六話「聖地」


 スーリヤが案内した先は、砦へと通じる地下通路だった。

 砦を見上げる岩場の影に小さい洞窟があり、その入り口をふさぐ小さい岩をどけると狭い石造りの階段が現れた。

 大人一人が屈んでやっと通れるほどの細い階段を降りると、やや天井の高い、狭い通路に出た。外が暑かっただけに、石造りの通路はひんやりとして心地よかったが、重い闇が立ちこめ足音が複雑に反響する中を歩くのは少し心細くもあった。

 岩をくりぬいて作ったような通路には所々に松明の炎が灯っており、かろうじて先が見渡せる。最初は一直線だった通路だが、途中でいくつも複雑に分岐しており、迷路のようになっていた。スーリヤは迷う事もなく右へ左へとすたすた歩いていく。

 ――複雑な作りね。おそらく、敵が攻めてくる事を想定しているんだろうね。

「敵……ですか。今のところ、スーリヤ……さん以外、誰も見かけていませんが」

 脳内に響くリンカの声に、ミコトは小声で返事をした。

 ――念のため、通路を折れ曲がる順番を覚えておきなさいよ。現実の遺跡にも同じような迷路があるかもしれないからね。

「はあ、がんばってみます」

 とは言うものの、道を何度曲がったかなどすでにわからなくなりつつあった。三叉路や交差路が複雑に絡み合い、道案内がなければすぐに迷ってしまうのは間違いない。

 しばらく進むと、通路の空気が湿り気を帯びてきたように感じられた。

 遠くから、何かがごうごうと響く音も聞こえてくる。それは通路を振動させ近づいてくるように思えて、ミコトは不安を覚え、スーリヤに尋ねてみた。

「この音……何かな……?」

 一度も振り返らずにすたすた歩いていたスーリヤが、くるっと振り向きミコトを見た。薄暗い通路でも、白く透けるプラチナブロンドは目に眩いほど明るく見え、心強く思えた。

「水路の水だよ。たまに流れる。近くを流れるから音がうるさい。……ミコト、怖い?」

「えっ? い、いや、別に……」

 神様とはいえ見た目は同い年くらいの女の子。これくらいの事で怯えていると思われるのもかっこ悪いので、ミコトはつい見栄を張ってしまう。

 黙って見つめていたスーリヤだったが、すっと右手を差し出し、ミコトの左手を取った。ひんやりとした小さい指の感触にどきっとする。スーリヤはミコトの手を握ったまま歩みを再会した。ミコトの不安を察して元気付けようとしているのだろうか。表情の変わらない横顔からは内心を窺う事は出来なかった。

 女の子と手をつないだのは中学のフォークダンス以来だろうか……

 少なからず動揺するミコトと対照的に、スーリヤはただ淡々と歩みを進めるのみだ。

 ――おんや? なんかいい雰囲気ねえ。ミコトクン、緊張してるのかな?

 茶化すようなリンカの声にも言い返す気にならない。

 自分の肩ほどの位置にあるスーリヤの頭を見下ろす。ぱっちりした目を長い睫毛が彩り、小さめの鼻は幼さを感じさせるものの整った形をしている。あまり喋らないひかえめな口。頬の辺りにかかる柔らかそうな髪がふわふわと揺れている。

 ……正直、可愛いと思う。こんな可愛い女の子と薄暗がりの中、手をつないで歩いているというのはかなりおいしいシチュエーションなのではないかと思えてきた。相手は神様という事で少し気後れしていたが、こうして見る限りでは普通の女の子とそう違わない。

「あ、あのぅ……スーリヤ……さんは、ごしゅ、ごしゅ趣味は?」

 ――ぶふっ! 台詞噛んでやんの!

 いちいち脳内でツッコミが入るのがうるさい。ミコトの眉がひきつる。

 スーリヤは不思議そうにミコトを見たが、意味がわからなかったのか答えずに歩き続けた。

 なんとか会話をしてみようと脳内でシミュレーションを繰り広げてみるのだが、うまくいくイメージがつかめずに結局何かを言いかけては思いとどまり、を繰り返す。中学の頃からバイトに明け暮れていたミコトは同年代の女の子と二人で歩く経験など皆無だった。

