電気仕掛けの霧島桜花

玄海之幸

オレと桜花とクソ親父

「おはようございます。マスター」

 オレが目を覚ますと、ベッドの横に一人の女がいた。まだ寝ぼけた頭で頑張って思考を動かす。辺りを見回すと間違いなくオレの部屋だった。そのオレの部屋に居るこの女は誰だ? しばらく記憶を探ったが全く覚えが無い。

 脳味噌の記憶を解体していると、大分目が覚めてきたので、女を改めて観察してみる。まず気付いたのは彼女の雰囲気が酷く無機質である事。そして凄い美人である事だった。頬の柔らかいラインは細い顎まで美しい曲線を描いている。若干切れ長の瞳には長いマツゲが添えられていて流麗な目尻を形成していた。その双眸を分ける鼻筋も名工が彫刻で削り出したような印象をうける。背中まで伸びる黒髪は、朝日を青黒く反射していて日本人女性の理想美の髪を示す「濡烏(ぬれがらす)」という描写が見事に当てはまる。少々人間離れした美しさだった。

「えっと・・・・・・キミ誰?」

 無表情にこちらを見ている美人に率直に聞いた。

「私は霧島桜花(きりしまおうか)と申します。以後は桜花とお呼び下さい。マスター」

 ピクリとも表情を変えずに淡々と喋ってくる。なんか不気味だ。

「霧島って同じ苗字じゃないか。つーか、なんだそのマスターって?」

「霧島ハヤテ様、あなたが私のマスターとして登録されています。詳しくはお父様にお聞きください」

「お父様って・・・・・・オレのオヤジの事だよな?」

 桜花と名乗った女は「はい」と短く告げた。正直もう訳が解らない。お父様? あのクソジジイ、若い女になんつう呼び方を強要しているのか。どこから連れ込んだ女かは知らないがイタズラにしては度が過ぎる。色々と聞き出す、もとい尋問して説教せねばなるまい。

「え~と桜花、オヤジはどこにいるんだ?」

 ベッドから下りながら声をかける。

「居間で朝食を取っています」

「よし、桜花はここで待っていてくれ」

 そう言うと居間に向かって駆け出した。背後で「了解しました」と告げる声が聞こえた。階段を一段飛ばしで降りると、居間の扉を勢いよく開ける。

「オヤジィィ!」

「おう起きたかハヤテ。どうだ私のモーニング・サプライズは?」

 ヤツはトーストをかじりながら、爽やかなドヤ顔をこちらに向けてくる。

「なんだあの桜花って女・・・・・・いや、それよりも若い女になんていうプレイを強要してんだ!」

 オヤジに詰め寄ると、オヤジはドヤ顔を崩さないまま、クックックと笑い声を洩らした。

「ほうほう、その様子だと気付いていないようだな。ハヤテが気付かないなら外でも大丈夫だろう」

「なに訳の解らんことを言ってんだよ。大体どこから連れ込んだんだあの女」

 オレのこの一言にオヤジはドヤ顔を止めた。

「連れ込んだとは心外だな。私は母さん一筋なのに。ハヤテを産んですぐに亡くなってしまったが、私は未だに母さんを愛している」

 そう言ってオヤジはテレビの横に置いてある母さんの写真に目を向けた。

「じゃあ、あの女は何なんだよ」

「ふふふ、ネタばらしをしてやろう。桜花、居間に来なさい」

 オヤジはオレと話をしていたその声の大きさのまま、桜花を呼んだ。

「そんな声で呼んだって二階まで聞こえるわけないじゃんか」

 そう言った矢先に誰かが階段を下りてくる音がした。

「お呼びですかお父様」

 桜花は居間に入ってくると、ほとんど棒読みにそう言った。

「嘘ぉ・・・・・・」

 明らかに上まで聞こえる声では無かった。オヤジに目を向ける。

「この桜花は今日からオマエの妹だ」

 居間に、朝の小鳥のさえずりと、時を刻む秒針の音が静かに響く。

 思考が追い付かない、今オヤジはなんと言った? 妹? 桜花が? もう一度桜花に視線を向ける。オヤジを見る。何故か勝ち誇ったように腕を組んで自慢気だった。なんだか無性に腹が立つ。

「母さん一筋とか言った直後に何を勝ち誇ったような顔してやがる! どこの女に孕ませた!」

「ぬ? 酷い誤解だぞ。私は母さん以外の女性を愛したことなど無い!」

「じゃあ、なんで妹なんていきなり出来るんだよ」

「それは簡単だ、なんせ桜花は人間じゃないからな」

 再びオレの思考が停止する。なんだって?

「桜花、こっちへ来なさい」

 オヤジは桜花を呼んでその後ろに立つと、そっと桜花の頭を両手で掴んだ。

「桜花、頚椎のロックを解除」

「はい」

 オヤジの言葉に桜花が応えると、チャキンと微かな金属音が響いた。オヤジは桜花の頭を掴んだ腕をゆっくりと上に伸ばす。

「うおわぁぁっ!」

 オレは思わず声を上げて後ずさる。桜花の首が胴体から分離したのだ。

「マスター。落ち着いてください」

 オヤジに抱えられた桜花の頭が喋る。不気味な事この上ない光景だ。オヤジはそっと桜花の胴体に頭を乗せると「頚椎をロック」と短く言う。再びチャキンと金属音が響き、桜花の頭部は胴体と繋がった。

「こういう訳で桜花は私が作った自立型のアンドロイドなのだ。ハヤテの妹として振る舞うように設定した。仲良くやれよ」

「マジか・・・・・・」

 もう言葉を失う他なかった。オヤジが優秀な技術者である事を差し引いても、現代日本の技術力はこんな冗談のようなモノを作り出すに至ったのかと、妙に感慨深くもある。

 桜花に近づくとそっと頬を撫でてみる。温かみは無いものの肌触りは非常に人間に近い感触だった。

「この肌の質感とか凄いな」

 率直な感想を言う。

「そうだろう、なんせ外観を妥協するわけにはいかなかったからな。大手メーカーに極秘に技術支援を頼んだ。最先端のダッチワイフに使う予定だった人工皮膚を提供して貰ったのだ。残念ながらそっちの方はコストの都合でお蔵入りしてしまったようだがな」

