二つ目の鉢:お祭りの用意 3

「おはよう、おはようグリレス!」

 きゃいきゃいとスキュリナィは嬉しそうに跳ねる。五ヶ月ぶりに顔を見たんだから、それは嬉しいに決まってる。

 対するグリレス。肩まで伸びた焦茶の髪はボサボサにこちらも跳ねていて、欠伸をしながらふらふらと歩いて来る。

「いい匂いがするよぉ〜……」

 火を踏みそうで危なっかしい。僕はほどよく冷めたパンケーキを一枚急いで引っ掴み、少々行儀は悪いが、グリレスの半開きの口に突っ込んだ。

「むぐむぐむぐ……」

 足を止め、そのままもしゃもしゃと口を動かし。あっという間に平らげて、にこーっと笑う。

「おいしいねぇ〜」

 おっとりした性格の子なんだろう、喋るのものんびりしている。

「あーっ! わたしもまだ食べてないのに!」

「いいじゃないかぁ〜。減るもんじゃなしぃ〜」

「減るよ!」

 むーっと頬を膨らますふたりはどこか似ていると思ったけど。せっかく揃ったのに、喧嘩になったらもったいない。だから僕は火を消して、ふたりの間に山盛りのパンケーキの皿を差し出す。

「みんなで食べようよ、焼きたて」


 三人で食べたパンケーキはとても美味しかったし、会話はすごく楽しかった。

 だけどその途中で、鈴の音――。

「スキュリナィ、グリレス。僕、帰らなくちゃ」

 スキュリナィは話をやめて、グリレスはフォークをくわえたままで、立ち上がった僕の方を見上げる。

「ほへ、ほふはへふぉ?」

「グリレス、フォーク離しなよ。……ピエリスはお祭りには参加しないの?」

「たぶん……いや、参加できるように、お願いしてみるよ!」

「んぐっ……楽しみにしてるよぉ〜」

 まだ眠たそうなグリレスに思わず吹き出した。スキュリナィも声をあげて笑う。

「なぁによぅ」

「何でもないよ。――じゃあね、ふたりとも」

「うん……また今度ねっ!」

「うん」

 また今度。その言葉を丁寧に胸の奥に仕舞い、僕はあの花屋へと帰る。



 見慣れたカウンターに、誰もいない。ルナさんもいない。けれど新しい花――青い八重咲きの、アネモネ。僕の二つ目の鉢。

 ソルさん……呼び掛けを声に出す手前で飲み込む。――音楽が聴こえてきたから。

 耳を澄ませば、それはハープのような優しい弦楽器の音色。店の奥から響いてくるような気がする……とは言うものの、この店に“奥”って存在するのかはわからないけど。

 ゆったりと軽やかに、愉しげに切なく。物悲しさの中に溢れそうな優しさがあって、まるで包み込まれるような広がりも感じる。僕はただ目を閉じてそこに立ち尽くし、呼吸さえ忘れたように聞き惚れた。

 ……やがて曲が終わり静かに目を開くと、「あれ」と笑いながら現れたのは案の定ソルさん。ルナさんは今日はソルさんの頭の上にのっている。

「戻ってたんだ。待たせてしまったね、すまない」

「いえ――」

「自分で鈴鳴らしておきながら何言ってるの、ソル」

 呆れたようなルナさんの声。カウンター、定位置に座るソルさん。僕は相変わらずふたりのことがわからない。ただ。

「すごく、きれいな曲でした」

 思ったままを言う。というか、この気持ちを表現する言葉が僕には思いつかなくて。

「そうかい? 君にそう言ってもらえると嬉しいなぁ」

 それでも微笑む金色のひと。さっきのは、やっぱりソルさんが弾いていたんだ。

「楽器、得意なんですか?」

 上手下手とは次元が違うことはわかっていたけど、聞かずにはいられない僕。ソルさんも別段気を悪くした風はない。

「評価は聴くひとにもよるけど。僕がこれを弾かないと、大地が干上がってしまうからね」

 ふふ、と意味深な笑み。このひとは僕を惑わせるのが好きなんじゃないだろうかと最近はよく思う。そういう時に助け船を出してくれるのはルナさんなのだけど、今回はだめみたいだ。蜂蜜色の目がさりげなく逸らされたもの。はぁ。

「それより君、いい匂いをお土産に持ち帰ってくれたようだね」

 僕の体にはパンケーキの甘い匂い(と煙たい匂い)がしっかりと染み付いていたらしい。自分ではよくわからない。

「花の香りに囲まれていてもよくわかる。……ねぇルナ、久し振りに僕、“風見鶏の卵のバウムクーヘン”が食べたいのだけど。持ってきてくれないかい?」

「あたしはここを動けないんだわ」

「僕だって離れられないよ」

「……」

「……」

「……行って来ます」

 四つの眼差しを無視できるほど僕は図太くないんだ。へら、と相好を崩すソルさん、絶対に意図的だ。

「そういえば、この街のものって買えるんでしょうか?」

「買うというか、僕の使いだと言えば渡してもらえるはずさ。君、お金も持っていないでしょう。ここじゃ金銭は無意味だし」

 それもそうか。

 こんなことならパンケーキをいくつか持ち帰れば良かったなぁ。上機嫌なふたりに背を向けて、僕は“お菓子屋さん”に出掛けた。

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