 左手に伝わる感触を強く意識しながら、緩やかな傾斜を登る。

 小さくて可愛い指だな……

 そう思った瞬間、無意識に小指がぴくんと動き、スーリヤの指に触れてしまった。

 スーリヤがミコトを見上げる。

「あっ、いや、ごめん、なんでもないんだ。えっと、そうだ! スーリヤは、ここに一人で住んでるの?」

 焦ってしどろもどろになりながら、苦し紛れに質問してみる。

 再び前を向いたスーリヤは、少しうつむいているように見えた。

「うん。一人で住んでる」

 その様子が寂しそうに見えて、ミコトは質問した事を後悔した。こんな所に一人で住んでいるなんて、神様にもきっと何か事情があるに違いない。

 もっと面白い話題が出せればいいのだが、女の子の喜びそうな話題なんて思いつかない。マンガやゲームの話は通じないだろうし、テレビも当然、無い。気の利いた冗談でも言えるといいのだが、それも思いつきそうになかった。

 結局思いついたのは、身の上話くらいだ。

「僕も……一人暮らしなんだ。父親がとんでもない奴でね、世界中を飛び回ってほとんど家に帰ってこないから、母さんに愛想付かされて離婚。その父親もすでに亡くなってるんだけどね……母さんはすぐに再婚したんだけど、僕はわがまま言って一人暮らしをさせてもらっているんだよ」

「ふうん?」

 あまり意味が通じていないようだった。

「えっと……」

 ――髪でも褒めてあげれば?

 見かねたのか、リンカから助け舟が入る。ここはもう二言無く従う事にする。

「その髪、綺麗だね。太陽の光みたい……」

 ミコトを見上げたスーリヤが、空いている方の手で軽く髪を触った。白金の髪が松明の光を透かしてオレンジ色に輝いているように見える。素直に綺麗だと思った。

「そう?」

 スーリヤが少し嬉しそうに口元を綻ばせた。

「そうそう! 綺麗だよ。すごく!」

「ふふ」

 笑ってくれた。その事実だけで、なんとも言えず胸が満たされたような気持ちになる。

 調子に乗ったミコトが次にどこを褒めようかと考えているうちに、前方の通路がやや明るくなってきた。通路は再び一本道になり、前方に急勾配の石の階段が現れた。

 階段は狭いため、スーリヤは手を離して先に登る。せっかく良い感じになってきたのにと、ミコトは名残惜しそうに空になった掌を見た。まだかすかに感触が残っている。

 無防備に階段を駆け上がるスーリヤを見上げないようにしつつ、ミコトは殊更に足場を確かめるようにして石段を登った。

 ――見上げないの?

「見上げませんよ!」

 石段を登りきると、四角い入り口からまばゆいばかりの光が差し込んできた。暗闇に慣れた目には痛いほどだ。手をかざしつつ、少しずつ目を慣らす。

 まず目に飛び込んできたのは、鮮やかな緑色だ。

 どうやら砦の中庭らしい。水路が庭を区切るように走り、汲み上げた水が噴水から溢れている。その周囲を、濃い緑の草木が取り囲んでいた。

 庭の端にある手すりに寄ってみると、さきほどミコトが歩いてきた荒野が見渡せた。手すりから身を乗り出して見下ろすと、かなりの高さがある。ここは、砦の屋上に設けられた庭園のようだった。

 陽光を煌めかせる清流のせせらぎが耳に心地良い。植物の葉から、小さいてんとう虫が飛び立つのが見えた。

 スーリヤはさっさと庭を横切り、小さい石段を登ってミコトを振り返った。

「こっち」

 きょろきょろと庭を観察していたミコトが慌ててその後を追う。

 石段の先には、物見やぐらのような小さな塔がいくつか立っており、砦の壁面側には舞台のようなスペースが広がっていた。右手側にはさらに石段があり、その上に石造りのお堂のような建物を仰ぎ見る事ができた。お堂の背後には岩山の切り立った絶壁があり、まばらに草木が生えている。

 スーリヤはお堂の中に入っていった。ミコトも後に続く。

 外は射すような暑さだが、お堂に入ったとたんにひやりとした冷気に包まれた。中はがらんとした何もない空間で、屋根は外から見るより高く感じる。入り口から差し込む日光が床の影を四角く切り抜き、その中にミコトの影がくっきりと張り付いている。厳かな静寂に満ちた空間に、かすかにお香の匂いが漂っていた。

