを作ったんだよ」


「とはいえ、ポテトサラダなんて蒸かしたジャガイモを潰して具材と調味料を入れて混ぜるだけなんですけどね。しかもジャガイモ蒸かしたり具材を用意したりしたのは私です」


「橘花はただジャガイモ潰して混ぜただけなのか」


「はい」


「……猿でもできるな、それ」


「はい。猿でもできます」


「う、うるさいっ。別にいいじゃん。できないもんはできないもん。竜杜くんだってどうせ料理できないじゃん」


 橘花がそう言って顔を赤らめ拗ねたようにする。開き直りましたね橘花さん。まあ、あなたの言う通り俺も料理はできません。


「と、とにかく食べようっ。冷めちゃうよ」


 橘花がそう言ったので俺たちは一同「いただきます」と言って食事を始める。


 カレー。まずいわけがない。程よく辛くて、コクがあって美味しい。収容所の食堂で出てくる味の薄いカレーよりよほどいい。アレに比べれば実に美味。デリシャスである。


 ポテトサラダもちゃんと味がある。マヨネーズをふんだんに使っているのだろう。収容所で食ったポテトサラダは芋の味しかしなかった。アレはポテトサラダではなくもはや蒸かし芋であった。


 素直に感想を述べる。


「美味しい」


「あ、そうですか」照れているのか少し頬を朱に染める小樟。「それはよかったです。おかわりもありますので。どんどん食べてくださいね」


 彼女は微笑んだ。俺は微笑み返して「ありがとう」と言った。


 というわけでお言葉に甘えて「おかわり」と小樟に空になった皿を差し出しおかわりを要求する。


 小樟は笑顔で「自分でよそってください」と優しく言う。


「あ、はーい」と俺はそれに従いカウンターキッチンの方へ向かいご飯を盛ってカレールーをそれにかけた。で、席に戻り二杯目のカレーライス。


 二杯目も綺麗にたいらげた。


 食後、一服。お茶をずずっと啜った。


 料理を作ってくれたお礼に食器洗いは俺がする。


「俺が食器洗うよ」と言えば、小樟は「いえ、いいですよ。悪いです」と言うのだが、それでも俺は「いやいや、お世話になりっぱなしもいけないし。俺はこれくらいしかできないし」と言って食器洗いを買って出た。料理はできなくても食器洗いはできる。


 俺が食器を洗っている間に小樟と橘花が風呂に入る。小樟は「自分は最後でいい」とか言っていたが、さすがに男が入った後の風呂に女子を入れるのはいけない気がするのだ。だから、俺が食器を洗っている間に小樟と橘花が風呂に入る。しかもどうやら一緒に入っているらしい。風呂場がリビングの近くにあるということもあるのだろう。きゃっきゃという声がキッチンまで聞こえてくる。


『楠夏ちゃんおっぱい大きいー。いいなー』

『いえ、そんなことは……』

『わたし、そんなに大きくないからなー』

『いえ、そんなことは……』


 なるほど。小樟はおっぱいが大きいのか。なるほど。そして橘花は小さい。ま、知ってはいたけど。あえて口にしなかっただけだけど。つーか、橘花よ。自虐は言うな。言われた方は反応に困るから。


 俺は食器を洗い終わりソファに座ってテレビを観る。観るのは民放の番組でバラエティ。芸人が熱湯風呂に入ったりしたりしてやっていることは下品なんだけどそれがなぜか面白い。こういうのは国営放送ではやらない。こういう下品な笑いを今まで知らなかったのはまったく以て損だなと思う。観ることができてよかった。


 面白いというのにはいろいろな種類があるのだ。


 好きなことをしているときは面白い。教育的要素を含んだバラエティ番組を観るのもそれはそれで面白いし、もちろん低俗と言われるバラエティ番組だって最高に面白い。


 面白いときは大概笑っている。笑うってことはそれが面白いから笑うのだろう。


 楽しいとはどう違うのだろう? たぶんそんなに違わない。楽しいは面白いのだ。きっと。


 だから人は楽しくても面白くても笑う。笑うときは幸せなときだろう。


 俺は今、民放のバラエティ番組を観て笑っている。アツアツおでんを無理矢理に押し付けられている芸人を観て笑っている。


 さて。俺は今、幸せなのか?


