バカと過ごす異世界転生物語

吉本ヒロ

プロローグ

第1話ハロー、クソったれな異世界よ


自分が特別だと思った事はない。

少なくとも何事に関してもありきたりの、多少の波があろうとも平均程度の能力、そして無味無臭な、探せばすぐ同じような奴が見つかるような普通の人生だった。

ただ漠然とありきたりのサラリーマンとして勤め始め、僅か数年で建前の上では前途有望な若者が普通に死んだだけの話。



人並みに健康だったからこんなに早く死ぬとは思いもしなかったが、特に未練はない。

やりたい事はそれなりにあったけど、別に思い残す程の事は何もなかった。

空虚で平坦な現実を前に、人生を諦めていたと言っても良いだろう。

周囲を見渡せばどこにでもあるようなありふれた人生で、特別な夢も希望もなかったとしても、死にたくはなかったのだと強く思った。



そして、そんな記憶を持ったまま赤ちゃんとして生まれなおした時、それも剣と魔法の世界に生まれた時、俺は確かに歓喜した。泣き喚いて、どうあやしても泣きやまないから親も産婆もどうしたものかと困り果てた程に。

何せこれでハーレムだろうとチートだろうと、なんでも出来る。

剣と魔法という幻想染みた世界げんじつを思いっきり楽しめると。

前世で夢想したあまりにも子供染みた、しかしだからこそどこまでも純粋な想い。いっそ冷酷なまでの現実という壁の前に敗れ去った夢を叶える事が出来ると。自分の思うがままに生きる事が出来ると。

生きながらに、人生がゲームのように楽しく色づいたのだから歓喜しないわけがない。――などと、泣いて喜んだのも今は昔。





その時からほんの数年後、今はもう、赤ん坊のように泣きわめく程コントロールが利かないわけではないから泣き喚かないだけで、心の中ではさめざめと泣いていた。


転生なんてクソ喰らえだと。


体も満足に動かせない赤ん坊の時に考える時間なら幾らでもあった。そして冷静になって考えれば考える程に、そして聞こえてくる会話、三十歳になってそれほど経っていないはずの、しかしくたびれた中年サラリーマンのように色濃い疲労の表情の父親を年から年中見ていれば、チートもハーレムもあまりにも困難なのだと嫌でも悟らされた。


なぜならば農家。


そう、どこにでもいる、制度上特権階級に虐げられるだけの、国民の大多数を占める平凡な農家。成り上がるだけの余地は皆無と言ってよく、勝ち組は零れ落ちないよう勝ち組のまま、負け組は成り上がれないよう負け組で在り続けることを強い続けられる世の中だった。



どうやら前世の記憶を持ってこの世に生まれた時点で、どうにも運の類は使い果たしたらしい。

物語のように変わった生まれではあれど、人生の方は物語のようにそう上手くいかないのだろう。



農民以外の何かになる事。それすら、困難だと言っても良い。

前世の知識を活かし、文官として登用してもらうのは不可能だろう。文官とは基本世襲でそうそう空きが出ないものだし、空きが出ても教育を受けられる人間が限られているため、ほとんどコネで決まってしまう世界なのだという事を、親にそれとなく聞いて理解させられた。



まして、農民では勉強する機会そのものがない。

一を聞いて十を知る、が出来るなら、なんとか神童の方向へ持って行けただろう。だが、そもそもその一さえ知らずに何かをやってのければ、閉塞的な村ではもうただの化け物だ。だからこそ、俺は前世の知識などなにも活かせず、また農民でしかないからこそ、別の道を選ぶ事に多大なリスクを背負わされてしまう。

ああ、だけど、今はそんな事さえどうでもよい。



いや、むしろ、その程度の事なら泣くほどではなかったのだ。むしろその程度は打破して見せるという気概もあった。が、今はとにかく思わず泣いてしまうほどの事態、泣いて逃げ出したい程の目の前の困難をどう打開するのか。ただそれだけに全身全霊を傾けなければならない。



