第4話

 ホテルを出て、殺人現場へと赴いた。


 現場の裏路地には『keep_out』の黄色いテープが張られていて、傍目、何もなかったかのようにされている。テープの先にあるのは殺人現場のはずなのにそこには血も何もなかった。あるのは何の変哲も無い仄暗い裏路地。しかし、これは魔法によるものだ。景観保持のための魔法による景色の書き換え――つまるところ、目の前にあるのは魔法により形成されたモニターでそのモニターには何事もなかった綺麗な裏路地の景色を映し出しているのだ。


 つまり、この魔法のモニターを破った先には本物がある。未だに血痕が残っているだろう殺人現場がこの先には存在する。


 もしかすると犯人がすでに来ているかもしれない。来て、見つかりもしない鍵を捜しているかもしれない。もしそうだったら万々歳。そうでなくても待ち伏せをする。でも待ち伏せて犯人が来なかったら嫌なので、やっぱりこの先に犯人がいる方がいい。まあ、どっちがどっちかなんて運なので、それに任せよう。


 俺は肩に掛けていた刀袋から《村雨》を取り出した。そして鞘から抜く。


 刀身を剥き出しにした《村雨》。


 これを振りかざし、そして振り下ろす。


     ※※※※


 運が悪かったとしか言えない。


 まさかこんな初歩的なミスを犯すなど。いや、もうミスとも言えないただの失態。

【此岸征旅】の構成員、ユリウス・フリューリングは捜していた。落とした物を捜していた。大事な物だ。これがなければ住処に帰れない。この度の仕事のために借りた部屋の鍵。


 身寄りのない女性を殺してそして頭部を切断しそれを回収。そしてその頭部はまた別の【此岸征旅】構成員に渡して持って行かせた。こうしたことにはわけがあり、ユリウスはまだ人間を殺さなければいけないからだ。だから部屋を借りているのだ。すべての殺しを終えるまでは本拠地には帰れない。


 すべては計画のために。


 とはいえ、部屋の鍵を落とすとは。合鍵の一つでも作っていればよかった。


 ユリウスが今住んでいるのはオートロックのマンションで、だから鍵がないとマンションの中にも自分の部屋に入れない。部屋に入れないってことは寝る場所がないってこと。こんな街中でホームレスよろしく野宿をするのは彼としてはごめんだ。


 だから、ひたすらに思い当たる所を捜して捜してどこにもなくて、それで最終的に女性を殺したここで落としたのだと確信した。だからここに来た。魔法のモニターによるバリケードがあったので、破っていこうと思ったが無闇に破るのもいけないと思い、破らないように魔法の脆弱性を衝いて、そこを掻い潜って殺人現場にやって来た。そして鍵を捜している。


 鍵を捜しているのだけど、その鍵が見つからない。


「ないはずはないのに……」


 隙間という隙間を覗くけど鍵はない。


 やはり鍵を落としたのはここではないのだろうか?


 そんなことをユリウスは考え始めていた。


 その刹那のことだった。


 シュン、という風切り音を聞く。後ろを振り返る。


 魔法モニターが破られていた。


 なんて堂々とした奴らなんだ、とユリウスは思った。


 彼が見たのは二人の人影、一人は女で、もう一人は男だった。その男の手には刀らしき得物。


 ユリウスはその二人の人影を見て直感した。


 こいつらは敵だ!


     ※※※※


 運がよかったとしか言えない。


 魔法モニターを破った先に本当に犯人がいるとは。よく放火犯は自身が放火した場所に戻ってくるみたいなことを言うけれど、それは殺人犯にも通用するのだろうか? まあそんなことはどうでもよくて、こいつがここに戻ってきた理由はきっとこれ。