「・・・・・・ダッチワイフって、オヤジの仕事の繋がりが解らない」

 なんで公務員の技術屋なのに、そんな所と繋がりがあるんだろうか。このオヤジだけは本気でなにやってんだか解らない。

 しかし最近のダッチワイフはスゲーなという事は感心せざるをえなかった。

「でもなんで桜花はオレをマスターって呼んでるんだ? オヤジが作ったんだろ?」

「ああ、私は仕事で家に居ない事も多いからな。ハヤテを兄として、そして主人として従うようにプログラムしてある。自立型アンドロイドとはいえど、重要な判断は人間がしてやらないといけないからな。可愛いからってエッチな命令をするんじゃないぞ。モニターしてるから私にバレバレだからな」

 少しギクりとした。

「しねーよ。でもなんで妹なんだよ別に兄妹なんて設定要らないだろ?」

「理由は簡単だ。私は娘が欲しかったんだよ」

「そんな理由で桜花を作ったのかよ・・・・・・」

 オレは思わず脱力して膝から床に崩れ落ちた。

「それに学校に行くとなれば、その方が都合がいいだろう?」

「は? 学校?」

 聞き捨てならない言葉に顔を上げて聞き返す。

「そうだ、もう桜花の転入手続きは終わってるから今日から一緒に行って来い。お兄ちゃんとしてちゃんと面倒をみるんだぞ」

 その言葉を聞いて呆然と桜花に目を向ける。

「よろしくお願いします。マスター」

 いや、その喋り方じゃバレるだろ。

「あと私は今日からちょっと面倒な仕事で缶詰だ。しばらく帰れないから桜花を任せたぞ、バレそうになったら上手く誤魔化せ」


 



 いつもの通学路を歩く。いつもと違うのは二人で歩いてるって事だ、結局オヤジに丸め込まれて一緒に通学する事になってしまった。学校でどうなることかと考えると憂鬱になる。

「マスター。気分が優れないようですが大丈夫ですか?」

 抑揚の無い声で心配された。よく出来てるし、オレの気分にまで気が回る辺り、相当に高度な自立制御の人工知能だ。

「いや、問題ない。気にしないでくれ」

「了解しました」

 やはりやりとりが堅苦しいし感情は篭もっていない。そう時間もかからずにバレるだろうなと思うとやはり気が重い。さて、どうやって誤魔化すべきか・・・・・・

 そんな事を悶々と考えて歩く。

「おーっす。キリちゃんおはよー」

 交差点に来た瞬間に声をかけられた。よく知った声に返事を返す。

「よう、榛名」

 栗毛のポニーテールを揺らしながら、榛名が小走りにやってきた。猫を思わせる愛嬌のある顔立ちと、小柄な割に巨乳なのが特徴の幼馴染だ。見た目は小動物系で可愛いのだが、乙女としては一つ致命的な欠点も持ち合わせている。

「ちょっと昨日のニュース見た? とうとうやったね~あの独裁国家。ミサイルを日本海に撒き散らしたよ。たぶんシルクワームミサイルだと思うからいつもの軍事訓練かな?」

 こういうことである。何故に軍事マニアなぞに転んだのかは未だに謎なのだが、榛名のこの趣向によってクラスのアイドルになれるだけの外面スペックは全て無駄になり、話題が噛み合わないので、女子の輪にも入らずにいつもオレと一緒にいる事が多い。そして家が近いのでよく通学路で出会うのだ。

「多分そうじゃね? あんまり騒ぐ事もないと思うけどな」

 そしてオレも付き合わされる内に話し相手になれる程度には詳しくなってしまった。

「ところでキリちゃん。その人誰? ウチの制服だけど知り合い?」

 榛名が桜花に目を向けて聞いてきた。さて最初の正念場だ。どう説明するべきか。

「はじめまして。ハヤテお兄様の妹の霧島桜花です」

 どう話すか考えていると、桜花が自分から話し出した。しかも今までの淡々とした無機質な話し方ではなく、ちゃんと人間味のある抑揚を伴った話し方だ。その表情には微笑みも浮かんでいる。今までの話し方とあまりに違いすぎて呆気にとられた。しかし「お兄様」ってのはなんだそりゃ。

「妹!? キリちゃん一人っ子じゃなかったっけ?」

 榛名とは長い仲だから当然そのくらい知っている。さっきから考えてた誤魔化しシナリオを説明しようと口を開く。

「私はお兄様とは腹違いなんです。お母様が他界したので、先日にお父様を頼ってこちらに来ました。今日からよろしくお願いします」

 オレが開けた口から言葉を出すより、桜花の説明の方が早かった。唖然とした。オレが面倒みる必要ないじゃん。

 てゆーかオヤジのヤツ『母さん一筋』とか言ってた癖に「腹違い」なんて設定を言わせているのはけしからん。後で母さんの墓前に報告してやる!

「え、ああっと。こちらこそよろしく。秋津洲榛名(あきつしまはるな)です。キリちゃん・・・・・・ハヤテの幼馴染ね。仲良くやろう」

 榛名は桜花に手を伸ばして握手をした。手を握っても気付かなかったようだ。いろいろ安心した。これなら誤魔化せるかもしれない。

「とりあえず学校に向かおうぜ。遅刻しちまう」

 そう言って二人を促す。しかし驚いた。歩きながら桜花に視線を送る。普通に人間らしく話せるんじゃないか。

「ねーねーキリちゃん」

 桜花を見ていると反対側から榛名に呼ばれた。

「どした?」

「桜花ちゃんにさ『お兄様』って呼ばせてるの?」

 そう言う榛名の瞳は、なんだか汚物をみるようなジト目だった。

「んな訳あるか! 言わせた方が恥ずかしいわ」

「ほんとに~? ねぇ桜花ちゃん本当は強要されたんでしょ」

 オレの左側を歩く桜花に話を振った。

「いいえ。私がそう呼びたいからです。お兄様が出来たのが嬉しくて」

 桜花はそう言って極上の笑顔を浮かべた。元々が人間離れした造形美だったがそれが一際輝いて見える。思わずオレは息を飲む。榛名も同じようにその笑顔に見とれていた。オヤジめ、なんて危険なモノを作りやがる。

