第42話

「で、ここに来たのか?」

「彼女はやり難い。さすが僕と討論できるフレイの妹だけあるよ」


 ロキが溜息をつきながらソファに沈む向かい側、一人の男性と初老の男が笑いをかみ殺していた。

 一人は唾広の帽子を被ったこの神界の主神オーディン。そしてもう一人はフレイヤに似た面影のある神。とは言っても、その体つきも顔つきも男のもの。フレイヤの双子の兄で豊穣の神、フレイだ。


 ロキが来たのはオーディンの邸宅ヴァラスキャルヴだ。たまたまそこにフレイもやってきて、今の状況である。ちなみに、テーブルにおいてあるのはお茶ではなく酒だ。


「フレイヤは思ったことを即座に言ってしまうからな。相手が傷つくことも喜ぶことも考えてない分、性質が悪い」

「まったくその通りだのぉ」


 フレイの言葉に相槌をうったオーディンは、どこか遠い目をしている。過去に彼女と何かあったのだろう。

 双子の兄にまでこう言わせるのだから、フレイヤはなかなかのつわものである。


「オードが出て行った気持ちが分かるかも……」

「でもオードは旅先からずっと土産を届けてくれてるよ。フレイヤもそれが来るのをいつも楽しみにしてる」

「夫婦のあり方は色々じゃからな」


 オードとはフレイヤの夫である。だが随分昔に出て行ってから、ロキもまったく見ていない。おそらく千年以上は完璧に見ていないはずだ。

 俗に言う別居とか離婚ではないのか、と思っていたが、どうやらお互い愛してはいるようで。

 近くにいるよりも遠くにいた方が良い関係だから、このようになったという。


(普通、夫婦なら一緒にいるもんじゃないの?)


 とロキは思うが、妻を娶ったことない自分が言うのも気が引ける。それに他者の家のことだ。直接関係ないのならどうでも良い。


「だが、フレイヤの言うことも一理あるのぉ」

「げっ」


 オーディンが長い髭の向こうで笑った。何やら思いついた様子で。


「ロキ、選べ」

「選べるか!」


 突然オーディンがマントの下から出した紙束。ロキは即座に目も向けずに床に叩きつけた。バサッと広がった紙は、各神界の女神の写真とプロフィールが載った物。


「なんと、かなり美人を選んだのに。お前は性格重視か?」

「そいう問題じゃない! 僕はまだ誰かと結婚する気なんかないよ!」

「ええ~」

「『ええ~』じゃない!」


 子供っぽくむくれ見せるオーディンに、ロキは目眩がした。ここに来たのも間違いだったかもしれない。

 神々は噂好きでそれによく便乗する。しばらくは、どこへ行ってもこの話題にされるかも、と考えると背筋に嫌な汗が流れた。


「まあまあ。オーディン様、ロキは従者すら取れないやつですよ、妻なんて娶ってもまず養えませんよ。それに彼の性格ですからね。すぐ逃げられるのがオチですよ」

「酷い言いようだね、フレイ」

「否定できるのか?」


 そう問われてしまうと、ロキは何も反論できない。

 まずロキは束縛されるのが嫌いである。自由奔放に、自分のしたいことが出来ないのは苦痛だ。なおかつそれが面白くなければ余計に。

 さらに、ロキは今まで従者を何人か採用はしたが、全員彼の行動についていけず最後に辞表を出してきた。ちょうど五百年ぐらい前に雇った青年が、一番長持ちして半年だったか。そのロキのそばに、長年仕えてくれる妻などできるはずがないのだ。


「いらないよ、僕は伴侶なんて。退屈でなければそれで良い」

「一人ぐらい、お前が安らげる所を作れば良いのに」


 そうフレイは言うが、安らげる、という言葉と女性が繋がらない。ロキにとって女性は、一時の関係を楽しむ以外の存在ではないのだ。

 そうやって憮然としていると、オーディンは溜息をついてロキを見た。


「ロキ、それほど暇なら、ミッドガルドにでも行ってきたらどうだ?」

「ミッドガルド?」

「ここ百年、お前は下りていないだろう。様変わりして面白くなっとるぞ」


 そう言えば、他の神界に顔を出すことはあっても、ミッドガルドには下りていなかったなと思う。人間達は寿命が短い分、その世界の移り変わりも早い。最後に見た時とは面代わりしているはずだ。