「お前が捜しているのはこれか?」と言って、俺はズボンのポケットから拾った鍵を取り出して、見せつける。


 いくら時間帯が深夜でここが裏路地で暗がりだとはいえ、目の前の人間がどんな奴かくらいはわかった。


 そいつは男で、外国人で、髪はブロンド。身長は高く好青年という感じ。そんな彼の表情は俺の持っているこの鍵に心当たりがあるかのような、そんな表情。


「お前は誰だ? 公安か? 警察か?」


「俺たちを見て真っ先に『公安か?』という質問をするってことはそれほどに後ろめたいことをやっているわけだな」


 つまり、本当の本当にビンゴ。俺は確信した。


「【此岸征旅】の一員、だな?」


「やっぱり! お前、公安の奴だな! くそっ!!」


「違う。俺は公安の人間じゃない」


 公安に雇われた人間である。決して公安の人間ではない。


「じゃあ何だ! なんか、お前、俺のこと知ってるみたいだし。何なんだ、お前は。お前らは!?」


「何だと言われて素直に答えるとでも?」


 否、答えるわけがないのだ。どうしてわざわざ自分の正体を自分から明かさなければならない。敵に明かすことなど何もないのだ。


「ところで」と俺は言う。「この鍵はお前のでいいんだな?」


「ああそうだ。さっさと返せ!」


「なんで? いやだよ。とりあえず俺の質問に答えろよ。そうしたら返してやる」


「は?」男は困惑した。そんなの関係なく俺は続ける。


「改めて訊く。お前は【此岸征旅】の一員だな?」


「こ、答えるとでも?」


「そうか」


 俺は男に近づく。橘花も俺についてくる。


 男は恐れ戦いたような風情で後ずさる。


「怖いのか?」と俺は訊く。「人を殺せるのに、殺されそうになると怖くなるのか? 人を殺す方が殺されるよりよっぽど怖いだろ。いや、俺は知らないけどね」


 俺はいつも殺す側の人間だ。いや、まあ人間を殺したことはないけど、俺はしょっちゅう人間を傷つけている。人喰魔法使いだから、人を傷つけ喰って力を得る。


 傷つけるのも殺すのも似たようなものだ。殺すことは傷つけることなのだ。


 あれ? 待てよ。俺っていつも恐怖してたっけ。人を傷つけることに。あの喧嘩のときや橘花の腕を試しに斬ったとき、俺は恐怖していたか。そういえば、してなかったな。ああそうだしていない。ということはつまりやっぱり殺すより殺される方が怖いのか。


「ごめん」と俺は言う。「やっぱり、殺される方が怖いな。つまりお前の反応は正解だよ」


 まあそんなことはどうでもいいや、と俺は言って続ける。


「もしも、お前が俺の質問に答える気がないというのなら、少しばかり痛い目に遭ってもらうけどいいよね?」


 そう言って、俺は刀《村雨》を振る。一閃。


「っ」


 その一閃は空振り。男が腰を抜かして尻餅を着いたから、俺の振った《村雨》は何も斬らなかった。


「動いちゃダメじゃないか。くそ、次こそは斬るぞ。動くなよ。そこから一ミリたりとも動くなよ」


 言うや否やまた一閃。


 俺の振った《村雨》は男の左目を斬る。横にスパッと。


「ぅぐぁあ――っ!?」


「さて」俺はしゃがみ男と目線を同じにする。「もう一度訊くぞ。お前は【此岸征旅】の一員だな?」


「……」


「一つ、首を縦に振ってくれさえすればいいんだ。どうしてこんな簡単なことができない?」


 俺は《村雨》を男の左の掌に突き立てた。


 男は痛がる。「うがあああ!?」なんて喚き声を立てる。――そして首を縦に振った。


「そうかそうか。では次の質問」


 男は驚いた表情を見せた。なんだ? 質問が一問だけだと思ったのか。そんなわけがないではないか。まだ訊きたいことはあるのです。


「【此岸征旅】は何のために殺人をしている? それが言いたくないのなら本拠地を言え」


 男は何も言わなかった。


「おいおい。自分の正体を明かしたんだから、みなまで言ってくれていいじゃないか。ほら、全部言え。すべて吐け。お前らは何のために殺人をしているんだ? で、お前らはどこを本拠地に活動している?」


 俺は問う。しかし、男は答えない。答えにならないことを言う。


「誰が、言うか……」


 だから、それならどうして自分が【此岸征旅】の一員であることだけは認めたんだ?