 笑っているからたぶん幸せ。笑っている今は特に悲しい気持ちではないから、特につらい気持ちでもないから、だからたぶん幸せ。幸せって何なのかよくわかんないけど、今はとりあえず幸せだ。


 俺の居場所はどこだろう、って前に思ったことがある。


 俺はここで――小樟楠夏の自宅で笑っている。もしかしたら、ここが俺の居場所なのだろうか。俺はここで笑っているから、ここが俺の居場所なのだろうか。俺が笑える場所はここだから、ここが俺の居場所なのだろうか。


 わからない。そもそも居場所の定義が謎なのだ。どういう所を居場所と言うのか。笑っていられる場所を、幸せでいられる場所を居場所と言うのか。もしそうだとしたら、俺の居場所はここになるのか?


 うーむ。どうにもわからない。俺の居場所はどこ? そもそも俺って何?


 結局、考えれば謎はただただ深まるばかりでやはり答えなどでない。思考は謎を生む。ならばどうして人は思考する。それは簡単で思考をしなければ答えが出ないからだ。思考というのは不思議だ。解だけではなく謎も生み出してしまうのだから。


 テレビでは芸人さんがクワガタムシを鼻に噛ませている。痛い痛いと痛がって、それがまた笑いを誘った。俺も笑った。


「おまたせー」「おまたせしました」と言って、風呂上りの橘花と小樟がリビングへ入ってくる。二人ともタオルを首にかけて髪を拭いていた。だから髪は濡れていた。パジャマを着ていた。あー、確かに小樟の胸は大きかった。橘花の胸は言わずもがなで小さかった。口にはしない。したら最後、きっと俺の頭に拳骨が降りかかるだろう。


「どうかした?」と橘花が上目遣いに俺の顔を覗く。「わたしたちの方をずっと見てるけど」


 やば。橘花たちのこと(主に胸)を思わず見過ぎていた。俺は咄嗟に視線を逸らした。


「いやっ。別に何でもない。さて、風呂に入ろうかなー」


 ソファから立ち上がって、俺は風呂場へ向かった。入浴をする。


―――――


 風呂から上がり、本の続きを読む。しかし零時を回った頃、橘花が「そろそろ寝たいから電気消していい?」と言ってきたので、そこで俺は読むのをやめる。まだ半分ほどしか読んでいない。いや、半分も読んだ? まあどっちでもいいや。


 トイレに立つ。借りている部屋を出る。


 リビングの方はまだ明るい。小樟はまだ起きているのか。ならばここは一言「トイレ使っていい?」と断りを入れておこう。


 リビングのドアを開ける。小樟はソファに座って、テレビ点けっぱなしで本を読んでいた。彼女は俺に気付いて、顔だけをこちらに向ける。


「何か?」


「いや、トイレ使っていい?」


「ああ。どうぞ。好きに使ってください」


 そう言われたので、俺はトイレで用を足して、もう一度リビングへ。今度は「おやすみ」の一言を言うためだ。


「トイレ、ありがとな」


「いえ」小樟は本から顔を離さずに言った。


 それにしても。テレビを点けている意味って何だろう? 何か意味があってテレビを流しながら本を読んでいるのだろうか。ちなみにそのテレビでは報道番組が流れている。


「あの。余計なお世話かもしれないけど、本読むときくらいテレビ消したら?」


「あ、ごめんなさい。音、うるさかったですか?」


「いや別にそう言う意味じゃないんだけど……なんか気になってさ。普通、静かな環境で本を読まないかな」


「あなたの普通と私の普通は違います。私はこれが普通です」


「まあ、そりゃごもっとも」


「私、静かな場所じゃあまり集中できない性質なんです。寝るときだってテレビを点けてます」


「へえ」


 そういう人ってたまにいるよね。


「ところで、何の本を読んでいるんだ?」と俺は訊く。おやすみだけを言うつもりであったが、俺は知らず知らずのうちにソファに座っていた。


「しっちゃかめっちゃかした恋愛小説」


「はい?」


「言葉で説明するのは難しいし何やってるかよくわかんないけどとにかく恋愛をしてるんだってことだけはわかる恋愛小説」


「なんか、難しそうだな」


「そうでもないです。だって、恋愛小説ってことだけはわかるから」小樟は読むのをやめてその本をテーブルに置く。カバーがかけてあるからタイトルはわからない。


「それに結構面白いです。愛という物語はその愛する人が死んだ後でも続くんだなって思います」


「そりゃあ、愛する人が死んでそれでその愛の物語が終わったとするならば、きっとそいつはその人を愛していなかったことになる。愛するっていうのはそういうことじゃないのか? いや、俺、よく知らないけどさ」


 だって人を愛したことないし、つーかそもそも愛って何? 人を愛するってどういうこと?


