第3話

「決意を固めてくれたようで私は嬉しいよ」


 翌日。朝の一〇時頃。俺は所長室にいた。そこには【特異生物収容所】所長であるアルティゴス・ティフォンと公安調査庁の五瀬穂尊がいた。


 俺は決めた。


 五瀬穂尊の依頼である【此岸征旅】の目的を阻止することを。


 どうしてかと言われれば、たぶん昨日の男三人との喧嘩がそのきっかけだと思う。


 あれを経て俺は自分が強いのだと知ってしまった。もっと厳密に言うとアルティゴスや五瀬さんから強いと言われて、その後に喧嘩して勝ってしまって、そこでようやく俺は強いと自覚した。今までも喧嘩をしたことは何度かあったが、今までは自分が強いとは思わなかった。


 もとを辿れば、あの二人が俺を強いと言ったことがきっかけなのかもしれない。


 それに、みんなから嫌われている俺がここにいるべきではないのだ。俺だっていやだ。みんなから敵意やら悪意やらがある視線を向けられながらここで生活するなんてできるわけがない。


 要するに俺は逃げるのだ。この場所にいづらくなったから、この場所からいなくなるのだ。それに外の世界というのにも興味はあるしな。


「まあ、お前がそういう決断をしてくれてよかったよ。あんな騒ぎを起こしたんだし、このままじゃお前は懲罰房行きだった。懲罰房はいやだろ?」

 アルティゴスがそう言った。


 そうか。もし、俺が五瀬さんの依頼を断ったら懲罰房行きだったわけか。確かに懲罰房はいやだ。あそこには娯楽も何もないからな。


「確かに懲罰房はいやだ。それに何であれ外に出られるのはいい」


「監視はつけるよ」と五瀬さんが言う。「特異生物はその特異性ゆえに危険。だからこうやって収容所を作って一括管理している。特異生物――言い換えれば危険生物を野に放つんだ。鎖ぐらいはつけさせてもらうよ」


 まあ、そりゃそうだろうな。


 俺は【特異生物収容所】に収容されている特異生物。特異生物の特異性は危険である。ただの人間――生物には過ぎた力を得たのが俺たち。過ぎた力を得れば、生き物たちはそれを持て余すか悪用するかのどっちかだと相場は決まっている。持て余せば力は暴走するし、悪用すれば秩序を乱す。どっちにしたって特異生物は社会に害を及ぼす存在。だからこんな所に収容されているのだ。そんな存在を外に出すのだから監視の一人や二人つけるのは当然と言うべき。


「で。まあ、きみ一人というのも心細いだろうからパートナーを用意した」


 五瀬さんがそう言ってアルティゴスに目で合図を送る。それを受けたアルティゴスは所長室から出ていった。たぶんそのパートナーとやらを呼びに行ったのだろう。


「あと、これ」と五瀬さんは言ってテーブルの上に長方形のケースを置く。


「それは?」


「武器だよ。武器もなく【此岸征旅】と事を構えるのはさすがに辛いものがあると思ってね」


 ケースを開ける。ケースの中に一本の刀が入っていた。見た感じ何の変哲も無い刀。


 五瀬さんはケースから刀を取り出し、その刀を俺に渡す。


「こいつは《村雨》という刀だ。聞いたことあるだろ? 南総里見八犬伝に出てくるあれだよ」


「え? あの露を発する刀ですか。でも、八犬伝って小説でしょう。それに出てくる刀ってことはまったくの架空の物じゃないですか。なんでそんなのが……」


「八犬伝は正確に言えば小説ではなく読本だよ。……まあいい。これは八犬伝に出てくる《村雨》を再現しようということで、魔法によって鍛えられた刀だ。だから、ここに存在している」


 魔法によって鍛えられた刀。南総里見八犬伝という読本に登場する《村雨》を再現しようということで製作された刀。


 俺はそんな《村雨》を鞘から抜いてみる。


 物語通りその刀身には露が浮かんでいた。そんな刀身は氷のように白く冷たい印象を与える。


「人を斬るのに適している刀だよ、それは。刀の水気は人を斬るときに勢いよく発せられる。そして、それは刃に付いた鮮血を洗い流す。だから手入れもいらない」


 なるほど。これはいい物を頂いた。


「まあ、すべてが終われば返却してもらうがな」


 でしょうね。


 俺は《村雨》を鞘に戻した。


 と。所長室の扉が開く。アルティゴスが戻ってきたようだ。


「連れてきたぞ。水神。お前のパートナー。相棒となる奴だ」


 アルティゴスの後に続いて所長室に入ってきたのは――俺と同い年ぐらいの女の子だった。


 腰まである長い黒髪にきめの細かい白い肌。まるで白き花を見ているような感覚だ。大きな目をしており、その目は活発さの象徴とでも言うべきか。でも、その目が顔のバランスを崩しているわけではない。その目を含めて彼女の顔は端正であった。


 胸は慎ましいけれど、いわゆる美少女と分類してもいい少女だった。


 少女は俺の目の前までやって来て、そこでにっこりと笑みを浮かべる。


忍山おしやま橘花きっか。歳はあなたと同じ一七歳よ。よろしくね」


 言って、彼女――忍山橘花は手を差し伸べてきた。握手しろということらしいので、俺は差し伸べられた彼女の手を握って「よろしく」と言っておいた。


 清楚な感じだというのにおとなしいという印象はなくむしろ元気という印象で、活発そうな大きな目という俺の感想はあながち間違いではないようだった。


「きみの強さはわたしもよく知ってる。昨日のあれ見てたし」


「見てたのか。え? 見てたってことはお前もここに収容されているってこと?」


「ええ」と忍山は言った。


「彼女の特異性はきみと相性がいいと思うよ」と五瀬さんが言う。「彼女は、いわゆる不死身なんだ。髪の毛一本でも残っていればそこから身体を再構築することが可能」


「は?」

 思わず驚嘆と疑問を混在させた変な声を上げてしまう。


 おいおい。そんなのありかよ。存在するのかよ。いくら魔法があるとはいえ、だからって不死身って。いやいやいやいや……。マジで?