「お前に、俺の正体を明かしたのは、お前を殺すためだよ。ほら、よくあるだろ。正体を知られたからには死んでもらうって!」


 ゴツン、と。俺は左側頭部に衝撃を覚える。あ、殴られた。男の右の拳が俺の左側頭部に激突した。


 俺は飛ばされ壁にぶつかる。ポリバケツが並んでいたのでそれも巻き込みぐちゃぐちゃ。ポリバケツがひっくり返り、中に入っていた生ごみが俺に降りかかる。臭い。頭にはバナナの皮がぴょこん。


「……くそ、が」


 キッと俺は男の方を睨みつけた。


 その男は左の掌に突き刺さったままだった《村雨》を引っこ抜いて、立ち上がる。

 橘花がこちらへやって来た。


「大丈夫!?」と焦った様子の橘花。「怪我は?」


 心配してくれているようだ。

「大丈夫だ」と言っておく。橘花は胸を撫で下ろす。


「ねえ竜杜くん」橘花が言う。「……顔が怖い」


 今それ言うこと? でも彼女がそう言うってことは、俺の顔は今結構厳ついらしい。


 どうして? たぶん俺は怒っているんだ。

 どうして俺は怒っている? 俺は何に怒っている?


「というか、さっきからずっと怖かった」


「さっき? 要するにあの男を痛めつけていたときから?」


 うんうん、と橘花が頷く。頷いて、言う。


「でも、さっきまでは嗜虐的って感じだった。今は怒ってるって感じ」


 つまり、男を痛めつけることに俺は嗜虐性を見出していたわけだ。そして俺は今怒っている。どうしてだろうと思って、そういえばさっきからずっと左の側頭部が痛い。そうだ、ここはあの男に殴られたんだ。だから痛いんだ。そうか。俺は痛いから怒っているんだ。


 痛めつけることはいいけれど、痛めつけられることは嫌だ。


 これって俺の性格が最悪ってことではないか。


 痛めつけることが楽しくて、でも逆に痛めつけられることが嫌い。


 ふむ。


「どうやら俺は少しおかしいらしい」


「きみもわたしも、おかしいよ。普通でないことは確か」


 そりゃそうだ。でも俺の言っていることはそういうことではない。


 特異生物だからおかしいというわけではなくて、俺の性格が少しばかり捻くれているからおかしいという意味なのだ。特性の問題ではなく、性格や人格の問題。

【特異生物収容所】にいた頃の食堂での喧嘩のことを思い出す。


 あのとき俺は食堂をこれ以上汚すわけにはいかないと思ってあいつらの喧嘩を買った。買ったと思っていた。しかしそれは違っていて、どうやら俺は怒っていたらしい。あのとき俺の横腹には箸が突き刺さっていた。痛かった。俺は痛めつけられたことに怒って、それで喧嘩を買って勝ったんだ。


 俺は怒っている。痛めつけられて怒っている。


 俺はいつでも痛めつける側の人間だ。殺す側の人間だ。だから俺は目の前にいるあの男を痛めつけなければいけない。殺さなければならない。


 ムカつく奴は叩きのめす。問題あるか? いやないだろ!


 俺は橘花の手を取る。え? と橘花が不思議そうにする。でも俺は彼女の疑問に答えない。何も言わずに俺は彼女の人差し指を噛み千切る。


「ぅぐっ」と橘花が呻く。とはいえ、俺の噛み千切った人差し指はたちまち再生した。


 俺の口の中には橘花の人差し指がある。少ししょっぱい。骨も爪も関係なく、俺はそれを咀嚼し飲み込んだ。


 立ち上がる。男と対峙する。


 男はさっきの俺の行動を見ていたらしく驚愕ないし恐怖の表情をしていた。


「お前、今、その女の指を……喰った?」


「だから何だ? お前に関係あるか? それより、俺の刀を返せ」


 そう言って、俺は男へと近づく。


「返せと言われ、返すわけがない!」と言って男が襲ってくる。しかも俺の刀を武器にして、だ。


 男は《村雨》を横に振る。俺は腰を低くしてそれを躱す。男が《村雨》を振り切ったところで俺はグンッと腰を上げる――その勢いに任せて右の拳を使ってアッパーをかます。その拳には少しばかりの魔力を込めた。当たれば顎の骨を粉砕するくらいはできる。