「そうですね。愛する人が死んで、はいこれでこの愛は終わりって思う人はきっとその人を愛していませんよね。悲しんですらいないと思います。……本当に愛しているのなら手放すのすら惜しみますよね」


 ふとその表情に翳りが射す。


「ん? どうかしたのか?」


 俺はそんな彼女の表情の陰りを察してそう訊く。徐に小樟は口を開く。


「疑問には、思いませんでしたか。どうしてこんなどっからどう見ても高級マンションの広い部屋に一人で住んでいるのかって」


「それは、まあ……」


 疑問に思わなかったって言えば嘘になる。疑問に思った。どうしてこんな広い部屋に一人で住んでいるのか。でも、このことは突っ込んではいけないと思ったから、俺は何も言わずにいた。まさか自分からこの話を持ち出してくるとは。


「私はですね。半ば捨てられたようなものなんですよ」


 反応に困った。


「私の父は浮気性で、家には滅多に帰ってくる人じゃなかった。帰ってきても、父の隣にはいつも愛人がいたんです。だから母はほとんど女手一つで私を育てていたと言ってもいいです。私の母はそんなに気の強い方でもなかったので、父が愛人を連れて家に帰ってきても強く言えない人でした。『いいのよ。あの人はそういう人だから。これでいいの』と、母はよく言っていました。私の子育てと父親のこと。これらが祟って母が倒れたのは私が小学五年のときだった。母が倒れても父親は愛人にかまけてばかりで私たち母娘のことには目もくれませんでした。私が父に電話をしても父は『今は忙しいから』の一点張り。その割に電話の向こう側からは微かに女性の嬌声が聞こえてくるんですよ。ほんと呆れてものも言えませんでした。結局、母は私が小六のときに死にしました。父は母の死に目には会えませんでした」


「……」


「その後、私は父のもとで育てられるのですが、母が死んですぐに父は愛人と結婚して子供を作ったんです。父と愛人との間に子供が産まれたとき、私は中学二年生でした。父は言いました。『お前ももう中学生だから、一人暮らしくらいできるよな』って。この部屋は父が用意したものです。家賃とか光熱費とか、全部父が払っています。仕送りだって充分過ぎるくらい送られてきます。でも、でもですよ。これはあんまりだと思うんです。だってこれって要するに私を追い出したも同然じゃないですか。捨てたも同然じゃないですか。お前は俺たちの家族じゃないって言っているようなものじゃないですか。確かに、新しい家庭に私の居場所なんてないかもしれないけど、私の身体にはちゃんと父の血が流れているんだし、だから私は父の子供で家族ってことじゃないんですか。なら、父と愛人とその子供っていう新たな家族の中に入る資格くらいはあると思うんです。……でも、同時に思います。もしあの家族の中に入ったところで私は結局疎外感を抱くだけで、辛い思いをするのは目に見えている。なら、一人暮らしの方がいいって。だから、今のこの状況が一番楽でいられるんです」


 小樟の語気はだんだんと強められていった。言い終わって彼女はふうと息を吐いた。


 ――無知は憧れや期待を生む。


 小樟が言った言葉である。彼女の話を聞いて俺はふとそれを思い出した。


 人は何かに憧れを抱く。人は何かに期待する。


 小樟楠夏は何に憧れ、何に期待した?