この世に生を受けてもうすぐ3年、たった3年。だと言うのに、早くも一歩立ち回りを間違えば、それこそ死が訪れる。それほどの窮地。

まさかどこにでもいるおばちゃんに片足突っ込んだママのおっぱいが恋しいなどと、しかもそれが冗談の類ではなく本心からそう思う時がこようとは夢にも思わなかった。



成長に伴い、食生活は変化する。

故に自然と母乳から離乳食へ、そして一歳にもなれば量や細かい気配りはともかく、メニュー的には他の子供や大人とさほど変わらない食事をとるのも当然と言えた。



その時まではまだ良かった。

煮込んで半分以上溶けている野菜が少々、肉は職人芸にでも挑戦しているのか、透けて見える程薄い欠片が一ヶ月に一切れあるかないか。それでも、薄く水っぽいながらも塩味が感じられるスープだ。

だが、段々と歳を重ね、三歳にもなればそういった気配りなどほとんど無縁となる。



つまり、とうとう恐れていた事態が襲いかかって来たのだ。

別に、毎日ステーキ等のごちそうが食べたいなどという贅沢を言っているわけではない。

お腹一杯食べられない事は確かに不満だ。だけど質素であろうとも、それなりの物をそれなりに食べられればそれで良いだけなのだ。

スープはいい。ほとんど水だけで、僅かに入った野菜の欠片と薄い塩味であろうと、スープはスープだ。



パンもいい。釘が打てそうな程に固く、味も良くないし、バカみたいに顎が疲れる。台所にある凶器として包丁に次ぐと言っても過言ではない程で、三歳が食べるには少々どころか拷問染みているほど酷だが、人間の食べ物だ。スープに長く浸せば、辛うじて今の自分でも食べられる。



野菜の塩漬けや酢漬けだって、正直あまり好きではないが無理をしなくても食べられる。

毎日代わり映えのしない質素な食事。

それもまあギリギリ、菩薩の如く寛容な心で見れば及第点をあげられよう。

きっと食べられるだけでも幸せなのだ。



だが、これは何だ。



三歳になった今、完全に大人と変わらない食事となってしまった時に出されたコレは何だ。

メインディッシュとばかりに食卓の中央に、大皿に山と盛ってある白い物体。

いや、確かにあれはメインディッシュなのだろう。肉類と呼ぶべきかどうかはともかく、肉類はある程度上の階級の人間でもなければそれこそ年に一度のお祭りでもない限り食べられないのだから、貴重なタンパク源として堂々と食卓の中央に鎮座する事が許されている。

実際に統計をとると、年に数度は必ず食卓に並んではいるが。



まあそれに、肉と言えば肉だ。

白く、エビを彷彿させるプリプリとした食感。噛めば口の中で程良い弾力が楽しめるだろう。更に一噛みすれば、どこぞの中華まんじゅうのようにおいしい液が噴き出るに違いない。親愛なる兄や両親は、それこそまるで年に一度の肉だとばかりに争奪戦よろしく、しかし一噛み一噛み味わっておいしそうに食べている。