「信用してないの?」


 忍山が俺の顔を覗き込むようにして接近してくる。近い。俺は少し仰け反る。


「そりゃ、わたしは不死身ですって言われてはいそうですか信じますよってわけにはいかないだろ……」


「なら、試してみればいいじゃん。きみが持ってるその刀で」


「え?」


「それでわたしを斬ってみれば? スパァーッ、てね」


「……いいのか?」


「いいよ。ほら、この腕を斬ってみてよ」


 そう言って忍山は己が右腕を平行に上げてみせる。彼女は笑みを浮かべていた。その顔に恐怖は……ない、わけではないけれど、格別恐れている風情は感じられない。恐怖というよりは緊張に近いかもしれない。それでも彼女は笑みを浮かべていた。


 ならば。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 俺は居合抜きの要領で一気に鞘から《村雨》を抜き彼女の右腕を断つ。

 スパァン、という効果音が似合うくらいに綺麗に彼女の右腕は断たれた。


「ぅ、ぐっ」


 彼女は痛みで顔を歪めた。痛いらしい。しかしそれでも無理矢理に笑みを作っていた。


 切断面から血が噴出している。床には身体から切り離された右腕が転がっている。


 俺は床に転がっている右腕を拾う。せっかく切断したんだし、とりあえず俺は忍山の右腕を喰らっておく。


 うむ。やはり筋張った肉であることには変わりがない。しかしまあ女性の肉ということもあるのか、男の肉よりは喰いやすい。決して美味しくはない。けれど、格別不味いとは思わなかった。喰らうのに苦にはならない人肉だった。


「まあ、男の肉よりは喰いやすいな」


「あはは。それはありがとう」


 痛みを我慢した、そんな笑みを浮かべたまま彼女はそう言った。


「ところで、お前が不死身であるならばお前のそのなくなった右腕はたちどころに再生するわけだが……」


 今のところ、切断面から右腕が生えてくるなんてことはない。血が出ている。


「まあ、そんなに焦らなくても生えてくるよ」


 ――と。一瞬、と言っても差し支えはなかった。失われた組織が傷口から生えてくる。骨、それを覆う血管、筋肉、脂肪、皮膚。順に生えてきたようなのだが、あまりにもその再生が速いので俺は腕が生えてくる様子を事細かに把握できない。とにかく、気付けば彼女の右腕はすっかり治っていた。切断される前と同じ、綺麗な右腕がそこにはあった。


「すげーな……」


 俺は忍山の生えたばかりの右腕をぷにぷにと触る。ちゃんと右腕だ。人間の腕だ。作りものなんかじゃない。


「ちょ、こそばい……」


 忍山がそう言った。


「お、悪い」


 俺はそう言って咄嗟に彼女の右腕を触るのをやめた。


 とりあえず。彼女が不死身であることを俺は認めなければならないようだ。もし彼女が不死身でないとしても腕を斬ってそれで再生するのはそれだけでもすごい。


「さて」と五瀬さんが流れを変えるように声を発する。「自己紹介も済んだみたいだから、これからのことを話そうか」


 五瀬さんがまたアルティゴスに合図を送る。アルティゴスは俺たちの前までやって来て、巾着袋を渡してきた。俺はそれを受け取る。そして巾着袋の中を覗くと、中には通帳とクレジットカードが入っていた。


「きみたちはこれから一時的ではあるが外へ出るのだ。当面の生活費は必要だろ。そいつはその生活費が入っている口座の通帳とクレジットカードだよ」


 俺は通帳を取り出し、通帳に記された金額を見る。忍山も横合いから通帳を覗き込んできた。


 俺たち二人は通帳に刻まれた数字を見て目を瞠った。


 五千万円である。


「お金は多いに越したことはないからね。そのくらいあれば当分は大丈夫だろう」


 た、確かに。お金は多いに越したことはない。けれど、引くレベルで大金だ。これは。いや、嬉しいけど。


「で、きみたちはこれから【此岸征旅】の計画を潰す。そこんところわかっているよね。【此岸征旅】の計画阻止。それ以外の行動はしないこと。少しでも変な行動――我々を裏切るような行動をすればただでは済まさないよ。罪人扱いにするからね」


「つまり、ここに戻ることなく刑務所行きってことか?」


「そういうことになるね。刑務所はここよりも居心地が悪いよ。さすがに嫌だろ」


「嫌だな」

 俺はそう言った。俺の隣で忍山はうんうんと頷いていた。


「ほかに訊きたいことはあるかね?」と五瀬さんが言った。


「別に」


「わたしも。特には」


「そうか。では、期待しているよ。お二人さん」

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