 三人でそんなやり取りをしていると、学校の校門までたどり着いていた。

「それじゃ、オレは桜花を職員室に連れて行ってくるから、先に教室に行ってくれ」

「あ、うん分かった。それじゃまた後でね」

 そして榛名と別れた。オレと桜花は職員室に向かって歩き出す。

「さてと、桜花に聞きたいんだが」

「なんでしょうか、マスター」

 二人きりになると家と同じ無機質な喋り方に戻っていた。

「うん、なんでオレの前と榛名の前で話し方がコロコロ変わるんだ?」

「お父様のプログラムです。感情表現はバッテリーを余分に消費するので、マスターと二人の時は感情表現のシステムはオフになるように設定されています。変更しますか?」

 なるほど、と納得した。

「いや、このままでいい。バッテリーが切れる方が困る」

「了解しました」

 非常に味気ない反応だが、よく考えたら桜花の造形美で感情を表現されても戸惑うだろう。美人に微笑まれると男は弱いのだ。それが作り物だと、あのアホオヤジの趣味の産物だと分かっていてもだ。

「それと、さっきの『お兄様』って呼び方もオヤジのプログラムなのか?」

「はい、その通りです。変更しますか?」

「ああ、頼む。色んな誤解を生みかねない」

「プログラム変更の候補には『兄さん』『お兄ちゃん』『兄様』『ご主人様』『旦那様』『ゲス』『下僕』『変態』が登録されています。どれにしますか」

 廊下を歩く足が止まる。酷い頭痛が沸き上がってくるのを感じて目を閉じて眉間を押さえた。

「マスター?」

「その主に後半の作為的な呼び名はなんだ? オヤジのイタズラか?」

「はい、もしくは私に性的なイタズラをした場合に、ランダムで『ご主人様』『旦那様』『ゲス』『下僕』『変態』のどれかが選ばれるように設定されています。この設定はお父様にしか解除できません」

「あのクソオヤジ・・・・・・息子で遊んでやがる・・・・・・」

 眉間によったシワを指で伸ばすと、ゆっくりと目を開けた。

「マスター。感情プログラム作動時はなんとお呼びしますか?」

「兄さんにしといてくれ」

「了解しました、設定を変更します」

「それと榛名に呼び方を変えた事を聞かれたら、オレからそう呼ぶように言われたと言っといてくれ」

「了解しました」

 味気ない返事を聞くと再び職員室に向かって歩き出した。時計を見るとまだ学校に着いて十分しか経っていない。この調子だと今日は長い一日になりそうだ。




「ぶぁ~やっと一息ついたぜ」

 長い午前中が終わり、やっと訪れた昼休みに心の底から安堵を覚えた。

 大変だったのだ。オヤジの手回しが良すぎて、桜花の転入先がオレと同じクラスになるように仕組まれていた。

 なので桜花が教室に入ってから、オレと桜花にクラス中からのヤジと質問の雨アラレ。そして桜花の造形美が罪作りな事この上なく、クラスの何人かの男子はマジで惚れ込んでいるようだった。

 そして昼休みのチャイムと同時にオレは桜花を連れて教室を脱出し、我が砦である歴史研究会の部室に逃げ込んで今に至るという訳だ。歴史研究会とは言っても部員はオレと榛名の二人しか居ないので、実質的には(榛名の)戦史及び兵器研究会であり、(榛名が)調べた戦史や兵器類をネタにダベるだけの部室の無駄遣いに他ならない。

 真っ先に逃げ込んだオレと桜花に続いて榛名も部室にやってきた。

「お疲れさん、いや~今日は人気者だねぇキリちゃん」

 本当に愉快そうにニヤニヤ笑って声をかけてきた。

「冷やかすのは止めてくれ。本当に人気者なのは、オレじゃなくて桜花だろ」

 そう言って桜花に目を向ける。つられて榛名も桜花に顔を向けた。

「本当に驚きました。あんなに取り囲まれて質問攻めを受けると戸惑ってしまいますね」

 そして上品にニコリと笑う。桜花の口調や仕草になんとなくオヤジの趣味が見えるのが嫌だった。いや可愛いから余計に。

「ぐ・・・・・・私も見た目には自信あったんだけど、桜花ちゃんを見てるとなんか敗北感を感じる・・・・・・この外面で性格はおしとやかって本当に手がつけれないわ」

 事実を知ってる身としてはなんとも複雑な感想だ。一応、榛名にフォローを入れておく。

「いや、オマエの場合は別の層に受ける下地は十分にある。鉄臭い趣味で台無しなだけだ」

「キリちゃんうるさい」

 すかさず、ぺしっと軽く頭を叩かれた。オレのフォローはお気に召さなかったようだ。

「だいたいね、私の見た目や胸に引かれて寄って来る男には興味が無いもん。それに戦車や銃の話も出来ない男子と居て何が楽しいんだか」

 いや、ちょい待て。それは年頃の乙女の言葉ではない。

「黙ってりゃそれなりに可愛いのに、残念な小動物だよな」

「いいじゃん。その鉄臭い趣味のおかげで、キリちゃんは私という残念な小動物をこの部室で日々独占できてるんでしょ。男冥利に尽きるんじゃない?」

 そう言われると否定できない。確かに榛名といると楽しいし、可愛いとも思ってる。そんな榛名と一緒にいる事の優越感は確かにあるのだ。

「まあ、そういう事にしといておこう」

 あんまり素直に言うのも気恥ずかしいのでそう言っておく。

「なんだよそれー。キリちゃん昔から素直じゃないんだから」

 はははと笑う。

「ま、とにかく飯にしよう。腹減った」

 そう言って、購買で買っておいた焼きそばパンとコロッケパンを取り出す。ここで気付いた。桜花は飯が食えるのか?