が、茹でられ、死んでいるのが分かっていても、なぜだかこの目はもぞもぞと元気いっぱいに動いている姿を幻視してしまうこの白い物体は何だ。



俺は文明人だ。

先進国に生まれ、時代の流行に乗ったインドア紳士。

田舎暮らしさえした事のない、軟弱な現代っ子だ。

そしてここは、たとえ田舎であろうとジャングルの奥地にある秘境のような場所ではないのだ。だと言うのに、この食事は何だ。

こんな物を競って食べる家族が、同じ人類には見えない。


「きょ、今日はもうお腹いっぱいだから、ごちそうさま」


一足早く、パンとスープだけでお腹いっぱいになったと、敢えていつもは食べている野菜の酢漬けまで残してそう告げる。

正直なところ少々物足りなくはあったが、幸い三歳児の胃袋の許容量などしれている。それに、こんな物を食べるくらいなら絶食した方がまだましだ。



昔からたまに食卓に上っている姿を見て、この窮地を逃げ切るための言い訳は山と言う程考えてあるのだ。

まずは年相応の、スタンダードな言い訳から。

それが厳しくなればそれはそれで何とかなるように多様な言い訳は考えてあった。


「うちに好き嫌いする余裕があると思ってんのかい?」


だからそう。まさか初日から挫折を味わうなどと、考えてもいなかった。

デンと、まるで逃げ道を塞ぐように立ちはだかるのは、少々体が大きめな母親だ。

その瞬間、だいまおうからはにげられない、なんてセリフが脳裏に浮かぶ。実際、力の差は農民とそう変わらない駆け出し勇者と荒くれの魔族を力で束ねる大魔王くらいに、悲しくなるほど力の差がついている。



この幼い体で逃走は不可能。そもそも家が狭く、自分の部屋などあるはずもないのだから話にならない。だからすぐさま思考を切り替え、説得を選ぶ。



「いや、まだ食べてもないのに好き嫌いなんてするわけが……」

「嫌そうに目を背けていたのに気付いていないなんて思っちゃいないだろうね。何年アンタらの母親やってると思ってんだい?」



確かにやんちゃ盛りの兄貴達どころか大黒柱たる父親さえもこの母親には逆らえないという事を知ってはいるが。



「男の子なんだから、このくらい一気にいっておしまい」

「いや、だから――」



ご丁寧に返事を待つことさえなく、口の中、それも歯と歯の間にピンポイントで放りこんでくれた挙げ句、顎と脳天を抑えて口を閉じさせられた。結果――



「んんん゛ん゛ん゛ん゛――――!!」



口の中でカブトムシの幼虫みたいなナニカが弾け、ドロリとした液体が口内を余す所なく蹂躙する。

ぴぎゃー、なんて幼虫の断末魔の声まで聞こえた気がする。ああ、幻聴が聞こえてしまう程に状況は最悪、状態は末期。

だというのに吐くことさえ許されない。

未だ母親の手は口をしっかりとホールドし、喋らずともその目は呑み込むまで離さないと雄弁に語っている。

力のない三歳児の体が恨めしい。

とにかく一刻でも早く呑み込んでなかった事にしようとした端から拒絶反応を起こして吐き気を催し、口と胃の間を、正確には喉のあたりをシャトルランの如く行ったり来たりと往復する。一秒でも早く口内から排除したいという意思とは正反対に、体が受けつけない。



ツンと鼻を突く異臭は胃液までもが混じったからか。

食べたばかりのパンやスープも混ざり、まさに状況は混沌を極めている。

そして十を超えた辺りでようやく、それは胃まで下って行った。

それを確認して、ようやく母親は手を離す。

それはまさしく魂の蹂躙。

文明人としての尊厳を失い、精神が凌辱の限りを尽くして破壊される。

これが異世界の洗礼だとでも言うのか! ならばもはや是非もなし。今日からはこの世界そのものが俺の敵だ! ……などと、意識を保つ事が出来た余裕など、胃液がシャトルランを開始するまでだった。

もはや碌に反応さえ示せない。幼虫同様に原型も留めない程に壊された精神は、口直しの水を飲む力さえ残っていない。



「…………ぷちゅって……ぷちゅっていった……くちのなか……えき……はじけて……」



「まったく大袈裟だねえ。食べてみたら普通においしいだろ? ほらほら、いつまでぼやいてないで、さっさと残りも片づけな」



味など、分かるはずもない。

もしこれが最高級の肉にも勝ると言われようと、どんな食材よりも栄養価に優れていようと、精神的な部分で受けつけようとしないのだから味わう余裕も、食べてみようと思うだけの余地も、あるはずもなかった。

まるで望まぬ行為を強要された女性のように開きっぱなしの口から何かが混じった唾液が、そして虚ろな目から一筋の雫が零れた。







碌に意識もないままいつの間にか気絶するように眠り、目が覚めた今日、この日、この時、俺は決意した。

なりふり構ってなどいられない。サバイバルであろうと何だろうと、せめて食生活くらいは文明人らしいものにしてみせると。

必ずやこの未開の地、未開の食卓に、せめて俺一人であろうと文明の光を浴びて見せると。

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