 ――が、しかし。


 男は仰け反って、俺のアッパーを躱した。


「残念」と言った男の顔は笑っていた。


《村雨》が再び俺を襲う。横に薙ぐように振られる《村雨》。その軌道は俺の胴体を両断するもの。


「……くっ」


 後退――しかし、躱し切れなかった。


 浅くはあるものの《村雨》を俺の腹を斬る。横線の刀傷。血がポタリ。


 魔法で治癒してもいいが、魔力がもったいない。俺の魔力は現在、橘花の人差し指分しかないのだ。いやまあ喰ってもいいけれど、戦闘中にそんな暇はない。


 武器が欲しいところである。だいたい、どうして俺が素手であいつが《村雨》を持っているんだ。こんなの不利ではないか。くそ。


「竜杜くん、これ使って!」と後ろから橘花の声。


 振り返ると棒状の何かが飛んできたので、掴む。箒だった。ただの掃除で使う柄の短い箒。


 ……まあ、ないよりはマシか。魔法で強度を高めて硬くすれば刀と渡り合えるくらいの武器にはなる。


「そんな掃除道具で何ができるってんだよ」


 男は《村雨》を振振り上げ、振り下ろす。俺は横に跳んで避けて、男に近づき、それから箒を振る。狙うは男の首筋だ。


 俺の振った箒は男の首筋に当たる。けれど、それで男を無力化することはできなかった。


 男は少しよろめいただけ。でもよろめくだけでもいい。それは隙となる。


 俺は男の手の甲を叩く。もちろん《村雨》を持っている方の手の甲だ。


 手の甲っていうのは叩かれると結構痛い。それが硬い物で叩かれるとなるなおさら。


 だから、


「ぐっ」


 と男は痛みで呻いた。そして手の甲を叩かれた拍子に《村雨》が男の手から離れた。


 男の手から離れた《村雨》は地面を転がった。


 俺は男の腹を蹴って飛ばす。男は地面を転がった。


 箒を地面に置く。そして《村雨》を手に取る。返してもらったぞ。


 まったく掃除道具をバカにするから、掃除道具にやられてしまうのだ。


 さて、拷問の続きをしようと思い、男に近づき《村雨》を振るのだが――ガギン、という金属同士がぶつかる音がした。


「っ!? どこから、そんなもの……?」


 いつのまにやら。男はその手に刀を持っていた。


「いつから? 造ったのだよ」


 造った? つまり魔法による物質の創造。しかしいくら魔法でもゼロから既存物質は生み出せない。魔法で生み出せるのは魔力だけ。媒体となる物があるはずなのだ。


 だからつまり、


「あらかじめ持っていた鉄くずを媒体として刀を造ったのか?」


「正解。いくら魔法でもゼロからは何も造れない。だから媒体となる物質は必ず必要。金属に魔法を施せば金属製品が造れ、木材に魔法を施せば木製品が造れるといった具合さ」


 そういえば、死体の頭部は切り取られていた。頭部を切断するには刃物が必要だ。なるほど。そいつで被害者を殺したわけだ。頭部を切断したわけだ。


 つーか、そんなものが使えるのなら端っから使っていればよかったのに。どうして初めからその創造――いや、製造と言った方が正しいか――の魔法を使わなかったんだ。


 訊いてみる。


「どうして初っ端から製造の魔法を使わなかった?」


 訊くと、男は答える。


「それではつまらないからだ。こういうものはだんだんとわかっていくのがいいんだよ」


 そんなのやっている当人は面白いかもしれないが、それに付き合う方はつまらない。


 面白みを感じるのは俺だけでいいのだ。楽しいのは俺だけでいいのだ。


「俺はすごくつまらない。そういうことをされると」


「知ったことか」


 男は力に任せて刀を振って、だから俺は後退。距離を取る。


 魔力が少ない。もう少し喰らっておけばよかったとつくづく思う。


 男が一気に距離を詰めてきた。男は右手に持った刀を振る。俺は後退して避けるのだけど、男は左手にも刀を持っていてそれを振ってきた。避ける。けど避けきれなくて右の肩口に傷を負う。


 二刀流とか聞いてない。


 苦戦はつまらない。圧倒したい。傷つけたい。痛みに歪んだ顔が見てみたい。


 今度は俺が襲う番。俺は《村雨》を振る。しかし、それは二刀によって防がれる。防ぐな!


