異世界におけるラマーズ法の使い方

 「う……うわあ……いやらしい」

 クムクムは両目を手でおおっている。

 「性的すぎる! なにを考えてるんだ」

 目をおおったまま、クムクムはふるえた声で言った。全身の毛が逆立って、大きな耳の内側が真っ赤になっている。

 「この……痴漢がッ!」

 そう彼女はおれをなじる。

 おれのジャージ姿を。

 「なんでだー!」

 「うわあああ! 近寄るな! この淫獣め!」

 おれが話そうとすると、クムクムは後ろにとびのいて、本棚の本を手当たりしだいにつかみ、おれに向かって投げつけはじめた。

 「な、なんで? ぐぁ」

 ぶ厚い本がおれの鼻を直撃する。

 「ちょっとちょっと、貴重な本なんで」

 アイシャが止めに入る。

 「異世界人の汁とかで汚れてしまうと困るんですよ」


 彼女はおれに向かって手を振った。どうも手招きではなく「あっちへ行け」のサインのようだった。アイシャの視線が冷たい。空気を読むのが苦手なおれにもギンギンに伝わってくる拒絶のオーラである。

 おれは部屋のすみっこに移動し、コーナー家具のごとく壁に体をつけた。

 なぜジャージを着ただけでここまでされないといけないのか。

 異世界と異種族。おれが思っていたよりはるかにカルチャーギャップがあるようだ。当たり前か、別の世界だもんな。

 「い、いいか、急に動くなよ?」

 クムクムはふうふういいながら、床に落ちたアイシャのナイフをつかむ。

 「な、なんでそんな凶悪犯みたいな扱いを受けなきゃならないんだよ?」

 「身の危険を感じたからだよ!」

 クムクムはそう言ってナイフをおれに向ける。

 わりと目がマジである。

 髪が逆立って、もっこもこの毛玉みたいになっている。

 「お前なあ。お前の民族衣装らしいが、なんなんだそれは。破廉恥!」

 「ジャージが?」

 「名前は知らんが、その服だよ!」

 しばらくにらみ合いのようになったが、そのうちにクムクムは多少落ち着いてきたらしく、逆立ってきた毛が寝てくる。

 「ま、まあいい。とにかく。目のやり場に困るから、お前そのまますみっこにいろ。あとはアイシャにやってもらうから」

 クムクムがアイシャに何事か言った。

 アイシャは頷いて、おれのほうに小さく手を振って、部屋を出ていく。

 「いいか? 悪いようにはしないから、わたしの言うとおりにしろ」

 「わ、わかった」

 「アイシャが今から、ちょっと道具みたいなものをとってくるが、あまり見ないほうがいい。精神衛生上」

 「お、おう」

 「それから、アイシャがお前にちょっと処置みたいなことをするが、絶対に動くな。すぐ済むから。動くと大変なことになる」

 クムクムは口もとだけちょっと笑う。

 「それほど痛くはない、ものすごくい痛いわけではない」

 「ってことは、痛い?」

 「多少な、でも大人なら我慢できるぐらいだ」

 「何をするのか説明してくれよ」

 「ことばの問題を解決するんだよ」

 「ことば?」

 「おまえ、こっちの世界の言葉を何も使えないだろう。エルフ語もコボルト語も使えないだろう。わたしとは話せてるが、これはわたしがおまえらの日本語をわざわざつかって合わせてやってるだけだ。ポンニチ語をな」

 「何がポンニチだ。っていうか、やっぱり異世界だと言葉通じないわけ」

 「そりゃあ。おまえ」

 クムクムはへらっと笑う。

 「おまえの世界だって、ちょっと海を越えたら通じなくなるだろう。同じ種族なのに。それと同じだ」

 「あう」

 「この世界の言葉を勉強してみるか? エルフ語はお前らの英語にわりと似てる。勉強したら覚えられるかもな。わたしらコボルトの言葉は、お前らヒューマンには聞き取れない高い音が混じっているから、とても大変だ」