「ミッドガルドねぇ。そうだね、久々に気ままな一人旅でもしようかな」

「人間と触れ合えば、価値観も変わって所帯を持つことも……」

「結婚はしないよ!」


 まだ言うかこいつは、と思いつつも既に頭はミッドガルドのことでいっぱいだ。あの世界は神界より広い。軽く見てまわっても二、三年は潰せるだろう。

 目新しいことがあるならば退屈もしない。その間はこの燻りも少しは忘れられる。ロキはそう結論づけて、旅支度をしようとさっさと館に戻っていった。

 最後に、オーディンの用意した紙束を燃やして。



   ※ ※ ※ ※ ※



「あ~、あいつ燃やしていきよった」

「ははは、かなり嫌だったんですね」


 床に落ちた燃えカスを、オーディンはスイッと指を動かして消す。それだけで床はピカピカだ。


「どうして、ああもフラフラしとるのかのぉ」


 オーディンにとってロキは悩みの種だった。

 彼をアースガルドに連れてきたのは自分だ。最初は巨人族ということで周りと衝突もした。悪戯好きということもあり反感もかっていた。

 だが、神々や巨人族との戦争において、彼の頭脳は大いに役立った。フレイと共に作戦指揮や囮、時には潜入係までやってのけた。戦場での武勲も実はすごいのである。

 まあ、それは他の神が動きやすいように陰でやったものなので、大っぴらにはなっていないが。


 そんなことがあり、彼はアース神族としても認められた。相変わらず悪戯や、騒ぎの種は彼だが、その行動も代わり映えのない神界に『刺激』を与える役割をしている。


「同じ所に留まっていたら、自分の闇のことを考えるからでしょう?」


 まるで世間話のように、軽く言い切ったフレイにオーディンは瞠目した。

 知っていたのか、と。

 フレイは少し笑うとグラスを手に取った。金色の麦酒が彼の手の中で回る。


「私はよくあいつと話しますから。昔と変わったこと、変わった表情、そのあたりは気づきます。私の他、何人かも首を傾げる時があるんじゃないですか?」

「そうか……」


 フレイはこのアースガルドの中で、あのロキの弁についてこれる数少ない神だ。そのためか交流も多い。長年見ていれば分かるのだろう。

 何の悪意もなく、無邪気に騒いでいたあの頃のロキと、今のロキの違いが。

 それは無意識に悟るトールも、切れ者のヘイムダルも同じだとは思う。


 だがどうすることもできない。ロキがそのようなものを抱えていたとしても、彼は隠し通そうとしている。大っぴらに表に出てこないのならば、それを突いてどうこう言うのは彼の傷を抉るだけだ。

 そして、公にしてしまえばその分神界は騒ぎ、彼の居場所はなくなるだろう。


「あいつがおらんようになると、なんか物足りなさそうじゃ」

「ははは、確かに。ロキがいなくなると静かすぎて嫌ですね。きっと退屈です」


 意外に彼の行動は、自分達の生活に浸透しているのだ。彼がいなくなるということは、それが欠けるという事。日常の一部が消えるということだ。


「可愛げのない義弟だがな」

「あれ、息子の間違いじゃないんですか?」

「義弟じゃ!」


 オーディンは思う。

 確かに、予言されているラグナロクを起こすわけにはいかない。その未来だけは選んではいけない。だが、同時にロキを失うことも得策ではない。彼の能力は高く、それを失うことでどんな影響が出るか分からない。そして――


(あれでも弟じゃからな……)


 初めて彼と出会った時。ヨトゥンヘイムで無邪気そうに笑い、けれどどこかその場所に不満を抱いていたロキ。窮地を救ってくれた彼を褒めた時に見せた笑顔。今でも鮮明に思い出せるのは、それだけその思い出がオーディンの心に残っているからだ。


 ロキが本当に心から笑える場所、彼を支えてくれるような温もりを、どこかで見つけてくれれば良いと思う。それは、決して自分にはできないことだから。

 どうか、彼に優しい時間を。

 オーディンは、そう望まずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る