 再び《村雨》を振る。今度は横に振る。しかし、防がれるのがオチだった。


 振っても防がれる。ずっと防がれる。


 だが俺は気付いた。男の刀が刃こぼれし始めていることに。一方、俺の《村雨》に刃こぼれの様子はない。


 男の刀も俺の《村雨》も魔法によって鍛えられたと言ってもいいのに、この違い何なのか。たぶんこの《村雨》がそんじゃそこらの刀とは違うってことだ。水気を帯びた刀身。人を斬るのに適した刀。そして手入れいらず。


 男の刀は付け焼刃で造られた刀で、俺の《村雨》はちゃんとした工程を経て造られた一級品。


 どっちがいいかなんて言うまでもない。


 疲弊した金属は脆く、すぐに崩れる。


 防ぎに防がれた末に、俺は力に任せて《村雨》を振るった。これも防がれる。でも、防ぎきれない。バキン、と。男の刀は二本とも折れる。


 もらった!


 俺は《村雨》を下から上へと振る。《村雨》は男の肉体を斬る。《村雨》が水を飛ばす。男は血を飛ばす。


 楽しい! やっぱりやられるよりやる方がいい! この肉を斬る感触。最高だ!


 男は「ぐぁはっ」と呻いて地面に倒れる。倒れてなお醜く蠢き立ち上がろうともがくけど、そんなことを俺はさせなかった。


 俺は男の右の肩に《村雨》を突き立ててやった。そして、俺がさっきつけた刀傷の部分を踏みつける。


「質問の続きだ」と俺は言う。「【此岸征旅】の本拠地はどこにある? どうして殺人を犯す?」


「……」


「お前は秘密を少しずつ明かすのが好きなんだっけ? なら、もっとたくさん時間をかけて痛めつければ、お前は答えを言ってくれるのか」


 ぐりぐりと、俺は男の刀傷を踏みつける。男が呻く。


「言えば楽にしてやるからさっさと言え」


 踏みつける。踏みつける。踏みつける。右肩に突き刺した《村雨》もぐりぐり。


「……ぅ、ぐ、ぐぅっ」男は呻くだけで何も語らない。


「口が堅い野郎だ」


 俺は《村雨》を男の右肩から抜き、次は男の右目に向ける。


「左目と同じようにしてやる」


《村雨》で男の右目を突く。これで男は両目を失う。


「あああああ――――ッ!? グァああああああっ!?」


 男は両目から血の涙を流しながら喚き立てていた。その涙の理由は光を失った悲しみからか痛みからかは俺にはわからない。


「泣いてないで答えろよ。次は鼻を斬り落すぞ。顔面の形が変わる前に、答えた方がいい」


「……ぁが、ぁ……」


「そうか。まだ答える気がないか」


《村雨》を振り、男の鼻を斬った。男の鼻はその形を残していない。


「ぶぁがっ、ふぁっ、が……」


「まだ答えないのか?」


《村雨》を男の左耳に添えて、すっと《村雨》を振ってそれを斬り落とす。


 男は喚くだけ。


 ならば次は右耳を斬り落とさなければ。


 そう思って今度は《村雨》を男の右耳に向ける――と、そのとき男が口をパクパクさせているのを見た。


「なんだ? 言う気になったか?」

 訊く。


 男は口を動かす。言葉にしようと必死に口を動かしているように見える。


「……ぁ、ぃ。か、い……げ、ん……」


 かいげん。今、こいつはそう言った。かいげんって何だよ。


「……ぉ」


 まだ続きがあるらしい。


「ぉ、ほ……」


 ――と、ここで。カクン、と。男は脱力した。あれ? 死んだ? この程度で? それとも気絶しただけか?


「おい」と呼びかけるけど反応がない。俺は男の首筋に手を当てて脈を計ってみる。脈はある。てことは気絶だ。意識喪失。


「ちっ」と俺は舌打ち。


 どうする? 回復するのを待つか。面倒だな。でも、今のところ【此岸征旅】に繋がるものはこいつしかない。


 考えていると。コツコツと足音が聞こえてくる。前方を見遣る。人影があった。あと閃光もあった。


 え、閃光?