 入り口正面には石壇があり、その上のくぼみに何か置いてあるのが見えた。石壇に歩み寄ったスーリヤが、くぼみに手を伸ばしてそれを無造作に取り上げる。

 小さな足音もやけに反響する中、ミコトも後に続きスーリヤの後ろに立った。

「ん」

 くるっと振り向いたスーリヤが、手にした物をミコトに差し出した。

 こぶし大の、赤い楕円形の石。これがアカシャの眼なのだろうか。

 差し出されるままにそれを受け取る。ずしりとした手ごたえ。表面はつるつるに磨かれ、滑らかな曲面を描いている。

「太陽の光に透かすと綺麗だよ」

 勧めに従い、入り口付近に戻って光の中にかざしてみた。

 かすかに透き通った赤い石の中に、陽光をきらきらと反射する金色の粒子が入っている。それらは石の中心で円を描くように集まっており、まさに赤い瞳を思わせた。アカシャの眼と呼ばれる所以なのだろう。

「本当だ……すごく綺麗だね」

 魅入られたように石を観察するミコトを、そっとスーリヤが覗き込んだ。少し得意げだ。

 ――本物のアカシャの眼で間違いないと思う。文献にあった描写そのままだし、ミコトの意識を通しただけでもすごく信仰の力を感じる……

 ミコトには石の価値はよくわからないので綺麗な宝石というくらいの感覚だったが、それでも、不思議と人を惹きつける神秘的な魅力があると思えた。

 透かす角度によっては、赤い石の中で小さい太陽が輝いているようにも見える。夢中になって角度をかえつつ石を眺めるミコトをじっとスーリヤは見つめている。

「欲しい?」

「え、でも、大事な石なんでしょ?」

 驚いて振り返るミコトにスーリヤはあっけらかんと言った。

「欲しかったらあげるよ」

 もらっていいのだろうか? 事の他あっさりとうまくいきすぎて、本当にいいのだろうかと思ってしまう。ミコトがしばらく逡巡していると、リンカの声が脳内に響いた。

 ――残念ながら、神話世界でもらっても現実世界には持って帰れないからね……丁重にお断りしておけば? それより、この場所がどこなのかって事の方が重要ね。見た限り、ここ……コナーラクの太陽神殿とは違うみたい。場所のヒントになりそうな事を聞いてみてよ。

 やはり、ここで石をもらって、はい終了、とはいかないようだった。ミコトは少し考え、石をスーリヤに返した。

「せっかくだけど、こんな大切な物、簡単にもらうわけにはいかないよ」

「そう」

 スーリヤは無表情で石を受け取り、元の場所に戻す。ミコトはその背後から声をかけた。

「ねえ、ここってなんていう場所なの?」

「聖地」

「聖地……あの、なんか地名の固有名詞とかないの? コナーラクとか……」

「コナーラク?」

 スーリヤは振り向いて不思議そうに首をかしげた。

「あ、ええと……聖地以外に呼び名とかない? それか、近くに街とかないかな」

 しばらく考えていたようだが、やがてゆるゆると首を横に振った。その様子がしょんぼりしているように見えたので、ミコトは慌てて話題を変えた。

「ああ、別にいいんだ。そうだ、ここ以外で、人が住んでいる所を知らないかな」

「あっち」

 入り口の向こう、荒野側をスーリヤは指差した。「あっちも」今度は山側を指差す。

「ずっとずっと遠くにたぶん人いる。でもスーリヤ、行った事ない」

 あっちといっても、あの荒野を見る限りおそらく地平線の向こう側だ。気軽に歩いていける距離では無さそうだった。

 ――せっかくアカシャの眼が見つかってもここが現代のどの場所に相当するのか特定できなければ意味がないわね。ま、しばらくはここにご厄介になって、ヒントになりそうな情報を聞き出してちょうだいな。まだ接続時間に余裕はあるし。

「ご厄介って……」

 ――観光だと思って、一泊させてもらったら? あんただってスーリヤちゃんと一緒にいられるのはまんざらでもないんでしょ! んん?

 お泊り。いいのだろうか。年頃の娘さんが一人で住んでいるところに、ご宿泊させていただいても……?

 急に意識してしまい、固い動作でぎこちなくスーリヤに向き直る。スーリヤは無垢な瞳でミコトをまっすぐ見ている。

「あのー、僕、今日泊まる所が無いんだけど……しばらくここにいてもいいかな? あっ、もちろんイヤならイヤって言ってくれていいんだ。試しに言ってみただけで、断られてもそんなに困らないから……」

 スーリヤはしばらくきょとんと見ていたが、すぐにニコッと笑って、

「いいよ!」

 嬉しそうに快諾してくれた。ミコトの胸がどきんと高鳴る。

 女の子と一つ屋根の下、二人きり……?

 ――不純異性交友、大いにアリだと思うよあたし的には! おねーさんが見守っててあげるから、頑張るのよ!

 そうだ、二人きりじゃなかった……

 この人がいた。忘れていた。

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