「そういえば桜花はどうするんだ?」

 そもそも食えるとは思っていないが、だからと言って何も食わないのも不自然だ。

「私はこれを頂きます」

 桜花はそう言うと、どこからかカロリーメイトを取り出していた。一応食事も出来るのか。芸が細かい。

「二人ともそんなのばっかりじゃ体に良くないよ。私が二人の分も作ってあげようか?」

 榛名が自作の弁当を広げながら、そんな提案をしてくれる。

「いや、いいよ。そういうのは彼氏が出来た時にでもしてやれよ」

 正直、嬉しい提案だがそこまでしてもらうのは悪いし、そもそも桜花は弁当を食えるのか解らない。だから榛名の弁当は惜しいが断っておく。

「だから私が・・・・・・」

「ん、何だって?」

 窓の外に視線を向けてボソボソと呟く榛名に、焼きそばパンをかじりながら聞き返す。

「何でもないわよ。もうさっさと食っちまえ!」

 何故か怒られた。榛名なりに気を使ってくれたみたいなので、ちょっと悪い事をしたかもしれない。ふと桜花に目を向ける。

「ごちそうさまでした」

 意外な早業で桜花はすでにカロリーメイットを平らげていた。




 午後の授業が終わった事をチャイムが知らせてくれた。今日はさっさと帰ろう。オヤジは居ないだろうが、桜花本人からも色々と聞いておきたい事はある。

「さて、桜花。帰ろうか」

「はい、兄さん」

 荷物をまとめて桜花と教室を出る。

「あれ? キリちゃん部室に行かないの?」

 すぐ傍にやって来ていた榛名が後ろから声をかけてきた。

「ああ、まだ桜花がウチに来たばっかだからな。片付けとか色々あるんだよ」

 オレの言葉に、榛名は少し残念そうな顔をする。

「む~しょうがないか・・・・・・じゃあ私も一緒に帰る」

「調べ物しなくていいのか?」

 普段の榛名はオレが居ない時は図書館で(戦史や兵器の)調べ物をする事が多かった。

「たまにはいいの。それに折角調べても話し相手が居ないと面白くないでしょ」

 そう言って笑いかけてくる。確かにその通りかなと思う。

 オレは家に向けて歩き出す。榛名はオレの右横を歩き。桜花は一歩下がってついて来ている。

 オレと榛名で他愛もない馬鹿話をして、たまに桜花がそれに同意する。

 そんな調子でしばらく歩いていると、大きい通りに出た所で桜花が真剣な声で話し掛けてきた。

「兄さん、後ろからワゴン車がついてきます」

 ついて来る?

 後ろを振り返ると、オンボロな白いワゴン車が一台、路肩に停車していた。

「アレか?」

 そう聞くと、桜花は無言で頷いた。しかし解らない。なんでついて来る? 一介の高校生をつけ回して何になる?

 可能性として考えれるのは、桜花が絡んでいる場合と、榛名のストーカーの線だ。

 桜花は高性能なアンドロイドだ。誰かから目をつけられる可能性は充分にある。ただ桜花が起動したのは今朝だし、学園生活は無事に一日を乗り切ったので原因とは考えにくい。榛名は過去にストーカーにつけ回された事があるからこっちの方が有力か。

「どうしたの? 二人でコソコソと話し込んで」

 オレと桜花の足が止まったので、少し先に行っていた榛名が振り返って声をかけてきた。榛名の所まで歩いていく。

「いや、なんでもない。行こう」

 榛名はストーカーには、かなり恐い経験をしているので余計な不安はかけさせたくない。そもそも、まだ本当にストーカーなのか解らない。後ろに気を配りながら歩き出す。

 背後からエンジン音が聞こえる。多分さっきのワゴン車だ。神経を尖らせてワゴン車の動きに注意していたが、何事もなかったようにオレ達の横を通過していった。取り越し苦労だったようだとホッとする。

「兄さん!」

 直後に緊迫した桜花の声に振り返る。視界が真っ暗になった。頭から何かを被せられたようだ。

「なんだ、クソっ!」

 もがくと鼻にツンとした刺激臭がした。その臭いで急速に意識が遠くなる。

「きゃあっ! 嫌あ。何すんのよ!」

 闇の向こうで榛名も襲われた事を知ったが、そこでオレの意識は刈り取られた。




「榛名さん、兄さんが気付きましたよ」

 頭がガンガンする。目を開くと桜花がオレの顔を覗き込んでいた。すぐに榛名の顔もそれに加わる。

「キリちゃん。大丈夫?」

 榛名の声に「ああ」と返して体を起こす。周囲を見回すと薄暗い長方形の部屋のようだ。窓は無い。取ってつけたように白熱灯が一個だけ頭上に据え付けられてユラユラと揺れていた。

「ここは・・・・・・どこだ?」

「私達は誘拐されてしまったようです」

 桜花が言う。

「誘拐?」

「ええ、五人の男に麻袋を被せられて車に放り込まれたんです」

 流石はロボット。あの状況でちゃんと周囲の事を把握していたようだ。

「榛名は怪我してないか?」

 そう声をかけるが返事がない。榛名に目を向けると、俯いたまま震えていた。泣いている?