 きっと彼女は家族に憧れて、父親に期待した。しかし、それは裏切られた。


 家族はその形を保てず、父親は結局母親のもとには戻ってこなかった。


 どうして彼女は憧れて期待した? それはきっと彼女が無知だったから。彼女は知らなかったのだ。小樟家がとうの昔に崩壊していて家族などという形を成していなかったことや、父親という人間はとっくにクズ野郎だったことを。たぶん知っていたら憧れも期待もしなかっただろう。


 小樟の母親はどうだったのだろう。母親は父親が愛人を連れて家に帰ったとき「いいのよ。あの人はそういう人だから。これでいいの」と言ったらしい。ということは、小樟の母親は知っていたのだろう。家族の状態や父親のことを。知っていたから、諦めていたのだ。


 諦めていればそこに裏切りは存在しない。この場合、裏切りとは期待外れの事象に用いる言葉である。端から期待していなければそこに裏切りはないというものだ。


 もし小樟が家族の状態や父親のことを知っていれば憧れも期待も抱くことはなく、母親と同じようにそれらを諦めることができたなら裏切られることはなくショックを受けることもなかったのだろう。


 なるほど。そういうことか。


「お前が言った、無知は憧れや期待を生む、って言葉には続きがあるな?」


 そう言ったら、小樟は少しだけ目を瞠る。俺が言葉の続きに気付いたことに驚いているのだろう。


「無知は憧れや期待を生む。そして、憧れや期待は絶望を生む。そうだな? 小樟」


 小樟は少しだけ口角を上げた。


「そうです。でも少し違います。無知は憧れや期待を生み、憧れや期待は絶望を生む。でも、生むのは絶望だけではありません。憧れや期待は、絶望と後悔を生むのです。つまり、無知は損をするってことなんです。だから、私は本を読む。絶望をしないために。後悔をしないために」


 本は知識を増やす。知識が増えれば無知ではなくなり、知っていることが多ければ何かに憧れることも何かに期待することもなくなる。


 本の中には物語がある。物語の中には登場人物たちの人生がある。つまり、本の中には人生が記されている。本を読むということは、その登場人物の人生を知るということ。様々な物語を読み、様々な人生を知ることで、自らの人生における選択肢を増やすことができ、そうすることで自らの人生を合理的に生きることができる。


 小樟はこれからの人生において絶望や後悔をしないために本を読むのだ。


「俺も、本を読めば人生を有意義に過ごすことができるんだろうか?」


 俺は何も知らな過ぎだと思うのだ。だいたい、米の研ぎ方すら知らないのだ。こんなのではこれからの人生、絶望や後悔をしまくりではないか。


 つーか、根本的な話、米の研ぎ方とかそんなもの以前に俺は俺自身が何なのかを知らない。


 父親と母親がいて、はじめて自分が存在する。それが普通だ。自分というのは父親と母親から生み出される。しかし、俺はそれを知らない。


 こればかりは本を読んでもわからない。本を読んで、それで俺の父親と母親を知ることはできない。


 もしかすると、俺は本を何冊読んでも無知のままではないのだろうか?


「俺は自分を知らないんだ。自分という存在の根底にある父と母という存在が俺にはない。施設で育ったから俺は両親を知らない。でも、お前がそうであるように俺にも両親はいるはずだ。しかし、こればっかりは本を読んでもわからない。自分っていうのは親がいるから存在し得る。でも、その親を知らない俺は本を読んでも意味がないように思うんだ。親を知らないってことは自分を知らないってこと。つまりゼロだ。ゼロに何を掛けてもゼロになるように。もとがゼロな俺は何を積み上げてもゼロのままじゃないのか」


「水神くん」と小樟が言う。「本を読むってことは掛け算じゃないんですよ? 本を読むってことは足し算なんです。だから、たとえあなたがゼロであっても本を読めば一になり、二になり、三になっていくんです。自分を形成するのは経験や環境だけではありません。知識だってそうなのです」


 だから、と彼女は続ける。


「だから、あなたが本を読むことにもちゃんと意味はあるんです」


 そう言って、小樟は笑う。まるで聖母のような笑みであった。


「そうか。なら、俺も本を読もう」


「はい。読んでください。いろいろと」


―――――


 小樟と話している間もテレビは点けっ放しであった。


 テレビでは地元の情報を取り上げた報道をやっている。女性アナウンサーの淡々とした口調が聞こえてくる。


『先ほど、入ってきたニュースです。奈良都市部にて、目を刳り貫かれた男性の死体が発見されました。これで目を刳り貫かれた死体は三人目となります。警察は今までに起きている八件の殺人事件との関連性を調べています……』

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