 暗闇から一点の光。それはまるで弾丸。こちらへ飛んできた――俺は身体を逸らしてそれを避ける。俺の目の前を通り抜けたのはやはり弾丸だ。光り輝く弾丸。つか、危なかった! もう少し気付くのが遅かったらその弾丸は俺を貫いていた。


 俺の避けた弾丸は裏路地を抜け、通りへと出て、アパレルショップのウインドウを砕いた。


 パリンシャララ、と俺の背後でガラスが砕ける音がする。


「ユリウスを圧倒しただけはあって、このくらいは当たり前に避けるんですね」


 声がした。前方の人影からだ。つまりその人影が放った声だ。


 月明かりが裏路地を照らす。人影が露わになる。そいつは男だった。物腰柔らかそうな中性的な顔つきをした男。金髪なのだろう。その髪は月明かりに照らされて本物の黄金に見えた。


「誰だ?」と俺は訊く。


「それ、わざわざ訊くことですか? そんなの状況から察してくださいよ」

「てことは、こいつの仲間。【此岸征旅】か」


「そういうあなたは何ですか?」


「何だと思う?」


「そうですね。まず疑うべきは公安の差し金。次に警察の差し金と言ったところでしょう。まあ、なんにせよあなたが、いやあなたたちが我々の敵であることには違いないと思いますけど」


「どうしてここにいる?」


「そもそも僕はユリウスが人を殺害しそこから回収した身体の部位を本部へ届ける仲介人の役割を担っていて、それと同時にユリウスの監視をしているんです。もしユリウスが我々の情報を話そうとしたなら、口を開く前にユリウスを粛清するためにね。ま、話すより前にくたばってしまったからその必要はなくなったけど」


「こいつはまだ死んでないぞ。気を失っているだけだ」


「そうですか」


 男は拳銃を持っていて、それを構える。そして引き金を引く。射出された弾丸は輝いていた。さっきのものと同じだ。そいつは俺の踏みつけていた男(ユリウスと言うらしい)の頭を吹き飛ばす。脳味噌やら血やらが飛び散り、それらは俺の足を汚した。


「容赦ないな。仲間なんだろ」


「生きていてもあそこまで傷だらけでは使い物になりません。それにあんな醜い姿になっていたのです。殺してしまった方が彼のためと言うものです」


 目の前の男は拳銃を俺に向ける。


「次はあなたの頭を吹き飛ばします。どこの所属か知りませんが、敵であるなら殺すまで。――あなたは敵ですよね?」


「味方じゃないのは確かだな」


【此岸征旅】への手掛かりはユリウスだけだと思っていたが、ここに来てその仲間がやって来たので俺は次にこいつに話を聞こうと思う。まあ、ユリウスは死んでしまったのでどちらにせよ話を聞くなら目の前の拳銃を構えている男である。


 銃口が煌めく。弾丸が射出される。


 俺は銃口の煌めきを認知した直後に横へ跳ぶようにして動いた。弾丸を躱すことに成功。


 俺は拳銃を持った男に迫る。《村雨》を振る。


 ――が、男が飛び上がって俺の攻撃を躱した。


 男はぐるんと俺の頭上で一回転して、俺の背後に着地する。俺が振り返るよりも速く、男は俺の後頭部にその拳銃を突きつけた。


 くっ。どうする? これから動作に思いを馳せていると、遠くの方からサイレンがピーポーと聞こえてきた。パトカーだった。


 アパレルショップのウインドウが破壊されたことにより警報装置が作動したらしく、それを感知した警察がこちらにやって来ているものだと思われる。


「ちっ」と俺の背後で男が舌打ち。「あなたとはまた会うかもしれませんね」


 男は拳銃を下ろし、暗闇へと紛れ込む。逃げていった。追いたいところだが、こちらも逃げた方がよさそうだ。いくら公安の要請を受けて動いているとはいえ、こんなところを警察に見つかれば拘束されるのは間違いなく、拘束されるとそこから解放されるまでが長い。それは面倒だ。


「俺たちも逃げるぞ」と言って、俺は橘花の手を取り、そそくさと裏路地から離れた。


―――――


 その後。密かにホテルに戻り、シャワーを浴びる。シャワー室でうっかり橘花の裸を見てビンタされるなんてお約束なこともあったけど、俺も橘花も疲れていたのでシャワーを浴びてベッドに入って、そして何事もなく寝た。


 朝が来る。朝食を食ってホテルを出る。


 調査は振出だ。


 わかっていることはユリウス・フリューリングの言った『かいげん』という言葉だけ。


 正直、何もわからない。

 結局、何も進んでいない。

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