「ごめんね。キリちゃん。また私のせいかもしれない。今度は巻き込んじゃった。ごめんね」

 以前にストーカーにつけ回された時、榛名は危うくさらわれかけた。その時はオレが近くにいたのでストーカーに跳び蹴りをかまして警察に突き出したのだ。

 どうやら今回の事も自分が原因だと思っているらしい。

「榛名のせいではありません。安心してください」

 そう言って桜花は榛名の頭を優しく撫でる。

 とにかく状況を整理して考えよう、榛名を狙ってたなら今の状況はおかしい。もしオレがストーカーなら、オレと桜花を動けなくした所で榛名だけさらうだろう。

 しかし、あの現場にいた全員がさらわれた。多分だけど榛名のストーカーじゃない。まさか――

「なあ桜花」

「はい」

 桜花がこちらを向く。

「もしかして今の状況に心当たりがあるか?」

「はい、兄さん」

 榛名が顔を上げて涙の滲む目で桜花を見る。

「今ここで説明できるか?」

「いいえ」

 そう言うと桜花は榛名を見た。

 つまりは榛名の前じゃ言えないという事か。

「桜花、この部屋に盗聴器とか監視カメラとかあるか解るか?」

「大丈夫、ここには盗聴器も監視カメラもないですよ」

 オレと桜花のやり取りを、榛名は不安そうに眺めている。

「キリちゃん、どういう事・・・・・・?」

「今から説明する。今回の件は多分、榛名には関係ない。桜花、感情プログラムを切ってくれ。榛名の前でも感情を表現しなくていい」

「本当にいいんですか?」

 桜花の声から感情が消える。

「しょうがないだろ。隠せる状態じゃない」

「了解しました。感情プログラムをオフにします」

 完全に無機質な声色になる。

「キリちゃん、なにふざけてるの。そんな事して遊んでる場合じゃないでしょ! 桜花ちゃんも悪ふざけしないでよ」

 声を荒げる榛名を無視して桜花の背後に回る。桜花の頭を両手でしっかりと掴んだ。

「桜花、頚椎のロックを外せ」

「はい」

 チャキンと微かな金属音が響く、両手にずしりと重みが増した。そのままゆっくりと腕を上げていく。

「きゃあぁぁぁぁっっ! くびっ、首がぁぁっ!」

 桜花の首と胴体が分離すると、榛名が悲鳴をあげて後ずさった。

「落ち着いてください、榛名」

 生首の桜花が喋る。うん、今朝のオレを見てるようだ。

「見ての通りでな、実は桜花は人間じゃないんだ。オヤジが作った自立型アンドロイドなんだと」

「うそぉ・・・・・・」

 信じられない。といった感じでただ桜花を見ていた。まぁそうなるよな普通。

 桜花の頭を胴体に乗せる。「頚椎を固定」というと再びチャキンと金属音が響いた。

「固定完了」

 しっかりと固定されたのを確認して桜花の前に回りこんだ。榛名を呼んで三人で円陣を組んで腰を下ろす。

「さて、これで桜花は今回の心当たりを話せるか?」

「はい、問題はありません」

「じゃ、頼む」

「最初に申し上げます。マスター、榛名、この話は防衛上の秘密に該当します。他言は絶対に控えて下さい。この話が漏れた場合は身の安全は保証できません」

 榛名と二人で息を飲んで頷く。

「誘拐の目的はお父様。霧島飛燕(きりしまひえん)工学博士の脅迫にあると予想されます」

「オヤじが?」

「はい、お父様は現在、防衛省、技術研究本部での人工知能開発の総責任者です。技術研究本部の電子装備研究所で製造される各種の自衛隊装備における、人工知能の搭載に深く関わっています」

 榛名が体を乗り出して聞き始めた。軍事オタクの血が騒いだらしい。

「凄い! それって新型駆逐艦や、新型戦車に搭載されてるFCSなんかにも関わってるって事?」

「そうです」

「つまり・・・・・・どういう事だ?」

「FCS。つまりファイアコントロールシステムの略。日本語で言うなら火器管制装置。戦車や航空機、駆逐艦なんかの武器の選択や目標へのミサイルの誘導なんかを担うシステムの事よ。最近のFCSには人工知能による脅威度の識別機能や、敵に対してより効果的な兵器を自動で選択するような機能があるって言われてるの。キリちゃんのお父さんはその開発に関わってるって事よ」

 オレの問いかけに、榛名が解説してくれる。

「ちなみに凄い事なのか?」

「先進兵器の中核の技術よ。この分野の日本の技術水準は世界でも屈指ね。お父さんの仕事知らなかったの?」

 マジか。普段の言動がかなりアホなオヤジなので、そんなに凄い男だとは思ってなかった。

「オヤジは仕事の事は言わないからな。技術屋の公務員としか聞いてない」

「そっか。でも軍事秘密に関わるからしょうがないかもね」

 一人でウンウンと頷いている。なんか納得したらしい。

「続けてもよろしいですか?」

 解説が終わるまで待っていた桜花が口を開いた。

「あぁごめんね、桜花ちゃん続けて」

「お父様の持っている技術力に目をつけた国外の諜報機関があったようです。そしてお父様の誘拐を計画したという情報が入りました。お父様は公安と防衛省情報本部に保護されましたが、マスターを保護する事が出来ませんでした」

「保護できなかった?」

 思わずオウム返しで聞き返す。

「お父様の方は仕事で会社に泊まるという名目が使えました。しかし一介の高校生であるマスターが学校を休んで、公安の人間が張り付いては目立ちます」

「なるほど。キリちゃんを保護すると、かえって『重要人物の身内である』と宣伝しちゃうようなモノだもんね」

 榛名の補足に桜花は無表情で頷く。

「はい。そこでお父様は。極秘に製造していた私を起動しました。私に与えられた指示はマスターの身の安全を守る事です」

「オヤジはオレの為に桜花を作ったっていうのか」

 ちょっと感動してしまった。あんなオヤジでも家族を大事にしてたんだなと思うと少し誇らしい。

「いえ。私の製造理由は『娘が欲しかったから』だそうです。マスターを守るのは起動実験のついでとメモリーに記録されています」

 感動したオレが馬鹿でした。

「キリちゃんのお父さんて変な人だとは思ってたけど・・・・・・まさかここまでとは・・・・・・」

 どうやら榛名も同意見のようだ。

「まぁ大体の所は解った。誘拐犯の目的はオレを誘拐してオヤジを脅迫する事だと見当をつけていいんだな」

「はい」

「ちなみに、桜花がそう判断した根拠は何だ?」

「私達の現在地です。私達はフィリピン船籍を装った国籍不明の貨物船に乗せられて太平洋上を南西に進んでいます」

「「太平洋上!?」」

 オレと榛名の声が見事に重なる。

「私に内蔵されているGPSと監視衛星からのデータリンクで特定しました。この部屋は貨物船の艦首付近に積まれたコンテナの中と推測します」

 そういえば部屋がゆっくりと揺れていた。

「そりゃ確かに普通の誘拐犯なら貨物船まで用意しないか。しかも国籍不明ときたもんだ」

 思わず顔を向き合わせた榛名に言う。

「でもこれってマズくない? このままじゃ私達まとめて取引材料だよ。間違いなく」

 その言葉に神妙に頷く。なんとか脱出する方法を考えよう。

「まずはどうやって助けを呼ぶかだな。海の上じゃ逃げ出せない」

「ねえ桜花ちゃん。さっき監視衛星とデータリンクって言ったよね。もしかしたら救援も呼べるんじゃない?」

 榛名の言葉にハっとする。

「はい。しかし救援要請にはマスターの指示が必要です」

「じゃ呼んでくれ。今すぐ」

「了解しました。防衛省統合幕僚監部に救援要請を送りました」

 ・・・・・・今なんて言った?