 「うっ……勉強!」

 おれは頭をかかえた。

 「勉強が必要なのか?」

 「いまからやる方法で、その苦労が減る」

 「でも痛い?」

 「失神するほどじゃない。歯を食いしばっていれば意識は保てる」

 「それ、失神したほうが楽なんじゃねえかよ! やだよ!」


 「おちつけ、コミュ力は大事なんだぞ」

 クムクムはだいぶ落ち着いてきたようだった。口調がふつうに戻っている。

 「たとえばだな。ダークエルフという種族には、相手があまりにも無礼な態度をとった場合、殺しても犯罪にならないというルールがある」

 「マジで」

 「お前たちの世界でいう切り捨て御免というやつだ」

 「今は無いよ! そのルール」

 「こっちにはある。それで死んだ異世界人もいた」

 「コミュニケーションに失敗すると死ぬ?」

 「最悪、な。そいつは自分たちの世界のやり方をダークエルフに教えようとしたんだが、それで相手が腹を立ててな」

 「何も殺さなくても……」

 「そうは思うが、別の世界から変なヤツがやってきて、こっちのやり方を全否定して説教したら怒るだろう。異世界の文化を尊重するのは大事だ」

 クムクムはおれを指さす。

 「だからわたしも、お前のそのいやらしい民族衣装を、まあ尊重はする。脱げとはいわない。それを着てるあいだ近づかないで欲しいけどな」

 「そんなにいやらしいのか? これ」

 クムクムの耳が赤くなる。


 「あー、わたし、ちょっと出てくる。あとで戻るから!」

 クムクムはそそくさと部屋を出る。

 「いまからお前にやるのは、お前の言語能力を飛躍的に高める方法だ。悪いようにはしない。だからぜったいに動いたり暴れたりするなよ!」

 それと入れ替わりにアイシャが入ってくる。彼女は血しぶきの飛んだ白衣ではなく、まっさらなエプロンのようなものを着て、小さな革のカバンを持っていた。

 こうしてみるとアイシャは可愛かった。ファンタジーものにありがちな、傷の手当てとかしてくれる仲間みたいな感じだった。

 彼女はイスを用意して、身ぶり手ぶりでおれに座るように指示した。

 言うとおりにすると、彼女はかばんから小さな薬ビンと、木箱、医療器具らしき道具をいくつかとりだした。そしておれに顔を上向きにさせ、おれの左目に薬ビンの中の液体を落とした。ああ、目薬か。おれは言うとおり抵抗しない。

 目薬で言語能力が上がるのか?

 ふと疑問に思ったが、それ以上深く考えることはしなかった。

 やがて左目の感覚がなくなってきて、しびれが目のまわりに広がっていく。麻酔のようだ。左目の焦点があわなくなってきた。

 五分ぐらい待っただろうか、アイシャはおれにふたたび顔をあげさせ、動くなとジェスチャーで何度も指示した。おれはうなずく。

 アイシャは木箱を手に取り、中身を手でさりげなく隠して、こちらに持ってきてフタをあけた。きっと小さなビンだろう。

 彼女はにっこり笑い、金属でできたストローみたいな器具を手にとる。かき氷を食べるときに使うストローに似ていた。そして彼女は、それを何のためらいもなく、おれの左目がしらに突き刺した。

 「ううっ?」

 アイシャが何か言う。動くなという意味らしい。

 彼女はおれの首に手をまわし、すばやく頭を固定して回した。

 「げ、げえっ、ヘッドロック!」

 おれは思わず抵抗しようとするが、動けなかった。彼女のしなやかな腕はおれの関節を的確にとらえ、少しでも動こうとすると首がすさまじく痛んだ。

 おれはすぐに抵抗をあきらめた。

 抵抗を続ければ、彼女は容赦なくおれの首をバキッとやるってことが、いわば本能でわかったからだ。

 「おごっ」

 首をひねられるニワトリの気持ちがわかった。頭ではなく心で理解できた。

 ウッドエルフ、怖い。

 アイシャの息が顔にあたる。

 抵抗をやめてみると、痛みはなくなった。それとアイシャの胸が顔に当たって、たいへん心地よかった。アイシャはおれの頭部を確実に固定するためにぐいぐい締めつけてきたので、とうぜん乳もぐいぐい押しつけられてくる。

 異世界に来てよかったと思った。

 アイシャが手にしている小ビンの中を見るまでは、そう思った。

 見るなって言われてたのに、乳に心をうばわれてつい見てしまった。

 ビンの中には、細長くて半透明の、クラゲの触手みたいな生きものがうねうね動いていた。ところどころ、蛍光ペンで塗ったような模様がある。

 それは体をらせんに回転させながら、ミミズのように伸び縮みしていた。頭……たぶん頭だと思う、には、ガラス片のような牙がついているのが見えた。

 「ひいいいいいい!」

 アイシャはそれを、おれの目にささった金属の管に入れた。

 目のまわりに妙な感触がする。

 しばらく待って、アイシャは管を抜く。

 あれ?