「ちょっと待って。救援呼ぶ所おかしくない?」

「私の得た情報はデータリンクを介して随時送られています。すでに防衛省では対策が考えられていますので問題ありません」

 榛名の問いに、少しずれた答えを返す桜花。

「なぁ、防衛省統合幕僚監部っていったら・・・・・・」

「自衛隊の運用を全部やってる機関よ、領空侵犯のスクランブル発進から災害派遣まで・・・・・・」

 冗談じゃない、物凄く大事になってるじゃないか。

「防衛省統合幕僚監部からデータリンク。すでに海上自衛隊の護衛艦『ひゅうが』を旗艦とする第一護衛隊群が本船を追尾しています。また陸上自衛隊、特殊作戦群が『ひゅうが』に乗艦、待機しています。彼等によるヘリでの強襲救助作戦が行われる予定です」

 また聞きたくない単語が沢山聞こえた。顔が引きつってるのを自覚する。

「おい榛名。特殊作戦群て聞こえたよな?」

 コクリと頷く榛名の顔も引きつっていた。

「日本で唯一の公式な特殊部隊ね。自衛隊の中でも最精鋭で、何から何まで防衛秘密になっている謎の部隊ね」

「これって、完全に対テロ扱いの出動だよな」

「うん、でも実際に国外に誘拐されてる最中な訳だし、確かにそうなるかもね」

「作戦の内容を受信しました。航空自衛隊、築城基地からASM-2を四発搭載したF-2戦闘機が発進。まず艦尾に信管を抜いたASM-2を撃ち込みます。艦内が混乱している所に特殊作戦群が強襲し私達を救助します。救助後、残りのASM-2を全て撃ち込み貨物船を撃沈する予定です」 

「「ASM-2!?」」

 またしても声が重なる。

「榛名、オレの記憶が正しければASM-2って大型の対艦ミサイルだったよな」

「そうね、普通の貨物船なんて一発で沈めちゃう代物よ。それが三発も打ち込まれたら船が沈没する前に消し飛んじゃうかも・・・・・・この船を強襲する証拠を根こそぎ吹っ飛ばす気みたいね」

 オレも榛名も言葉が震えていた。

「作戦が開始されました。特殊作戦群が『ひゅうが』から発進しました。到着までの推定時間は三十分です。しばらくお待ちください」

「「三十分!?」」

 榛名と顔を見合わせる。時間が無い。

「榛名、救助を素早く終わらせるにはどうしたらいいと思う?」

「まずこの部屋から脱出して、艦首に向かうべきじゃない? なるべく一発目の着弾から離れるの」

「それでいこう」

 お互いの目を見つめながら同時に頷いた。

「桜花、この部屋からの脱出はできるか?」

「方法はあります。しかし現状ではバッテリーの電力が足りません。充電を要請します」

 困った。電気といえば頭の上に白熱灯があるだけで充電できる設備がない。

「充電ってもなぁ・・・・・・」

 辺りを見回しながらガリガリと頭を掻く。いきなり手詰まりだ。

「マニュアルでの充電が出来ます。マスター」

 問題が解決した。

「どうやるんだ?」

「私の胸を揉んで下さい」

 ・・・・・・え~っと、何だって?

「私の胸に非常用の充電装置が内蔵されています。揉む事により自家発電が可能です」

 胸を揉んで自家発電とは、おのれオヤジめ! なんという悪ふざけ。なんという悪趣味。なんという変態! でもちょっと見直した。

「で、キリちゃん。揉むの?」

 ドスの効いた声色で榛名が問いかけてくる。ちょっと待て。そんな汚物を見るような目は止めろ。そもそも充電機能をつけたのはオレじゃないし。思わず拳を握ったのは認めるが。

「榛名さんにお願いします」

 ちょっと残念だが、まあこれでいい。よく考えたらオヤジがモニターしているから、きっと桜花の胸を揉んだ事も解るだろう。後でからかわれる心配はない。

「はい、よろしい。桜花ちゃん私がやる」

 そう言って榛名が桜花の胸に手を伸ばした。ふにふにと揉み始める。

「うわあ、これ凄い。本物そっくり」

 なんとも魅惑的な感想を言ってくれる。見てるだけだが年頃の高校生としては、ソワソワしてしまう。ええい落ち着けオレ。桜花の胸はオヤジが作った偽物だぞ。

「ちなみに、どのくらい揉めばいいんだ?」

 桜花に聞く。

「必要な電力が補充されるまでは約二十分と推定されます」

「ギリギリだな。榛名頑張ってくれ」

「うん」

 そして榛名が揉みしだく。


 ――二十分が経過した。

「充電が完了しました」

 ピーという電子音と共に桜花が告げた。

「疲れた。二十分も休み無く揉むのって結構大変だったわ」

「お疲れ様」

 ヘトヘトになっている榛名を労う。

「なんか疲れたらお腹空いちゃった。帰ったら何食べよう」

「榛名は空腹ですか?」

 桜花の問いに「まーね」と答える。

「少しお待ちください」

 淡々とそう言うと桜花は部屋の隅まで歩いていく。そして自分の喉に手を突っ込んだ。

「お、ヴェエェェェェ」

「汚ぇ!」

「桜花ちゃん何してるの!」

 オレ達の叫びをよそに、しばらく嗚咽を続ける。

 桜花は吐き終えると何事も無かったかのように振り返り、榛名の前に歩いてくる。

「さあ榛名。これを」

 そう言って差し出された手には、完全な形のカロリーメイトが握られていた。

「桜花・・・・・・まさかそれ、今日の昼飯の?」

「はい、私の中で保管していました。体内で低温保管していましたから痛んでいません」

 えらい早飯だなと思ったら丸ごと飲み込んでいたのか・・・・・・アンドロイド恐るべし。

「あ、ありがと」

 渡されたカロリーメイトを榛名は渋々受け取る。

「さて桜花、救出作戦まで時間がないだろう。早く脱出しよう」

 そう言って桜花を促した。榛名は桜花の見えない所でカロリーメイトを捨てた。そりゃ食う気しないよなぁ。

「二人とも下がってください」

 桜花は鉄で出来た扉の前に立つとオレ達を後ろに下がらせる。どうする気だろうか?

 少し離れて見ていると桜花からフィィィィィという電子的な音が響き出す。黒髪が逆立ち。浮き上がった髪の毛に青白い電光が走る。

「キリちゃん、なんかヤバくない?」

「凄くヤバそうだ。一応伏せろ!」

 オレがそう叫んだ直後。桜花の目からレーザーが放たれた。収束された青白い光が鉄の扉を溶かしながら丸く切り抜いていく。

 レーザーを装備? 冗談だろと叫びたくなる。

 一時の照射の後に桜花を取り巻く電光が収まっていく。ガランと音を立てて切り抜かれた鉄板が倒れた。そして人が通り抜けられる程の穴が空けられた。

 穴から吹き込んできた潮の香りを含んだ風が鼻腔をくすぐった。

 これで脱出できる。

「作戦開始時刻ですF-2戦闘機がASM-2を発射しました。着弾まで四分です」

 榛名と顔を見合わせる。

「桜花、艦首はどっちだ」

「あちらです」

 そう言って指し示したのは壁に穴の空いている方向だ。

「榛名、走れ。桜花ついて来い!」

「うん」

「はい」

 桜花と榛名の返事と共に駆け出した。外に出るとコンテナの山の真っ只中だった。時刻は既に夜になっていたが、幸いにも満月が明るく甲板を照らす。コンテナの隙間を縫って走りぬける。視界が開けた。さらに走ってコンテナの山から離れる。

「着弾まで十五秒」

 ここまでくれば周囲には何も無い。

「榛名、桜花。伏せろ!」

 二人を抱き寄せると、甲板に飛びつくように伏せた。

「着弾まで五秒、三、二、一。着弾」

 桜花のカウントダウンに合わせて、艦尾から凄まじい衝突音と破壊音が鳴り響く。同時に船が激しく揺れた。

「きゃああぁぁぁっ」

「うおぉぉぉぉぉっ」

 信管は抜いているという事なので爆発はしていないようだが、船を通じて衝撃が襲ってきた。揺れが収まった所で周りを見る。

 榛名はオレの胸にしがみついている。無事だ。桜花も甲板にしがみついていた。

 走って来たほうに目を向けると、積み上げられたコンテナの山が崩れ落ちて瓦礫の塊になっている。脱出しなかったらと思うとぞっとした。

「マスター、無事ですか?」

 桜花が起き上がって声をかけてくる。

「オレは大丈夫だ。榛名は?」

「私も平気。でも凄い衝撃だったね」

「全くだ。信管抜いててもこの威力か。対艦ミサイルってのはハンパじゃないな」

 船体が軋みを上げて、夜空にウーと警報の音が響き渡る。

「ヘリが来ます。十二時方向です」

 言われて耳を澄ますと、警報の音に混じってヘリの音が聞こえる。

「オレ達がここにいる事を知らせないと。なにか明かりになるような物は・・・・・・」

「キリちゃん、今時のヘリには暗視装置くらいは装備してるから手を振れば向こうが見つけてくれるんじゃない?」

 言われてみれば榛名の言う通りだ。音のする方角の空を見つめる。ヘリに特有の回転翼が風を切る音が大きくなってきた。

 艦首の向こうから月明かりを受けて無灯火のヘリが影絵のように浮かびあがる。ヘリの陰が甲板上に来るとローターの起こす風が周囲に渦巻いた。甲板上のゴミが舞い上がる中でヘリに向かって手を振る。ヘリからロープが投げ出されると、そのロープを伝って黒い人影が五つ降りてきた。

 人影を降ろし終わるとヘリは甲板上を離脱していく。人影がこちらに走って来た。

「ヘリが周回して接地する、急いで乗り込め」

 黒い覆面のようにバラクラバ帽で顔を隠した男が端的にそう言った。オレが頷くと頭部にずらしていた暗視装置を装着して銃を構え周囲を警戒する。他の四人も銃を構えていた。

 ヘリが再び甲板上にその影を表した。急速に甲板に近づくと一番広い所に接地した。

「走れ」

 覆面の男に短く言われて後について走り出す。直後に桜花が別の方向に走り出した。

「榛名は先に行け」

 そう叫んで足を止める。

「止まるな。走れ」

 一緒に走っていた二人の覆面の男がオレに激を飛ばす。残り二人は桜花を引き止めに行った。

「桜花、こっちに来い」

「危険です。RPGで狙われています」

 桜花が感情の入った声で返してきた。桜花の視線を追うと、崩れたコンテナの上に人影が見えた。筒のような物を肩に載せてヘリを狙っている。対戦車ロケットか!

「クソ、コンテナの上だ! 撃て」

 オレの隣の男が怒鳴りながら素早い動きで銃を向け発砲する。桜花を追っていた二人もコンテナに向き直り銃を発砲した。

 それと殆ど同時に、コンテナの上の人影に炎が点った。コンテナの上から破壊の意志を伴って延びる炎の尾が真っ直ぐにヘリに向かっていく。

 その光景がスローモーションで見える中で桜花が走っているのが見えた。そのまま跳躍しロケットの射線に割って入ると炎の矢が桜花の身体に直撃する。

 爆炎が生まれ煙が舞い上がる。周囲に破片が飛んできた。目の前にボトりと大き目の塊が落ちる。よく見ると女性の手首だった。

「桜花ぁあっ!」

 叫んで走り出す。未だ煙が舞う中で必死に桜花を探す。

「桜花、返事をしろ!」  

「はい、マスター」

 声が聞こえた。桜花は無事だ。

「どこだ。桜花!」

「ココです」

 声は足元から聞こえる。目線を下げた。

「ひぎゃぁぁあっっ。生首ぃぃっ!!」

 心臓が止まるかと思った。そこには頭だけの桜花が転がっていた。

「回収をお願いします」

 そういえば人間じゃなかったと思いなおして、桜花の頭を抱える。

「少年、急げ」

 すぐ後ろに覆面の男が来ていた。彼は桜花の生首に動じる事も無く、オレの腕を掴むとほとんど引きずるような勢いで走り出した。

 煙を抜けてヘリに辿り付く。オレ達が最後だったようで、飛び乗った直後にあっと言う間に離陸した。

「キリちゃん。桜花ちゃんは?」

 先に乗っていた榛名が不安そうに聞いてくる。

「私はここです」

 さすがに首だけだと感情は込められないようで、無機質な声がオレの腕の中からかけられた。

 榛名の目線が下がり、桜花と目が合った。

「ひわぁぁあっ? く、首っ。生首ぃぃっ! しかも喋っ・・・・・・キモッ!」

 先程のオレと同じように叫ぶと腰を抜かして後ずさった。それが面白くて思わず声を上げて笑ってしまった。つられて榛名も笑い出す。桜花の頭を抱いたまま、互いの無事を確認するかのように二人で笑いあった。

「ASM-2着弾します」

 腕の中で桜花が告げる。窓から漆黒の海面を見下ろすと、遠くで火球が生まれた。あの貨物船からもうこんなに離れていたらしい。少し遅れて爆音が届いた。ヘリのガラスがビリビリと唸りを上げる。

「はあ、なんか凄ぇ疲れた」

「そうだね。私も疲れた。色々あったもんね」

 オレは桜花の頭を抱いたまま、榛名と寄り添うと疲労感からか急激に眠くなった。

 薄れていく意識の中で「『ひゅうが』に着艦する」という誰かの声が聞こえると、ああ帰れるんだ。と実感した。

 



 

 目が覚めると、オレは自分の部屋にいた。昨夜のヘリから記憶が無い。昨日の出来事の全部が夢だったような違和感を覚えた。

「いや、夢じゃないよな」

 あの騒動でついたと思われる擦り傷が、身体のあちこちにある。何よりもこの手で抱きしめた桜花の頭の重みが忘れられない。桜花はどうなったのだろうか?