 目の奥あたりでゴリゴリ音がするぞ?


 つぎの瞬間、すさまじい痛みが襲ってきた。

 「ひぎっ、痛! 痛い痛い!」

 おれはそう叫びたかったが、首をがっちり固定されているので声にならない。

 「ぐわああああああああああ!」

 そうだ、歯を食いしばろう!

 「歯を食いしばってもやっぱり痛いッ!」

 このとき、どのぐらい痛かったかを、おれにはうまく説明することができない。えんぴつを、しかも削ってないえんぴつを、目の横に突き刺してもらえば、多少わかってくれると思うが、まねしないでくれ。

 あまりの痛みに失神するかと思ったが、人間、そう簡単に失神できるようにはなってないらしかった。

 「ひっひっふー、ひっひっふー」

 おれは無意識に呼吸をラマーズ法にし、痛みを逃がそうとした。

 「ひっひっふー」

 保健体育の授業のとき、先生があまった時間で説明してくれたラマーズ法である。ラマーズ法とは、フランスの産婦人科医フェルナン・ラマーズが開拓した呼吸法だ。呼吸に集中して痛みを逃がす!

 自分は男だから関係ないと思っていたが、関係あった。

 勉強って役に立つなあ。そう思った。

 おれはラマーズ法をつづけながら、さらにアイシャの乳の感触に意識を集中し、どうにか痛みを乗りこえようと努力した。

 「うわぁ……」

 アイシャが言った。ラマーズ法をくり返すおれを、アイシャはものすごくイヤそうに見ていた。心底イヤそうだった。

 まったく、なんてプレイだ。

 やがておれの頭の奥で、ぶつん、という感触がして、痛みは急速におさまった。


 「脳には痛覚がないから、虫が脳まで入れば、もう痛くはないです」

 アイシャが言った。

 あれ?

 エルフが言ってることがわかる?

 「やれやれ」

 アイシャはおれを解放した。

 「いやあ……殺したい衝動に駆られましたよ。マジで」

 アイシャはニコニコ言った。

 「私のおっぱいにあなたの涙とかよだれが付着しました。エプロンをしてきて正解でしたが、気分的には圧倒的な汚された感があります」

 「あ、あれ? 言ってる意味がわかる」

 「わたしが、あとほんの少し首をひねれば、あなたは殺されていました。ウッドエルフは生きものの骨格を熟知してますから、どこをどんな風に動かして曲げれば動けなくなるか、殺せるか、カンでわかるのでした」

 アイシャはそういって胸を張ってみせる。

 「なんで、言葉がわかる。ようになった?」

 おれは驚きのあまり片言になった。

 「翻訳蟲。そう呼んでます」

 「ほんやくむし?」

 「クムクムさんが異世界から手に入れてきた、画期的な生きものです。持ってきた異世界人は死んじゃいましたけど、翻訳蟲は複製に成功しました。これで異世界人とのコミュニケーションの問題が一気に片付いたのです」

 「えっ、おれ、これでエルフ語がわかったの?」

 「いや、そういうわけじゃないんです。くわしくは私の上司、エコー先生に説明してもらいます」

 「エコー先生……女の人なの?」

 「性別はないと思いますけど」

 「えっ」

 「エコー先生はホムンクルスです。性別はないはずです。でも外見はあなたの種族によく似てますから、親しみがもてると思います。よかったですね」

 そう言ってアイシャは笑う。

 「ど、どういう人なのかな。エコー先生って」

 「正しいお名前は、アルファチャーリーシェラ=ゼロ=エクスレイ・モデルナイチンゲールマークフォー・プロトタイプ=エコー先生です」

 「それって……名前?」

 「ハイエルフの中流貴族なみの、とても長いお名前です。家柄がいいのでしょうかね? ホムンクルス……人造人間に家柄があるかは知りませんが」

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