 とりあえず学校には行かないといけない。起きて居間に下りていく。

「おはようございます。マスター」

 居間の扉を開けると。ソファーに桜花が座っていた。

「桜花。オマエ身体がなくなったんじゃないのか? 大丈夫なのか?」

 桜花が居間で座っていた事と、桜花に身体があるという目の前の現実に眠気が吹き飛んだ。

「問題ありません。私の中枢機能は頭部にありますので、頭部が無事ならばスペアパーツで修理可能です」

「そうか、よかった」

 オレの腕に残っていた桜花の頭の重みが消えた気がした。心底ホッとする。

「ただしこのスペアのボディには問題があります」

「どこか故障してるのか?」

 やはり昨夜の無理がたたっているのだろうか?

「いえ。お父様曰く『胸の造型が気に入らん』のでスペアボディにしていたそうです」

「あぁ・・・・・・そうかい。なんだ、オヤジの趣味かよ・・・・・・」

 朝っぱらから疲労感に襲われる。やっぱりあのオヤジは変態だと再認識した。

「そういや榛名はどうしたんだ?」

「榛名でしたら昨夜に警察に送らせました。スリの逮捕に協力していたという名目になっています」

 なるほど、確かに人に言える出来事じゃなかったし。警察に送って貰えれば、家族にも余計な心配はかけないだろうなと納得した。

 そこで気になったのでテレビをつけて朝のニュースを流し見する。昨日の出来事はどこでも放送していなかった。

「マスター。昨夜の出来事は公式には無かった事になっています。参加した自衛隊の部隊には夜間訓練という事で出動しました。全容を知っているのは一部の人間だけです」

「でも貨物船が吹っ飛んだだろ?」

「あれは国籍不明の偽装貨物船です。偽装されたフィリピン船籍の貨物船は現在インド洋を航行中ですので、何も問題はありません。恐らく相手側も表沙汰にしないでしょう」

 世の中は一般人には知りえない情報が溢れているんだな、と身に染みた。それが少々恐ろしくもある。もし外で迂闊に喋ったら本当に危ない目に遭うだろうなとヒシヒシと感じた。これは後で榛名にも「絶対に喋るな」と念を押さなければいけない。

「それよりもマスター」

「何だ?」

「遅刻しますよ」

 時計を見るとギリギリの時間だった。

「ヤバイ。急いで支度する」



「キリちゃん遅い」

 いつもの交差点で榛名が待ってくれていた。

「悪い。色々とあったんだよ」

 そしてオレと一緒に居る桜花を見て心底安堵した表情を見せた。

「よかった。桜花ちゃん直ったんだ」

「ええ、スペアボディですが問題ありません」

 桜花が無機質に答える。一度感情プログラムを解除した相手にはこの調子で話すらしい。そして三人で並んで歩き出す。

「朝のニュース見たか?」

 ギリギリ聞こえるくらいの声で榛名に話し掛ける。

「うん。昨日の事なにも言ってないね」

「絶対に誰にも言うなよ。迂闊に話が広まったら何が起こるか解らない」

「解ってる。正直に言うと私もこんな事ってあるんだと思ったら寒気がして本当に恐くなったの」

「知らない人間は信じないだろうけどな」

「でも、知ってる人間に聞かれたら絶対に只じゃ済まないよね。また誘拐されるかも」

「その前に殺されなきゃいいけどな」

 そこまで話すと二人で神妙に頷いた。

「この話はココまでにしよう」

「そうだね」

 そろそろ校門だ。知ってる顔が何人か「おはよー」と言いながら通り過ぎていく。

「ハヤテ、おーっす」

 クラスメイトの大井から声をかけられた。

「おーっす」

「オマエいいよな~美人な妹と可愛い幼馴染引き連れて登校かよ。その幸せをオレにも分けろ」

 いつもの通りの軽口が何故か無性に懐かしく感じた。

「じゃあ、桜花でも口説いてみろ。上手く行けばオレがオマエの兄貴だ」

「うぐ、ハヤテを兄貴には要らんが。桜花ちゃんは欲しい。ね? どう今日はオレと一緒に昼メシ食おうぜ」

 そう言って大井は桜花に話しかける。桜花はニコリと笑いかけると口を開いた。

 「ごめんなさい、大井くん。私は兄さんやご主人様と一緒にご飯を食べようと思ってますから」

 オレ達四人の時間が止まる。ご主人様? 誰が?

「桜花? ご主人様って何だ?」

 沈黙を破って聞いてみた。

「榛名さんのことですよ」

 笑みを絶やさずに小首をかしげる。やたらと破壊力がある上に誤解を招く仕草だ。

「ええぇっ! なんでぇ?」

「だって、昨夜に私の胸をあんなに揉んだじゃないですか」

 狼狽する榛名に桜花が非情な言葉を投げかける。

「ちょっと待て。榛名ちゃんと桜花ちゃんってそういう関係だったの?」

 大井が食いついた。そこでオレは思い至った。昨日の桜花の言葉を思い出す。

『私に性的なイタズラをした場合に、ランダムで――以下略』

 つまり昨夜の充電を性的なイタズラと解釈したらしい。感情プログラムが作動すると呼び方が変わるようだ。これって明らかにプログラムミスじゃないよな? あのオヤジは狙ってるよな? オレを嵌める気だったよな? 桜花のバッテリーがヤバくなって、マニュアル充電したら自動的に変態認定を食らわす気だったよな!

「ちょっと待って! 違うの大井くん。私達そういう関係じゃなくて・・・・・・ちょっとキリちゃん説明してあげてよ」

 そうは言われても昨夜の事は説明できないし。大井に話せる訳も無い。

「すまん。説明できない。後、オレには解除できないからオヤジが帰ってくるまで待ってくれ」

「嘘でしょぉっ!」

「どうしたんですか? ほら兄さん、ご主人様。急がないと遅刻しますよ?」

 それから一週間後にオヤジが帰ってくるまで、桜花は榛名を「ご主人様」と呼び続ける事になる。


 そして榛名のアダ名が『女王様』になるまでにそう時間はかからなかった。

 


         完

 

 

 

 


 

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電気仕掛けの霧島桜花 玄海之幸 @DELTIC

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